団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★石平『朝鮮通信使の真実』

2019年11月10日 | 韓国

  日本人の多くが未だに騙されている朝鮮通信使 は、10月16日、第2318回の「★朝鮮通信使と日本」などで、取り上げたようにネットでは従来の日本に文化を教えてくれたなどの嘘はバレてしまっています。
  ところがネットをやらない人は未だに信じているようです。それが証拠にあちこちで朝鮮通信使 に関わるイベントが開かれたり、世界遺産への登録等が仕組まれているようです。

  そんなとき、石平さんが『朝鮮通信使の真実』を出版してくれたようです。

  何時もの宮崎さんが書評で紹介してくれています。これを読んで多くの人が目を覚ましてくれることを期待したいものです。
  面白いのは、朝鮮は12回も来たのに日本は一度も行っていないのが信実を現しているということです。言われてみればその通りですね。

 宮崎正弘 の国際 ニュース・ 早読みより  令和元年(2019)11月4日(月曜日) 通巻第6261号

  書評

 韓国人が 屈辱を晴らすには「阿Q」のような精神的勝利を求めるか
  劣等感と屈辱の裏返しを、日本を禽獣と喩え罵詈雑言をはいて自己満足するか

  石平『朝鮮通信使の真実』(ワック)

 毎回、新分野に挑戦しながらも、日本人の思考範囲になかった視点から、斬新な解釈を提示する著者、いまや「石歴史学」を構 築しつつある。
 最近作は朝鮮通信使の、目が醒めるような解釈である。
 副題が「江戸から現代まで続く侮日・反日の原点」となっていて、この副題は本書の内容の一部に過ぎない。要するに結論は 「あの国とはかかわるな」である。
 さはさりながら、戦後の歴史教科書が教えるところの朝鮮通信使とは、豊臣秀吉がなした「侵略」に対して江戸幕府の懺悔、謝 罪のために朝鮮通信使を厚遇したことになっている。そんな解釈をするのも、日本人特有の自虐史観のなせる業だ。
 秀吉の朝鮮半島進出が「侵略」であったわけだから、日本は謝罪し、賠償金を払っても当然という錯誤した歴史解釈を日本の左 翼と韓国の「学者」が共有している。倒錯した史観、というより戦後「創作」された出鱈目である。

 ここで評者(宮?)は繰り返す意図はなかったけれども、秀吉の朝鮮進出は切支丹伴天連の日本侵略を予防する自衛の戦争だっ た。米国の戦略用語でいう「プリエンプティブ・ストライク」(予防的先制攻撃)だった。
イエズス会は今日の定義で云えば「IS軍」であり、宣教師は仮の姿であって、侵略の可能性を探るために派遣されてきた先鋭偵 察隊という側面がある(評者の『明智光秀 五百年の孤独』<徳間書店>を参照)。
 そのキリスト軍団が日本侵略の拠点化としてシナを植民地化しようとするなら、その前に先制攻撃をかけることは軍事学、地政 学の常識だろう。

 さて朝鮮通信使の謎を解く鍵は、第一に徳川幕府の政治的意図、第二は朝鮮側の自主的な意思、そして背後にちらつく中国の思 惑と、その評価ということになろうか。
 第一回の朝鮮通信使派遣は、1607年、つまり家康が天下を取って征夷大将軍となってから、僅か四年後だった。しかも使節 は日本に謝罪を求めるのではなく、朝貢が目的だった。江戸幕府に臣下の礼をとりにきたのだ。
 記録を何度読み返しても、朝鮮が大型使節団の派遣に踏み切り、「四拝半」という臣下の礼をとっての朝貢だったことは明らか である。
これを戦後、歴史教育は教えず、左翼学者は意図的に無視した。かれらは都合の悪いところは常に隠すか無視するのだ。
 要するに朝鮮が江戸幕府のご機嫌をとる必要性があった。合計十二回もやってきたが、なかには屈辱的(使節側からみれば)に 日光東照宮への参拝を要請され、従った。
もっとも注目するべきは朝鮮側が通信使を十二回派遣したが、「日本側は朝鮮に使節団を派遣したことは一度もない」という動か ない事実である。
日本にやってきたのは当時の朝鮮の知識人達だったから、その屈辱の鬱憤を晴らすために、日本の印象を悪くする報告を書き上げ た。

ところが、彼らが日本で目撃したのはモノに溢れ、庶民の生活が豊かであり、礼儀正しく、清潔で、そして文明が高いという衝撃 だった。ますますかれらの屈辱的劣等意識は沈殿していく。居場所がない。
 そのうえ、朝貢にくる使節団を江戸幕府は冷遇せず、高飛車にも出ず、日本は「おもてなし」に徹した。
 「当時の江戸幕府と幕府の命令を受けて通信使の接待にあたって沿道の諸大名は、むしろ財力と誠意の限りを尽くしてかれらを 最高級の賓客としてもてなした」のである。お人好しニッポンの面目躍如だろう。
 にもかかわらず、負い目を逆転して自分たちのほうを高みに置くために、通信使らは、日本の知識人の詩歌が稚拙であり、教養 が足りないとか、字が汚いとか、林羅山は教養が劣るとか、そう報告することによって精神的な高低を自らが採点し、自分らを高 みに置かなければ屈辱を晴らせないという強迫観念に取り憑かれざるを得なかったのだ。 
 目から鱗が続いて落ちた。

  この頃の日本人のお人好しと民度の高さは現代とは雲泥の差がありそうですね。それでも感謝どころか妬みのかたまりのような性質は変わっていないのでしょう。やはり、何があっても未来永劫付き合わないことこそが日本の取るべき道でしょう。
  お人好しの平和ボケが未だに付き合いたがっているようですが、これは禁物です。


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