みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#640 神の法第六戒

2021年05月30日 | 神の法
第6戒
ハイブリダイゼーション(交配)と法

253~
Hybridization and Law
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

宗教上原理主義を主張する大学の学生新聞は、ある共通する姿勢ゆえに、学生の攻撃を受けてきた。

非難されるべき姿勢のひとつは次のように要約される。

友人のために同性愛者になるなんて考えられないと。

これに対する解答はこうだ。

「何一つ深刻な悩みを持っていない友人がいるなんて考えられるだろうか」

記事は次のように続く。

「ウエストモントの学生は、マリファナに対するキリスト教的解答を知っておくべきだ。」キリスト教的答えとは何か。或いは、それ以上のあり得る立場というのはあるのか。マリファナの使用は本質的に悪なのだろうか。マリファナの使用が違法行為だから悪いのか。法律が変わればどうなのか。「同性愛、麻薬中毒、売春について考えると不愉快になる。」社会情勢の無知、偽善、誤った信心、そして現実からの逃避によって、不愉快となる人もいる。
「サンタバーバラの地域問題に関わっている時間的余裕がない。結局、私の本分は学生であるということ。」’(どうすれば拘わらずに済むのだろうか)学生とは一体何なのだろうか。学生であると理由で、責任ある一個人であることを拒むことはできるのだろうか。

表面上、福音伝道集団から生まれる時、寛容と超道徳という態度は、多くの人にとって衝撃となる。

しかし、現実的には、原理主義的集団やルター派、カルヴァン主義、英国国教会派、バプテスト派、ローマンカソリック、そしてその他の宗派において、そのような見解が、例外というよりもむしろ規則になりつつある。

それらに反対する人々は少数派であり、対抗すべき有効な神学的基盤が欠落している。

なぜなら、法が無視され、「愛の倫理」が引き継いでいるから。

超道徳が蔓延るところでは、愛が新しい法となり、新しい救い主となる。

コメント:

久しぶりのエントリー。

コロナのために、時間が奪い取られている。

ワクチン予約を始めたが、タイムテーブル作成のために多くの時間を取られて全く割に合わない。

パンデミック人工説へ方向転換!


参照:

富井氏がポストミレ神学を展開している。

分かってしまえば当たり前すぎて、議論の余地など無塵もない。