みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #338 Romans 8

2019年05月18日 | コーヒーブレイク
ローマ8章2節
イエスキリストにある
命の御霊の律法は
罪と死の律法から
私を解放した

◇◇

これまで、神の法については全く無関心だった。

いや、敵対していた。

恐るべきことをしていた。

神の法に目が向くようになったのは、もちろん主の導きによる。

神の一方的な恵み。

土台のしっかりした父の家に戻ってきたような安堵感。

神学というのは、人間の不完全な知性によって編み出された理論ではない。

また、人間が勝手に仮定する「自然法」でもない。

時の試練を経て、歴史的に認められてきた神学をしっかり学ぶことは、クリスチャンにとって当然のことなのだが、こんな当たり前のことも気が付かないほどに堕落してしまっていた。

「神学なんて要らない」と吹き込むのは異端がよく使う手口だそうだ。


聖書律法綱要


序論
第一節 
聖書律法の有効性


実におもしろいことがいろいろ書かれている。

◇律法を犯す人間は、「神に敵対しており」(ローマ8・7)、「罪と死の律法」(ローマ8・2)の下にいる。一方、信者は「キリストにあって生命のみ霊の律法」(ローマ8・2)の下にいる。律法は一つであって、それは、神の律法である。

νόμος:
From a primary word νέμω nemō (to parcel out, especially food or grazing to animals); law (through the idea of prescriptive usage), generally (regulation), specifically (of Moses [including the volume]; also of the Gospel), or figuratively (a principle): - law.

確かに、意味は「モーセ律法」

ローマ8:2
イエスキリストにある
命の御霊の律法は
罪と死の律法から
私を解放した

νόμοςを「律法」と訳していることが、まず一点。そして「罪と死の律法」も「イエスキリストにある命の御霊の律法」も同じ(モーセ)律法であると書いてある。異なる2つの法則「罪と死の法則」「イエスキリストにある命の御霊の法則」があるのではない。実に分かりやすくて爽快。これが真理。

◇人間が義と認められるのはもっぱらイエス・キリストにある神の恵みによるが、人間が聖化されるのは神の律法による。

「聖化される」とは、世からの分離。世から分離されるために神の律法が必要である-とは、まさにその通りではないか。神の法に対立しながら、なおかつ聖化の過程が進んでいくというのはあり得ないこと。

ローマ8:4
肉に従ってではなく
御霊に従って歩む我々の中で
神の義が満ち溢れる

御霊に従って歩むとはどういう歩みだろうか。神の御心に従って歩むということ。神の御心に従って歩むとは、神の法に従って歩むということ。神の法に従って歩む者には神の義が満ち溢れると書いてある。

◇霊に従うことは何か別世界に行くことではなく、み霊の導きによって聖書の命令をこの世界に適用することなのである。

御国の拡大は、この世界を排除する暴力的なテロによってではなく、神の法をこの世界に適応することによって進んでいくということ。我々は、憲法、交通法規、医師法など、さまざまな法律によってがんじがらめになっているが、普段は全く気にも止めない。知らない間に遵守しているから。律法と同様、世の法律ですら違法者にとっては死となり、遵法者にとっては命となるのだ。

つづく。


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Coffee Break, #337 1 Peter 3

2019年05月15日 | コーヒーブレイク
第1ペテロ3章22節
彼(キリスト)は神の右におられる
天の中へと入ってしまった
彼に従わせられてしまっている
御使いたちが
権威と権力が

◇◇ 

この聖句において、権威と権力は文字通り理解するか、悪魔の呼称として解釈することも可能。

「従わせられてしまっている」と訳出した単語はὑποτάσσωで、意味は

ὑποτάσσω:
hupotassō
hoop-ot-as'-so
From G5259 and G5021; to subordinate; reflexively to obey: - be under obedience (obedient), put under, subdue unto, (be, make) subject (to, unto), be (put) in subjection (to, under), submit self unto.

