信仰生活を始めてまだ間もない頃、我々は行ないにのみ関心があった。
我々の中にある問題は全く気にしなかった。
自分の行ないのことについて悩みはするが、自分の何たるかには興味がなかった。
あれを直せば良いキリスト者になれるのではないか。
そこで、行ないを変えてみようといろいろやってみるのだが、惨憺たる結果に終わる。
できないのだ。
できないので戸惑う。
こうして、外側の問題ではない何かがあるのではないかと気が付く。
何か重大な問題が自分の中にあることを知る。
主を喜ばせたいと思うが、そうしたくない何かが自分の中にある。
謙虚になろうと思うが、我々という存在そのものがそうなるまいと拒む。
主を愛したいと切に願うが、断固拒否する感情が逆巻く。
微笑み、しとやかに振る舞ってはいるが、感情は無愛想そのものだ。
外側を取り繕おうとすればするほど、内側の問題がいかに根深いかが分かる。
そして、主の御前で訴える。
主よ、今こそ分かりました。
私の行ないもそうだが、私の何たるかが悪なのだということが。
我々の中にある問題は全く気にしなかった。
自分の行ないのことについて悩みはするが、自分の何たるかには興味がなかった。
あれを直せば良いキリスト者になれるのではないか。
そこで、行ないを変えてみようといろいろやってみるのだが、惨憺たる結果に終わる。
できないのだ。
できないので戸惑う。
こうして、外側の問題ではない何かがあるのではないかと気が付く。
何か重大な問題が自分の中にあることを知る。
主を喜ばせたいと思うが、そうしたくない何かが自分の中にある。
謙虚になろうと思うが、我々という存在そのものがそうなるまいと拒む。
主を愛したいと切に願うが、断固拒否する感情が逆巻く。
微笑み、しとやかに振る舞ってはいるが、感情は無愛想そのものだ。
外側を取り繕おうとすればするほど、内側の問題がいかに根深いかが分かる。
そして、主の御前で訴える。
主よ、今こそ分かりました。
私の行ないもそうだが、私の何たるかが悪なのだということが。