p39~
The Contemporary Focus of Reveration
Introduction
The Days of Vengeance
David Chilton
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39頁に次のように書いてある。
クリスチャンの苦しみは、イエスがこの世界を悪魔に明け渡したのではなく、むしろ、ご自身が王であることを明らかにするため。
イエスの主権が歴史的に意味がないのであれば、不敬虔な者たちがクリスチャンを迫害することはなかったであろう。
彼らがクリスチャンを迫害したのは、彼らに対するイエスの優位性が、彼らにとってこの上なく不愉快だったからだ。
黙示録は、「王の王、主の主」として、白馬にまたがっているイエスを描写する(同19:16)。
主は国々と戦い、義において裁き、戦う。
クリスチャンが迫害されるのは、神に見捨てられたのではない。
彼らは時代時代の戦いの最前線にいた。
これらの戦いは、すでにイエスが勝利した戦い。
主はよみがえられたので、全人類史は掃討状態にある。
40頁~
しかしながら、黙示録は、当時生きていたクリスチャン宛てに、また彼らのために書かれた書物である。
2000年後の現在宛てに書かれた書物ではないということに注意が必要。
誤読する人たちは、自分たちが今人類史のクライマックスで生きていると勘違いしている。
黙示録に記されている預言の大多数はすでに成就した。
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黙示録19章は、おもにイスラエルの滅亡を預言している箇所と思われるが、上述されているように、その後の人類史、および現在に至るまでのクリスチャンの闘争史を二重写しに預言しているものと思われる。
19章20節は、20章10節に類似した内容となっているが、詳細は今後の検討に任せる。
現在は、クリスチャンと主イエスの共同作業による世の不敬虔に対する掃討作戦が遂行中であるとする解釈は、パーシャルプレテリズム、ポストミレの立場からすれば、ごく自然な解釈と言える。