みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#681 神の法第六戒

2024年08月23日 | 神の法

第6戒
9.軍法と生産

p278~
Military Laws and Production
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

これらの免除の例から、一般原則「家族は懲役に優先する」が登場した。

若い花婿は奉仕できない。

新居が優先。

農夫も兵役を免除される。

防衛も重要だが、生活と神的復興はより重要である。

兵法の第5は、野営地での清潔を必要とする。

Deu 23:9  あなたが敵に対して出陣しているときには、すべての汚れたことから身を守らなければならない。 
Deu 23:10  もし、あなたのうちに、夜、精を漏らして、身を汚した者があれば、その者は陣営の外に出なければならない。陣営の中にはいって来てはならない。 
Deu 23:11  夕暮れ近くになったら、水を浴び、日没後、陣営の中に戻ることができる。 
Deu 23:12  また、陣営の外に一つの場所を設け、そこへ出て行って用をたすようにしなければならない。 
Deu 23:13  武器とともに小さなくわを持ち、外でかがむときは、それで穴を掘り、用をたしてから、排泄物をおおわなければならない。 
Deu 23:14  あなたの神、主が、あなたを救い出し、敵をあなたに渡すために、あなたの陣営の中を歩まれるからである。あなたの陣営はきよい。主が、あなたの中で、醜いものを見て、あなたから離れ去ることのないようにしなければならない。 

野営地の外の便所と排泄物を覆うための穴を設置しなければならない。

あなたを救い出し、あなたの敵を支配下に置くために、永遠なる神を野営地内へ引き入れなければならない。

かくして、野営地は神聖でなければならない。

神が、あなたがたの中にみだらなものを見ないように、そしてあなたがたから立ち去らないように。

第1の、そして第3の法と同様に、この法から別の一般原則が登場する。

原因となるものが聖潔であるだけでなく、原因となる人も、霊的、そして肉体的に、聖潔でなければならない。

第6番目の兵法は、攻撃に先立ち、宣戦布告を必要とし、和平の申し出が敵に対して
差し出されなければならない。

和平の申し出は、妥協の申し出であってはならない。

正当であるなら、その原因は維持されなければならない。

和平を得るために、敵は道を譲らなければならない。

宣戦布告後の奇襲攻撃は、ギデオンの作法にあるように敵意が進むが、合法である。

しかし、宣戦布告に先立って、誠意をもって原因に対して交渉することが要求される。

ラッパの公式の吹奏は、戦争前と勝利の歓喜のために、勝利と感謝を期待して神の御前に正当性を示す行為である。

Num 10:9  また、あなたがたの国で、あなたがたを襲う侵略者との戦いに出る場合は、ラッパを短く吹き鳴らす。あなたがたが、あなたがたの神、主の前に覚えられ、あなたがたの敵から救われるためである。 
Num 10:10  また、あなたがたの喜びの日、あなたがたの例祭と新月の日に、あなたがたの全焼のいけにえと、和解のいけにえの上に、ラッパを鳴り渡らせるなら、あなたがたは、あなたがたの神の前に覚えられる。わたしはあなたがたの神、主である。」 

 

 


#680 神の法第六戒

2024年08月14日 | 神の法

第6戒
9.軍法と生産

p278~
Military Laws and Production
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

戦いにおいて殺害されないように、この贖い金は兵士の命のためのものだった。

ミディアン人との戦いにおいて、およそ12,000のイスラエル人がミディアンの地を焼き払い、男を殺害し、675,500頭の羊、72000頭の家畜、61000頭のろば、32000人の未婚の女を無傷のまま捕えた。

これらの中から、十一献金または一部が主に捧げられた。

神の法に従って、信仰によって、神の命令に従順であるがゆえに、戦争が行われる場合、イスラエルの経験則に従い、人々は神の保護と繁栄を頼ることができた。

第4に、懲役制の免除は法によって与えられた。

軍役の目的は、恐れのない神の戦いを戦うこととされた。

Deu 20:1  あなたが敵と戦うために出て行くとき、馬や戦車や、あなたよりも多い軍勢を見ても、彼らを恐れてはならない。あなたをエジプトの地から導き上られたあなたの神、主が、あなたとともにおられる。 
Deu 20:2  あなたがたが戦いに臨む場合は、祭司は進み出て民に告げ、 
Deu 20:3  彼らに言いなさい。「聞け。イスラエルよ。あなたがたは、きょう、敵と戦おうとしている。弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。彼らのことでおじけてはならない。 
Deu 20:4  共に行って、あなたがたのために、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である。」 

