ルカ10章6節
もしそこに平安の子がいたら
あなたがたの祈った平安は
その人の上にとどまります
だが、もしいないなら
その平安はあなたがたに返って来ます
平安ではなく、平安の子と書いてある。
原典を見ると、確かにο υιος ειρηνης(平安の子)とある。
正確には、平安の長子(長男、或いは息子)。
ところが、この日本語訳を見ると、3行目で「その子」ではなく、「その人」と訳している。平安の「子」を受ける代名詞なら、「その子」と訳出すべきではないか。
「その人」と訳された単語は代名詞αὐτός(3人称男性単数)で、ここでは対格αὐτὸνが使用されている。3人称男性単数だから、上のο υιος(男性名詞単数)の代名詞と考えたのだろう。
他方、その家の主人が信徒であり平安の子であるとする考え方もあろう。しかし、これは主の命令「この家に平安が在れ」と矛盾する。「この家に」であり、「この人に」ではない。
主は弟子たちに「この家に平安が在れ」と宣言するように指示した。宣言通りに、その家に平安の子が現出し、その家に平安が訪れる。
そう考えるのが自然ではないか。
平安の子とは、恐らく主ご自身のことだろう。主イエスの上に平安が留まる必要はない。その家(の上)に平安が在るのだ。
以上から、代名詞αὐτός(3人称男性単数代名詞)は、5節に出てくるοἶκος(家、男性名詞単数)を受けていると考える。
「あなたがたの祈った平安」ではなく、「あなたがたの平安」
平安を一方的に与えるのではなく、平安の子(主)を介して、平安をシェアする感覚だ。
もしそこに平安の子がいたら
あなたがたの祈った平安は
その人の上にとどまります
だが、もしいないなら
その平安はあなたがたに返って来ます
平安ではなく、平安の子と書いてある。
原典を見ると、確かにο υιος ειρηνης(平安の子)とある。
正確には、平安の長子(長男、或いは息子)。
ところが、この日本語訳を見ると、3行目で「その子」ではなく、「その人」と訳している。平安の「子」を受ける代名詞なら、「その子」と訳出すべきではないか。
「その人」と訳された単語は代名詞αὐτός(3人称男性単数)で、ここでは対格αὐτὸνが使用されている。3人称男性単数だから、上のο υιος(男性名詞単数)の代名詞と考えたのだろう。
他方、その家の主人が信徒であり平安の子であるとする考え方もあろう。しかし、これは主の命令「この家に平安が在れ」と矛盾する。「この家に」であり、「この人に」ではない。
主は弟子たちに「この家に平安が在れ」と宣言するように指示した。宣言通りに、その家に平安の子が現出し、その家に平安が訪れる。
そう考えるのが自然ではないか。
平安の子とは、恐らく主ご自身のことだろう。主イエスの上に平安が留まる必要はない。その家(の上)に平安が在るのだ。
以上から、代名詞αὐτός(3人称男性単数代名詞)は、5節に出てくるοἶκος(家、男性名詞単数)を受けていると考える。
「あなたがたの祈った平安」ではなく、「あなたがたの平安」
平安を一方的に与えるのではなく、平安の子(主)を介して、平安をシェアする感覚だ。