みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #123

2017年11月28日 | コーヒーブレイク
ローマ書10章17節
そのように
信仰は聞くことから始まり
聞くことは
キリストについての
みことばによるのです

恐らく読んでいる原典の違いによるのだろう。「キリストについてのみことばによる」とあるが、信頼できる原典のひとつRP Byzantine Majority Text 2005ではこうだ。


αρα η πιστις εξ ακοης
η δε ακοη δια ρηματος θεου
(Byzantine Majority Textなど)

すなわち

「キリストのみことばによる」ではなく「 神のレーマによる」だ。


すなわち
信仰は聞くことから
聞くことは
神のレーマによる

神のレ―マとは神の霊とロゴスの混合体。




Coffee Break, #122

2017年11月27日 | コーヒーブレイク
エペソ1章17節
どうか
私たちの主イエス・キリストの神
すなわち栄光の父が
神を知るための知恵と啓示の御霊を
あなたがたに与えてくださいますように

これまでくり返し指摘してきた。

原典では属格が使われているのも関わらず、対格で訳出するという文法上の問題点が日本語訳の随所に認められる。

これは、恐らく訳者らの信ずる神学によるのだろう。

では早速問題となる箇所を指摘していきたい。

以下の英語訳と比較すれば、上に指摘した箇所がはっきりとする。


That the God of our Lord Jesus Christ
the Father of glory
may give unto you the spirit of wisdom and revelation
in the knowledge of him

もうお分かりだろう。

最後の「in the knowledge of him」。

この箇所を、日本語訳では、「神を知るための」と訳している。

我々が神を知るための知恵と啓示の御霊

英語訳を再度見てみると、in the knowledge of himであって、直訳すると

彼の知識の中にある
彼の知識における
彼の知識において

以外に訳しようがない。

彼(神)の知識の中にある知恵と啓示の霊

エペソ1:17
我らの主イエスキリストの神
栄光の御父が
あなたがたに
ご自身の知識の中にある知恵と啓示の霊を
与えて下さるように





Coffee Break, #121

2017年11月26日 | コーヒーブレイク
第1コリント12章19節a
またある人には同じ御霊による信仰が与えられ


ここに出てくる信仰とは、ヘブル11章1節に出てくる信仰と同一の定義を持った信仰だろうか。

最初に指摘すべきは、「信仰」の前に、形容詞ἕτεροςが付いているにも関わらず訳出されていないということ。

ἕτερος:
Of uncertain affinity; (an-, the) other or different: - altered, else, next (day), one, (an-) other, some, strange.

異型の、異なる、別の、と言う意味を持つ単語だ。


To another faith by the same Spirit
(KJV)

John Eckhardtは、この another faithをwonder-woking faith(不思議実現型の信仰)、またはspecial faithと解釈している。

同じ聖霊による不思議実現型の信仰

どのような信仰なのか。

一言で言うなら、山を動かすことのできる信仰。

つまり、ヘブル11:1で出てくる信仰と同じ信仰だ。

対する一般的信仰general faithとは

神の一方的な恵みによって与えられた、救いのための信仰




Coffee Break, #120

2017年11月23日 | コーヒーブレイク
ローマ書5章2節
またキリストによって
いま私たちの立っているこの恵みに
信仰によって導き入れられた私たちは
神の栄光を望んで大いに喜んでいます

考察の前に、まずは英語訳を見ておきたい。


By whom also we have access by faith
into this grace wherein we stand
and rejoice in hope of the glory of God
(KJV)

