書道家Syuunの忘れ物

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ONKYO WAVIO PCIデジタルオーディオボード SE-200PCI LTD使用感ついて その2

2010-05-25 20:06:24 | PC・ハード・ソフト関係綴り
ONKYO WAVIO PCIデジタルオーディオボード SE-200PCI LTD使用感ついて その2

SE-200PCI LTDは、PCI スロット対応のPCIサウンドカードである。
最近マザーボードもPCIスロットも少なくなってきて、PCI Express対応のサウンドカードが出で生きているからその1で述べたように古い製品である。

それでもハイエンド製品の部類で中々新製品が少ないのは、サウンドカードというのはあまり注目されないものであろう。そして、この古い製品であるが故に安定している部分もあり、新しいOSにソフトが対応していないなどの時代遅れ感もある。
それは兎も角、先ずは取り付ける。
別にPCIバスコネクターに挿入するのは難しいことではない。
ただ、種々の部品が刺さっていると、干渉を起こさないように部品配列を変えてやらないと妙なことになりかねない。
Windows7であれば、取り付けてWindowsを起動さえさせれば自動的に認識するからたいした問題は起こらない。

PC構成‥‥いつも通りのこんなもの。
 CPU : Intel Core2Quad Q6600
[2.40GHz/L2 8MB/QuadCore/FSB1066]
MOTHER  : ASUS P5Q-E [Intel P45chipset + ICH10R]
MEMORY : A-DATA(IO DATA)4GB DDR2-SDRAM PC6400
[2GB*2枚]
HDD : Seagate ST3500320AS [500GB 7200rpm 32MB S-ATA2]
VGA : 【PCI-Express】HIS RADEON HD4670 IceQ DDR3 1GB H467QS1GH
Windows 7 32bit(エクスペリエンスインデックス5.9)

ドライバーは、添付CDで対応していないので、ネットからダウンロードして解凍。
これも指示通り。
デバイスマネージャーで「Envy24 Family Audio Controller WDM」を確認して、他のオンボードサウンドを総て「無効」にする。
これで完了。

