団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★航空戦艦伊勢と日向の物語

2022年08月10日 | 誇れる日本

 ねずさんの軍艦などの話は人間を語る以上に魂が篭もっています。これこそが全てに神を見る日本の骨頂なのじゃないでしょうか。
  雪風やこの伊勢・日向の話は読んでいても人としてみなしているのに気がつきます。

  これが、日本と世界の差でしょうか。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/08/04
  
  航空戦艦伊勢と 日向の物語

  ・・・略

 そして日本海軍華やかりし頃には、使い物にならない船として、練習艦にしかされなかった二艦が、ミッドウエーの敗戦後、戦 況厳しくなったなかで、誰よりも活躍し、最後の最後まで抵抗する要(かなめ)の艦となり、そして最後まで抵抗して、日本海軍 最後の主砲を放ち、沈黙しました。それはまるで、日本神話の物語そのものを見ているような生涯でした。「伊勢」も「日向」 も、後世に生きる私たちの目から見て、実に「かっこいい」生涯でした。

 私は、神々というのは、やはり本当におわすものだと感じています。なぜなら、我が国に「果たして神々はおいでになるのか」 と疑問に思えるほどに世の中が荒れても、後になって歴史を振り返れば、なるほど、そういう意味があったのかと、納得させられ るものが歴史の中にあるからです。

 たとえば663年の白村江の戦いで、日本は大敗しました。ところがこのことが原因となって、日本は万世の泰平を開く国家の 統一と「おほみたから」を育むための都機能の充実と、国家統一の精神性の基となる古事記などの史書の編纂が行われました。実 に、いまの日本があるのは、この戦いがあってのことでした。

 また平安末期から鎌倉初期にかけて、それまでの平和の日々がまるでうそのような内乱の日々が続きました。当時のご皇族や 諸々の貴族たちはこれをたいへんに嘆き、その結果生まれたのが、百人一首です。けれどその内乱があり、日本の武士たちが合戦 馴れしていったことによって、日本は蒙古襲来を跳ね返しています。ユーラシア大陸を制した蒙古の大軍を打ち払うことができた のは、当時の世界にあって日本だけでした。

 戦国時代には、まさに群雄割拠で国内がおおいに乱れましたが、このとき世界では、まさにスペイン・ポルトガルによる有色人 種国の植民地支配と文化の破壊が徹底的に推し進められていました。日本は、戦国大名たちが戦(いくさ)慣れしていることで、 まさに、この世界を制した二大勢力を追い払い、江戸300年の泰平の世を築いています。

 幕末の黒船来航以降、日本国内はおおいに乱れました。その乱れは、実はいまでも続いています。明治初年以降、今年で145 年になりますが、その間、いわゆる不平等条約による差別が日本になかった時代は、1911年から1922年までのわずか11 年間だけです。日本はいまも不平等条約下にあります。少し前までの日米航空協定も不平等条約でしたし、EUとの関係において も日本で重大犯罪を犯した者であっても、EUに逃げ込めば治外法権が適用されます。
日本は主権国であるようでいて、実は全然主権国ではないのです。

 白村江にしても、元寇にしても、戦国にしても、混乱の原因となる事件等が生じてから、安定する状態になるまで、いずれもお よそ200年前後を要しています。たとえば戦国時代の始まりは1467年の応仁の乱ですが、徳川政権となり、鎖国が実施さ れ、蝦夷の大規模反乱も抑えられて、国内が完全に平和な状態になるのは1670年頃のことです。

 人が病気になって入院することは、パソコンやスマホのりスタと同じで、魂がリスタをしようとしていることによるのだという 説があります。国もひとつの人と例えるならば、混乱(=病気)は、何かのリスタを神々が図ろうとしている、つまり様々なアプ リがメモリを占拠して動作不良になっている状態を、いちど整理してきれいにすることで、また軽やかな状態に戻そうとしている のだ、とも考えられます。

 先の大戦も、こんにちの戦いも、明治以降の日本の歪みを正そうとする神々の試練ではないか、という人がいます。「伊勢」と 「日向」の名を与えられた船が、使いものにならないとされながら、結局この二艦が、あまりにも目覚ましい活躍をしたこと。そ れは私たちが今、ダメだ、古臭い、つかいものにならないなどと思っていることが、実は、本当はいちばん大切なことなのだとい うことを、神々が私たちに教えてくれようとしているのではないか、そんな気がします。



  日本はやはり八百万の神々に導かれているのでしょうか。そう思いたい。


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