みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#14 The Days of Vengeance, NO.14

2024年05月26日 | 報復の日々

p79~
St. John's Commission
King of Kings 
Part One: The Son of Man
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇

黙示録1:17—20


ここで、プレテリズム的解釈によって黙示録を理解しようとする人たちに共通する間違いについて考察しておきたい。

ヨハネの抽象的スタイルとアンチ政治家という内容の2面性によって、政治的に過敏なメッセージが抽象表現の使用を生んだと信じる人たちがいる。

彼らは、自分のメッセージをローマ帝国官僚から隠すために、ヨハネは秘密コードで黙示録を書いたと信じている。

ジェームス・カラス(黙示録は、ネロではなく、ドミティアヌスの治世に書かれたと主張)の見解を掲げる。

彼(ヨハネ)は、意図的に偽装されたことばで書いている。彼はローマ人には理解できないイメージに訴えている。字義通りに、あるいは間違いのない方法で書き記すことはできない。自分の心の中にあることを明瞭に話すこともできなければ、不明瞭に話すこともできない。自分が思っていること、すなわちドミティアヌスは悪魔という冒涜の申し子であると書けばどうなるだろうか。人をかしずかせ、カエサルを礼拝するように要求するローマ帝国は、イエスから人々を獲得せんとする悪魔の悪行組織であると叫んだとしたらどういなるだろうか。その手紙は決して届けられることはないし、決して検閲を通過することはなかっただろう。
かくして、ヨハネは、自分の真意をカモフラージュしたり、隠蔽する必要があった。ローマ帝国検閲官が単なる狂った老人の思い耽りと見なすように、ヨハネは非字義的抽象表現に訴えたり、一見意味のない文献であるかのようにぼやかす必要があった。

ローマ人が正しく解読できないと思われるコードによって表された、13章18節にある666という数字が、ネロに関連しているというのはある意味において正しい。

しかしながら、そのような関連性がないとしても、黙示録は反逆的な文書であると言わざるを得ない。

イエスは地上の王たちの支配者であるという主張は、ローマ帝国の自治性に対する侮辱である。

黙示録第1章は起訴できるような内容であり、そこに書かれている抽象表現は、微塵も事実を不明瞭化してはいない。

啓示とは預言であり、抽象表現とは預言のための言語である。

ローマ政府はヨハネが誰であるかを熟知していた。

彼は単なる狂った老人ではなかった。

彼は、神のことばとイエスの証言に関して、帝国の禁止命令下にあった、主イエスキリストの使途である。