みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

The Fourth Step: “Walk ... After The Spirit”, #5

2016年02月26日 | 聖書研究・信仰
次に、「従って歩む」とは服従を意味する。

肉に従って歩むとは、肉の命令に屈服することを意味する。

以下のローマ書8:5~8の箇所において、従って行くべき方向が示されている。

ローマ8:5
肉に従う者たちは肉の事々を思っている
御霊に従う者たちは霊の事々を

ローマ8:6
肉の思いは死
(御)霊の思いは永遠の命と平安

ローマ8:7
だから、肉の思いは
神に対して敵対する
つまり、神の律法に
決してできない

ローマ8:8
肉にある者たちは神を喜ばせることはできない

肉に従って歩むということは、神との戦いへと落ちていくということ。

御霊に従って歩むということは、御霊に服するということ。

御霊に従って歩む者がしてはいけないことがひとつある。

それは、御霊からの独立だ。

御霊に服する必要があるのだ。

私の人生のイニシアティブは、御霊とともになければならない。

御霊に従うために自分を明け渡す時にのみ、命の御霊の法則が十分働いていることを自覚できる。

そして、「律法の規定」、すなわち神を満足させようとなしてきた努力の数々が全うされるのだ。

私によってではなく、私の中で。

「御霊によって導かれる者は皆、神の子である」(ローマ8:14)






The Fourth Step: “Walk ... After The Spirit”, #4

2016年02月25日 | 聖書研究・信仰
御霊に従って歩むとはどういう意味だろうか。

それは2つのことを意味する。

まず、それは労苦ではない。

それは歩み。

主を賛美せよ。

かつて、私は神を喜ばせる方法を「肉において」探し求めていた時、重荷と実の結ばない苦労を自分に強いていた。

しかし、「御霊の働き」に頼る時、その空しい労苦は祝福と安息へと変わった。

第1コリント1:29
その方の中で、私は働いている
彼(御霊)の力に従って戦いながら
その働きに従って
私の中で
デュナミスの中で

だから、パウロは肉の「働き」と御霊の「実」を対比する。

ガラテア5:19
肉の働きは明白である
姦淫、汚れ、好色

ガラテア5:22
御霊の実は
愛、喜び、平安、忍耐、親切、善、信仰




The Fourth Step: “Walk ... After The Spirit”, #3

2016年02月24日 | 聖書研究・信仰
しかし、未だに「律法の諸規定」は、我々の中で成就されないまま残されている。

これは、どのように処理されるのだろうか。

このために、内住する聖霊という神のさらなる恵みが必要となった。

我々の内面の面倒を見て下さるのが御霊だ。

御霊はそれができる。

「御霊に従って・・歩む」、と書いてある通りだ。



The Fourth Step: “Walk ... After The Spirit”, #2

2016年02月23日 | 聖書研究・信仰
この箇所において、聖書は2つのことを語っている。

ひとつは主イエスが我々のために成して下ったこと。

もうひとつは、うちにおられる聖霊の働き。

「肉は弱い」

従って、律法のどの規定も「肉に従う」我々にあって成就されることはない。

これは救いの問題ではなく、神の満足の問題だ。

さて、我々の無能ゆえに、神は2つの過程を用意された。

最初に、神は、我々の問題の核心を処理するために介入する。

神は御子を肉において送り込んだ。

御子は罪のために死んだ。

そうすることで、神は肉において罪を処罰した。

すなわち、我々の中にある旧創造に属するすべてのものの代わりに、自身を死に渡した。

旧創造とは、「我々の古い人」、「肉」、あるいは、肉にある「私」のことだ。

かくして、神は我々のトラブルのまさに根っこを打ち、我々の弱さの基を取り除いた。

これが最初の過程だ。






The Fourth Step: “Walk ... After The Spirit”, #1-1

2016年02月22日 | 聖書研究・信仰
弱さのゆえに、肉を通しては、律法ではなし得なかったこと。

罪ある肉の似姿において、罪の供え物として、神は御子を送り込んだ。

肉において(原)罪を罰するために。

律法のひとつひとつが皆、我々の中で成就するように。

肉に従ってではなく、御霊に従って歩むことができるように。




The Fourth Step: “Walk ... After The Spirit”, #1

2016年02月21日 | 聖書研究・信仰
ローマ8:34
罪に定めている者はだれか
死んだお方、いやそれだけではなく、蘇ったお方
キリストイエスは
今や、神の右におられる
今や、我々のためにとりなして下さっている





