みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#643 神の法第六戒

2021年06月30日 | 神の法
第6戒
ハイブリダイゼーション(交配)と法

255~
Hybridization and Law
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

あなたの畑に二種類の種を蒔いてはならない。ー第二神殿の時代、法の執行者たちに従い、この禁止は多種多様の食用種子に適応された。例えば、小麦と大麦、そら豆とひら豆などを同じ畑に撒くために混ぜ合わせることは禁じられた。イスラエル人が自分で撒くことも、非イスラエル人がイスラエル人のために撒くことも禁止。穀物の種や木の種、異なる種類の木の種も同様、一緒に蒔かれる可能性がある。ぶどう畑にいちじくの木を植えた人(ルカ13章6節)のたとえにおける最初のことばは、この法に違反するなということ。苦菜、あるいは薬用野菜の種などの食用ではない種は、この法から除外された。雑種の親からのハイブリッド(交配子)のように、雑多な種類で撒かれた種は使うことができた。樹木に関しては言及されてはいないが、その法は接ぎ木に関して適応された。つまり、りんごの木をシトロンの木に、またハーブを木々へと接ぎ木することは禁じられた。第2神殿時代の法の番人によると、イスラエル人は羊毛の衣服を亜麻の糸で修繕することは禁じられた。その逆も同様。

明らかに、ある法的結論がこれらの法から得られる。

第1に、「殺してはならない」という命令は、繁殖を擁護する法。

人間や動植物の繁殖に被害を加えたり破壊することは、この法を犯すことになる。

レビ記19:19や申命記22:9~11に明示してあるように、ハイブリッド(交配)は、明らかにこの法に違反する。

動植物における交配種は不毛であり、創造の目的を挫く。

なぜなら、神はそれぞれの種類に応じて、すべての植物を創造したから(創世記1:12)。

交配は、2つの別種から最善の質を得ようとすることによって、神の御業を改良せんとする試み。

交配種の中には、ある種の有利な性質を示すこともあるということに疑問はない。

しかし、深刻な不利益をもたらすことにより、相当な代価を払うことになるに違いない。

結局、それは不毛を招き、神の創造の法則に違反する。

第2に、神の命令が神の創造に対する畏敬の念を要求することは明らか。

もし神が万物の創造主であるなら、万物には目的があり、それらが創造された時において善。

もし万物が進化の過程を経てきたなら、人を含めて万物は、生き残ることで立証された能力を持っているに過ぎない。

しかし、その能力は、最悪の場合、進化上の誤りであり、それゆえ、消滅する運命にある。

進化論の領域において、確定した善なるものは存在しない。

しかしながら、法により交配を断つことによって、すべての生き物の無傷性を担保することが可能となる。


参考:

・https://www.youtube.com/watch?v=dCKfCyvRs0k

・https://www.youtube.com/watch?v=GUAJuXPkHdU

証明されていないので「ウイルスは進化する上で必要」という小林氏の見解は無視すること。それ以外は上の松田氏のサイトとほぼ同様の内容。

重大な論点は以下の通り。

・mRNAは長時間体内に留まりスパイク蛋白を作り続けるように改変されている。
・スパイク蛋白自体に毒性がある。
・脂質ナノ粒子はいったん肝、脾臓に蓄積した後、卵巣へ再集積する。不妊の原因となるのではないかと危惧される。
・mRNAが逆転写酵素を有するHIVと共存すれば、核DNAに取り込まれる可能性が生じる。
・今回の遺伝子ワクチンは、血栓形成と血管障害性を有する。
・子どもや生殖世代への接種は禁忌。

コロナウイルスはRNAウイルスであるから、mRNAは種そのもの。従って、断片的とはいえ、これを体内に取り入れるということは、「あなたの畑に2種類の種を撒いてはならない」という聖書律法に違反することにならないか。



