みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Sickness and Self, #15

2017年03月30日 | 聖書研究・信仰
自己愛ゆえに、病気になるやいなや、その者は癒しを探し求める。

不正な行為の心を捨て去り、神に癒しを委ねるべきだということに思いが及ばない。

その者の眼は癒しに釘付けだ。

何故神がこの病いをお許しになったのか。

何を悔い改める必要があるのか。

如何にすれば神の業が自分の身に成されるのか。

これらの疑問を思い起こすことがない。

この者が考えるのは自分の弱さのみだ。

彼は再度元気になることを切望している。

それ故、至る場所へと赴き、癒しの方法を探し求める。

早く良くなりたい。

神に懇願したり、癒してくれる人を探し求める。

このような状態の者において、神がご自身の目的を成し遂げることは不可能だ。

だから、いくつかの業が為されるが、ほんの一時的だ。

しばらくして、病いが再発する。

病いの根本が取り除かれなければ、永遠の癒しなんてあるはずもない。




Sickness and Self, #14

2017年03月30日 | 聖書研究・信仰
神は自己愛を好まない。

自己愛が我々に及ぼす悲惨な悪影響についてよくよく理解するように、神は望んでおられる。

病いにある時、その症状にではなくもっぱらご自身のことに集中するように、神は望んでおられる。

自分の体を主に献げ、主に体のケアを任せること、これが神のご希望なのだ。

次々見い出されるいやな症状は皆、自分の体に捕らわれるのではなく、主を思うことに専心するための警告だ。




Sickness and Self, #13

2017年03月28日 | 聖書研究・信仰
やや体がほてる、寒気がする、夜寝れない。

このような症状が、まるで命を脅かすかのように思ってしまう。

面倒を見てくれる人のやり方に非常に神経質になっている。

そんな男のために十分な時間を割くだろうか。

手厚く面倒を見るだろうか。

何度も会いに来るだろうか。

体のことばかりくよくよと思い詰めて、途方もない時間が過ぎていく。

主を想う時間などあろうはずもない。

主が自分の人生を終わせようとしている、そのことばかりが頭をよぎる。

確かに、病いによって「魔法をかけられている」者は多い。

病いに倒れて、異常なまでに自分を愛していることを実感する。




Dr. Aiko Ministries seminar

2017年03月27日 | 聖書研究・信仰
ともに主を賛美することの喜びを満喫、また、(Jesusによる)奇跡の当然性について実感して来ました。
あっという間の3日間。
本当に楽しかった。
感謝です!




Sickness and Self, #12

2017年03月26日 | 聖書研究・信仰
信徒の心は神から遠く離れている。

己を忘れさせるために、神は病気になることを許可する。

しかし、病いが進行すればするほど自己愛はより強くなる。

癒しを求めつつ絶えず不安を覚えながら、自分の病状の中へと埋没していく。

自分のことで頭の中はぐるぐる回りだ。

何を食べ何を食べてはいけないのか、考えることはそればかり。

何か一つでも物がなくなるといらいらする。

慰めと休息に多大の注意を払う。




Coffee Break, #71

2017年03月23日 | コーヒーブレイク
今週末は吉祥寺で開かれるDr愛子博士のセミナーに参加します。

車山キャンプにも参加したかったのですが、2週連続で週末サボると石が飛んでくる可能性がありますので、長野キャンプは次の機会に参加したいと思います。


ホーマン愛子博士 日本セミナー基本コース

【脳科学者ホーマン愛子博士による日本初のセミナー内容】

Session 1 3/24 (Friday) 19:00-21:00
魂の詰まった丸太
天の御座
- 神の御言葉のレーザー光線
デモンストレーション

Session 2 3/25 (Saturday) 13:00-15:00
魂の癒しと解放 パート1
- 自己防衛壁
- 記憶の再編集
- 霊の武具の割れ目を防ぐ
- いくつかの解放は効果的でないのか
- 中絶の霊
- サタンの印
- オカルトに関わったことによる敵の攻撃からの解放
- 引き金反応