軍役免除は、いくつかの階級において実施された。

(1)新しい家を建てたが、奉納しておらず、楽しんでもいない人。

(2)ぶどう園を植えたが、果実をまだ収穫していない人。

(3)妻と婚約したが、まだ彼女と交わってしていない人。そのような男は戦地で心が分裂してしまう。

最後に

(4)恐れがある臆病者は皆、彼の兄弟が、その者の心を和らげない限り、軍の士気に危険を及ぼす者として辞退された。

Deu 20:5  つかさたちは、民に告げて言いなさい。「新しい家を建てて、まだそれを奉献しなかった者はいないか。その者は家へ帰らなければならない。彼が戦死して、ほかの者がそれを奉献するといけないから。 
Deu 20:6  ぶどう畑を作って、そこからまだ収穫していない者はいないか。その者は家へ帰らなければならない。彼が戦死して、ほかの者が収穫するといけないから。 
Deu 20:7  女と婚約して、まだその女と結婚していない者はいないか。その者は家へ帰らなければならない。彼が戦死して、ほかの者が彼女と結婚するといけないから。」 
Deu 20:8  つかさたちは、さらに民に告げて言わなければならない。「恐れて弱気になっている者はいないか。その者は家に帰れ。戦友たちの心が、彼の心のようにくじけるといけないから。」 
Deu 20:9  つかさたちが民に告げ終わったら、将軍たちが民の指揮をとりなさい。 

申命記24:5によれば、新婚男性の免除は義務であった。

新しい妻を取ったが、1年間妻の実家に出向いたことがない、仕事に就いていない場合、めとった妻を励ますために、1年間家で自由に過ごすことができる。

その他兵役を免除されるのは、(5)レビ族だった。

Num 1:47  しかしレビ人は、彼らの中で、父祖の部族ごとには、登録されなかった。
Num 1:48  主はモーセに告げて仰せられた。 

レビ族は戦うこともあったが、懲役は免れた。

 

 


#680 神の法第六戒

2024年05月06日 | 神の法

久しぶりのエントリー。

黙示録のみならず、旧約聖書もまた将来の地殻変動に備えるための指南書。

しっかりと読み込んで、今後の杖・教訓とする必要がある。

この世は相当きな臭くなってきている。

◇◇


第6戒
9.軍法と生産

p277~
Military Laws and Production
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

聖書の軍法は、人間に対して特異的に関連しているという理由は、それが戦争法のみならず、重要な一般的な原則を含んでいる点にある。

軍法を調べてみると、次のようなことが分かる。

第1に、正義の防衛のために、悪の抑制のために、敵からの母国防衛のために、戦争する時、軍法は賠償か修復のための業務のために必要となる。

それ故、聖書において、軍法は主の戦いとして書かれている(民数記21:14)。

民数記21:14
それで、「主の戦いの書」にこう言われている。・・・

兵士が用意すべきことに、本来の職務に加えて宗教的献身が含まれていた(ヨシュア3:5)。

ヨシュア記3:5
ヨシュアは民に言った。「あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行なわれるから。」 

第2に、その法は兵士の年齢を明示した。

すべての健康な20歳以上の人は、兵役の適格者だった(民数記1:2,3,18,20、45,26:2,3)。

民数記1:18
第二月の一日に全会衆を召集した。そこで氏族ごとに、父祖の家ごとに、二十歳以上の者の名をひとりひとり数えて、その家系を登記した。 

この基準は長期にわたり流布され、アメリカ独立戦争の軍事作戦の基礎となった。

それは依然として選択的兵役だった(民数記31:3~6)。

例えば、ミディアンとの戦いにおいて、ルベン部族から適格者46500人、ユダ部族から適格者74600人、ベニヤミン部族から35400人(民数記1章)、また各部族からは1000人ほどが軍務についた。

