みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#33 The Days of Vengeance, NO.33

2024年07月20日 | 報復の日々

p99~
The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇


スミルナ:偽イスラエルに対する裁き(2:8-11)

Rev 2:8  また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。『初めであり、終わりである方、死んだが生き返った方が言われる。 
Rev 2:9  「わたしは、あなたの行ないと艱難、そして貧困を知っている。・・しかしあなたは実際は富んでいる。・・またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。 
Rev 2:10  あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。 
Rev 2:11  耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。」』 

8節

スミルナ(そこにある教会には重大な問題があるという意味)には2つの特徴があった。

第1に、その町の住民は帝国カルトを強く熱愛していた。

第2に、スミルナには、キリスト教信仰に敵対するユダヤ人が多数いた。

そのような未信者らの迫害に苦しめられていた、この信心深い教会に、イエスキリストは、ご自身を「初めであり終わりである」と宣言する。

神のこの御名は、イザヤ書44:6と48:12に由来する。

イザヤ48:12
Isa 48:12  わたしに聞け。ヤコブよ。わたしが呼び出したイスラエルよ。わたしがそれだ。わたしは初めであり、また、終わりである。 

これらの聖句の内容から、神を、最高位の主、歴史の決定者、あらゆる現実の計画者であり支配者として同定していることは明らか。

予定説という教えは、正しく理解される時、クリスチャンにとって恐れの源とはならない。

それは、安楽と保証の源泉となる。

 

 


#32 The Days of Vengeance, NO.32

2024年07月18日 | 報復の日々

p98~
The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇

7節
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。

◇◇

各メッセージにあるように、エペソの教会宛ての手紙は、霊が教会に言っていることに耳を傾けるように勧める。

それぞれのメッセージは、各教会の必要性において異なるが、御霊が提示する基本的命令は「打ち勝て」の一点にある。

ギリシャ語動詞「ニカオnikaoはニコライ派Nicolaitanの語幹と同じ。

キリストは、教会を打ち負かそうとする者たちに対抗し、勝利する責務を教会に課す。

戦いにおいて、一方または他方が勝利者となる。

サタンの教会への対抗手段は様々な形式をとり、種々の教会と教会の種々の時代は、様々な問題や様々な打ち勝つべき敵に直面する。

如何なる問題に直面しようとも、各教会は、神の敵対者を征服し凌駕せよという神の勅令下にある。

勝利の責務は、自分たちを神に献げ、通常のクリスチャンへの要求をはるかに超える選ばれし少数「超クリスチャン」のために留保されたものではない。

全クリスチャンは勝利する者たちである。

神から生まれしことは何であれ、世に勝利し、世に打ち勝つことこそが勝利、すなわち信仰である。

第1ヨハネ5:4
1Jn 5:4  なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。 

「子羊の血潮ゆえに、自分たちの証しのことばゆえに」、黙示録において語られているクリスチャンはみな悪魔に勝利した者たち(12:11)。

問題は、勝利か敗北かではない。

勝利か反逆かだ。

クリスチャンは勝利する。

そして、キリストは、我が神のパラダイスにある命の木の実を食べる特権をクリスチャンに与える。

これは別世界の希望などではない。

この約束の完全なる成就は歴史の終わりにもたらされるのだが、神の民が主に従い、地を支配するに従って、現在そして徐々に神の民の所有となっていく。

なぜなら、命の木はイエスキリストご自身であり、命の木を食べることは、救いの祝福と特典を受けることを意味するからである。

キリストにあって勝利するクリスチャンは、この世においても、永遠においても、回復したパラダイスをすでに享受している。

 

 


#31 The Days of Vengeance, NO.31

2024年07月17日 | 報復の日々

p97~
The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇

確かなことが一つある。

ニコラオという名の男にちなんで、ヨハネは彼らをエペソの異端宗派と呼んでいた。

その理由は、言語的考慮に基いているようだ。

ギリシャ語のニコラオスは、「民の征服者」を意味する。

興味深いことに、7つのメッセージの3番目において、ヨハネはペルガモの異端グループに言及している。

ヨハネがバラムの支持者と呼んでいるグループだ (2:14)。

ヘブル語で、バラムは「民の征服者」を意味する。

エペソのニコライ派をペルガモのバラム派に引っかけて、ヨハネはことば遊びをしている。

事実、彼らの教えは同じである(2:14-15)とヨハネは明らかにする。

ニコラオとバラムがお互いに同一のことばであるように(9:11に同様の技法が見られる)、教えにおいても同一である。

ニコライ派もバラム派も同じ異端カルトに属する。

この帰結は、さらなる結びつきによって強固となる。

ニコライ派やバラム派の異端と、第4のメッセージ (2:20)において言及されているテアテラの教会のイゼベル派の支持者を比べると、こららの教えも同一であることが分かる。

