みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

They Are All Of One, #2

2015年06月30日 | 聖書研究・信仰
この聖句には、2つの集団が書かれている。

すなわち、「多くの息子たち」「彼らの救いの創始者」、言い換えると「聖とする者」「聖とされる者たち」

しかし、この2つの区別は、「皆、ひとつから出た」、言い換えると「ひとつからのすべて」である。

人としての主イエスは、神からご自身の命を誘導した。

一方、我々は神から新しい我々の命を誘導する。

主は「神の懐におられた御子・・・聖霊の」であった(マタイ1:20)。

我々は、「霊から・・・生まれた」「神から・・・生まれた」(ヨハネ3:5、1:13)

それで、神は言う、我々はひとりからのすべて。

ギリシャ語ekは「から」という意味。

神の懐からでた長子と多くの息子たちは、ひとつの命の源から出たすべてだ。

神が持っているのと同じ命を持っているということを本当に分かっているか。

天におられる神が持っているその命が、地上のまさにここにいる我々に分け与えられた。

これは、かけがえのない「神の賜物」だ。

ローマ6:23
罪の報酬は死
神の賜物は永遠の命
我らの主キリストイエスにあって

だから、我々は聖の命を生きることができる。

変えられたのは我々自身の命ではないが、分け与えられたのは神の命だ。




They Are All Of One, #1

2015年06月29日 | 聖書研究・信仰
神が欲しいものは、栄光にあるキリストの共同相続人となる息子たちだ。

それが神の最終ゴール。

神はどうやってそれを実現しうるのか。

ヘブル2:10
主はそれにふさわしい
彼によって、万物は
彼を通して、万物は
多くの息子たちは、栄光の中へ
創始者が導きながら
彼らの救いの
苦しみの成就を通して

同2:11
聖とする者は
聖とされる者たちは
皆、ひとつから出た
この理由によって
この者たちを兄弟と呼ぶこと
彼は恥としない




Coffee Break, #9

2015年06月28日 | コーヒーブレイク
Responding to His word, `Be of good courage, child, thy sins have been forgiven thee',
you need to move your legs and begin to walk.
This is your responsibility.

He That Hath The Son Hath The Life, #3

2015年06月28日 | 聖書研究・信仰
今日我々がキリストにあって持っているものは、アダムが失ったものよりも多い。

アダムは単に成長した男であった。

彼はあの平面上に留まり、神の命を持つことはなかった。

しかし、神の御子を受けている我々は、罪の赦しを受けているだけではない。

我々はエデンの園にあtったあの命の木に象徴されている神の命を得ている。

新生によって、我々はアダムが決して得ることができなかったものを受けているのだ。

我々はアダムの受け取り損ねたものを持っている。








He That Hath The Son Hath The Life, #2

2015年06月28日 | 聖書研究・信仰
中国にいた頃のある日、私はある中国の指導者を訪れた。

彼は病気のためベッドで休んでいた。

仮に、彼の名をウオン氏としておく。

彼は勉強家で、哲学博士だった。

氏の道徳原則は中国全土で高い評価を得ていた。

そして、クリスチャン関連の仕事にも長い間従事していた。

しかし、新生の必要を全く信じておらず、社交的福音を主張していた。

氏を訪問した時、ベッドサイドにペットのワンちゃんがいた。

神のことや神の御業について話し合った後、私はそのワンちゃんを指さして、名前を尋ねた。

フィドという名だと話してくれた。

フィドというのは、洗礼名なのか苗字なのかと聞いてみた。

つまり、家族名なのか個人名なのか聞いてみた。

「それはただの名前だ」と、氏は答えた。

「洗礼名という意味ですか」

「では、フィド・ウオンと呼べばいいのですね」

「そうじゃないよ」と、語気の強い答えが返ってきた。

「このワンちゃん、この家の住人でしょ」

「どうして、フィド・ウオンと呼ばないですか」

彼の二人の娘さんを指さして、再度私は聞いた。

「あなたの娘さんたちは、ミス・ウオンと呼ばれないだろうか」

「もちろん、みんなミス・ウオンと呼んでくれるよ」

「では、どうしてあなたのワンちゃんをマスター・ウオンと呼んじゃダメなんでしょうか」

氏が笑い、私はさらに続けて言った。

「私が何を言おうとしているか分かりますか」

「あなたの娘さんはあなたの家族として生まれた。彼女たちにあなたの命を伝えたから、彼女たちはあなたの姓を受け継いでいるはずです」

「あなたのワンちゃんは賢くて、良くしつけられている、大変良くできたなワンちゃんかもしれない」

「問題なのはそうではない」

「彼は良いワンちゃんか悪い子か」

(それも問題ではない)