さて、音を鳴らしてみる。
~~~と、「どかんと大きな割れる音」これは、PCスピーカーGX-70HDの音量が大きすぎる。
GX-70HDのボリュームを落とし、実際はBeatJamという音楽再生録音ソフトのボリュームで可変する。
音楽を聴く部分では、既にPCスピーカーGX-70HDの限界に来ていて、劇的に凄いとまでは行かなかったが、非常にクリアで明瞭な高音部は特質に値する。
そして、ASUS P5Q-Eのオンボードサウンドも結構性能は悪くないと実感させられるものであった。だから、安物の古いサウンドカードだとのオンボードサウンドとの差異はより少ないかもしれない。
まあ、音響用ケーブルとそうでない金メッキ端子ケーブルの差の様に、聞き比べなければ分からないと言うような差などではなく、明らかに分かるのはハイエンドのSE-200PCI。
そして、音楽ではなくDVDの映像を見ると、その効果音が全然違うのには今度は驚いた。一瞬シアタースピーカーで聞いているような感じがしたのである。
これは、PCスピーカーGX-70HDの限界を完全に超えていると言う気がする。
しかし、GX-70HDを上級のものに取り替えてどうするのかと言う部分もあって、我慢と言うところである。
さて、SE-200PCIシリーズでは、音量の調節が出来ない。
そのために、Windowsの音量ボリュームは無効となっている。
但し、WMP、Realplayer、BeatJamなどでは音量ボリュームを調節することが出来る。一方、CyberLinkのPowerDVDなどでは調節することが出来ない。
この辺は、直接PCスピーカーGX-70HDの音量ボリュームを使わなければならないので面倒でもある。
その他、添付のAudio Deckというソフトは、デジタル入力の時であって、RCAプラグによるアナログでは使うことが出来ない。
そして、SE-200PCIシリーズのために、仮想的にWMPなどの様に音量ボリュームをコントロールするソフトも開発されているが、現状では有効に作用するソフトはない。

いずにせよ、SE-200PCIは期待通りであったとも言えるし、システムを考える上では過剰のサウンドカードであったかも知れないと言う気がする。
またそのうちに、スピーカーを買い換えるか、プリメインアンプを買って手持ちのスピーカーで間に合わせるかと思えば、アンプを買った方が有効なのではないかと思うものである。
いずれにせよ、ソースが良ければ出口は何とかなるものである。

平和ボケした文化人、未だ非武装中立論のコメンテーターの惨状

2010-05-25 00:20:29 | 日記

平和ボケした文化人、未だ非武装中立論のコメンテーターの惨状

昨日、鳩山総理は「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設案」を沖縄に伝達したことにあたって、マスコミや反日文化人などが面白い反応をしめした。新聞の記事では、鳩山首相が自ら県外という反対世論を作り、今度はこれを消して廻ったという独り相撲のお粗末さを書いていた。
新聞社説では判で押したような通り一遍の記事が多いが、いわゆる左派人士の片鱗をこんなふうに見せている。
「首相が本当に語るべきは、沖縄の基地を将来的にどう減らしていくのかという構想と戦略である。それを示し、再度の努力を始めなければならない。」(朝日新聞社説2010/05/24)
一方、読売社説では「昨年末に首相が社民党の反対を押し切り、現行案での実施を決断していれば、その後の展開は全く違ったはずだ。致命的な判断ミスであり、首相の罪は重い。」
毎日社説でも「首相の方針は『5月末決着』の体裁を繕うものに過ぎない。最悪の事態である普天間の継続使用が現実味を増していることに気付くべきだ。」と断罪している。

産経新聞ではより詳しく「問題はこれらに加え、具体的な建設場所や工法が秋まで先送りされたことだ。日米両政府は辺野古移設を軸に共同文書を28日に発表し、協議を継続する。5月末までに決着すると国民に約束した首相は、責任を果たすべきだ。秋まで待つ理由はない。直ちに辺野古移設の実現に取り組むべきだ。」
単に時間の引き延ばしと「5月末決着」の体裁を繕うものとは毎日社説が看破している。

左派人士の文化人などの思考回路というのは、Syuunなどには中々わかりにくいところがある。例えば、週刊朝日編集長の某氏などは、「なぜ沖縄に基地がなくてはならないのか解らない、明確な回答がどこからも聞かれなかった」と子どもが駄々をこねるように言っていた。その某氏も「地勢学的なもの」、沖縄の位置というものに言及しているが、それでも分からないと言う。
それならば、どういうふうに安全保障を構築すればよいのかぐらい言えばよいのに、所詮非武装中立論か単なる反米ぐらいでしかない。
それだと何も思い浮かばないか、考えまいとしている駄々っ子である。
そして、2010/05/24文化放送では大竹まこと氏、と阿川佐和子氏が沖縄問題について語っていたもののいわゆる理想論を言うものの、最終的には安全保障としてどうするのかと言う事を言わない。
そして、沖縄の米軍基地に対して言外に不要と言っているのである。そして、沖縄問題は戦後65年とか言っていたが沖縄返還から65年は経っていない。
しかも、こういう左派人士は、朝鮮戦争はまだ終わっていないのだということをわざと無視している浅はかさがある。
又、阿川佐和子氏に至っては、軍事、法律知識ゼロで、何やら米軍が基地外で事件を起こしたら日本の法律を適用すべきと言う類のことをいっていた。
しかし、米国軍隊が米国の一般の法律の制限を受けないのに、日本の法律の制限を受けるはずがないのは当たり前である。
日本の憲法の下にある自衛隊が、災害活動の帰りには高速道路料金を自ら払うとか、緊急の場合にも銃を使うには、警察官と同じ職務執行法を使うとかあるのは軍隊ではないからである。
軍人には、憲法下の一般法規は適用されず軍法に従う、そしてそうでなければ軍隊というのは軍隊の体をなさない。

いずれにせよ、先週大竹まこと氏が出演しなかったためか、思いっきり逆噴射しまくりだった。
(安全保障に関して)「米軍基地と言うものを一から考え直して‥‥」とは、彼ら左派人士の常套句だが、もしそうであるならばGHQ・MacArthurの時代から考え直さなければならないのではないか。
なぜなら、占領下の日本において沖縄の軍事基地化は決まっていて、当時の吉田茂首相は米軍基地は沖縄だけにして、非武装の日本にしようとした。
そして、それはMacArthurが次期大統領に就任することによって固定化する筈であった。
しかし、朝鮮戦争が勃発してMacArthurは非武装の無謀さを実感すると共に、半島国家という朝鮮の難しさも実感したはずである。
それが故に、警察予備隊を作った。その上MacArthurが共和党の大統領候補にならず、解任される事態となって吉田茂首相の構想は崩れたのである。
‥‥とすれば、「米軍基地と言うものを一から考え直して‥‥」というのは、文字通り憲法を改正して、軍隊を創設し米軍の代わりに自主防衛するという事になる。

渡部昇一「日本の歴史」〈7〉戦後篇―「戦後」混迷の時代に
裸の総理たち32人の正体

軍隊のいない国家などは、非常識であるというのは当時も今も変わっていない。
しかし、「米軍基地と言うものを一か‥‥」という人達というのは、未だに非武装中立論という夢物語にもならない非現実を言論上夢見るドンキホーテでしかない。
そして、現実には例のピースボートが自衛艦の派遣に反対していながら、海賊船に対する自衛艦の護衛を要請するというような言行一致が常にある。
だから、いざ危険となった時は自らの身体を張って国民を守るのではなく、良く映画に出で来るように、安全地帯に隠れて「俺を守れ」と言う人物に違いない。