みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #183

2018年04月29日 | コーヒーブレイク
ルカ10章6節
もしそこに平安の子がいたら
あなたがたの祈った平安は
その人の上にとどまります
だが、もしいないなら
その平安はあなたがたに返って来ます

平安ではなく、平安の子と書いてある。

原典を見ると、確かにο υιος ειρηνης(平安の子)とある。

正確には、平安の長子(長男、或いは息子)。

ところが、この日本語訳を見ると、3行目で「その子」ではなく、「その人」と訳している。平安の「子」を受ける代名詞なら、「その子」と訳出すべきではないか。

「その人」と訳された単語は代名詞αὐτός(3人称男性単数)で、ここでは対格αὐτὸνが使用されている。3人称男性単数だから、上のο υιος(男性名詞単数)の代名詞と考えたのだろう。

他方、その家の主人が信徒であり平安の子であるとする考え方もあろう。しかし、これは主の命令「この家に平安が在れ」と矛盾する。「この家に」であり、「この人に」ではない。

主は弟子たちに「この家に平安が在れ」と宣言するように指示した。宣言通りに、その家に平安の子が現出し、その家に平安が訪れる。

そう考えるのが自然ではないか。

平安の子とは、恐らく主ご自身のことだろう。主イエスの上に平安が留まる必要はない。その家(の上)に平安が在るのだ。

以上から、代名詞αὐτός(3人称男性単数代名詞)は、5節に出てくるοἶκος(家、男性名詞単数)を受けていると考える。

「あなたがたの祈った平安」ではなく、「あなたがたの平安」

平安を一方的に与えるのではなく、平安の子(主)を介して、平安をシェアする感覚だ。




Coffee Break, #182

2018年04月25日 | コーヒーブレイク
コロサイ3章14節
そして
これらすべての上に
愛を着けなさい
愛は結びの帯として完全なものです

この聖句については、英語訳も付け足しが為されていてやや意訳気味だ。

実際に見てみる。


And above all these things
put on charity
(KJV)


and above all these things
have love
(YLT)

原点を見ると


επι πασιν δε τουτοις την αγαπην

この文章には、実は動詞がない。

副詞句であるεπι πασιν δε τουτοιςの次に、対格名詞την αγαπηνがあるだけなのだ。

直訳すると

これら全ての上に、アガペーを

となる。

恐らく前節以前の動詞がすべて命令形なので、上の英語訳のように動詞(命令形)を補足したのだろう。

次いで、アガペーを説明する関係代名詞が続く。

そのアガペーは完成の結束帯である

ここでは、直訳して「完成の結束帯」と訳したが、これでは全く意味が分からない。

原語はσυνδεσμος της τελειοτητοςだ。

τελειότης:
テレイオテース
From G5046; (the state) completeness (mentally or morally): - perfection (-ness).

すなわち「完成」「完了」「完全」

σύνδεσμος:
スンデスモス
From G4862 and G1199; a joint tie, that is, ligament, (figuratively) uniting principle, control: - band, bond.

すなわち、「結合」「帯」「連結帯」「靭帯」「絆」

上の文章は、アガペーとは帯であると言っているのだから

アガペーは完成を束ねる帯である

と言い換えてよいだろう。

ここまでくると、パウロが言っているところの「完成」の意味が見えてくる。束ねるための帯が必要なのは複数存在する何かだ。これは恐らくエクレシアを構成するキリスト者たちを指しているのだろう。その集合体がエクレシアであり、それを「完成」とパウロは謳っているのではないか。

よって

アガペーは完全なるエクレシアを束ねる帯である

と、さらに言い換えることができる。

コロサイ3:14
これら全ての上に
完全なるエクレシアを束ねる帯
すなわち、神の愛アガペーを
あなたがたは持っている
(補足訳)

ギリシャ語における2人称複数の場合、現在形と命令形は全く同一の語尾変化をする。従って、状況に応じて使い分ける必要がある。ここでは現在形として補足しておいた。

KJV訳ではアガペーをcharityと訳出しているが、アガペーとは神の愛。charity(博愛)ではない。




Coffee Break, #181

2018年04月24日 | コーヒーブレイク
ルカ18章29節~30節
イエスは彼らに言われた
まことに
あなたがたに告げます
神の国のために
家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で
だれひとりとして
この世にあってその幾倍かを受けない者はなく
後の世で永遠のいのちを受けない者はありません

この聖句を読んで大変嫌な気分になったクリスチャンもかなりいるのではないかと思う。

>神の国のために家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てろ

という風に命じられているようで、不愉快になる。

早速調べてみたい。

「捨てた者」の「捨てた」と訳された単語はἀφίημιで、意味は

ἀφίημι:
アフィエミ
From G575 and ἵημι hiēmi (to send; an intensive form of εἶμι eimi (to go)); to send forth, in various applications: - cry, forgive, forsake, lay aside, leave, let (alone, be, go, have), omit, put (send) away, remit, suffer, yield up.