「問題は、彼がワンちゃんかどうかです」

(ワンちゃんであるがゆえに、あなたは彼を家族として認めていない)

「同じ原理が神に対するあなたがたとの関係にも当てはまるのです」

「問題は、あなたが良い人か悪い人かなのではない」

「もっと単純に、あなたが人かどうかです」

「もしあなたの命が神の命の平面より下にあれば、あなたは神の家族にはなれないのです」

「これまでの人生を通して、あなたの伝道目的は、悪者を良者に変えることだったでしょう」

「しかし、人というものは、善であれ悪であれ、神と活きた関係を持つことができないんです」

「唯一の希望は、神の御子を受け入れることだけです」

「そうすれば、我々に宿る主の命が、我々を神の子としてくださるのです」

博士は真実を知り、心で神の御子を受け入れ神の家族となった。








He That Hath The Son Hath The Life, #1

2015年06月27日 | 聖書研究・信仰
命にはいくつかの平面がある。

人の命は下等動物の命と神の命の間にある。

上の平面と下の平面を隔てている壁をつなぐことはできない。

我々の命と神の命との距離は、我々と下等動物のそれとは比較にならないほど大きい。




Adam’s Choice The Reason For The Cross, #5

2015年06月27日 | 聖書研究・信仰
神は我々の今持っている命の状態を変えて事を成そうとは思っていない。

我々の命をある程度のところまで製錬することは神のお考えではない。

それは完全に誤った平面上にあるからだ。

その平面上では、神は人を栄光へと導くことができない。

新人類が必要なのだ。

神から生まれ出て、新生された新人類。

新生と義認は同時に起こる。




Adam’s Choice The Reason For The Cross, #4

2015年06月27日 | 聖書研究・信仰
キリストは新人類として復活した。

いまだに体は持つが、肉にあるものではなく、霊にある体だ。

第1コリント15:45c
最後のアダムは命を与える霊となった
(Lee訳)

主イエスは復活の体、霊的な体、栄光の体を持っている。

もはや肉の中にはいないので、遠慮なく受け入れることができる。

ヨハネ6:57b
私を食べる者は、私ゆえに生きるだろう
(Nee訳)

ユダヤ人は、主イエスの肉と食べ血を飲むという考え方に猛反発した。

主はまだ肉の中にいたので、ユダヤ人は受け入れることができなかったのだ。

しかし、今や主は霊の中にいるので、我々はみな主を受け入れることができる。

主の復活を共有することにより、我々は神の子という性質を持つことができる。

ヨハネ1:12
主を受け入れる者にならだれにでも
神の子となるための権利を与えた
主の御名を信じる者たちに

ヨハネ1:13
血から出た者たち
肉の意志から出た者たち
人の意志から出た者たち
ではなく
神から出た者たちが生まれた




Adam’s Choice The Reason For The Cross, #3

2015年06月26日 | 聖書研究・信仰
このことから、我々は主イエスの死と復活のための神性な理由が分かる。

真の献身のための神性な理由もまた分かる。

我々は罪に死んでおり、キリストイエスにあって神に生きていることを知っている。

我々は死から生還した者として自分を神に献げている。

我々は皆、主の十字架に進んでいく必要がある。

何故なら、我々の中にあるのは、生まれつきの自己的命であり、罪の法則に隷属しているから。

アダムは神性な命よりも自己的命を選択した。

そこで、神はアダムに由来するものをすべて集めて廃棄した。

我々の古い人が十字架に付けられた。

神はキリストの中にすべてを放り込んで、最後のアダムとして十字架に付けた。

かくしてアダムに属するものは皆死んでしまった。





Adam’s Choice The Reason For The Cross, #2

2015年06月26日 | 聖書研究・信仰
アダムの前に、2つの平面が用意された。

神に依存する神性な命の平面。

神から独立した人間的な平面。

後者の選択は原罪となった。

何故なら、アダムはサタンと共謀し、神の永遠の目的を妨害したからだ。

アダムがそうした理由は、人間性を進展させたかったからだ。

神から離れて、とても魅力的な人間、すなわち、自分の基準に照らして、完璧な男になるために。

しかし、最後に待っているのは死となった。

彼のうちに神性な命が失せた。

自分の中にある神の目的を知るために必要な命。

そして、アダムは敵の独立した工作員となってしまった。

かくして、我々は、アダムにあって、皆罪人となった。

つまり、サタンの支配下に置かれた。

つまり、罪と死の原理下に置かれた。

つまり、神の怒りに値するものとなった。