書道家Syuunの忘れ物

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くらたま・倉田真由美・NHK経営委員人事案を考察する。

2010-05-20 22:28:29 | 読み解けば‥‥
くらたま・倉田真由美・NHK経営委員人事案を考察する。

週刊文春で「NHK経営委員」の資格はあるのかと報道された
この記事は、報知新聞にも転載されて書かれているから大筋は知られていることだろう。
要約すれば、夫君の叶井俊太郎氏が前妻と別れるにあたって、債権者が来るからと形式離婚したことである。
それをよいことに離婚後も同居していた叶井俊太郎氏が、前妻と別居して倉田氏に乗り換えたと言うわけである。(略奪婚と書かれている。)
その前妻にも生後9ヶ月の男の子がいたと言うし、倉田氏は叶井俊太郎氏の離婚から8ヶ月後に出産しているという。詳しくは、週刊誌参照(汚すぎる『略奪婚』の手口)。
そんなわけで、倉田真由美氏の「できちゃった婚」だとか、種々諸々(もろもろ)の美談として話されていることはどうも怪しいと言う事になる。

そして、そんな世間一般的にはどうかなと言う人物が、NHKの最高意志決定機関「NHK経営委員」候補とはと言っているのである。
こういうブラックユーモアはだしなのは、今の民主党の体質の様なもので、党首の鳩山首相以下同様である。
そして、週刊文春では小沢代表や民主党と近いと書かれているのだか、文化放送にも時々出演する人物でもある。
この文化放送は、民主党の応援団であり、社民党の意見を良しとして福島みずほ党首をコメンテーターとしているほどの極左放送局であることは以前から述べている。
そして、ここでの放送で倉田真由美氏はとんでも発言を繰り返しているのである。

そんな妙な発言(2009年9月)を別の記事から採録しておくと
「新政権への注文」という、日経ネットPlus (ニュース交差点)で 「バラ色にも黒色にもなる『真っ白内閣』」題して今度の民主党内閣に過大な期待感を寄せている。

■「新鮮さを感じる閣僚の顔ぶれ」で倉田真由美氏は、「麻生太郎前首相は言動から尊大な印象を受けた。鳩山由紀夫首相はお金持ちの家系だが尊大な印象はない。」
■子育て支援、保育園整備も忘れずに
「私は12月上旬に第2子を出産する予定で、鳩山内閣には特に子育て支援・教育の政策に期待している。」
「子ども手当(月額2万6000円、2010年度は半額の予定)はありがたい政策だ。同時に待機児童の多い保育園整備にも力を入れて欲しい。お金に余裕があればベビーシッターを頼めるが、庶民には払えない。知り合いの母親の中には、保育園の空きがないため、子どもを預けられず、仕事をあきらめる人もいる。」

註・倉田真由美氏は、「社長を務める漫画制作会社『(有)たまくら』(東京都新宿区)が東京国税局の税務調査で、2005年4月期までの3年間に約1800万円の所得隠しを指摘され重加算税を含めた追徴税額は約600万円と報道された。(同上)」と言うくらいのお金持ちで、しかも自分の子供は親任せの独身生活。

「同じ少子化担当相でも麻生内閣の小渕優子さんと、福島瑞穂さんではかなり印象が違う。小渕さんは小渕恵三元首相の娘さんでお金もあり、お嬢様の印象だ。福島さんは庶民感覚を持ち、我々の肌感覚に近い政策を実現してくれると期待している。」

さて、ここで少し突っ込みを入れると、倉田真由美が出産したのは11月上旬で1ヶ月早く、12月上旬というのは嘘。
福島みずほ大臣が、庶民感覚を持っているとは今の時期、誰も思わないであろう事は間違いない。それに1億円以上の現金を持っているお金持ちだし。
そして、鳩山総理への勘違いは別に言うべくもない。

