みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#167 終末預言:Rebirth No2  

2023年03月29日 | 終末預言 

前回、新生に関して、Sproul師による解釈を聴いた。

今回はプレミレ説を固く信じるJohn Macarthur師の考えを聴こうと思う。

Macarthur師の良いところは、旧約聖書の引用が多い点。

小生のような若輩者が指摘するのもおこがましいが、論理的矛盾を内包するプレミレ説を信じているということは、他の聖書解釈における誤謬にも気が付いていない可能性がある。よって、十分な検証と警戒が必要。

ディスペンセーション主義(プレミレとほぼ同義)に関して、R.J. Rushdoonyはダーウィンの進化論にその起源があることを指摘し、聖書と敵対する教理すなわち異端であるとしている。

John Macarthur師のメッセージを拝聴する前に、以下の点を再確認しておきたい。

◇◇

知らずにルシファー教を助けている今のクリスチャン

このUP主、完全にイ〇ミ〇ティに騙されている。

彼が唱えている黙示録の解釈は、イ〇ズ〇会の司祭マニエル・ラクンザが唱えたものと同じ。

このラクンザの説を広めたサイラス・スコフィールドは、イ〇ミ〇ティの支援を受けて、スコフィールド・バイブルを作り、「まもなく世界の終末が来る」という終末論を世界に広めた。

イ〇ズ〇会もイ〇ミ〇ティもタ○ムードユ〇ヤ人が作ったシオニズムの組織であり、エルサレムを中心とした世界政府建設を目指している。

イスラエルを建国したロ〇チャ〇ルドは、タ○ムードユ〇ヤ人のリーダー。

シオニストたちは、神殿が建設され、メシアがそこに立つと信じる。

このタ○ムードユ〇ヤ人の「メシア待望論」を、クリスチャンも受け入れて「再臨のメシア待望論」になった。

この間違った教えによって、クリスチャンは、偽メシアの国イスラエルを支援するようになった。

神殿建設まで支援している。

2.

聖書を正しく読まないと、このように敵を助けることになる。

このような終末論を唱えるディスペンセーション主義の教会を支援している人は、ルシファーの国を支援している。

タ○ムードユ〇ヤ教の神はルシファーである。

イエスを十字架につけた宗教の人々を支援するクリスチャン。

本当にクリスチャンなのだろうか。

3.

イエスは、「律法と預言者(旧約聖書)を成就するために来た」と言われた。

そして、十字架上で「成就した」と宣言され、息を引き取られた。

この「成就した」に当たるギリシャ語τετελεσταιは「終わらせる、完了する、成就する」を意味するτελεωの完了時制中態または受動態である。

ギリシャ語の完了時制は「過去の動作の結果に基づいた現在の状態を表す」(J・グレシャム・メイチェン、『新約聖書ギリシャ語原典入門』)ので、原語に忠実に訳せば、

成就され、今も成就されたままである

となる。

つまり、イエスは「律法と預言者」を成就し、今も成就したままであるということがここで言われている。

それゆえ、旧約聖書は、成就され、今もその状態が続いており、旧約聖書に「まだ成就していない預言がある」と考えてはならないのである。

イエスはご自身の体を「神殿」と呼ばれた。

イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」
そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」
しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。(ヨハネ2・19-21)

神殿は、イエスの体において成就している。

それゆえ、神殿再建を支援することは、イエスの復活を否定することに等しい。

ディスペンセーション主義の終末論は、イエスのメシア性と復活を否定するタルムードユダヤ教の教えであり、異端である。

旧約聖書が成就された今、エルサレムだけが聖地ではなく、全世界が聖地であり、神の国である。

その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。(コロサイ1・20)

全世界は十字架によって神と和解している。

エルサレムを中心とした世界政府など不要。

なぜならば、すでにキリストは世界の王だから。

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。(マタイ28・18)

「いや、イエスが再臨されないと世界は千年王国にはならない」と言う人がいるかもしれない。

イエスは天におられるほうがよいのである。

しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。(ヨハネ16・7)

イエスが昇天されないと、御霊は下らない。

御霊は、われわれを助けてくださるためにイエスによってわれわれのところに送られる。

伝道は御霊の励ましによって進展する。

こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。(使徒の働き9・31)

イエスはすでに昇天され「王座に着かれた」!!

しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます。」(ルカ22・69)

どうして、地上に戻って地上の王座に着く必要があるのだろうか。

イエスをメシアと見ず、その来臨を否定する人々は「メシアは地上の王座に着くべきだ」と言うだろう。

しかし、われわれクリスチャンは、イエスがすでに天の王座に着いていることを知っている。

なぜ天から地上に下らねばならないのだろうか。

すでに今の世界は「キリストの王国」であり、再び地上の王座につく必要はない。

カルヴァンは千年王国を「戦う教会の時代」と呼んだ。

千年王国を「完成された神の国」と見るから間違うのである。そんなことどこにも書いていない。

千年王国は福音が前進し、世界中に広まり、世界の諸国民がすべてイエスを王として礼拝するまで続く戦いの時代である。

ディスペンセーション主義によって、クリスチャンは、ユダヤ教のメシアを求めるように仕向けられている。
 

 

 

 


#166 終末預言:Rebirth No1

2023年03月22日 | 終末預言 

聴きたいメッセージは多数あるが、何せ時間がない。

新生(再生)は、その中でも是非確認しておきたい主要テーマ、最重要教理のひとつ。

是非とも知って(再確認して)おくべき真理。

周囲の霊的状況、ひいては追従してはならない世の流れを把握するのに役に立つ。

今回は、シリーズ第1回。

◇◇

新生とはなにか。

この新生ということばだが、英語ではregenerationと言う。日本語では「再生」ではなく「新生」と言うことばの方が馴染みがある。新生に対して、英語ではnew born(new birth)ということばがある。この国では「新生」ということばの方が聞きなれているように思われるので、こちらのことばを使うことにする。意味は全く同じ。

新生とは、われわれの内に新たに霊が生み出されるということではない。

われわれの内にあるのだが、死んでいる霊が生き返る(quicken)から「regeneration(再生)」という。

つまり、「再生」の方が、表現の仕方としては実は正しい。

エペソ2:1
And you hath he quickened, who were dead in trespasses and sins;

海底深く沈み込んでいたわれわれの霊が、神の霊によって海面まで引き上げられ、息を吹き返す。このプロセスがreborn、つまり霊の再生。 

再生(新生)とは?

この奇蹟は神の御霊によってなされる(ヨハネ3:5).再生するとは,全く新しい開始を意味する.生活の改善でもなく,何らかの新しい性質や才能を付け加えることでもなくて,この上なく根本的なものであり,それによってわれわれは,これまでとは全く異なったものになろうとしているのである.これは霊的な事柄であり,肉体の再生ではなく・・

つまり、新生とは、信仰によるのではなく、只々神の霊によって完了するプロセス。

先の動画(☞ MacArthur and Sproul: Special Questions & Answers)の中で、Sproul師がこのことに触れている。

*英語が苦手な人は、自動翻訳機能を使用されたし。

以下、引用開始。

22:43 LARSON:質疑
アーメン。信仰とは恵みでしょうか、それとも応答でしょうか。

もし恵みであるなら、私たちに信仰を実践するための責務があるのは何故でしょうか。

22:53 SPROUL:応答
はい、私たちクリスチャンには信仰を実践する責任があります。

義とされるための必要条件を整える応答が信仰であります。

しかしながら、新約聖書において言われているように、私たちがなすべき応答(すなわち、信仰)は、聖霊によって天から与えられた恵みであることも確かにその通りであります。

私たちがまだ罪において死んでいた時、御霊はキリストとともに私たちを生き返らせて下さいました。

私たち改革派と他の教派を隔てている教理があります。

新生は信仰より先に起きるということであります。

信仰を実践するために、救われるための応召に応えるために、まずはじめに私たちは御霊によって新生される必要があるのです。

大多数の福音派クリスチャンはこの順番を取り違えています。

義とされて救われるために、まずは信仰を持ち、それから新生されるのだと信じています。

しかしながら、霊的に死んでいる人が信仰を実践することなどできるわけがないのです。

ヨハネ福音書6章において、イエスは次のように語っています。

私たちは堕落し、霊的死の中にあるため、自ら生き返ることはできないのです。

私たちがキリストに耳を傾け、応答することができるようになるのは、その前に神の霊が私たちの魂と心の有様を変えて下さったからなのです。

すなわち、信仰を持つための必要条件が新生であり、それ以外にありません。

参考動画:

RC Sproul 11 Does regeneration precede faith?

