みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #169

2018年03月30日 | コーヒーブレイク
ピリピ4章7節
そうすれば
人のすべての考えにまさる神の平安が
あなたがたの心と思いを
キリスト・イエスにあって守ってくれます。


日本語訳聖書においてしばしば誤訳される単語、「考え」「心」「思い」が並んでいるので、検討しておきたい。

さっそく原典。

最初に「考え」と訳された単語はνοῦςで、意味は

νοῦς:
ヌース
Probably from the base of G1097; the intellect, that is, mind (divine or human; in thought, feeling, or will); by implication meaning: - mind, understanding. Compare G5590.

上にあるように、原義は「思い」

次に、「あなたがたの心と思い」の「心」と「思い」は、それぞれ

καρδία:
カルディア
Prolonged from a primary κάρ kar (Latin cor, “heart”); the heart, that is, (figuratively) the thoughts or feelings (mind); also (by analogy) the middle: - (+ broken-) heart (-ed).

すなわち「心」、心=魂+霊。

そして

νόημα:
ノエーマ
From G3539; a perception, that is, purpose, or (by implication) the intellect, disposition, itself: - device, mind, thought.

すなわち「認識能」「識別」「物の見方」

全文直訳する。

ピリピ4:7
思いの全てに勝る神の平安が
我々の心の全てを
我々の知性の全てを
キリストイエスの中に
留めてくれる

さて、英語訳で


And the peace of God
which passeth all understanding
shall keep your hearts and minds
through Christ Jesus

最後のthrough Christ Jesusだが、throughと訳された原語はεν。このενの原義はinであるから、throughではなく素直にinと訳したい。つまり、「キリストを通して」ではなく、「キリストの中に」


And the peace of God
which surpasses all minds
shall keep your hearts and perceptions
in Christ Jesus




Coffee Break, #168

2018年03月22日 | コーヒーブレイク
ローマ書7章6節
しかし
今や我々は律法から解放された
我々は死んだので
その中に我々は閉じ込められていた
我々が仕えるために
霊の新しきの中で
文字の古きの中ではなく

霊の新しきの中で神に仕えるために、我々は律法から解放された。




Coffee Break, #167

2018年03月21日 | コーヒーブレイク
ローマ書7章6節
しかし
今は
私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので
それから解放され
その結果
古い文字にはよらず
新しい御霊によって仕えているのです

日本語という言語の特殊性により、原典の真意を取り逃がしてしまう恐れがある聖句だ。

まずは英語訳。

同a
now we are delivered from the law

この聖句において、まず最初に来なければならない極めて大切なみことばだ。

今や、我々は律法から解放された

これだ。

この文章が最初にあって、次に理屈があるべきではないだろうか。

上の日本語訳では、この一番大事なみことばが埋もれてしまっている。

さて、次にこの聖句に出てくるすべての動詞について、詳細に文法を検討していくことにする。


最初に登場するのはκατηργήθημενで、意味は

καταργέω:
カタルゲオー
From G2596 and G691; to be (render) entirely idle (useless), literally or figuratively: - abolish, cease, cumber, deliver, destroy, do away, become (make) of no (none, without) effect, fail, loose, bring (come) to nought, put away (down), vanish away, make void.
Total KJV occurrences: 27

deliverとある。続くαποはfromという意味であるから「~から解放する」文法だが、受動態アオリスト1人称複数で使われているので、訳出すると「我々は律法から解放された、あるいはされている」日本語では、現在完了形の意味合いがあいまいで、過去形と区別がつかないので非常に不便だ。

宿題終わったか? Did you finish your homework? と聞かれて「終わったよ」と答えたとする。英訳すると、Yes, I did.でもいいが Yes, I've finished.とした方が英語らしく聞こえる。古典ギリシャ語文法も同じ。時制にあいまいなのが日本語の特徴のひとつ。


次、αποθανοντοςの意味は

ἀποθνήσκω:
アポスネーシュコー
From G575 and G2348; to die off (literally or figuratively): - be dead, death, die, lie a-dying, be slain (X with).

「死んでいる」という意味で、文法はアオリスト分詞能動態主格男性複数。訳出すると、「我々(男)は死んだので(解放される前に)」


次、κατειχομεθαの意味は

κατέχω:
カテコー
From G2596 and G2192; to hold down (fast), in various applications (literally or figuratively): - have, hold (fast), keep (in memory), let, X make toward, possess, retain, seize on, stay, take, withhold.

