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Greeting and Doxology
Part One: The Son of Man
The Days of Vengeance
David Chilton
◇◇
黙示録1:4-8
小アジアの7つの教会について。
ヨハネは実際に存在する教会を念頭に置いていたことは明らか。
スコフィールドらは、7つの教会とは「教会の霊的歴史上の7つの段階」を意味するとしたが、単なる作り話である。恣意的な解釈であり、客観的な証拠がない。少なくもと3つの根拠のない推論から構成されている。
7つの時代という教理は、「黙示録は全教会史」を網羅するということを前提とする。
黙示録は全教会時代を包括しているとスコフィールドは言うが、ヨハネは、この書は直ちに起こるはずの事を預言する書であると主張する(1章1節)。
「7つの時代」教理の次の前提は、教会は敗北と背教によって終焉するというもの。
第3の前提は、われわれは教会時代の終わりに生きていると言う前提。
この前提の背後にあるのは、現在はわれわれは、まさに人類史の頂点において生きているとする考え方。
もちろん、この考え方は全く根拠がなく誤謬である。
われわれはいまだに初期段階の教会時代にいるに過ぎない。
以上から、7つの教会を、教会史における「7つの教会時代」と解釈することはできない。
7という数字は、質的十全性を意味する抽象表現の可能性がある。
使徒ヨハネの言うgrace(恩恵、聖寵、神の恵み、恵み)とは、キリストから離れ、神の怒りに値する者に与えられる(無償の)神の寵愛。
使徒ヨハネの言うpeace(平安、平和、和平)とは、キリストの贖いを通して、神と永久的に和解した状態(同1章5節)。
神が私たちのために成し遂げて下さった万事の要約が、graceとpeace。
三位一体の教理について(58頁)。
神の永遠性(59頁)。
神の来臨は、世界の終末だけでなく、歴史における永続的な支配(に対する裁き)にも関与する。
ご自身の民を贖い出し、悪人を裁くために、神はくり返し来臨する。
ヨハネは、聖霊を、神の御座の前におられる7つの御霊と呼ぶ。
この箇所の聖霊についての描写は、ゼカリア書4章に基づく。
ゼカリア4:1~2
私と話していた御使いが戻って来て、私を呼びさましたので、私は眠りからさまされた人のようであった。
彼は私に言った。「あなたは何を見ているのか。」そこで私は答えた。「私が見ますと、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には、鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があり、この上部にあるともしび皿には、それぞれ七つの管がついています。