かくして、これらの特殊な異端は終末の日々における教会宛てのメッセージの集約であり、神の民を偶像礼拝や姦淫へと誘う異端であることが推察されよう。

ヨハネは、クリスチャン共同体の中に羊を食い荒らす狼が出現することや、牧師/天使は神の民をしっかりと守り、教会から彼らを追い出す義務があることを予言している。

ニコライ派の行ないを憎むとキリストは宣言する。

キリストが愛することを愛し、キリストが憎むことを憎むことによって、神の民はキリストのイメージを前面に押し出す。

詩篇139:19-22
Psa 139:19  神よ。どうか悪者を殺してください。血を流す者どもよ。私から離れて行け。 
Psa 139:20  彼らはあなたに悪口を言い、あなたの敵は、みだりに御名を口にします。
Psa 139:21  主よ。私は、あなたを憎む者たちを憎まないでしょうか。私は、あなたに立ち向かう者を忌みきらわないでしょうか。 
Psa 139:22  私は憎しみの限りを尽くして彼らを憎みます。彼らは私の敵となりました。 

 

 

 


#30 The Days of Vengeance, NO.30

2024年07月13日 | 報復の日々

p96~
The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇


エペソの生活において、このイメージの土台の一部として、ヨハネは潮流の動きを重要視していたようである。

ケイスター川から流されてくる堆積物によって、海岸線は絶えず変化していた。

そして、砂や砂利が徐々に港に堆積して、沼地へと変えられていった。

町はその場所から移動させられ、海から切り離されていった。

2世紀前、大規模計画によって、多くに努力、忍耐そして困難を代償に港は浚渫された。

しかし、1世紀半ば、港は再び泥土によって満ちた。

港として、エペソが影響力を維持するつもりであれば、市民は自分たちの怠慢を悔い改めて、再度最初の業務を行なうべきであることは明らかだった。

紀元64年に、ついに町は港を浚渫する工事を始めた。

その後しばらく、エペソはその場所に留まることができた。

しかし、長年に渡る沈泥が妨げられることなく進み、今やエペソの町の廃墟は、海から6マイル離れたところにある。

かつてエペソの港だったところは、今は草が生い茂る吹きさらしの平原となっている。

愛への回帰は、神学的基準を減ずることを意味しない。

ある意味で、それは神学的基準そのものの強化を意味する。

キリストとその民に対する真の愛は、悪に対する憎悪を要求する。

主はこのことを堅持するように命ずる。

「しかし、このことを行ないなさい。あなたがたがニコライ派の人々の行ないを嫌っているように、私も嫌っている。」

2世紀の司祭、聖エイレナイオスによると、ニコライ派とは、使徒らによって最初に執事の一人に任命されたニコラオの信奉者たちのこと(Acts 6:5)。

使徒6:5
Act 6:5  この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、 

彼らは、抑制のきかない耽溺の生活を送っていた。

彼らの教えとは、姦通を行なったり、偶像に捧げた物を食べることに無頓着というものだった。

聖エイレナイオスが正しいとすると、彼の見解には議論の余地がある。

執事ニコラオ(ギリシャ語ではニコラオス)は信仰を捨て、他の人々を異端の道へと誘い込み、異教徒と妥協することを求める「偽使徒」と成り果てていた。

 

 