最初に出てくる意味がsend forth(放出する)で、続けてみていくと
許す、見捨てる、脇に置く、残す、放っておく、放棄する等々。

確かに、forsake(見捨てる)という意味もある。

英語訳には何と書いてあるか。

同b
one who left house, or parents, or brothers, or wife, or children

leaveという訳を当てているのが分かる。

leave:〈…を〉その[入れた]ままにしておく, 残す

つまり、「捨てる」ではなく「そのままにしておく」「残す」

こちらの訳の方がはるかに適切だ。

日本語訳は不適切かつ不愉快。

前節も同じ。

ルカ18:28
Then Peter said
Lo
we have left all
and followed thee

「捨てて」ではない、「置いて」とか「残して」。

主が「家族を捨てろ」などと言うはずがない。

アホらしい。




Coffee break, #180   

2018年04月22日 | コーヒーブレイク
ヤコブ1章21節
ですから
すべての汚れやあふれる悪を捨て去り
心に植えつけられたみことばを
すなおに受け入れなさい
みことばは
あなたがたのたましいを救うことができます

この日本語訳にも問題がある。

結論から言うと

>みことばはあなたがたのたましいを救うことができます

この箇所だ。

一見問題はないように見える。

早速英語訳と比較する。


Wherefore lay apart
all filthiness and superfluity of naughtiness
and receive with meekness
the engrafted word
which is able to save your souls

分かるだろうか。

「植えられたみことばが」我々の魂を救うことができるのであって「みことばが」ではない。

原典を確認する。

τον εμφυτον λογον τον δυναμενον
σωσαι τας ψυχας υμων

英語に直訳すると

the implanted word having power to save the souls of yours

上の日本語訳には砂糖がまぶしてある。

聖書という本は単なる文字であって、それだけでは我々の魂を救うことはできない。

まずみことばが我々の中に植えられる必要がある。

植えられなければ芽を出せない。

その植えられたみことばにパワーがあると書いてあるのだ。

同b
あなたがたの魂を救うパワーがある
植えられたみことばを
従順さの中で
受け入れよ



Coffee Break. #179

2018年04月19日 | コーヒーブレイク
第1コリント6章20節
あなたがたは
代価を払って買い取られたのです
ですから自分のからだをもって
神の栄光を現わしなさい

引っかかるので、原典を確認してみた。

>自分のからだをもって神の栄光を現わしなさい

この箇所だ。

「体をもって神の栄光を現わせ」とは、具体的に何をすればよいのか。

考えても時間の無駄であるから、早速英語訳を引いてみる。


For ye are bought with a price
therefore glorify God
in your body
and in your spirit
which are God's

glorify Godとは神の栄光を絶賛せよということ。

その次に何と書いてあるか。

in your body and in your spirit

とある。

日本語訳ではin your spiritが無視されている。

in (your) spiritという語句だが、日本語訳聖書ではしばしば無視される。彼らのオツムでは理解できないのだろう。

体とは肉+魂であるから、この聖句を言い換えると

同b
それ故
神の栄光を褒め称えよ
あなたがたの肉と魂において
あなたがたの霊において
それは神のもの

マルコ12章30節とみごとに共鳴している。






Coffee Break, #178

2018年04月17日 | コーヒーブレイク
ローマ10章18節
でも
こう尋ねましょう
はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか
むろん
そうではありません
その声は全地に響き渡り
そのことばは地の果てまで届いた

大変有名な聖句、詩篇19編4節からの引用だ。

検討しておきたいのは後半。

>その声は全地に響き渡り
>そのことばは地の果てまで届いた

それぞれの文頭にある「その」とは何を指しているのか。

英語訳で確認。

同b
their sound went into all the earth
and their words unto the ends of the world

この英語訳を見ると分かるように、両者の「その」はいずれもtheirと複数であることがわかる。

それぞれが何を指すのかについては、この箇所を見ているだけでは分からない。

そこで、実際に詩篇19編を見てみたい。

和訳を見ても問題は解決できないので、やはり英語訳が必要となる。

詩篇19:4
Their line is gone out through all the earth
and their words to the end of the world
In them hath he set a tabernacle for the sun

lineと訳された単語はqav(表音)で、意味は

qav:
From H6960 (compare H6961); a cord (as connecting), especially for measuring; figuratively a rule; also a rim, a musical string or accord: - line. Compare H6978.

cordすなわち弦、つまり波動。これに関する説明はすでに何度も聞いているはずだ。

wordsと訳された単語はmillâh(表音)で、意味は

millâh:
From H4448 (plural masculine as if from the second form); a word; collectively a discourse; figuratively a topic: -  + answer, by-word, matter, any thing (what) to say, to speak (-ing), speak, talking, word. 