この英語訳を読んで、再度上の日本語訳を読むと、くどくてうんざりするのは何故だろうか。

原典を念頭に置きつつ、上の英語訳を素直に日本語へと置き換えてみる。


彼を通して
信仰によって
我々はこの恵みの中へと出入りできる
その場所に
我々は立って
神の栄光の希望の中で喜ぶ

ポイントとなる箇所は

we have access by faith into this grace

ここだろう。

「この恵みに信仰によって導き入れられた」と訳出しているが、違う。
受動ではなく能動だ。

信仰によって、この恵みの中へと出入りできる

アクセス権があるということは、自由に出入りできるということ。

「神の栄光を望んで」とあるが、違う。
対格ではなく属格だ

「神の栄光の希望の中で」だ。

神がおられ、神の中に栄光があり、その栄光の中に希望があり、その中で我々は喜んでいる

ということだろう。

待ち望んでいるところにも確かに喜びはあるかもしれない。しかし、この状態というのは、我々の居場所は希望の外だ。これでは心底喜べない。希望の中にいるから、心の底から喜びが湧き上がってくるのではないか。




God as the Life of the Body, #20

2017年11月21日 | 聖書研究・信仰
もう一度、神が人の体にパワーを供給する方法を見てみたい。

神は我々の霊に対してパワーとなるだけでなく、体に対してもパワーとなる。

祝福が今日ほど顕著ではなかった旧約の時代においてさえ、聖人たちは外なる肉のブリキ缶に対する力としての神を経験していた。

外なる肉の器に対する祝福は、旧約の時代の方が大きかった。

我々も彼らのように、神の爽やかな同じパワーを経験すべきだ。

もし神の豊かさについて理解が及ばない者は、その豊かさを霊的な事柄に限定するかもしれない。

しかし、信仰を持つ者なら、神の命とパワーの体に対する適応を無視して、それらを霊にのみ限局することはしないだろう。




Coffee Break, #119

2017年11月20日 | コーヒーブレイク
ヘブル10章24節
また
互いに勧め合って
愛と善行を促すように
注意し合おうではありませんか

何かピントのずれた、意味が良く分からない文章だ。しかも、「善行」とある。要注意だ。

「愛を促す」とはどういう意味か。

「善行を促す」とはどういう意味か。

>注意し合おうではありませんか

・・・。パウロがこんな幼稚な言い回しをするだろうか。

早速検討に入る。

英語訳から。


And let us consider one another
to provoke unto love and to good works
(KJV)

22節、23節、24節の3つの節において、文頭は「let us 動詞」から始まっていて、確かに、この3節はパウロによる勧めが書かれている。よって「~しようではないか」という訳出には問題はない。

では、24節でパウロは何を勧めているのか。

この節で勧めているのはκατανοέωすることだと書いてある。

κατανοέωの意味は

κατανοέω:
From G2596 and G3539; to observe fully: - behold, consider, discover, perceive.: - behold, consider, discover, perceive.

to observe fullyと書いてある。

つまり「存分に見極める」ことがパウロの勧めであることが分かる。

同1a
お互いに(知を尽くして)存分に見極めようではないか

次に、provokeと訳された単語はπαροξυσμόςで、その意味は

παροξυσμός:
From G3947 (“paroxysm”); incitement (to good), or dispute (in anger): - contention, provoke unto.

奮起する、誘発する、刺激する、という意味の単語のようだ。discover, perceiveという意味もある。分かる、知る、認識する。

英語訳を見ると、この単語に続いてuntoとtoがある。

どういうことか。

untoとは~の方へ、toとは~へと向かって、という意味。

παροξυσμόςの訳として「奮起する」を採用すると

provoke unto love:アガペーの愛を目指して奮起する

provoke to good works:良い業を目指して奮起する

good worksを日本語訳では「善行」と訳出している。原語だとκαλων εργων。καλωνが良い、εργωνは働きまたは業という意味。「善行」という意味はない。

ヘブル10:24
お互いに(知を尽くして)存分に見極めようではないか
アガペーの愛を目指して奮起するために
良い業を目指して奮起するために




Coffee Break, #118

2017年11月19日 | コーヒーブレイク
Trust in Jesus with all your heart
and lean not unto your own understanding
In all your ways acknowledge Him
and He shall direct your paths




God as the Life of the Body, #19

2017年11月17日 | 聖書研究・信仰
このパワーは皆、この体において現われる。

神を待ち望む者に神の力が現れる。

ダニエルが神のビジョンを見た時、次のように呟いた。

「わたしの中に力は残ってはいなかった」

「私の輝かしい姿は、恐ろしくも変わってしまった」

「私にはもはや力がなかった」
(ダニエル10:8)