各部族からは千人ずつ徴兵された(民数記31:4)。

徴兵のための適格性は、原則として、極度の危機的情報において軍務に適することが要求された。

民に対する戦争は神聖であり、神の回復の業に奉仕するため、信仰と従順によって働くのなら、神はご自身の部下を守った。

出エジプト記30:11—16によると、軍事行動において、各人は、自分のために贖い金(つまり、援護金)を差し出さなければならない。

同上
主はモーセに告げて仰せられた。 
「あなたがイスラエル人の登録のため、人口調査をするとき、その登録にあたり、各人は自分自身の贖い金を主に納めなければならない。これは、彼らの登録によって、彼らにわざわいが起こらないためである。 
登録される者はみな、聖所のシェケルで半シェケルを払わなければならない。一シェケルは二十ゲラであって、おのおの半シェケルを主への奉納物とする。 
二十歳、またそれ以上の者で登録される者はみな、主にこの奉納物を納めなければならない。 
あなたがた自身を贖うために、主に奉納物を納めるとき、富んだ者も半シェケルより多く払ってはならず、貧しい者もそれより少なく払ってはならない。 
イスラエル人から、贖いの銀を受け取ったなら、それは会見の天幕の用に当てる。これは、あなたがた自身の贖いのために、主の前で、イスラエル人のための記念となる。」 

Ewingが指摘しているように、その目的は、戦争に参加する者たちの命のための贖い金を作るためだった。

出エジプト記30:12にある「災い」とは、ヘブル語でnegeoh、すなわち、語幹が強硬、血塊、敗北、殺害、殺傷、悪化という意。

 

 


#679 神の法第六戒

2024年01月03日 | 神の法

第6戒
9.軍法と生産

p277~
Military Laws and Production
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

聖書の軍法は、人間に対して特異的に関連しているという理由は、それが戦争法のみならず、重要な一般的な原則を含んでいる点にある。

軍法を調べてみると、次のようなことが分かる。

第1に、正義の防衛のために、悪の抑制のために、敵からの母国防衛のために、戦争する時、軍法は賠償か修復のための業務のために必要となる。

それ故、聖書において、軍法は主の戦いとして書かれている(民数記21:14)。

民数記21:14
それで、「主の戦いの書」にこう言われている。・・・

兵士が用意すべきことに、本来の職務に加えて宗教的献身が含まれていた(ヨシュア3:5)。

ヨシュア記3:5
ヨシュアは民に言った。「あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行なわれるから。」 

第2に、その法は兵士の年齢を明示した。

すべての健康な20歳以上の者は、兵役の適格者だった(民数記1:2,3,18,20、45,26:2,3)。

民数記1:18
第二月の一日に全会衆を召集した。そこで氏族ごとに、父祖の家ごとに、二十歳以上の者の名をひとりひとり数えて、その家系を登記した。 

この基準は長期にわたり流布され、アメリカ独立戦争の軍事作戦の基礎となった。

それは依然として選択的兵役だった(民数記31:3~6)。

例えば、ミディアンとの戦いにおいて、ルベン部族から適格者46500人、ユダ部族から適格者74600人、ベニヤミン部族から35400人(民数記1章)、また各部族からは1000人ほどが軍務についた。

各部族からは千人ずつ徴兵された(民数記31:4)。

徴兵のための適格性は、原則として、極度の危機的情報において軍務に適することが要求された。

 

 


#678 神の法第六戒

2023年10月16日 | 神の法

第6戒
賠償かそれとも修復か

p276~
Restitution or Restoration
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

目標は信仰や祈りを中心に置く。

主の祈りは宣言する、「御国が来ますように。御心が天に在る如く、地にも在るように(マタイ6:10)。

これが関係修復のための期待であることは明白である。

そして、あらゆる祈りはこのことを踏襲する必要がある。

賠償を規範とする、あるいはこの原則から切り離された社会が失敗した理由は、保証による保護が原因である。

賠償する意志のない無責任な人々に反して支払われるという点で、多額の保険料は自己賠償の形をとる場合が多い。

加入者によって支払われる高額な掛け金は、賠償を要求する法律非適応に対して、加入者の自己保全である。

そのような社会は、良心という点からすると、「御国が来るように」とは決して祈ろうとはしない。

何故なら、神の法を無視することによって、そのような祈願を否定するからである。

前千年紀(プレミレ)ディスペンセーション主義者は、神の法を否定するために主の祈りを祈ることを拒絶する。

結果として、神の法秩序を回復する意志がないがゆえに、保険を習慣的に利用する多くの人たちと何ら変わるところがない。

 