「拘束する」「留める」、ここではガラテア書を参照して「閉じ込める」と訳出したい。文法だが、未完了直説受動態1人称複数。「我々が閉じ込められていた」


次、δουλευεινの意味は

δουλεύω:
ドゥレウオ-
From G1401; to be a slave to (literally or figuratively, involuntarily or voluntarily): - be in bondage, (do) serve (-ice)

「束縛されている」「仕える」。文法は現在不定詞能動態なので「仕えるために」


まずは原典。


νυνι δε κατηργηθημεν απο του νομου
αποθανοντος εν ω κατειχομεθα ωστε
δουλευειν ημας εν καινοτητι
πνευματος και ου παλαιοτητι γραμματος

全文直訳する。

ローマ書7章6節
しかし
今や我々は律法から開放された
我々は死んだので
その中に我々は閉じ込められていた
我々が仕えるために
霊の新しきの中で
文字の古きの中ではなく






Coffee Break, #166

2018年03月19日 | コーヒーブレイク
マタイ26章41節
油断しないで
いつも祈っていなさい
さもないと誘惑に負けてしまいます。
あなたがたの心は燃えていても
肉体はとても弱いのですから

誘惑という単語が出てきた。

内容から、敵の誘惑、試練ではないかと類推される。

原典を当たってみると、やはり使用されている単語はπειρασμόςで、意味は以前に検討した通り。

πειρασμός:
ペイラスモス
From G3985; a putting to proof (by experiment [of good], experience [of evil], solicitation, discipline or provocation); by implication adversity: - temptation, X try.

of goodとかdiscipline or provocationとかあるので、神による試練と勘違いしてしまう。これはサタンによる誘惑。


目を覚まし続けよ(現在命令形)
祈り続けよ(現在命令形)
一度たりとも入らないように(アオリスト仮定法)
敵の誘惑へと
実際
霊はやる気がある
肉は無力(或いは、弱い)

世に蔓延る敵の攻撃に対して肉で対抗しても勝ち目はない。霊で応戦せよと主は忠告しているのだ。だから、祈れと。




Coffee Break, #165

2018年03月17日 | コーヒーブレイク
ヤコブ1章8節
そういうのは
二心のある人で
その歩む道のすべてに安定を欠いた人です

「二心のある者」の特徴は

敵の試練に会う時、それを喜びと思えない
神による信仰の試練を知らない
神の試練を働かせることができない
キリストに属さない
世の知恵がある
神から何ももらえない
信じ続けることができない
疑う
アップダウンする
祈りが叶うことが許されない
霊的に満足している
この世的に裕福

この単語「二心 double minded」は、同書4章8節でも使われている。

ヤコブ4:8
Draw nigh to God
and he will draw nigh to you
Cleanse your hands
ye sinners
and purify your hearts
ye double minded

神に近寄れ
そうすれば
神もあなたがたに近寄って下さるであろう
手を清めよ
汝ら、罪人よ
心を清めよ
汝ら、二心の者らよ

この聖句から、「二心」についてまず言えることは、「二心のある者」は自ら神に近づこうとしないことだ。このヤコブ書4章を見てみると、上の「二心のある者」の特徴として掲げた内容とかなり類似したことが書かれていることが分かる。

ほしがっても自分のものにならない
うらやんでも手に入れることができない
あなたがたが願わない
願っても受けられない
世を愛する
世の友となりたい
自分を神の敵としている
隣人をさばく
あすのことはわからない
むなしい誇りをもって高ぶっている

これらの事柄から、「二心のある者」について見えてくることは

二心:世と神のいずれを選ぶか迷った挙句、世を選び取ってしまっている状態

背後に潜んでいるのはレビアタンの霊。

親心か神心かの選択・・。




Coffee Break, #164

2018年03月15日 | コーヒーブレイク
ヤコブ1章8節
そういうのは
二心のある人で
その歩む道のすべてに安定を欠いた人です

「そういうのは」と書いてあるが、原典には「そういうのは」という意味の単語は存在しない。訳者の勝手な付け足し。ここでは、定冠詞がないので、単に「二心のある者(男)は・・」

実際に原典を引用してみよう。


ανηρ διψυχος ακαταστατος
εν πασαις ταις οδοις αυτου

ανηρとは男という意味で、単数で使われている。

διψυχοςは、辞典を引くと次のように書いてある。

διψυχος:
ディプシューコス
From G1364 and G5590; two spirited, that is, vacillating (in opinion or purpose): - double minded.

原義は「魂がふたつある」という意味。

ακαταστατοςの意味は

ἀκατάστατος:
akatastatos
ak-at-as'-tat-os
From G1 (as a negative particle) and a derivative of G2525; inconstant: - unstable.