Session 3 3/25 (Saturday) 18:00-20:00
魂の癒しと解放 パート2
デモンストレーション

Session 4 3/26 (Sunday) 14:00-16:00
罪悪感 (+土曜の続き)
- 天の法廷のドラマの幻
デモンストレーション





Coffee Break, #70

2017年03月22日 | コーヒーブレイク
ガラテア2章16節における日本語訳について一言。
余りにひどいので正確に見ておきたい聖句の一つだ。

ガラテア2:16
しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、
ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、
ということを知ったからこそ、
私たちもキリスト・イエスを信じたのです。
これは、律法の行ないによってではなく、
キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。
なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、
ひとりもいないからです。
(新改訳)

次に、KJV訳。


Knowing that a man is not justified by the works of the law,
but by the faith of Jesus Christ,
even we have believed in Jesus Christ,
that we might be justified by the faith of Christ,
and not by the works of the law:
for by the works of the law shall no flesh be justified.

見た瞬間受ける印象がまるで違う。

日本語訳から受ける印象は「人」すなわち肉中心。
英語訳から受ける印象は「律法とキリスト」すなわち「霊」中心。

日本語訳のヒドさを暴露していく。

「人は律法の行ないによって」とある。
言い換えるなら「人が律法を行なうことによって」となるが、全く違う。

英語訳を見れば分かるが、「律法の働きによって」が正解。
つまり、この文章の主語は「人」ではなく、律法の働きだ。

律法の働きは人を義とはしない

という意味。「行ない」と誤訳するから意味が変わってしまうのだ。

原典で使われている単語はεργωνで

意味は、From ἔργω ergō (a primary but obsolete word; to work); toil (as an effort or occupation); by implication an act: - deed, doing, labour, work.

つまり「働き」或いは「業」

次に、「キリスト・イエスを信じる信仰によって」

これも真っ赤な大誤訳。

KJV訳にあるように、by the faith of Jesus Christが正解。

イエスキリストの信仰によって

イエスキリストの信仰を通してでなければ我々は義とされない

となる。すなわち

律法の働きは人を義とはしない
イエスキリストの信仰が人を義とする

これを理解してはじめて、次に人が出てくる。

それが「我々」だ。

律法の働きは人を義とはしない
イエスキリストの信仰が人を義とする
イエスキリストにあって
それを我々は確かに信じた
だから救われた
律法の働きは肉を義としない
義とされるにはイエスキリストの信仰が必要だ






Sickness and Self, #11

2017年03月21日 | 聖書研究・信仰
自己愛という心が解かれるために、一体何人のキリスト者が死の入口まで連れて来られなければならないのか。

体への愛が絶たれて、次に愛すべきものとは何か。

命が風前の灯火となり、次に愛すべきものとは何か。

病いが体を食い尽くして、次に愛すべきものは何か。

苦痛が力を削ぎ落して、次に愛すべきものは何か。

この時、その者は死を受け入れる。

失望し、自己愛は忘れ去られる。

絶望が頂点に達した次の瞬間、神へと立ち返り、神の癒しの約束を宣言しないだろうか。




Sickness and Self, #10

2017年03月20日 | 聖書研究・信仰
自己を愛するが故に、我々は病気になることを恐れる。

しかし、神は我々の体を弱める。

神は我々が苦痛を経験することをお許しになる。

良くなりたいと思えば、病いはさらに重くなる。

生き続けたいと願う。

しかし、その希望は風前の灯火のようだ。

神の取り扱いは実に具体的だ。

時には劇的に、時にはソフトに。

しかしながら、自己愛という心を取り除くという点においては、目的は同じ。




Sickness and Self, #9

2017年03月19日 | 聖書研究・信仰
自己願望や我が儘に加えて、神が忌み嫌うものは自己愛の心だ。

自己愛は霊的生活を危機に陥れ、霊的業を破壊する。

神がこれを取り除いて下さらなければ、霊的戦いを勝ち抜くことはできない。

自己愛は我々の体と特異な関係にある。

自分を愛するとは、自分の体と命を大事に思うことだ。

この忌むべき特定を叩き潰すために、神は我々に病いが降りかかることを許可する。