みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

The Diversity Of The Experience, #12

2015年07月31日 | 聖書研究・信仰
主イエスが神の御座におられることを大いに喜べ。

そして、主を賛美せよ。

主が栄光化されたので、御霊が我々の上に注ぎ出された。

我々は信仰という単純な器の中に神の事実を得ている。

故に、我々は、我々の経験を確信をもって主張できる。

この保証により、我々は御霊の注ぎを知っているのだ。

これがそれだ。




The Diversity Of The Experience, #11

2015年07月30日 | 聖書研究・信仰
Finneyの経験はペンテコステの再現ではなかった。

Torrey’の経験でもなく、Moodyの経験とも違っていた。

しかし、「これ」は、確かに「それ」だった。

聖霊が神の民に注ぎ出される時に生じる経験は多岐に渡る。

ある者は新しい幻を見る。

ある者は魂が酔いしれるような新しい自由を知る。

ある者は神のことばを力の限り宣言する。

ある者は天の喜びや溢れ出る賛美で満ち溢れる。

「これが・・・そしてこれが・・・それだ」

キリストの昇天により与えられるあらゆる新しい経験に感謝を献げ主を賛美せよ。

その経験は、「これ」が「それ」を証しすると、真に言うことができる。

神の子らに対する取扱いについては、陳腐なものは何一つない。

それ故、偏見や先入観により、我々の命の中で起こる聖霊の働きに関して、型にはまった基準を設けてはならない。

これは、ある特別な啓示(異言を語るなど)を証拠として要求する者たちや、現出を全否定する者たちに適応される。

神が思い通りに働けるように、我々はそっとしておく必要がある。

ご自身の御業に主が喜ばれるように。

彼は主である。

我々が主のために法を作るのではない。




Coffee Break, #15

2015年07月29日 | コーヒーブレイク
Now, we can see, we can hear, and we can have in our hearts through faith the things
which God has prepared for us that love Him.