#677 神の法第六戒

2023年08月26日 | 神の法

第6戒
賠償かそれとも修復か

p276~
Restitution or Restoration
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

破滅へと向かわされている世を見るにつけ、如何に神の法が重要であるかよく分かる。

彼らグ○ーバ○ストたちは、現代版共産主義とヒューマニズム、そして全体主義の風潮を巧みに誘導・利用して、一刻も早く○界○一〇府を樹立しようと目論んでいる。

Rushdoonyが預言した通り、激しく御国が責め立てられている状況だ。 

◇◇

第3に、聖書的賠償の一形態は、自己防衛の権利、すなわち侵略者や泥棒を殺害しなければならないある種の状況下における権利であったので、自分を守るための被害者の権利をわらに限界を加えるということは、自分を守るための権利や自由がない野蛮主義へと戻ってしまうということを意味する。

第4に、投獄というシステム、すなわち犯罪者の社会復帰(リハビリ)は、Prinsが言及するように、犯罪者に対してはある種の助成金、そして無実の人たちや被害者には税金徴収という意味合いを含んでいる。

神や人の手から賠償を要求するのは、敬虔な人たちに対する侵害である。

犯罪者に助成金を支給したり、敬虔な人々にペナルティを科す社会は、さらなる暴力や無法を助長することにより瓦解し、無政府状態へと向かっていくであろう。

第5に、Winesが言及したが、好ましいものとして、誤った源をわれわれに与える一方、社会的権力の2つの可能な源泉として、神由来と人由来がある。

もし権力が神から来るのであれば、神の法が流布されなければならない。

もし権力が人から来るのであれば、人々の意志が流布されるであろう。

人の上、あるいは人を超えるような法の原則は存在しない。

すなわち、原則としての賠償は、民主的社会にはなじまない。

何故なら、神政的原則は、人間が絶対的かつ不変的正義に従うように要求するからである。

神政的原則としての賠償は、3つの事項を含む。

第1、それは傷害を受けた個人に対する賠償。

第2、破られた法秩序は神の法秩序。死亡事件においては、賠償されるべき人は存在しないため、それは神に対して成された(民数記5:6~8)。

神が直接に巻き込まれた犯罪の場合、弁償総額に5分の1が加えられた。この5分の1とは、元の総額の4分の1、、すなわち他方の4分画を表した(レビ記5:14~16)。

すべての事件において、賠償は、償いの捧げ物によって神に対してなされる必要があった(レビ記5;15~17)。

第3、以上のような場合から、神の御前で社会が健全であるためには、賠償はつねに必須であるということは明らかである。

以上のことから、反対勢力が存在しない限り、いつ何時であっても国家は傷害された個人に対する賠償をしなければならないということが示唆される。

敬虔的な社会の目標は修復である。あらゆる点において、悪い罰則をもって、聖なる賠償をもって、その目標は果たされなければならない。

 

 

 


#676 神の法第六戒

2022年02月14日 | 神の法
第6戒
賠償(復元)すなわち回復

p275~
Restitution or Restoration
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

賠償(復元)の考え方は、処罰の概念から無理やり切り離された。

中世末期に発達したその理論ー犯罪とは総括的に国家に対する違反であるーは、賠償の考え方から切り離された。

処罰という概念は、賠償という社会的概念との接点を失った。

事実、Schaferは次のようにコメントしている。

様々な国々の法体系を見る時、犯罪被害者が、自分の受けた被害に対する十分な賠償を期待するという国家を追い求めようとするが無駄なこと。国家による補償が存在する稀なケースもあるが、そのような制度は不十分であったり、全く機能していない。国家による補償がないところでは、一般に、市民による手続きや市民による執務により提供された不十分な救済策により犠牲者は手当されている。犯罪に対する処罰は、国家事業と見なされている一方、犯罪による傷害、すなわち被害者に対する損害は、殆ど私的事項と捉えられている。これは、社会基盤の発展の初期段階における人間を思い起こす。そこでは、人は生存競争のために一人取り残され、自分で外部からの攻撃に対応じ、かつ害を与える他者に対抗する必要がある。国家の法律を自分の手中にできないため、今日の犠牲者は決して満足を得ることはできない。先祖の時代には、賠償は活発な実践であり、「それは注目に値するもの」であり、我々の野蛮な先祖たちの方が賢くて、今日よりも誠実だった。何故なら、古代人が賠償の原理を傷害者に適応する一方で、現代人は損害を受けた関係者に対してこのことを実践しなかった。現代の実践と比較すると「これは、より賢明であり、影響に関してより改革的であり、傾向に関してより抑止的であった。」