The Manifestation Of The Law Of Life, #13

2016年02月18日 | 聖書研究・信仰
この自発的な生き方(命)が、キリスト者の生き方(命)そのものだ。

この命は、嫌な相手、すなわちなんとなく馬が合わない、愛することの出来そうもない兄弟に対して、愛という形において現れ出る。

その命の働き方は、主がその兄弟における可能性をどう見ているかに基づいている。

「主よ、あなたはあの兄弟が愛すべき人であると見ている」

「そして、あなたは彼を愛している」

「今、彼を愛しなさい」

「この私を通して」

すると、その命は、実際の生き方において現れ出てくる。

善悪をわきまえる本当の性質の中に。

クリスチャンの生き方には、あまりに多くの偽善、あまりに多くの猿芝居が存在する。

何もない所に何かあるかようなふりをする証言からは何も得るものはない。

自分たちが何者であるかを、結局は素人にすら見抜かれてしまう。

いのちの法則に信頼する時、見せかけは真実に道をゆずる。




The Manifestation Of The Law Of Life, #12

2016年02月11日 | 聖書研究・信仰
これは確かに真実だ。

おしゃべりの例を見てみよう。

自分は言葉数がやたらと多いとしよう。

人と一緒にいる時もぶつぶつ言っていることが多い。

「さあどうしようか」

「私はクリスチャン」

「主の御名に栄光を帰するのなら、あまりしゃべらない方がシンプルでいい」

「さあ今日は、徹底的に自分をチェックしてみようか」

1~2時間経つがうまくいっている。

しかし、ちょっとしたはずみで自制心を失い、わけが分からずべらべらしゃべるのを抑えられなくなる。

意志など役に立たないことはすぐに判明する。

自分のおしゃべり癖を治そうと訓練を積みたいなら、キリストイエスにある命は要らない。

この世のくだらない宗教の方がよりお勧めだ。

再度考えてみよう。

終日静かにしていても、おしゃべりはおしゃべりのままだ。

彼を支配しているおしゃべりという「自然の」法則があるのだ。

桃の実が成っていようといまいと、桃の木は桃の木であるように。

キリスト者として、我々はうちに新しい法則を見出す。

それが命の御霊の法則だ。

この法則は他のすべてを超えて、我々をおしゃべりの「法則」からすでに解放してしまった。

主のことばを信じて、この新しい法則に従うなら、おしゃべりを止めるべき時を教えてくれる。

まだ喋りだすな、と。

命の御霊の法則によって、我々はそうする権威が与えられている。

これに基づくなら、友の家に出向いて行き、数時間あるいは数日滞在しても何ら問題は起きない。

この新しい命の法則に感謝しながら、帰途に着くことになるだろう。





The Manifestation Of The Law Of Life, #11

2016年02月10日 | 聖書研究・信仰
あるクリスチャンの友人と話す機会があった。

彼はこう言った。

「知ってるかい。命の御霊の法則によって生きるなら、本当に洗練された人になれるんではないかと思う」

私は聞いてみた。

「それって、どういう意味」

彼は答えた。

「その法則は、人を完璧な紳士にしてくれるパワーがあるからさ」

やや軽蔑しながら、別のクリスチャンがこう言った。

「それなら、あなたはあの人たちの行動を見て、彼らをとやかく言う資格はないのではないか」

「彼らはただの田舎者で、しかも無学な者たちだが、大事なのは、うちに主の命があるかどうかではないだろうか」

言っておくが、その命は自由に彼らに語りかけることができる。

「あなたの声はうるさ過ぎる」

「あの笑いは品がなかった」

「あの発言の動機は間違いだった」

などなど。

数千もの細事について、命の御霊は振る舞い方を教えてくれる。

だから、そのような人たちには、真の精錬さが生まれるのだ。

教育には、基本的にそんなパワーはない。

私の友人である彼は、典型的な教育者の一人だった。






The Manifestation Of The Law Of Life, #10

2016年02月04日 | 聖書研究・信仰
この新しい法則の発見は極めて貴重だ。

これにより、我々の新しい人が完全にされる。

この法則は、我々の大きな部分だけでなく、細部にまで渡り作用する。

他人の部屋の本を取り出そうとする時、事前に許可を得ていないことと、そうする権利がないことを思い起こさせるのがこの法則の作用だ。

我々は他人の権利を侵害できないことを聖霊が教えてくれる。