数年の宣教活動の後、聖霊が望んだ時、 R.A. Torreyに一体何が起きたのか。
彼に語ってもらおう。
「ひざまずいて祈っていた書斎の正確な位置を覚えている・・・」
「とても静かな時だった、これまで経験したことのないほどの静かなひと時・・・」
「その時、神が静かに語りかけてきた、微かな御声で、私の心に」
「それはお前のものだ。さあ、行って宣べ伝えよ」
主はそのみことばを以前にも私に語ったことがある。
第1ヨハネ5:14
このことはその保証である
彼(神)に対して持っている
ということ
私たちが求めるなら
神の御心に従って
彼は私たちの言うことを聞いてくださる
同5:15
私たちが知っているなら
私たちの言うことを聞いてくださる
その事を何でも
私たちがお願いするなら
私たちは知っている
私たちは得ている
彼(神)に対してお願いしたその願い事を
当時の私は聖書を知らなかった。
神は私の無知を憐み、直接私の魂に話しかけてきた。
それ故、私は行って宣べ伝えた。
その日以来これまで新たな宣教を行なってきた。
この経験からしばらくして(どれくらい過ぎたのか覚えていない)、ある日書斎にすわっていると
突然、自分が叫んでいるのに気が付いた(私は叫ぶよう躾けられていないし、叫び癖があるわけでもないが、大声で叫ぶメソジストのように叫んでいた)
「Glory to God, glory to God, glory to God、神に栄光あれ」
止めることできなかった・・・。
しかし、それは、聖霊によるバプテスマの時ではなかった。
私が聖霊によるバプテスマを受けたのは、みことばによる単純な信仰によって主を受け入れた時であった。