前述のことから明らかなことがある。

第1に、賠償から投獄への移行は、教会や国家による権力の収奪に基づいており、身代金や私産没収の代わりに、罪の調節を画策することがその起源だった。

第2に、国家が罰則の原則を犯罪法とした、つまり賠償を民事法へと格下げした。

今日、傷害を受けた人が賠償請求する時、基本的に非協力的な裁判所という機関を介するため、その請求には訴訟費用が含まれる。

それ故、障害を受けた人が裁判に勝ったとしても、費用の回収は難しい。

結果として、このような分割ゆえに、犯罪者は、賠償よりも次第に寛大となるつつある国家による拘置所や精神病院、矯正施設や擁護施設へと向かう。




#675 神の法第六戒

2021年11月14日 | 神の法
第6戒
復元すなわち回復

p274~
Restitution or Restoration
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

顕著な違いとは以下の通り。

聖書の法において、違反者とは神の御前において有罪であり、かつ直接復元をすべき被害者の前でも有罪ということ。

神に対する復元については、民数記5:6~8参照。

民数記5:6~8
「イスラエル人に告げよ。男にせよ、女にせよ、主に対して不信の罪を犯し、他人に何か一つでも罪を犯し、自分でその罪を認めたときは、 
自分の犯した罪を告白しなければならない。その者は罪過のために総額を弁償する。また、それにその五分の一を加えて、当の被害者に支払わなければならない。 
もしその人に、罪過のための弁償を受け取る権利のある親類がいなければ、その弁償された罪過のためのものは主のものであり祭司のものとなる。そのほか、その者の罪の贖いをするための贖いの雄羊もそうなる。 

然るに、現代の法において、違反は、本来的原則的に国家に反する。

神と人は、景色の外へと取り残される。

Schaferによると

封建制貴族の野蛮な欲と中世僧侶らの権力により、被害者らの権力は次第に侵食されていき、最後には、権威によって大幅に占有されていった。彼らは、違反者の上に2倍の復讐を強要した。違反者は、被害者のためにではなく、権力者のために財産を取り上げられ、地下牢に放り込まれ、拷問を受け、火あぶりの刑や絞首刑にされた。一方、元々の被害者たちは、基本的に無視された。中世以降、復元は、処罰とは切り離され、退化していったようだ。被害者は刑法上軽視されるようになった。

参照:

The Olivet Discourse (Mark 13:1–8) — A Sermon by R.C. Sproul

The Signs of the Times (Mark 13:9–20) — A Sermon by R.C. Sproul

Christ Coming in Glory (Mark 13:24–36) — A Sermon by R.C. Sproul


eschatologyに関する改革派神学者の実践的解釈。

極めて謙虚かつ真摯に聖書に書かれている内容を吟味し、よく調べ上げて、明快に解説している。

聖書を聖書でもって理解することの実践、極めて痛快。

ノンクリスチャンであるBertrand Russelや聖書批判家たちは、この箇所を引用して、イエスの預言が外れたが故に、イエスの言うことも聖書も全く信用できないと断言する。

あれから2000年も経つのに、いまだにイエスの預言が成就しないとは一体全体何事かとわれわれクリスチャンがあざけり笑われている。

そんなものを信じているのか、と。

第2メッセの7分30秒あたりから、この聖書批判に対する反論が開始する。

第3メッセの後半部分はめちゃめちゃ面白い。

完璧に理解して欲しい。

一つでも多くの魂を救うために。


注1)
英語が不得手な人のために、上の3つのメッセに関する要点を日本語に訳出してアップする予定。
R.C. Sproul師のメッセには他にも大変有用なものが多々あるので、順次紹介していこうと思う。
注2)
富井師が残した貴重な資料「紀元70年以前に完結した話をそれ以降の歴史に適用してはならない」シリーズとの照合を行なっている。師も、「このシリーズにおいて信仰の根幹にかかわる非常に重要なテーマについて議論が行われている」と述べている。検討結果が出次第アップする予定。




#674 神の法第六戒

2021年11月13日 | 神の法
#674 神の法第六戒

第6戒
復元すなわち回復

p274~
Restitution or Restoration
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