全文英語に直訳する。


A man double minded
unstable
in all the ways of him


二心のある男は
不安定
彼の全ての道において

この聖句は前7節のまとめと思われる。

では、これまでの考察から「二心のある者」とはどんな人なのか。

敵の試練に会う時、それを喜びと思えない
神による信仰の試練を知らない
神の試練を働かせることができない
キリストに属さない
世の知恵がある
神から何ももらえない
信じ続けることができない
疑う
アップダウンする
祈りが叶うことが許されない
霊的に満足している
この世的に裕福

つづく。




Coffee Break, #163

2018年03月12日 | コーヒーブレイク
ヤコブ1章7節
そういう人は
主から何かをいただけると思ってはなりません

この聖句で使われている動詞も、前節と同様、現在中態3人称単数命令形。

すなわち、日本語に訳すと、「その男に考えさせるな(否定形)」となる。

上の日本語訳では、「そういう人」が主語になっているが、正しくは、「あなたがた」が主語であり、「あなたがたはその男に考えさせるな(否定形)」という文法となっているので注意が必要。


その男に考えさせてはならない
主から何かを受けるであろうことを

つまり、そのような男がいると、教会が割れてしまうから考えさせるなと警告しているのだ(と思われる)。

全く同じことが第1コリント1章に書いてある。




Coffee Break, #162

2018年03月11日 | コーヒーブレイク
ヤコブ1章6節
ただし
少しも疑わずに
信じて願いなさい
疑う人は
風に吹かれて揺れ動く
海の大波のようです

「願いなさい」と書いてあるが、非常に不適切な訳だ。

BibleHubを参照すると

上の日本語訳で「願いなさい」と訳されている動詞はαἰτείτωで、文法はV-PMA-3S、すなわち現在能動態3人称単数命令形。

英語ではlet him askと訳されている。これが正しい訳出だ。

日本語ならば「彼にお願いさせよ(してもらえ)」

「彼」とは、もちろん「知恵を欠いた男」

では、英語訳を見てみる。


But let him ask in faith
nothing wavering
For he that wavereth is like a wave of the sea
driven by the wind and tossed

in faithとは「信仰において」「信仰にあって」

nothing waveringとは「疑うことなく」或いは「揺るぐことなく」

次の「He」とは誰だろうか。

「彼」以外の者(たち)のことだろう。

「彼」以外の者たちとは誰か。

この世の教育を背景にする自称クリスチャン、すなわちキリスト教徒。

上の英語訳でforと訳された単語はγάρで、一般にはbutという意味を持つ単語だ。

ここでもforではなくbut、或いは単純にandと解した方がbetterだと思う。

アップダウンをくり返す自称クリスチャンよ
揺るぐことのない
知恵を欠いた信仰者にお願いしてもらえ

*「知恵を欠いた」とは「この世の者ではない」と考えると分かりやすい。
或いは、「この世と同化していない」




Coffee Break, #161

2018年03月09日 | コーヒーブレイク
ヤコブ1章4節
その忍耐を完全に働かせなさい
そうすれば
あなたがたは
何一つ欠けたところのない
成長を遂げた
完全な者となります


ヒュポモネーが成すパーフェクトな業とは、神が課す、期待に胸はずむ、このチャレンジのことだろうか。

良く分からないが、ヒュポモネーがパーフェクトな業を成し遂げた結果が4節後半に書かれている。

これはヒュポモネーと我々の共同作業によって得られた結果だ。

信仰が霊であるように、ヒュポモネーも霊と考えると分かりやすい。

待望という霊だ。

同b
that ye may be perfect and entire
wanting nothing

あなたがたがパーフェクトで、無傷で、全く欠けがない。

パーフェクトで、無傷で、欠けがないとはキリスト以外にない。

つまり、我々はキリスト族になるのだ。

神属と言っても良い。




Coffee Break, #160

2018年03月08日 | コーヒーブレイク
ヤコブ1章2節
私の兄弟姉妹たちよ
悪魔による様々な試練に取り囲まれた時
それをこの上もない喜びと思え

ヤコブ1章3節
あなたがたはこのことを知っているではないか
あなたがたの信仰の
承認を得るための神の試練は
希望に満ちた忍耐を形づくるということを


さて、この2つの聖句の関連はどうなっているのだろうか。

日本語的には、3節が先に来て、次いで2節とするとすっきりする。

つまり

あなたがたの信仰の
承認を得るための神の試練は
希望に満ちた忍耐を形づくるということを
知っているのだから
私の兄弟姉妹たちよ
悪魔による様々な試練に取り囲まれた時
それをこの上もない喜びと思え

要するに、承認を得るための神の試練と悪魔による試練は同時に進行する。

神による試練(庇護)が悪魔による試練(滅び)から守っているということか。