The Diversity Of The Experience, #10

2015年07月29日 | 聖書研究・信仰
聖霊のパワーが下った時のCharles Finneyの経験はどうだったか。

「予期することなく、私は強力な聖霊のバプテスマを受けた」

「そのようなことが起こるとは思いもよらなかった時だった」

「そのようなことなど聞いたことがないなどと思いだす間もない時だった」

私の体と魂を突き通すような仕方で、聖霊が私に下った。

その素晴らしい愛は私の心に浸み渡った。

ことばにならない愛。

喜びと愛に満ちあふれ大声で泣いた。







The Diversity Of The Experience, #9

2015年07月29日 | 聖書研究・信仰
Moodyの経験に随伴した外向けの啓示は、ヨエルやペテロの記述、あるいはTorreyの経験とは一致しない。

しかし、Moodyが経験した「これ」が、ペンテコステの弟子たちが経験した「あれ」であるとは間違いがない。

現出の仕方においては同じではないが、本質においては同じだ。



The Diversity Of The Experience, #8

2015年07月28日 | 聖書研究・信仰
御霊で満たしてくれるようにと、私はいつも神に向かって叫んできた。

ある日のニューヨークのことだ。

嗚呼、何という日だろう。

それを書き記せないし、語ることもできない。

名付けるには、あまりにも聖なる経験。

パウロは14年もの間、語ることができなかったという経験をした。

神がご自身を私の前に現わしたことだけは言うことができる。

その御手を絶対に離さぬように主に乞い願うほどの神の愛を経験した。

その経験後のある日、説教のために出て行った。

礼拝はいつもと変わりがなかった。

私は何も新しい真理を語らなかった。

しかし、数百人が改心した。

たとえ全世界を手に入れようとも、その祝福された経験以前には決して戻ることはないだろうと思う。

それに比べたら、全世界なんてものは天秤ばかりのちっぽけなゴミのようなものだ。







The Diversity Of The Experience, #7

2015年07月28日 | 聖書研究・信仰
Torreyの場合のような外向けの現出は、ヨエルやペテロのような記述とは同じではない。

しかし、「これがそれ」だ。

それはコピーではなく「同じ」ものである。

では、聖霊がD.L. Moodyに下った時、彼はどのように感じ行動したのか。




The Diversity Of The Experience, #6

2015年07月27日 | 聖書研究・信仰
数年の宣教活動の後、聖霊が望んだ時、 R.A. Torreyに一体何が起きたのか。

彼に語ってもらおう。

「ひざまずいて祈っていた書斎の正確な位置を覚えている・・・」

「とても静かな時だった、これまで経験したことのないほどの静かなひと時・・・」

「その時、神が静かに語りかけてきた、微かな御声で、私の心に」

「それはお前のものだ。さあ、行って宣べ伝えよ」

主はそのみことばを以前にも私に語ったことがある。

第1ヨハネ5:14
このことはその保証である
彼(神)に対して持っている
ということ
私たちが求めるなら
神の御心に従って
彼は私たちの言うことを聞いてくださる

同5:15
私たちが知っているなら
私たちの言うことを聞いてくださる
その事を何でも
私たちがお願いするなら
私たちは知っている
私たちは得ている
彼(神)に対してお願いしたその願い事を

当時の私は聖書を知らなかった。

神は私の無知を憐み、直接私の魂に話しかけてきた。

それ故、私は行って宣べ伝えた。

その日以来これまで新たな宣教を行なってきた。

この経験からしばらくして(どれくらい過ぎたのか覚えていない)、ある日書斎にすわっていると

突然、自分が叫んでいるのに気が付いた(私は叫ぶよう躾けられていないし、叫び癖があるわけでもないが、大声で叫ぶメソジストのように叫んでいた)

「Glory to God, glory to God, glory to God、神に栄光あれ」

止めることできなかった・・・。

しかし、それは、聖霊によるバプテスマの時ではなかった。

私が聖霊によるバプテスマを受けたのは、みことばによる単純な信仰によって主を受け入れた時であった。




The Diversity Of The Experience, #5

2015年07月26日 | 聖書研究・信仰
聖霊に導かれてペテロが語ったことをもう一度見てみよう。

使徒の働きは聖霊の息吹によって書かれている。

ひとつののこともランダムに語られてはいない。

食い違いはなく、完璧な調和がある。

ペテロが言っていることに十分注意を払いたい。

「あなたがたが見て聞いていることは、預言者ヨエルによって語られたことの成就である」

ペテロが言ったのは、「これは預言者ヨエルによって語られたそれだ」(使徒2:16)

書いてあることの成就のひとつではなかった。

それと類似の経験のひとつであった。

「これがそれだ」の意味は、あなたがたが見聞きしていることは預言されているそれとの類似から来ている。

成就のひとつが起きる時、それに類似する経験が複製される。

預言は預言、夢は夢、幻は幻。

ペテロは「これがそれだ」と言う。

あるものが他のものの正確なコピーであるかどうかは問題ではない。

あるものが他のものと同じカテゴリーに属するかどうかの問題なのだ。

「これ」が「それ」と等価であり、「これ」が「それ」と同等であるから、「これ」が「それ」なのだ。

ペテロを通して聖霊によって強調されているのは、経験の多様性だ。

外向けの発現様式は多種多様のようであり、時にそれらの発現の奇妙さを認める必要がある。

しかし、聖霊はひとつであり、彼が主である。(第1コリント12:4-6)


第Ⅰコリント12:4
賜物の多様性がある
しかし、同じ御霊

同12:5
奉仕の多様性がある
しかし、同じ主

同12:6
働きの多様性がある
しかし、同じ神
すべての人の中ですべての業を為している







Coffee Break, #14

2015年07月25日 | コーヒーブレイク
We received His Faith, because we have believed on Him.
We received His Holy Ghost, because He has gone to His Father.
We received His Ovecoming, because the prince of this world has been judged.