復元の原則は、今日の法において完全にすたれたわけではないが、大きな違いがある。

Stephen Schaferによるこの課題に関する研究は、このような論点において意義深い。

Schaferによると

法的に徴収された国の費用で、モデル牢に泊り、食べ、着て、暖まり、光があり、楽しでいる有罪犯が、自分の負債を社会に負わせている。彼は被害者を無視できる。しかし、被害者は慰めを必要とする。国庫に納める税金により、父親のような配慮で貢献する。この配慮が、投獄中の罪人を保護している。1895年に開催されたパリ犯罪者会議において、ベルギーのPrinsは苦々しい、皮肉たっぴりなことばを残した。犯罪被害者に対する復元の問題についての討論中、被害者の利益となる提案を理論づけし実現するため提案にを攻撃する反論に対し、彼は自身の憤りを自制することができなかった。

長い間、復元はほぼすべての法体系の土台となり、時に、大変卓越したものだった。

初期の頃のアメリカの法律によれば、泥棒は、盗んだ物の3倍を被害者に返すよう命ぜられた。

倒産した場合は、一定期間、被害者の思い通りにできる権利の下に置かれた。

現代の法において、復元は、「代償」や「損害」に置き換えられているのが通常。

参照:

プレミレ教牧師による説教

プレミレ教を流布させたい人たちの解説には一種独特なパターンがある。

まずは、この世を見ると、世界は混とんとしていて、これから世の中はどんどん悪くなるだろうと脅す。

次いで、eschatologyを説くイエスのいことばを引用する。

上のメッセでは、マルコ13章。

1、2節では、イエスはエルサレムの神殿の崩壊を説いていると説明する。

そこまでは史実通り。

しかし、3節以降のイエスのことばについて、AD70年のエルサレムeschatologyから、未来(30世紀頃?)に起きるかもしれない世界eschatologyへと大きく話しが飛んでしまう。

面食らってしまう。




#673 神の法第六戒

2021年11月03日 | 神の法
第6戒
復元すなわち回復

p273~
Restitution or Restoration
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

復元に関する他の多くの法は財産を取り扱う。

現時点で、個人に対する危害に関することが主な関心事。

主な責務の原則は次の通り。

第1に、有罪となった集団は、けが人の医療費を負う義務がある。

出エジプト記21:19
もし再び起き上がり、杖によって、外を歩くようになれば、打った者は罰せられない。ただ彼が休んだ分を弁償し、彼が完全に直るようにしてやらなければならない。 

第2に、有罪となった集団は、仕事から離れていた時間的損失の責任を負わなければならない(出エジプト記21:19)。

有罪となった集団が所有者であり、被害者集団が彼の奴隷だった場合、死亡や怪我に対する責任はあったが、時間的損失に対する責任はなかった。

時間的損失は、所有者自身の損失でもあったから。

所有者自身が、その時点で、損失を被っているから。

出エジプト記21:20
自分の男奴隷、あるいは女奴隷を杖で打ち、その場で死なせた場合、その者は必ず復讐されなければならない。 

レビ記24:17~20
かりそめにも人を打ち殺す者は、必ず殺される。
動物を打ち殺す者は、いのちにはいのちをもって償わなければならない。
もし人がその隣人に傷を負わせるなら、その人は自分がしたと同じようにされなければならない。
骨折には骨折。目には目。歯には歯。人に傷を負わせたように人は自分もそうされなければならない。 

第3に、人によって飼われている動物が傷害罪を犯したら、罰則が適応された。

その動物が人に対する危害歴がなかった場合、その動物は死に、危害を加えられた人は、代償として治療を受けた。

しかし、もしその動物に人に対する危害の経歴がある場合、所有者は殺人に対して死刑が適応された。

出エジプト記21:28~29
牛が男または女を突いて殺した場合、その牛は必ず石で打ち殺さなければならない。その肉を食べてはならない。しかし、その牛の持ち主は無罪である。 
しかし、もし、牛が以前から突くくせがあり、その持ち主が注意されていても、それを監視せず、その牛が男または女を殺したのなら、その牛は石で打ち殺し、その持ち主も殺されなければならない。 

第4に、有罪となった集団は、時間的損害や治療費のみならず、裁判によって決定された被害相当分の責任も負う必要がある。