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St.John's Commission
King of Kings
Part One: The Son of Man
The Days of Vengeance
David Chilton
◇◇
黙示録1:17—20
17-18節
主のみ使いを見た時、ダニエルはこう言った。
「顔を下に向け、私は深い眠りに落ちた。すると、見よ。ひとつの手が私に触れ、私の手と足を揺さぶった。彼がこのことばを私に告げた時、私は震えながら立ち上がった(ダニエル10:9-10)。
栄光に満ちる主イエスを目の当たりにしたヨハネの反応は、まさにダニエルの応答そのものだった。
しかし、キリストは「恐れるな」とヨハネに言います。
恐れは適切な最初の反応ではあるが、それは置き換わらなければならない。
神なる荘厳で至高なる権威は、クリスチャンにとって恐れの対象ではない。
それは、絶大なる信頼と安定の土台。
ノンクリスチャンにとって、キリストの存在は、激しい恐怖のために、意識を失ったり、身を隠す時となる(6:15-17)。
しかし、われらの主は、愛の中でヨハネ(もちろんわれわれも)の前に現れ、足元に彼をおく。
雲の中の神の存在と活動は、エジプト人にとって、破壊の恐るべき予兆だった。
しかし、契約の民にとっては、神は慰めであり救い主だった。
ハバクク3:10—13
山々はあなたを見て震え、豪雨は流れ去り、深い淵はその声を出し、その手を高く上げます。
太陽と月は天(その住みか)にとどまります。あなたの矢の光によって、あなたのきらめく槍の輝きによって、それらは動きます。
あなたは、憤って、地を行き巡り、怒って、国々を踏みつけられます。
あなたは、ご自分の民を救うために出て来られ、あなたに油そそがれた者を救うために出て来られます。あなたは、悪者の家の頭を粉々に砕き、足もとから首まで裸にされます。
イエスは神であり、最初であり最後である。
主がご自身について言っているとおり(イザヤ44:6)、「私は最初であり最後である。私のほかに神はいない (cf. Isa. 48:12)。」
神に関する別の称号に関して、イエスは「私は生ける存在である」と宣言する (cf. Deut. 5:26; Josh. 3:10; Ps. 42:2; Jer. 10:10)。
ヨシュア3:10
ヨシュアは言った。「生ける神があなたがたのうちにおられ、・・
詩篇42:2
私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。・・
われらの神は、自己実在の神、非依存性の神、万物を支配する神。
そして、主は、死者の中からよみがえり、決して死ぬことはばい。
よみがえった主として、キリストは死とハデスの鍵を持っている。
主は、全実在を支配し、死と生の主であり、全歴史の主、そして永遠の主。
主は、ヨハネに、ご自身の永遠かつ多くの真理を啓示の書に書き記すように命ずる。
19節。
死へと下ることによって、ヨハネの委任は中断されたが、復活することによって、再度命令を受ける。
見たこと、今起きていること、これから起きることを書き記せ。
見たこと(キリストの幻影)、今起きていること(教会、2-3章)、これから起きること(4-22章)をヨハネは書き記す。
20節に進み、見たこと(星と燭台)の抽象表現を説明する。
続いて、間もなく起きること(1節)「すぐに起きるはずのこと」を書き記すように託される。
この言い回しは、「常にいまし、昔いまし、後に来られる方」という記述と意図的に並行させているように見える。
かくして、現在進行中のプロセスも、永遠という神のご性質の影響を受けている。