支配下にある、という意味。ここでは、アオリスト分詞受動態、属格男性複数で使用されている。意味は英語訳にあるように、having been subjected。この動詞の形式上の主語はangels and authorities and powers。

上の日本語だと良く分からないので、並べ替えてみる。


キリストは
御使いたちや
権威と権力を
その支配下に置きながら
天の中へと入り
今や神の右におられる

要するに

キリストは、御使いたちや権威と権力を支配下に置いた(完了形)

ということ。

他に書かれているように、我々キリストを受け入れた者も同様の権利を有する。

プレミレが教えるように「これから支配する」のではない。

「すでに支配している」のだ。

再臨を待つ必要はない。

神はすでにキリストを通じて世界を支配しておられる。

しかし、サタンは次のようにささやいてくる。

クリスチャンは支配者ではない
世界は終末に向かって突き進んでいる
何をやってもむだ
支配者になるのは再臨後から

と。

いつまでも騙されていてはいけない。

我々は与えられた支配権を今行使すべきである。



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Coffee Break, #336 2 Corinthians

2019年05月09日 | コーヒーブレイク
第2コリント3:18
我々は皆
蔽いを剥き取られた顔をもって
主の栄光が
鏡の中に捕えるように
同一のイメージへと変容を遂げていく
栄光から栄光へと
主の霊によって

◇◇

現在通読中の文献について、ひと言触れておきたい。

霊、魂、分離などで検索した結果(日英)、すぐに目に付いた文献の一つ。

Spiritual Manの1件もあるので、あまり驚きはしていない。

霊と魂の分離は、世と私の分離によく似ている。

どちらも聖化の過程。

魂が砕かれなければ、霊は解放されない。

同様に、世が砕かれなければ、クリスチャンの全的解放はない。

世を砕くにはどうすればよいのか。

魂の砕きは、御言葉と聖霊の働きによる。

世が砕かれるためには、何が働けばよいのだろうか。

我々クリスチャンが働くのだ。

もちろん、剣によるのではない。

ノンクリスチャンの世界では、世が頑強に勝ち続け「私」は虐げられている。

クリスチャンの世界においては、世は砕かれ「私」は勝利を得る必然がある。

必然があるから、絶対的自信をもって働くことができる。

この世界はサタンによる不法占拠から解放されなければならない。

つまり、世は砕かれる必然があるのだ。

クリスチャンは、この不法占拠に立ち向かう戦闘員。

こうして思いを巡らす時、神に最も忠実な態度がポストミレに基づく信仰、世界観にあることが分かる。

The Breaking of the Outer Man and the Release of the Spirit

ビジョンが類似しているので、この文献も継続して通読していく予定。
現在3章の中ほどを通過中。

*修正:思いを馳せる→思いを巡らす



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この地を統治せよ(2)

2019年05月06日 | 創世記
昨日、宮古島から帰ってきた。

自然満載で、海がすばらしい。

あっと言う間の4日間だった。

この地を統治せよという主の命令が、この地と共存せよという命令に思えてならない・・。

◇◇

富井さんに次のような質問をした。

大変重要なことなので、是非確認しておきたかった。

--

ひとつ質問があります。

創世記1章28節b
生めよ
ふえよ
地を満たせ
地を従えよ
海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ

とあって、この聖句に書いてあることは、この地球の「自然界」を統治せよということだと思います。

貴兄のHPを見ると

あらゆる領域において、つまり、政治・経済・芸術・教育・家庭・・・すべてのことにおいて、全世界の国民が神の命令を守るように整えていく使命が再び与えられた

とあり、自然界だけでなく人間社会も統治の対象とされ、拡大解釈すぎるのではと危惧致します。

クリスチャンは「自然界」だけでなく、「人間界」も統治すべきであるという根拠を教えて下さい。

宜しくお願い致します。

栄光在主



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この地を統治せよ

2019年04月29日 | 創世記
創世記1章28節
神はまた
彼らを祝福し
このように神は彼らに仰せられた
生めよ
ふえよ
地を満たせ
地を従えよ
海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ

◇◇

この地(球)を統治せよ

と書いてある。誤訳はなさそうだ。

ごちゃごちゃ余計な妄想はせずに、そのまま受け入れたい。



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余談#2

2019年04月27日 | 聖書研究・信仰
開業して早20年。

途中危機的状況もあったが、見事にV字回復を果たし、未だ記録更新中。

連日大勢の方々に来て頂きうれしい限りなのだが、けっこうきつい。

本業の後に発生する雑務処理にもけっこう時間がかかる。

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この場所が与えられたきっかけだが、実に不思議。

週末になると、遠くは埼玉まで場所選びに奔走していた。

良い立地条件に巡り合えず、諦めかけたある日、駅前のテナントビル1階が貸しに出ているのを発見。

即決した。

プライベートの関係で明かすことはできないが、好条件と絶妙なタイミングの連続だった。

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偶々ある記事に出会った。

いや、たまたまではなく、必然。

流れがそうなっているから、必然的にそうなる。

実に面白い。

今回は多少サタンに踊らされた感があったので、警戒を怠らないようにしたい。

主に忠実であればあるほど敵の標的になりやすい。

これ、当たり前。

何もないのは相手にされていないから。

しかし、さすが百戦錬磨。

霊的領域における実践訓練を十分に受けていることが良く分かる。

地を従えて、御国の拡大に貢献するために有用な情報があれば随時提供していきたい。

もちろん、土台は聖書。



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余談

2019年04月16日 | 聖書研究・信仰
10年以上も前に書き上げていた記事。

エントリーするタイミングを待っていた。

仲たがいしていた兄弟とは和解した。

目に見える領域は、目に見えない領域によって支配されている。

目に見えない領域、霊の領域に関する実感を持たなければ、本当の意味で聖書の理解は得られない。

神は霊、我々の本質も霊。

聖書は霊的医学書。

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もう10年以上も前のお話。

そこに至るまでにも、いろいろな霊的体験をしていたが、深く考えることはなかった。

今思うと、聖霊による啓示だったのだろう。

啓示というよりむしろ警告。

ある日のこと。

以前から患っていた肺病が一気に悪化し、緊急入院。

右肺緊張性気胸、原因はたばこ。

ドレナージを終えて一旦退院し、待機手術となる。

手術2日前に入院。

手術を翌日に控えて、それが起きた。

壁に掛けてあった蛍光灯が大きな音を立てて床に落ちた。

直後に声がした。

これで済むと思うなよ。

サタンだ。

しかし、何とも言えない平安に包まれ、全く不安はなかったことを覚えている。

肺手術直後から、今度は頚髄症が一気に悪化する。

まず排尿障害が起きた。

どうやって排尿したらよいのか分からない。

力み方が分からないのだ。

しかし、数日後症状が消失した。

頚椎手術は3か月後に予定された。

この間、両手足のしびれ、巧緻障害、歩行障害、貧血などがどんどん悪化して、精神的に追い込まれていく。

サタンの言った通りだった。

特に、明け方に両手背、両足背の酷いしびれのため、強制的に目が覚める。

巧緻障害のため、シャツのボタンが掛けられない。

歩行障害のため、思った通りに足が出ない。

貧血のため、体動時に動悸と息切れがひどい。

頚椎手術予定日の前日ようやく入院。

呼吸機能は、手術によってかなり改善していた。

感謝だ。

頚椎椎弓後方拡大術を受けた。

術直後から症状は著明に改善。

早朝覚醒を強いていた、両手足のしびれがほぼ消失。

歩行障害も著明に改善。

手術直後からリハビリが始まった。

これほどまで筋力が落ちてしまっていたのかと驚いたことを覚えている。

これらの出来事は、我が魂が敵の猛攻から救い出された直後から始まった。

魂への攻撃が止んで間もなく、今度はこの体が敵の攻撃目標となった。

世俗教会は役に立たないどころか敵に回った。

牧師だけは一度だけ見舞いに来てくれた。

白眼視された原因は、日本語訳聖書(新改訳)批判。

そして、彼らの偽善を暴露したこと。

嗚呼、我が主、我が神。

主ご自身の生の御声に素直に耳を傾け続けることによって、戦い抜くことができた。

今こうして神の国の前進に貢献できていることの幸いを感謝します。

我が魂よ、主に向かって喜び歌え。



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Coffee Break, #335 2 Romans 8

