みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#13 The Days of Vengeance, NO.13

2024年05月24日 | 報復の日々

p76~
St.John's Commission
King of Kings 
Part One: The Son of Man
The Days of Vengeance
David Chilton

◇◇

黙示録1:17—20


17-18節

主のみ使いを見た時、ダニエルはこう言った。

「顔を下に向け、私は深い眠りに落ちた。すると、見よ。ひとつの手が私に触れ、私の手と足を揺さぶった。彼がこのことばを私に告げた時、私は震えながら立ち上がった(ダニエル10:9-10)。

栄光に満ちる主イエスを目の当たりにしたヨハネの反応は、まさにダニエルの応答そのものだった。

しかし、キリストは「恐れるな」とヨハネに言います。

恐れは適切な最初の反応ではあるが、それは置き換わらなければならない。

神なる荘厳で至高なる権威は、クリスチャンにとって恐れの対象ではない。

それは、絶大なる信頼と安定の土台。

ノンクリスチャンにとって、キリストの存在は、激しい恐怖のために、意識を失ったり、身を隠す時となる(6:15-17)。

しかし、われらの主は、愛の中でヨハネ(もちろんわれわれも)の前に現れ、足元に彼をおく。

雲の中の神の存在と活動は、エジプト人にとって、破壊の恐るべき予兆だった。

しかし、契約の民にとっては、神は慰めであり救い主だった。

ハバクク3:10—13
山々はあなたを見て震え、豪雨は流れ去り、深い淵はその声を出し、その手を高く上げます。 
太陽と月は天(その住みか)にとどまります。あなたの矢の光によって、あなたのきらめく槍の輝きによって、それらは動きます。 
あなたは、憤って、地を行き巡り、怒って、国々を踏みつけられます。 
あなたは、ご自分の民を救うために出て来られ、あなたに油そそがれた者を救うために出て来られます。あなたは、悪者の家の頭を粉々に砕き、足もとから首まで裸にされます。

イエスは神であり、最初であり最後である。

主がご自身について言っているとおり(イザヤ44:6)、「私は最初であり最後である。私のほかに神はいない (cf. Isa. 48:12)。」

神に関する別の称号に関して、イエスは「私は生ける存在である」と宣言する (cf. Deut. 5:26; Josh. 3:10; Ps. 42:2; Jer. 10:10)。

ヨシュア3:10
ヨシュアは言った。「生ける神があなたがたのうちにおられ、・・

詩篇42:2
 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。・・

われらの神は、自己実在の神、非依存性の神、万物を支配する神。

そして、主は、死者の中からよみがえり、決して死ぬことはばい。

よみがえった主として、キリストは死とハデスの鍵を持っている。

主は、全実在を支配し、死と生の主であり、全歴史の主、そして永遠の主。

主は、ヨハネに、ご自身の永遠かつ多くの真理を啓示の書に書き記すように命ずる。

19節。

死へと下ることによって、ヨハネの委任は中断されたが、復活することによって、再度命令を受ける。

見たこと、今起きていること、これから起きることを書き記せ。

見たこと(キリストの幻影)、今起きていること(教会、2-3章)、これから起きること(4-22章)をヨハネは書き記す。

20節に進み、見たこと(星と燭台)の抽象表現を説明する。

続いて、間もなく起きること(1節)「すぐに起きるはずのこと」を書き記すように託される。

この言い回しは、「常にいまし、昔いまし、後に来られる方」という記述と意図的に並行させているように見える。

かくして、現在進行中のプロセスも、永遠という神のご性質の影響を受けている。