みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Some Further Distinctions, #3後半

2014年12月30日 | 聖書研究・信仰
神は、我々にさらに何かを与えようとする。

それは我々の行ないに関する問題を解決すること。

ローマ書各章の論理展開から読み取ることができる。

それぞれの章を読み解くと、第2段階は第1段階を土台としていることが分かる。

キリスト者の醍醐味はこの第2段階にある。

では、どのようにしてこの第2段階に至ることができるか。

まずは罪の赦し。

そして、聖化。

神との平安。

これらは基本中の基本だ。

これらのキリストにある信仰を経た後さらに進んで行くべき第2段階があるのだ。

我々が解き放たれるために。

*次のように変更:
(1行目)求める→与える、申し出る
(2行目)問題を解決するのは我々ではなく神

Some Further Distinctions, #3前半

2014年12月23日 | 聖書研究・信仰
ローマ書8章までの前半部(5章前半まで)では義に関する問題が述べられている。

ローマ3:24
神の恵みによって、ただで義とされている
キリストイエスにある贖いの故に

同3:25
イエスを、神は供え物にした
彼の血の中にある信仰を通して
彼の義を示すために
以前の罪々を過ぎ越すことによって

同3:26
神の忍耐の中で
彼の義の正しさを示すために
今やこの時に
彼の義を示すため
そして、イエスの信仰から出た義を示すため

同4:5
しかし、全く何もせず、信じている者に
不敬虔な者を義の上に
彼の信仰が義と見なされている

同4:25
彼は我々の過失の数々によって引き渡された
我々の義のためによみがえった

一方、ローマ書5章以降の後半部においては、聖化が主に語られている。

同6:19
あなたがたの肉の弱さ故に人間的に言う
汚れと不法ゆえに、不法へと至るために、あなたがたの体を奴隷とした
同様に、義ゆえに、聖化へと至るために、あなたがたの体を奴隷とした

同6:22
しかし、今や、あなたがたは罪から解き放たれ
神に隷属して
聖化に至る実を持っている
すなわち、永遠の命という最終を

我々は信仰による義という真実を確認した。

しかし、これだけではいまだ道半ば。

神の御前に立つということが如何なることなのかという疑問しか解決されていない。





Some Further Distinctions, #2

2014年12月21日 | 聖書研究・信仰
ローマ5章と8章で語られている平安とは。

血の上に立つ信仰の義によって得られる神との平安(ローマ書5章)。

ローマ5:1
今や信仰によって義とされたのだから
我々は、神との平安を持っている
我らの主イエスキリストを通して

罪赦された私にとって、神はもはや恐れや災いの原因となることはない。

ローマ5:10
しかし、もし、我々が敵でありながら、
神と和解しているとすれば
神の御子の死を通して
それとは比較にならないほど大きく
和解しているのだから
主の命の中にあって必ずや救われるであろう

そうは言いながらも、実は私自身の中に躓きとなる種があることが分かる。

心の内はいまだに不安だ。

私の中に罪へと引き込もうとする何かがある。

だから、神との平安がある一方で、内には平安がない。

心の中で戦いが起きている。

この心の状態については、ローマ書7章で論じられている。

私の中で、肉と霊が激しく闘争している。

しかし、ついには御霊とともに歩むという内なる平安へと導かれていく(8章)。

ローマ8:6
肉の思いは死であり
霊の思いは命と平安である。

ローマ8:7
何故なら、肉の思いは神に敵対し
神の律法に従わない
そうすることができない


Some Further Distinctions, #1

2014年12月14日 | 聖書研究・信仰
ローマ4章と6章で、パウロは復活に関する2つの特徴について宣べている。

主イエスの蘇りと我々の義認の関係については、ローマ4:25において。

ローマ4:25
主イエスは我々の罪のために死に渡され
我々の義のためによみがえった。
(直訳)

ここに、我々が神の御前でどのようにあるべきかが示されている。

一方、ローマ6:4には、次のように書かれている。

ローマ6:4
我々は、死の中に入るバプテスマによって
ともに葬られた
というのは、あたかもキリストが父の栄光によって
死者の中からよみがえったように
そのように、我々も命の新しきの中で歩むように
(直訳)

復活とは、聖なる歩みができるように我々に与えられた新しい命である。

というのは、あたかもキリストが死者の中からよみがえったように。

そのように、我々も命の新しきの中で歩むように。

我々が目指すところの行ないがここにある。



Chapter 2: The Cross of Christ

2014年12月07日 | 聖書研究・信仰
赦しのためには血が必要。

解放のためには十字架が必要。

(我々キリスト者はすでに赦されて、解放されてしまった。)