書道家Syuunの忘れ物

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検察は所詮官僚だった・小沢氏爆速・再不起訴

2010-05-22 10:41:01 | 日記
検察は所詮官僚だった・小沢氏爆速・再不起訴

今日の読売新聞朝刊第1面は、「小沢再不起訴」だった。社説では「小沢氏再不起訴 最終判断は検察審の第2幕に(5月22日付・読売社説)Web」
実際の読売社説ではあまり多くを語っていないものの、国民の目線で見れば検察は自己保身を優先したと感じるのではないか。なぜなら、再不起訴が早すぎる。
こんなに早いのは、何もしなかった、する気もなかったと言うことで検察は「俺は知らないよ、知ったものか」と言うのも同じである。
この検察審査会との差というのが、国民と検察という所詮行政組織としての不信感の現れである。
この一種の事なかれ主義というのが、今の官僚組織の検察組織まで蔓延しているというのではないか。
それに対してこんな記事があった。

「被害者たちが激怒! 銀座レーシック事件は受け付けすらせず─許されざる検察の怠慢」
(週刊朝日 2010年05月21日号配信掲載) 2010年5月12日(水)配信」
と言う記事がある。
それによれば、「警視庁は09年7月、捜査を本格化させ、業務上過失致死の疑いで医師らを書類送検しようとした。」裁判で、
立証か難しそうな事件だと明らかなものでも起訴を引き延ばし、結局不起訴にした例があるという。
しかも「今年3月下旬になって不起訴と決定。その直後、担当検事は転任し、4月にこの事件は時効を迎えてしまった。」

その他に種々の記事があり起訴が遅い理由にこう書かれている。
「業務上過失致死事件などはそもそも判定が難しい。そこに持ってきて、資力のある医師や有名企業が絡む場合、被告側はたくさんの弁護士を立てて争うケースが少なくない。となると、裁判が大変だし、無罪になる可能性もある」

「書類送検しようとしても地検がなかなか受理しない、受理しても起訴しない理由は、検事の自己保身に尽きます。社会正義の実現や公益性、厳密な法の執行などではありません」

「示談成立を待って不起訴にしてしまう事件どころか、検事が主導し、被害者を説得してまで不起訴にしてしまう事件すらある」

「役人の無謬性が何と言っても原因でしょう。自分の起訴事件が無罪になったりもめたりすると、評価に傷がつく。地検検事の憧れの的である特捜部は事件の実績を見て抜擢されるが、さらに特捜部に移ってからもS、A、B、C、Dと5段階で評価・査定されるのです。こうしたことを承知しているので、自分の査定にマイナスになることを極端に恐れ、難しい事件は受けない、先延ばしにするといった無責任な事件処理へとつながるわけです」

こんな風な記事を見ると、「小沢再不起訴」など既定の事実だと良く分かる。
なぜなら、裁判をやっても面倒であるし、事件にならない可能性もある。その上現在の権力者の上に、もめると自己の評定が下がると言うものである。
簡単に言えば、出世に響くというものだ。
それで、検察審査会でやってもらえば、「関係ないよ」で逃げ切ることができると言うところだろう。
しかし、こんなことでは民主主義が泣く。

毎日新聞には「◇「起訴相当」11人、7月末全員交代…検察審査員」として、
こんな記事がある。
「検察審査会は一般市民から選ばれた11人で構成され、その任期は半年で、約半数が3カ月ごとに入れ替わる。4月27日に全員一致で小沢氏を起訴相当とした東京第5検察審査会は5月1日で6人が交代し、5人が残った。
 同審査会は第2段階の審査に入るが、残る5人の任期が切れる7月末までに議決すれば5人は判断を維持する可能性が高く、その場合は新任6人のうち3人の同調で小沢氏は強制起訴される。議決が8月以降なら前回の議決に加わった審査員はいなくなるため、議決の時期も注目される。」
そして、最後に「幹部は『法律の原則を曲げることはできない』と語った。『市民』と『プロ』の溝を埋めるために、政治家本人の責任を問いやすい法改正が必要かどうか、議論が求められる。」と書かれている。

実際、昔ヤメ検の弁護士に相談に行ったことがあった。
ヤメ検の弁護士と言ってもナコードだからそれなりなのだが、法律問題になると中々妙なところに庶民感覚と違うと感じさせられるものがあった。