#642 神の法第六戒

2021年06月16日 | 神の法
第6戒
ハイブリダイゼーション(交配)と法

254~
Hybridization and Law
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

つまり、聖書的に、古いタイプの父親は、愛の行為として訓練を行なっていると強く主張する。

超道徳主義は、識別力を破壊し、物事の知的な利用を台無しにするため、禁じられている。

この領域における法律のいくつかは極めて興味深い。

レビ記19:19
あなたがたは、わたしのおきてを守らなければならない。あなたの家畜を種類の異なった家畜と交わらせてはならない。あなたの畑に二種類の種を蒔いてはならない。また、二種類の糸で織った布地の衣服を身に着けてはならない。 

申命記22:9~11
ぶどう畑に二種類の種を蒔いてはならない。あなたが蒔いた種、ぶどう畑の収穫が、みな汚れたものとならないために。 
牛とろばとを組にして耕してはならない。 
羊毛と亜麻糸とを混ぜて織った着物を着てはならない。 

Ginsburgのレビ記19:19に関するコメントは、いくつか末節的な個所もあるが、的を得ている。

聖なる神は、その種類に従って、すべてのものを創った(創世記1:11~12、21、24,25)。すなわち、創造の秩序において、神は肉体的特異性を確立した。人間が異種同士を融合すれば、神の法の消滅をもたらし、聖なる神の法令に相反し、それは聖である神へと到達せんとする試みとなる。

コメント:

人の細胞内には逆転写酵素が存在しないので、投与された外来mRNAが人の細胞内DNAの中へ取り込まれることは理屈上はあり得ない。

しかし、奇しくもこのような記事に出会ってしまうと、今回の遺伝子ワクチンは本当に大丈夫なのかとついつい勘ぐってしまう。

あなたの畑に二種類の種を蒔いてはならないと書いてある。



#641 神の法第六戒

2021年06月13日 | 神の法
第6戒
ハイブリダイゼーション(交配)と法

254~
Hybridization and Law
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

つまり、それがすべての問題、すなわち曲解、犯罪、異端、そして他の凡ての事柄に対する答えだ。

愛が答えである所では、すべての法と秩序は、愛の威厳に道を譲れなければならない。

愛は万能薬、とは実に広く信じられている。

このことは、カリフォルニア州ベル・エア市で行なわれた裁判においてよく表われている。

修道院クラブのトランプ詐欺事件に関与した一人の内科医が、起訴されたが裁判とならなかったが、1964年の所得税申告書における偽証罪に関して次のように言明した。

ランズ医師は、判事グレイに対し、「私を私の家族と私の愛犬の下へ差し戻して下さい。少なくとも愛犬は私のことをとても愛している」と弁明した。
この内科医は、「私は、愛されず、望まれない母なし子のようだ」と訴えた。

法のない愛は、あまりにも寛容すぎる。

より高度な方法を選択するという意味において、それは究極的に善悪の否定を意味する。

愛の道徳原理は、状況に応じた道徳に通じる。

神の絶対的法によるのではなく、状況に応じた道徳は、状況そのものやそれが要求する愛の行ないによって決定される。

法が否定される所は何処でも、法の支配が生命や思考において担保されていない場合、そのような立場における論理は、必然的に状況に応じた道徳へとつながっていく。

法を否定はするが、状況に応じた道徳にはまだはまってはいない福音主義的サークルは、発展が阻まれたまれなる事例だ。

行政命令は、ローマ教皇の回勅のように、状況に応じた倫理への進展を遮断する。

かくして、法は必然であり、聖書信仰の基本である。

聖書的考え方によれば、愛とは超道徳的観念ではない。

それは、法の成就(完成)である(ローマ13:8~10)。

ローマ13:8~10
だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。 
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。

 コメント:

ここにおいて、Rushdoonyは愛とは超道徳的観念ではないと主張する。

イエスキリストの愛はモーセ律法の中にルーツがある。

愛は法を成就する。

法のない愛は全的寛容(あまりにも寛容すぎる)。

ディスペンセーション主義とは相反する事実の一つ。