#29 The Days of Vengeance, NO.29

2024年07月12日 | 報復の日々

p96~
The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇

花嫁の霊的無力感に対するキリストの解毒剤は、そのような態度を変える勧めなどではない。

始めの頃の典型的な花婿とのロマンスを実行するように主は命じる。

悔い改めは栄養となり、悔い改めの態度を養うだろう。

しかしながら、悔い改めない場合には、キリストは次のように警告する。

これらの手紙において、3回以上発せられた警告(2:16; 3:3, 11)。

黙示録
Rev 2:16  だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。 


Rev 3:3  だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。

以前に見たように(1:7)、キリストの来臨は、歴史の終わりの大変動と関係があるのではなく、(その時々の)歴史上の来臨と関係がある。

主はすぐに来る-とは、黙示録において7回出現することによって強調されていることば (2:5, 16; 3:11; 11:14;22:7, 12, 20)。

主の再臨によって、エペソにある教会を脅しているわけではない。

あの者たちと対峙するために来る、と主は言っている。

その場所から、あなたがたの燭台を取り除くであろう、と主は言う。

あの者たちの影響力は取り除かれるであろう。

実際、あの者たちは集うことを止めるであろう。

愛の欠落ゆえに、群れ全体が破門の危機にある。

教会の長老たちが弟子訓練に失敗し、正統派の教えに失敗するだけでなく、愛を目指すことに失敗するなら、イエスご自身が介入し、裁きを下すであろう。

こうなったら、もはや悔い改めるには遅すぎる。

 

 


 


#28 The Days of Vengeance, NO.28

2024年07月10日 | 報復の日々

p95~
The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

耳に痛いことが宣べられている・・。

◇◇

4-6節。

Rev 2:4  しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。 
Rev 2:5  それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。 
Rev 2:6  しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行ないを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。 

◇◇

しかし、主は教会の天使を諫める。

あなたと対峙すべきことがある。

あなたは、最初の愛から離れてしまった。

健全な教えに対する教会の願望が、キリストにある兄弟たちに対する頑強な姿勢へと逸脱してしまった

つまり、愛を欠落してしまった。

正統に対する熱心な関心それ自体が、そのまま愛の欠落を意味するものではないということは重要ではある。

兄弟たちに対して頑強になるというのは、正統派という名の倒錯である。

エペソのクリスチャンはあまりにも正統派すぎると、主キリストは批判しているのではなく、最初にあった愛を離れ、捨ててしまったと言っている。

教理vs愛という疑問は、聖書的に言って、問題とはならない。

事実、神がつなぎ合わせたものをばらばらにしようと目論むことが、特に未信仰者における問題である。

クリスチャンは正統であることと愛することの両者を要求され、そのいずれかの欠落は結局のところ神の裁きを招く。

それ故、あなたが落ち込んでしまったところから思い起こしなさい。

エペソ教会のクリスチャンはかつて、愛と正統派教理という調和の取れた組み合わせを有していた。

しかし、キリストは彼らに、悔い改めて、行ないについての考えを切り替え、最初に行なっていた行ないをするように命じた。

愛とは、心の問題でも態度の問題でもない。

愛とは、神の法「私たちが神を愛し、神の命令を守る時、これによって、私たちは神の子どもたちを愛するということを知る」を履行すること。

神の命令を守ることが、神を愛するということ。

神の命令は負担にならない (1 John 5:2-3; cf. Rem. 13:8-10)。

第1ヨハネ5:2-3
1Jn 5:2  私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。 
1Jn 5:3  神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。

ローマ13:8-10
Rom 13:8  だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。 
Rom 13:9  「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。 
Rom 13:10  愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。 

 

 

 


#26 The Days of Vengeance, NO.26

2024年07月03日 | 報復の日々

p92~
The Spirit Speaks To The Church: Overcome!
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇

エペソにある教会:偽使徒に対する裁き (2:1-7)

1.エペソにある教会の天使に書き送る:右手に7つの星を握るお方、7つの金の燭台の間を歩くお方が次のように言っておられる。

2.私は、あなたの行ない、苦労、忍耐を知っている。悪人たちに忍耐できないことを知っている。そして、使途と自称してはいるがそうではなく、彼らが偽者であることを突き止めたことも知っている。

3.あなたがたは忍耐している。私の名のゆえに艱難に耐えている。疲れ果ててはいない。

4.しかし、あなたがたに対して次のことを言わねばならない。あなたがたは初めの愛から離れてしまった。

5.それ故、落ちてしまったその場所から思い出して欲しい。悔い改めて、最初にしたことを行ないなさい。さもなければ、直ちにあなたがたのところへ行って、その場所からあなたがたの燭台を取り除く。-悔い改めなければ。

6.しかし、このことがあなたがたにはある。私も憎んでいるニコライ派の行ないをあなたがたは憎んでいる。

7.耳ある者は、御霊が教会に言っていることを聞きなさい。勝利する者に、命の木から食べる許可を与える。それは我が神のパラダイスにある。

1節:

エペソの町は、政治においても貿易においても、小アジアにおいて、最も重要な町であった。また、文化の中心地としても重要な町であり、芸術、科学、魔法、偶像礼拝、剣闘、迫害などを誇っていた。

メインストリートは、船着き場から劇場まで走っていた。

その途中、ビジターは、ジム、公衆浴場、公立図書館、公共売春宿などを通った。

アルテミス寺院(多産と野性の女神ダイアナ)は、古代世界の7不思議のひとつだった。

ルカはこの町について興味ある事実を提供している。

ひとつは、7つのメッセージに関連する重要な側面について。

エペソは、オカルトや魔術の温床だった(Acts 19:13-15, 18-19)。

1世紀の世界全土に渡り、背教のユダヤ教は、数多くの無宗教的空理空論や異教の実践業に順応していった。

そして、オカルトの知恵、ラビの教え、神秘宗教、禁欲主義や放銃、キリスト教教理の断片的知識を混ぜ合わせたような思想など、後にグノーシス主義として知られる宗教の初代宗派へと発展していった。

このごちゃ混ぜのインチキ宗教は、疑いもなく、小アジアの教会を苦しめてきた異端のための基本的な産卵場所を提供した。

エペソ内部における多彩な堕落にもかかわらず (cf. Eph. 4:17-19; 5:3-12) 、主イエスキリストは、ご自身の教会をこの地に定めた(使徒19章)。

そして、そのメッセージの中で、ご自分が右手に7つの星を握り、ご自身が定めた支配者たちを擁護・支持していることを、教会の天使に確信させた。

「主は、光と威光によって彼らを満たす」とMatthew Henryは注釈する。

「主は彼らを支えている。そうでなければ、彼らはやがて流れ星のように散っていくであろう。」

加えて、主は燭台の中央、すなわち、教会の中を歩き、彼らを守り、調べ上げ、ご自身との一体を通して、お互いをつなぎ合わせている。

レビ記26:11-12
Lev 26:11  わたしはあなたがたの間にわたしの住まいを建てよう。わたしはあなたがたを忌みきらわない。 
Lev 26:12  わたしはあなたがたの間を歩もう。わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。 

 

 

 


#25 The Days of Vengeance, NO.25

2024年07月01日 | 報復の日々

p90~
The Structure of Revelation Foreshadowed
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇

このサイクルが再び始まる。

かくして、最初の4つの教会へのメッセージの要点が、後半の3か所においてくり返される。

しかしながら、その詳細に関して相違があることに注意が必要。

このことを理解するために、最初のメッセージに戻る必要がある。

各教会へのメッセージの序文にあるキリストに関する記述は、1章にある人の子の幻の記述から引き出されている。

しかし、その順番は交差配列法が使われている。

交差配列法とは、各要点を逆の順に取り上げること。

人の子の幻
(ア)目は燃える炎のよう、足は光り輝く青銅のよう (1:14-15)
(イ)口から鋭い両刃の剣が出ていた(1:16)
(ウ)最初であり最後、死んでいるようで永遠に生きている、死とハデスの鍵を持つ(1:17-18)
(エ)私の右手にある7つの星と7つの金の燭台(1:20)


7つの教会への手紙
(エ)エペソ:右手にある7つの星を握るお方。7つの金の燭台の間を歩くお方(2:1)
(ウ)スミルナ:最初で最後、死んでいるが、生きている (2:8)
(イ)ペルガモ:鋭い両刃の剣を持つお方(2:12) 
(ア)テルテア:燃える炎のような目と光り輝く青銅の足を持つ神の子 (2:18)


(エ)サルディス;神の7つの霊と7つの星を持つお方(3:1)。
(ウ)フィラデルフィア:聖であり、真理成るお方。彼が開けると誰も閉めることができず、彼が閉めると誰も開けることができないダビデの鍵を持つ (3:7)。

(ウ)ラオデキア:アーメンなるお方。忠実で真の証人。神の創造の初めにおられたお方(3:14)。

この総括的パターンの繰り返しは、他の類似点によって補強される。

スミルナにある教会とフィラデルフィアにある教会の間の相似的内容は、「サタンの会堂」を取り扱うという点に見られる。

エペソにある教会の7つの燭台とサルディスにある教会の7つの神の霊との関係は、次の章において解説する。

天の御座に関するヨハネのヴィジョン。

御座の前に燃え盛る炎の7つのランプがあった。

それらは神の7つの霊(4:5)。

 

 


