ローマ書12章と続く次の章は、我々キリスト者の生活と歩みにとって、大変実践的な教えを含んでいる。
献身に関して、強い口調で再度説いている。
6章13節において、パウロは次のように語っている。
「神に自分自身を差し出しなさい。死人から生き返った者として、そして自分の四肢を神に義の武具として」
しかし、12章においては、強調点がやや異なっている。
「私はお願いする、それ故、兄弟たちよ。神の御慈悲によって、あなたがたの体を生きた献げものとして差し出すように。神にとって聖い、受け入れられる、それがあなたがたの合理的な奉仕だ」
12章において、パウロは我々を「兄弟」としてアピールする。
これは、8章29節の「多くの兄弟たち」という考え方とリンクしている。
召し出されて、兄弟姉妹がひとつとなる信仰の段階。
ひとつとなった「生きる献げもの」として、我々の体を神に差し出す。
献身に関して、強い口調で再度説いている。
6章13節において、パウロは次のように語っている。
「神に自分自身を差し出しなさい。死人から生き返った者として、そして自分の四肢を神に義の武具として」
しかし、12章においては、強調点がやや異なっている。
「私はお願いする、それ故、兄弟たちよ。神の御慈悲によって、あなたがたの体を生きた献げものとして差し出すように。神にとって聖い、受け入れられる、それがあなたがたの合理的な奉仕だ」
12章において、パウロは我々を「兄弟」としてアピールする。
これは、8章29節の「多くの兄弟たち」という考え方とリンクしている。
召し出されて、兄弟姉妹がひとつとなる信仰の段階。
ひとつとなった「生きる献げもの」として、我々の体を神に差し出す。