しかし、神はみ使いを送り、ダニエルの力を増した。

この書において、ダニエルは人の外観を持ったみ使いが自分に触れて、力づけてくれた様子を説明する。

ダニエルは言う。

「嗚呼、人よ、大いに愛する者、恐れるな、汝に平安あれ」

「強くなれ、大いなる勇気を持て」

そして彼が私に話しかけた時、私は力を得て、言った。

「私の主に言わせてください、おなたは私に力を与えてくれた」

(ダニエル10:18~19)




Coffee Break, #117

2017年11月16日 | コーヒーブレイク
ローマ書4章17節
このことは
彼が信じた神
すなわち死者を生かし
無いものを有るもののように
お呼びになる方の御前で
そうなのです

有名な聖句だ。

この聖句でやや文意が取りにくいが次の箇所。

>死者を生かし
>無いものを有るもののように
>お呼びになる

まずは「お呼びになる」。

敬語を使うから分かりにくい。(大声で)「語り出す」「呼び出す」で良い。或いは、「宣言する」


those things which be not as though they were
(KJV)

この英語訳では、仮定法を使って訳出しているが、原典は仮定法ではない。

一応原典を引用しておく。

καλουντος τα μη οντα ως οντα

2つあるονταはbe動詞に相当し、どちらも現在分詞能動態で対格中性複数。

直訳すると

存在しない事々を存在する事々として呼び出す

次に、「死者を生かし」。

>死者を生かし

これは正確な訳出ではない。

正確には

≫死んでいる者たちを生き返らせ

死んでいる者たちとはどういう者たちか。

今は死んでいて存在しない者たち

要するに

死んでいる者たちを生き返らせる

とは

死んでいて存在しない者を生きていて存在する者として呼び出す

ということだろう。

要は、同じ意味のことを繰り返しているのだ。

この世に存在しない事々を存在する事々としてこの世に呼び出す
死んでいて存在しない者を生きていて存在する者としてこの世に呼び出す

神はこのような奇跡を行なうことができると信じることがアブラハムの信仰だった。

これはまさに信仰の定義(ヘブル11:1)と完全に一致する。

つまり、最初の信仰者は神であるということだ。

神の継承者である我々神の子は、それよりもっと偉大な業ができると主イエスは言われた。





Coffee Break, #116

2017年11月15日 | コーヒーブレイク
ピレモン1章6節
私たちの間でキリストのためになされている
すべての良い行ないをよく知ることによって
あなたの信仰の交わりが
生きて働くものとなりますように

日本語訳で良く出てくる「よい行ない」という訳出は要注意だ。意訳されている場合が多い。恣意的理由によって善行をイメージさせたいのだろう。

早速、英語訳。


That the communication of thy faith
may become effectual
by the acknowledging of every good thing
which is in you in Christ Jesus

上の英語訳を見て分かるように「すべての良い行ない」ではなく「すべての良いこと」。原典を見ると明らか。

communicationと訳された単語はκοινωνίαで、意味は

κοινωνία:
From G2844; partnership, that is, (literally) participation, or (social) intercourse, or (pecuniary) benefaction: - (to) communicate (-ation), communion, (contri-), distribution, fellowship.

From G2844とあるので、G2844を調べてみると

G2844
κοινωνός:
From G2839; a sharer, that is, associate: - companion, X fellowship, partaker, partner.

partakerが登場する。この単語、前回の考察で出てきた。我々は全世界の富だけでなく
神のご性質の継承者でもある。つまり、神の子。上っ面の交わりではなく、父と子の関係におけるコミュニケーションができるということ。

同1a
あなた方の信仰の(親子としての)交わりが
力強いので

次に、「すべての良いこと」とは何か。

キリストイエスの中にいるあなた方の中にあるすべての良い事

ピレモン1:6
あなた方の信仰の(親子としての)交わりが
力強いので
認識を持つことによって
キリストイエスの中にいる
あなた方の中にあるすべての良い事の