2019年04月14日 | コーヒーブレイク
ローマ書8章5節
肉に従う者たちは
肉に関する事々に没頭する
しかし
霊に従う者たちは
霊に関する事々に

◇◇

上の訳において、「没頭する」と訳した単語はφρονέωで、意味は

φρονέω:
phroneō
fron-eh'-o
From G5424; to exercise the mind, that is, entertain or have a sentiment or opinion; by implication to be (mentally) disposed (more or less earnestly in a certain direction); intensively to interest oneself in (with concern or obedience): - set the affection on, (be) care (-ful), (be like-, + be of one, + be of the same, + let this) mind (-ed, regard, savour, think.

「思いを訓練する」が原義であるが、「没頭する」「愛着を抱く」「夢中になる」といった意味もある。intensively to interest oneself inとあるので、ここでは「没頭する」を採用した。

我々の外なる人の体力には限界があり、知力にも限界がある。

故に、一方に没頭すれば、他方は疎かになる。

肉的な事々に没頭しない者たちのみが霊的な事々を享受できる。

命の御霊の泉から水を飲むことのできるのは、霊的な事々の取り扱いを愛する者たち。

この単語のもう一つの意味として、to exercise the mindがあるのはそういうことではないかと理解したい。



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Coffee Break, #333 Ephesians 4

2019年04月07日 | コーヒーブレイク
エペソ4章26節
怒れ
しかし
罪を犯すな

◇◇

外なる人と内なる人が分離されると、外なる人が熱心に仕事をこなし、フルに活動しながら、内なる人は全く動じないことを実感する。

一人は動き回るが、もう一人は神の御前で平安を保っている。

外なる人は外界に気を取られるが、外界の事々は外なる人で止まり、内なる人へ達することはない。

神を知る者たちは、外なる人を外界へと適応させ、内なる人を神の中に留める(術を心得ている)。

外なる人と内なる人は決して混じり合うことはない。

外なる人が外界の小事に忙しなく反応していても、内なる人は神の御前で平然としている。

かくして、外なる人と内なる人が分離されている者は、限られた時間を極めて有意義に生きることができる。

外なる人と内なる人が分離されていない者は、外界の影響をまともに受けて、彼の全存在が右往左往する。

内なる人が外なる人の後追いをしていると、この世の仕事に支障を来たすようになる。

外なる人が仕事に精進し、多くの重要な業績を世に残す一方で、内なる人は神の御前で動かない。

これがキリスト者的実業家のあるべき姿ではないか。





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Coffee Break, #332 Ephesians 4

2019年03月31日 | コーヒーブレイク
エペソ4章26節
怒れ
しかし
罪を犯すな

◇◇

外なる人が砕かれている人は外なる人の影響を受けない。

外なる人が砕かれている人の怒りは、その人の怒りではない。

外なる人が砕かれている人の思いは、その人の思いではない。

神の思いであり、怒りであり、聖なる怒りだ。

外なる人が砕かれていないクリスチャンの場合、怒りによって主の臨在が絶たれてしまう。

外なる人の怒り、つまり、肉の思いが神の臨在を遮断する。

外なる人が砕かれている人の怒りは、神の臨在を遮断しない。

若干の影響はあれ、怒りながら神との平安を保つことができる。

外なる人が砕かれている人は、怒った後、神との平安を取り戻すために神の下へと馳せ参ずる必要はない。

罪を犯している兄弟姉妹は、厳しく嗜められる必要がある。

敵の術中に嵌まっている兄弟姉妹を厳しく叱責しながら、神の臨在を感じることができるなら、その者の外なる人は砕かれている。



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