 

 


#165 終末預言 from Ligonier Conference

2023年03月19日 | 終末預言 

John MacArthur師が退院・復帰した模様。心房細動と心不全で加療中だった。

JOHN MACARTHUR RETURNS TO THE PULPIT AT SHEPHERD CONFERENCE 2023

CONTROVERSIAL REMARKS AT JOHN MACARTHUR'S 2023 SHEPHERD CONFERENCE BY STEVE LAWSON

これらの動画を観ても、Ligonier MinistriesのメンバーとJohn MacArthur師との間に深い絆があることが分かる。教理や教派を超えて親睦を深めることができるには、それ相当の理由があるからなのだ。

次の動画で、Larson氏がJohn MacArthur師とR.C.Sproul師の関係について紹介してくれている。MacArthur師も自身の体験談を回想する。

MacArthur and Sproul: Special Questions & Answers

0:20~
The two of you have built a friendship over many decades of ministry, co-laboring and fighting some of the same battles, the battle for the Bible and I believe it was around the inerrancy struggles in the seventies, Dr. MacArthur, that you first became aware of Dr. Sproul's ministry. Recount for us just some of those early impressions of meeting Dr. Sproul. 

0:49~
MACARTHUR: I think the first exposure I had to R.C. was actually listening to the series on The Holiness of God, and that's probably true for many, many of the people here. had known of his name, but that was my first real acquaintance and that's really the entry point I think for many people into the ministry of R.C. Sproul. And then the inerrancy congress came along and there were a hundred people that were involved in that, and obviously he was there. I don't remember having personal contact at that point with him, but I knew he was a co-belligerent on the issue of biblical authority and inerrancy and that is the watershed for absolutely everything. I began to listen more often to him and follow his ministry, and then out of the absolute blue I received an invitation to come to a Ligonier conference. And I was kind of an alien to the Reformed world to be honest. I sort of found my way to the right theology on my own. I wasn't raised in that environment. I was raised as kind of a devotional Baptist guy in just kind of a traditional typical middle-of-the-road church. So, I struggled on my own to find my way into Reformed literature, Puritan reading, and once I read, I began to listen to Sproul and I read Evangelism & the Sovereignty of God by J.I. Packer, and this opened up a kind of new world for me. But my first recollection of really spending time with him was at a Ligonier conference, and I don't even remember what year it was. 

 

 

 


#164 終末預言 from Ligonier Conference

2023年03月12日 | 終末預言 

マルコ13章における主イエスの終末預言。

R.C. Sproul師とJohn MacArthur師の聖書終末論に関する解釈の違いを順次見ていく。

聖書、主の教えに忠実なのはいずれか。

まずは、R.C. Sproul師の解釈。

The Olivet Discourse (Mark 13:1–8) — A Sermon by R.C. Sproul

動画の中で、Sproul師が見落としてはならないとしているのは

1.‘timeframe ( of this generation)’すなわち、主イエスが想定している時間枠
2.‘all these things (shall come to pass) ’の具体的内容

この2点。

こちらのメッセージについては、すでに検討した。

史実など当時の資料を参照しながら聖書に書かれている内容を丁寧に検討すれば、このような解釈以外にないと思う。

続いて、John MacArthur師の解釈。

The Grim Reality of the Last Days (Mark 13:1-13) by John MacArthur 

このメッセージ内容に関しては、具体的に検討を加えていく。

1.3:40  It is a very dangerous place to live. Disaster is all around us.

R.C. Sproul師も言及しているが、何時の時代何時の世も、このようなことが繰り返されているのは事実。何も今の時代だけではない。イスラエル滅亡(旧約の終焉)前後の時代もそうだった(R.C. Sproul)。

2.10:23  "'But when you see the ABOMINATION OF DESOLATION standing where it should not be, let the reader understand・・

the ABOMINATION OF DESOLATIONとは誰か。歴史的背景などを詳細に検討した改革派神学においては、ローマ11代皇帝ティトゥスであることでほぼ一致している。このように考えると、ダニエル書の預言を合理的に理解できる。MacArthur師はそのように理解してはいないようだ。

3.12:14 Truly I say to you, this generation will not pass away until all these things take place.