つまり、ことば。日本語ではこの単語の複数がないのでうっとうしい。「ことばの数々」と表現するしかない。

この節の文意からすると、2つあるtheirは、同一物(または人物)でないかと類推される。

そこで、この指示代名詞が差している単語を上流にさかのぼって調べていくことにする。

1節から4節の間に登場する複数形の単語は1つしかないことはすぐに分かる。

1節にあるthe heavensだ。

恐らくこれで良いはずだ。

早速確認してみよう。

天々の弦(波動)は全地を貫通し
天々のことばの数々は世界の果てに到達した

これでよい。

天々とは、さまざまなエロヒムが存在する領域。




Coffee Break, #177 

2018年04月13日 | コーヒーブレイク
マタイ20章15節
自分のものを自分の思うようにしてはいけない
という法がありますか
それとも
私が気前がいいので
あなたの目にはねたましく思われるのですか


この訳も何かヘンだ。

黄金律の誤訳にどことなく似ている。

誰にでも分かるようにという偽善が背景にあるためではないか。

英語訳を見てみよう。


is it not lawful to me
to do what I will in mine own
is thine eye evil because I am good
(YLT)

自分の手持ちの中でしたいことをするのは
私にとって適法である
私は善であるがゆえに
あなたの目が悪なのだ

分かりやすくするために、反語は直接話法で訳出しておいた。

問題は後半部分。

>私が気前がいいので
>あなたの目にはねたましく思われるのですか

タガが緩んでしまった樽のような・・何とも言いようがない訳し方だ。

主イエスの主張はこうだ。

神は常に正であり義であるから、あなたの目が悪なのだ。

あなたがめくらだったら、不平不満を言うことはなかった。

あなたがいつ招かれたのか見えなかったからだ。

彼らがいつ招かれたのか知らなかったからだ。

あなたの目が見えなかったのなら、あなたは罪を犯すことはなかった。

ヨハネ9:41
イエスは彼らに言われた
もしあなたがたが盲目であったなら
あなたがたに罪はなかったでしょう
しかし
あなたがたは今
私たちは目が見える
と言っています
あなたがたの罪は残るのです

何時の時代でも宗教屋は選ばれることを自ら拒絶する。

天の御国において、悪い麦と良い麦の選別が行われる。
そして、天の御国において、良い麦は神の国へ凱旋する。



Coffee Break, #176

2018年04月13日 | コーヒーブレイク
マタイ20章16節
このように
あとの者が先になり
先の者があとになるものです


この「ぶどう園の労働者」のたとえにおいて、主イエスが言いたかったことが16節に書いてある。

実は、この聖句には異本が存在する。

英語訳を見てみよう。

マタイ20章16節
So the last shall be first
and the first last
for many be called
but few chosen

最後の2行、for many be called, but few chosenが日本語訳では欠落している。

邪本を使用しているためだ。

>招かれている者は多いが、選ばれている者は極めて少ない

極めて重要と思われるのだが、この日本語訳聖書では全く言及がされていない。

異本が存在することを無視したい理由があるのだろう。

こういうことではないか。

先に招かれた者たち、すなわち彼らのような宗教屋は選びの民ではない

後に招かれた者たち、すなわち知恵のないレムナントが選びの民であるということ。

修正:いない→極めて少ない


Coffee Break, #175

2018年04月09日 | コーヒーブレイク
箴言11:9
神を敬わない者は
その口によって
隣人を滅ぼそうとするが
正しい者は
知識によって
彼らを救おうとする

この訳、おかしくないか。

英語訳と比べてみる。


An hypocrite with his mouth
destroyeth his neighbour
through knowledge shall the just be delivered

偽善者は
おのれの口によって
隣人を破滅させる
正しい者は
知恵によって
救い出される

このインターリニア解析を見ても

また、他の英語訳を見ても、動詞は受動態であって、上の日本語訳のようにはならない。




Coffee Break, #174

2018年04月09日 | コーヒーブレイク
ローマ6章4節前半
私たちは
キリストの死にあずかるバプテスマによって
キリストとともに葬られたのです

前節と同様の誤訳箇所がある。

キリストの死にあずかる

ではない。

原典を確認する。

δια του βαπτισματος εις τον θανατον

その死の中へのバプテスマを通して

だ。

つまり

イエスキリストの死の中へとバプテスマされたことによって

ローマ6:4a
我々は
今や
キリストとともに葬られた
その死の中へとバプテスマされたことにより