☞ He Will Wipe Away Every Tear: Ultimately with R.C. Sproul
最初から最後まで。
◇◇
神がご自分の民のところに来られて、民の涙を乾かす時
もはや死はない。
もはや苦痛はない。
それは、苦痛や悲しみによるあらゆる涙が終わる時。
私がまだ子供だった頃の話しをしたい。
時には、大変面倒なことになったこともあります。
私の町にひとりのいじめっ子がいました。
彼は、他の子どもよりも身長の伸びがはるかに早かった。
そして、他の子どもたちを見下ろすほどだった。
ある日、私は仲間の子らと遊んでいました。
そのいじめっ子は私よりも年上でした。
彼は私の悪口を言って、私を馬鹿にした。
私は気分が悪くなり、泣きながら家に帰りました。
その日のことは良く覚えています。
ある夏の日のこと、裏戸が開いていて、網戸が閉まっていた。
網戸を開けると、お母さんがキッチンに立っていて、エプロンを付けて料理を作っていました。
私が泣いていると、母はスプーンや持っているものをみな床に落として、私のもとに駆け寄りました。
私の手をしっかりと握りしめて、着ていたエプロンの中に埋まるように私を抱きしめました。
「どうしたの。」
逃げようとしたけど、涙が溢れてできなかった。
あの子にいじめられたと伝えると、落ち着くように私をなだめた。
母はエプロンの端を取って、私の涙を拭い去ってくれた。
母は何度も何度も同じことをしてくれたので、決して忘れることはない。
大分前にボストンにある病院に入院中の友人を見舞ったことがある。
彼は危篤状態で、人生最後の時を迎えていました。
彼のベッドサイドにいても、小さな氷のかけらを彼の渇いた唇に含ませること以外、何もしてやれず、ひどく落ち込んでいました。
ある日のこと私を見て、ことばを発するにはあまりに弱々しくて、彼は目に涙を滲ませていた。
ベッドスタンドにあった小さな布を取り、私はその涙を拭き取った。
どのように表現したらよいのだろう。
流した涙を拭き取ってあげる時、お互いにどのようなコミュニケーションを取ればよいのだろうか。
子どもの頃、母が私の涙を手で拭い去ってくれた時、大いに慰められました。
涙が止まり、元の状態に戻りました。
しかし、どうしてだろう。
涙が止めどもなく溢れました。
神がご自身の民のもとへやって来て、彼らの涙を拭い去る時、泣くことは終わる。
苦痛による流涙、悲しみや嘆き、不幸による流涙は終わる。
天において、これらの事々は永遠に止む。
もはや死がない。
もはや苦痛がない。
もはや悲しみがない。