‘this generation’‘all these things’に関して。MacArthur師が丁寧に考察しているかどうか疑わしい。 当時のイスラエルにおいて、この時代(ひとつの時代)とはおよそ40年を意味した(R.C. Sproul)。all these thingsと書いてあるからには、神殿の崩壊のみならず、主イエスの来臨も当然含まれているはずである。イエスの再来はいまだに成就していないという解釈では合理性がない。当然、ラッセルのような無神論者の批判の対象となってしまう。

4.27:15~27:36 There are people who think the world is going to get better. They have a label, they're called post-millennialists. That view says that the world is going to get better and better and better and go right into the Millennial Kingdom.
And Christ will come at the end of the Millennial Kingdom. The Millennial Kingdom will be the product of the efforts of the church and the redeemed in the world.

MacArthur師はこのようにポストミレ神学を批判する。しかし、ポストミレの主張は、この点にあるのではない。「イエスの終末預言とは、人類史の終焉ではなく、神殿とエルサレムの崩壊、それに続く旧約時代の終焉」を主張する。そして、イエスの昇天とともに到来する新約の時代は、王としてイエスが統治する時代であるということ。決して、サタンのやりたい放題の時代ではない。

5.45:53~46:10 step-by-step-by-step-by-step. The Bible's Antichrist is their Mahdi.
We know that the rider on the white horse in Revelation 6 is the Antichrist. They use that verse to describe their Mahdi. Why am I giving you all this? Because the description of the Mahdi is exactly the description of the biblical Antichrist,

上の考察において、MacArthur師は、antichristはイスラム教のMahdiなる人物であるとする。しかしながら、antichristはキリスト教背教者であることは、ヨハネの書簡を読めば明らか。
参照:The Antichrist: The Last Days According to Jesus with R.C. Sproul

最後に、最重要点を指摘しておきたい。

今の時代の流れを鑑みると、われわれクリスチャンの敵、すなわち神の敵はイスラム教ではなく、全体主義によって世界を統一・奴隷化せんとするグ〇ーバ〇共産主義。タ〇ムードユ〇ヤ教はルシファー教と同値。

さらに続ける予定だったが、これくらいで止めておく。(この世の)時は有限。

訂正:「antichristはキリスト教背教者」と書いたが間違い。antichristとは、神に敵対し自分を高く上げる者(第2テサロニケ2章)。

補足:

マタイ5:17
Think not that I am come to destroy the law, or the prophets: I am not come to destroy, but to fulfil.

イエスは律法と預言者を成就するために来臨した。

つまり、旧約聖書は1行残らず成就したのだ。

確かにその通り、Sproul師の福音書関連のメッセージを聴くと実感できる。

 

 

 

 


#163 終末預言 from Ligonier Ministries

2023年03月06日 | 終末預言 

以下に書いたが、Ligonier Ministriesより配信されている動画を視聴していたら、大変不思議に思うことに出くわした。

神学者であり牧師でもあるクリスチャンに関すること。

アメリカ神学界で極めて有名な神学者であり、Ligonier Ministriesの創始者R.C. Sproul師と、Grace Community Churchでpasterを務めるJohn MacArthur師との関係。

ふたりは、West Coast ConferenceやLigonier Ministriesが主催するLigonier Conferenceにおいて毎年講演を行なったり、Questions & Answersにおいてクリスチャンの質疑に答える教師を務めたりする。

不思議に思うこととは次のようなこと。

R.C. Sproul師がポストミレ派であるのに対して、John MacArthur師はバリバリのプレミレ教徒。信奉する教理が真っ向から対立するふたりが、毎年同Conferenceに参加・共演しているのは何故か。

John MacArthur師を招待するLigonier Ministriesのメンバーが寛容であると言えばそれまでなのだが、そこに激しい対立はないのだろうか。

この疑問に答えている動画を見つけた。動画の中で、John MacArthur師自身が上の疑問に対する答えを語っている。

若い頃R.C. Sproul師のカセットテープを聴いて真理を探究した牧師は大勢いるが、John MacArthur師もそのうちのひとりであること。

R.C. Sproul師のロジックの緻密さと分かりやすさ、説得力は群を抜いており他の教師とは比較にならないこと。

John MacArthur師とR.C. Sproul師とは、互いに良き討論相手であるということ。

福音宣教のために教派を超えて共に尽力すべきである(together for the gospel)というのがご両人の基本姿勢なのだろう。

以上のことが動画の中で語られているので各人でご確認を。

Reflections on the Life of RC Sproul


God is holy holy holy, and we are not.