話が罪からの解放ということになると、さらに3つのステップがある。
聖霊による啓示の御業、すなわち聖霊による「知らせ」(ローマ6:6)。
信仰という決定的転機、すなわち「徹底的な吟味」(ローマ6:11)。
献身の継続、すなわち神に「自分を献げること」(ローマ6:13)。
もちろん、命の新しきの中で歩んでいることが基本だ。
以上の3つ。
次に、聖霊の賜物について。
これは見方を新たにすることから始まる。
何の見方を新たにするのか。
御座に昇られたお方としての主イエスに対する見方だ。
見方を新たにすることにより、油注ぎの御霊と内なる御霊の二重の経験を得ることができる。
神の満足ということについて、さらに次へと話を進めよう。
霊的照明が必要ではあるが、肉(すなわち人の命まるごと全部)に対する主の十字架の最重要性を見出すことができる。
信仰によってこの事実を受け入れると、ただちに「小さい門」の経験へと導かれる(ローマ7:25)。
この経験において、我々は行なうことをまずやめる。
そして、信仰によってキリストの命の力ある御業を受け入れる。
我々における神の具体的要求を満たすために。
ここを通ることによって、次に我々は御霊への従順にある歩みという「狭き道」へと入っていく(ローマ8:4)。
聖霊による啓示の御業、すなわち聖霊による「知らせ」(ローマ6:6)。
信仰という決定的転機、すなわち「徹底的な吟味」(ローマ6:11)。
献身の継続、すなわち神に「自分を献げること」(ローマ6:13)。
もちろん、命の新しきの中で歩んでいることが基本だ。
以上の3つ。
次に、聖霊の賜物について。
これは見方を新たにすることから始まる。
何の見方を新たにするのか。
御座に昇られたお方としての主イエスに対する見方だ。
見方を新たにすることにより、油注ぎの御霊と内なる御霊の二重の経験を得ることができる。
神の満足ということについて、さらに次へと話を進めよう。
霊的照明が必要ではあるが、肉(すなわち人の命まるごと全部)に対する主の十字架の最重要性を見出すことができる。
信仰によってこの事実を受け入れると、ただちに「小さい門」の経験へと導かれる(ローマ7:25)。
この経験において、我々は行なうことをまずやめる。
そして、信仰によってキリストの命の力ある御業を受け入れる。
我々における神の具体的要求を満たすために。
ここを通ることによって、次に我々は御霊への従順にある歩みという「狭き道」へと入っていく(ローマ8:4)。