#24 The Days of Vengeance, NO.24

2024年06月28日 | 報復の日々

p89~
The Structure of Revelation Foreshadowed
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇

黙示録2-3

予示的黙示録の構造


結局のところ、7つの教会へのメッセージは、預言書全体の縮小版と言えよう。

すでに注目したように、序文(1章)に続く黙示録の4つのセッションは、レビ記26:18, 21, 24, 28において明らかにされている、契約における4つの7倍の呪いによって構成されている。

Lev 26:18  もし、これらのことの後でも、あなたがたがわたしに聞かないなら、わたしはさらに、あなたがたの罪に対して七倍も重く懲らしめる。

Lev 26:21  また、もしあなたがたが、わたしに反抗して歩み、わたしに聞こうとしないなら、わたしはさらにあなたがたの罪によって、七倍も激しくあなたがたを打ちたたく

Lev 26:24  わたしもまた、あなたがたに反抗して歩もう。わたしはまた、あなたがたの罪に対して七倍も重くあなたがたを打とう。 

Lev 26:28  わたしは怒ってあなたがたに反抗して歩み、またわたしはあなたがたの罪に対して七倍も重くあなたがたを懲らしめよう。 

黙示録における裁きの4形は以下のように要約される。

1.偽使徒に対する裁き (2-3)

偽教理を喧伝する異端教師らが曝け出され、非難され、ヨハネや真の使途たちの伝統に忠実である人たちによって破門される。

2.偽イスラエルに対する裁き (4-7)

聖徒たちを迫害している背教のイスラエルが非難され、処罰される。

信仰に厚いレムナントたちは裁きを免れ、契約の祝福を受け継ぎ、信仰の果実で地上を埋め尽くす。

3.邪悪な王と偽預言者(8-14)

獣と偽預言者は教会に対して戦争を仕掛け、真の王と信心深い証人によって打ち負かされる。

4.大淫婦に対する裁き(15-22)

バビロンと偽花嫁が非難され、焼かれる。

真の花嫁は子羊の晩餐を祝う。

この構造は、各教会へ宛てたメッセージと同じパターン。

1.エペソにある教会:偽預言者に対する裁き(2:1-7)

7つの教会における闘争は、ニコライ派に対するこの教会内での紛争という形で明らかとなる。

ニコライ派は自身を使徒と呼んでいるが、そうではない。

2.スミルナにある教会:偽イスラエルに対する裁き(2:8-11)

スミルナの人々は、イスラエル人であると名のる人たちとそうでない人たちとの間の対立で苦しんでいた。

彼らはサタン崇拝者。

3.ペルガモにある教会:邪悪な王と偽預言者(2:12-17).

1世紀の対立軸であるバラク、すなわちモアブの悪王と偽預言者バラムによる迫害と誘惑を経験した。

4.ティラテアにある教会:大淫婦に対する裁き (2:18-29)

神のしもべたちを偶像礼拝や姦淫へと誘う異端の首謀者がイゼベルであり、古代イスラエルの姦淫女王。

 

 


#23 The Days of Vengeance, NO.23

2024年06月25日 | 報復の日々

p88~
Recapitulation of Covenantal History
The Letters to The Seven Churches  
Part Two: The Seven Letters 
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇

黙示録2-3


7.ラオデキアにある教会(3:14-22)

イスラエル終焉の時期(紀元30‐70年)に、7番目かつ最後のメッセージが与えられる。

「ぬるま湯」の教会、すなわち富と自己充足感を豪語するが、実際には貧しく、裸であることが見えていない教会は、1世紀の偽善的パリサイ派ユダヤ教に相応しいイメージ (Luke 18:9-14; cf,Rev. 18:7)。

ルカ18:9-14
Luk 18:9  自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。 
Luk 18:10  「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。 
Luk 18:11  パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。 
Luk 18:12  私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』 
Luk 18:13  ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』 
Luk 18:14  あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」 

この教会は、その地から吐き出されようとしていると警告された(the curse of Lev. 18:24-28; cf. Luke 21:24)。

イスラエル人は悔い改めて、キリストを受け入れ、聖餐式の食事を提供するように迫られた。

勝利する者たちは、新しい契約、キリストの支配によってもたらされる、その時代の祝福を保証される(cf. Eph. 1:20-22; 2:6; Rev. 1:6)。

エペソ1:20-22
Eph 1:20  神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、 
Eph 1:21  すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。 
Eph 1:22  また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。