子供のころに良く聞かされた言葉に、「馬耳東風」とか、ちょっと意味は違いますが良く似た言葉に、「馬の耳に念仏」、「ぬかに釘」、「豆腐に鎹」などがありました。
我が先人は、素晴らしい言葉を残してくれていましたが、今や、消滅の危機ではないでしょうか。もったいないですね。子供に英語を習わせている場合じゃなさそうな気がします。
やはり、この素晴らしい言葉を、世界の共通後にすべきです。その方が、英語を覚えるより余程世界平和に貢献するのじゃないでしょうか。
そんな「馬耳東風」をねずさんが取り上げてくれています。これが、昨日取り上げた青山さんの「官僚の都合による現場」や今日の「海外慰安婦プロパガンダに対する民間防衛の実践」にも繋がる素晴らしい話です。
何時ものように、全文をリンク元で読んでください。
ねずさんと学ぶシラス国の物語より 2017年02月04日
馬耳東風 川井東村
川井東村(かわい とうそん)は、裕福な家に生まれ、生活に何も困らず、親から受け継いだ財産と商いで、何不自由なく暮らすことができました。
ところが東村は、齢50歳を過ぎて、自らはるか年下の山崎闇斎に師事し、これによって学問を身につけ、後世に名を遺しました。
東村は、当然それなりの教育はあったのです。
けれど、その教育と思っていたことが、実は、まるで底の浅いものであったことに気付いたのです。…中略
議論はとても大切なことです。
けれど、議論の前に、両者に共通して何が大事なのか、何を求めているのかという共通項がちゃんと定まっているのでなければ、議論をする意味がないということを東村は教えてくれています。
よくある話に、中共や韓国との歴史認識のための有識者会議なるものが企画され、実施されることがあります。
お互いに、ただ言い張っているだけ。
ただ自分の言い分を述べあっているだけ。
それで大激論になったとして、何が結論になるのでしょうか。
出席する中韓の学者の立場は、国もとにある特定の人の利益のための代理人です。
実際の歴史がどのようであったかは、何の関係もない。
歴史認識で日本に譲歩を求め、日本が譲歩すれば勝ちです。
彼らはそのためにその場に出席しています。
日本人にとっての歴史認識は、過去にどのような事実があったのかを冷静に知ることにあります。
それは、民衆の幸せに何が大事なのかを、過去の歴史をもとに紐解こうとするためのものです。
土台となる立地点が違うのです。
何月何日何時何分に南京で何があったかといった議論は、両者ともに、ただ、それらの目的を達成するというための、これはいわば枝葉末節です。
議論の土台となる前提として、両者が何を得ようとしているのか、そこが定まっていないのに、ただ目先の問題で議論しても、うまくいくはずがないのです。
だから多数決で、最後は、数の多い側の議論で押し切ろうというのが、いわゆる多数決型議会制民主主義です。
けれど、基本となる立場の違いについてが、おざなりになっているのですから、多数決で押し切られた側には禍根が残ります。
こうして政治の世界は、ねたみ、うらみ、そねみ、足の引っ張り合いの巣窟となります。
はたして、それが民衆にとって本当に求められる政治の姿なのであろうか、ということを、川井東村の行動は考えさせてくれます。
次元の低い議論は、馬耳東風で構わないのです。
それがススやゴミなら、掃いて捨てるだけです。
掃除をしなければ、国が汚れるのです。
それだけの高みを、私たちの国は築いてきたのです。
そのことを、私たちはいまいちどしっかりと踏まえる必要があるのだと思います。
まずは、日本人が消された歴史を知り、その素晴らしさを世界に広報するべきです。世界の人達は、こんな凄い世界が存在したことを知らないのです。
つまりは、こんな素晴らしい文化を持った国から歴史を取り上げようとした自分達の罪に気が付き恥じ入るのじゃないでしょうか。
そうなれば、世界は自ずから静かになるのじゃないでしょうか。
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