こんな先も見えないし、物事の善悪も付かないように人物、民主党に対しては応援団かも知れないが、国民の視点から見れば冗談じゃないよと言う人物だろう。

佐伯啓思・「保守」が「戦後」を超克するすべはあるのか・を読む 5

2010-05-20 12:30:20 | 映画、書評など
佐伯啓思・「保守」が「戦後」を超克するすべはあるのか・を読む 5

雑誌正論6月号、「佐伯啓思・『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」という記事がある。寄稿しているのは、京都大学大学院教授・佐伯啓思先生。
冒頭の中見出しは、「『保守』という立場の困難さ」で、前回4までで佐伯啓思流の保守の定義を堂々巡りで紹介してきた。
佐伯啓思の保守の定義とは何かというのが、結局単なる状況説明に終始してますます漠然として結論得ないうちに、はぐらかされたという気分がしている。
そして、今度は
「『保守の精神』とは何か」と副題をだしている。
読む方としては、一応の結論のように5ページも費やしたのにまたも元に戻って、「保守の精神」という。実際何を考えているのかと思えば「保守」という言葉とその保守主義に反発しているしか思えないのである。
そこで述べようとしているのは、先ず歴史的な(英国)エドモンド・バークの思想を紹介する。バークの「反大革命(フランス革命)」に対する反発として、バークの思想は「進歩主義」への批判としていると言うことから始めて、的外れな「保守の精神」を説明している。そして続く説明はこの保守の精神が絡む日本の歴史というものに言及する。
ここで説明するのは、前の5ページで述べたような単純には「反共が保守の意味」と見なされたと元の説明に戻る。
次には、米国の進歩主義を論じ、「もっとも警戒すべきはアメリカ流の『進歩主義』」と主張する。そしてその保守主義は『本来のイギリス流の保守主義』とはかなり異なっている。」として、米英の保守主義の違いをアメリカ独立戦争の精神への帰結に由来するとする。
要するに、「アメリカの建国にはすでに『進歩主義』の理念が色濃く刻印されており、この精神に立ち戻るという‥‥」延々と説明する。

感想として言えば、佐伯啓思先生の保守精神というのは、何かずれている。そして、思うのは状況説明なのかその言葉を定義しているかさっぱり分からない事である。
それどころが、一旦説明したことをもう一度ひっくり返して議論をやり直すという文章で、兎に角、統一性がない。
そして、また元の戻って、日本の保守主義の説明は、
GHQの占領下にあったために
アメリカ流の保守主義をいわゆる『保守』とみなした。しかも冷戦体制下でアメリカ側につくことが『保守』の役割とみなされた。
さあ、ここでまた佐伯啓思先生は、自己の世界の弁護が始まった。
ここで述べられていることも、前項目で述べられていたことの蒸し返し。
次に一転して、日本の保守に関して述べ出す。
大上段に振りかぶったのは「日本とは何か」と言い、日本の歴史観などを述べるかと思えばそうではない。
そして、その問いかけに対してこう述べるの留まる。
この問いに対してあまりに単純で明快な答えを与えることは出来ないし、そうすべきでもない。
そうであるならば、今まで延々と述べてきた「保守論」とは何だったのかである。
続けて言い訳のように書く
しかし、そのような問いを発することなくして『日本の保守的精神』を唱えることはできないのである。
結局、佐伯啓思先生は、9ページも使って保守を定義できなかった。
論点はまだ少し続くが、保守の論点をこんな程度にしか説明出来ないと言うのは、やはり日本の知識人というのは何か抜けている。
簡単に言えば、生活感がない。
佐伯啓思先生は、米国の保守には「進歩主義」が入っていて、この進歩主義の倒錯が「イラク戦争や対テロ戦争を立案した『ネオコン(新保守主義)』の論理であった。」と主張する。
そうは言うものの、米国で常に変わらないものは何か考えたことがあるのかと問いたい。
その問いに答えることかできなければ、米国を単なる進歩主義の国と決めつけることはできないだろう。
確かに、米国はイギリスから独立した。これを「英国伝統的国家体制への反逆であり、王権の国から分離独立であることに留意すれば‥‥」と述べるが、そんな独立戦争時代の思想というものはWASPまでのこと。
しかも、その独立戦争を支援したのが、フランス絶対王政のブルボン王朝ルイ16世であり、そのフランスの海軍力その他の助力がなくて独立戦争は勝ち得なかった。
アメリカにフランスが送った自由の女神像は、ダテに建っているのではないことを思うべきである。

そして、まだまだ堂々巡りの保守議論は続く。
宜い加減にしてよね。

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