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★安倍元首相の暗殺は暗黒時代の到来なのか?

2022年09月21日 | 政治の崩壊

 安倍総理の暗殺のタイミングで総理暗殺という本が出たようです。歴代の総理の暗殺を取り上げたもののようです。

  宮崎さんが書評で取り上げてくれています。何と、その殆どが狙いとは逆の結果になっているそうです。伊藤博文の暗殺はその典型的な例じゃないでしょう。
  日刊併合が日本に齎した損失は余りにも大きい。日本最大の失政と言っても間違いないのじゃないでしょうか。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和四年(2022)9月14日(水曜日) 通巻第7462号 
  
  書評

 安倍元首相の暗殺は暗黒時代の到来なのか?
   日本史を動かした暗殺、暗殺未遂事件の数々

 大橋治雄『総理暗殺』(並木書房)

 絶妙のタイミングで、絶妙な題名を関した歴史比較本がでた。
 対象は「総理」だから、大久保利通暗殺が嚆矢、ハルビン駅頭で銃殺の伊藤博文と続くが、総理以外にも事例は及び、未遂事件も本書では含める。その代表例が板垣退助、大隈重信等となる。戦後は岸信介、ライシャワー大使。。。。

 基本にあるのは、政治家を狙ったテロ事件が、如何にその後の政治の方向を変えたかであり、むしろ逆の政治効果をもたらしたケースが多い。政治の本質はゲバルト、それは戦争、内乱ならびにテロである。
 乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足は蘇我氏宗家を滅ぼしたが、仏教の興隆はかえって盛んにとなった。

 壬申の乱がおそらく目的(シナ派の排撃)を果たした唯一のクーデタだろうが、本能寺の変(信長暗殺)も、光秀が理想として国づくりは秀吉に簒奪された。
 幕末は天誅の暴風が吹き荒れ、テロは日常茶飯、坂本龍馬、伊東甲子太郎、清河八郎らが暗殺された。
 戊辰戦争で徳川幕府を倒壊させた維新政府もテロ、暗殺の脅威に直面していた。以上のべた暗殺ならびに暗殺未遂事件は本書では扱われていない。

 大久保暗殺の前年、新政府の近代化路線に対峙した西南戦争があった。佐賀の乱、萩の乱、神風連、秋月の乱が導火線となって、西洋化の波に対抗し、国風の 恢復を目標とした動乱の集大成が西郷さんの蹶起だった。西南戦争で熊本鎮台の襲撃、田原坂から人吉への撤退。そのご砂土原、延岡と逃避行が続き、可愛岳か ら城山へのコースをたどる。

 西郷さんを担いで桐野利秋が企てた未曾有の内戦だったというのは評者(宮崎)の分析だが、この内戦の結果は寧ろ近代化・西洋化を早めた。
大隈重信暗殺未遂では条約改正が遠のき、伊藤博文暗殺はかえって日韓併合を加速させるという結果を導いた。

 世界に眼を転じてもシーザーはブルータスに殺されている。爾来、政治と暗殺は付きもの。現代人が目撃しただけでもJFK、インディラ・ガンジー、ラジブ、アキノ、ラビン、カダフィと挙げれば際限がない。
 そして7月8日、安部元首相は奈良西大寺駅頭で撃たれた。
 評者は、この悲劇を日本武尊に喩え、増上寺からの葬列が途中で雨に見舞われたことを「古代の神々の涙だった」と比喩した。

 さて本書は近代史における暗殺を扱っているなかで、日本の嚆矢を大化の改新としているが、神話時代に遡って、暗殺がつきものであった。
 伊弉諾が黄泉国へ伊弉冉を見舞って正体をみたとき、伊弉冉は怒り、伊弉諾暗殺隊を派遣した。これが最初の暗殺未遂。やがて天孫降臨の場所を探す先遣隊も弓で暗殺され、スサノオが流れ着いた出雲を治めることになる大国主命は、兄たちに何回も暗殺されそうになる。

 神代はともかく、人代となるや、初代カムヤマトイワレビコこと神武天皇は東征にでて難波でナガスネヒコの迎撃に遭って敗退。兄のイツセは戦死した。苦戦 の果てに吉野を超えて飛鳥の地にはいるや、またもナガスネヒコが待ち受けていた。当時の葛城王朝は、余所者を排除した。 
 ナガスネヒコは先に天孫降臨したニギハヤヒの女婿であり、神武天皇とは妥協しなかったため、ついにニギハヤヒの子、ウマシマジに誅せられた。
 その神武が崩御し、綏靖天皇が皇統を継ぐが、神武天皇が日向時代になした子(手研耳命)が綏靖暗殺を企てて暗殺を謀ろうとしたのだが、返り討ちとなる。
 欠史八代を飛ばして、第十代崇峻天皇の時代、派遣軍をタケハニヤスヒコ(武埴安彦)が待ち伏せしており、やはりかえり討ちにあった。

 ヤマトタケルは兄を残酷な方法で殺め、その残虐性を懼れた父・景行天皇の命で熊襲、イズモタケルを『暗殺』し、凱旋する。
つぎに西征を命じられた。駿河国造のヤマトタケル暗殺未遂は草薙の剣で切り抜けた。 常陸から甲斐、そして尾張へ戻り、次に伊吹山の妖怪退治、ヤマトタケ ルは、迂闊にも剣を新妻のもとに置いてでかけたので深手を負って、鈴鹿あたりでみまかって白鳥となって古市へ帰ったと伝承される。しかし真相は拙著『葬ら れた日本史』(宝島社文庫)で書いたように伊吹山の豪族、伊夫伎氏との戦闘でやられたのである。

 神功皇后は新羅征伐の後、身ごもっていた子を北九州の宇美で出産し、凱旋の帰路に仲哀天皇の前妻との皇子達が暗殺を企てたため、これも返り討ち。応神は敦賀へ赴いてみそぎをうけ、地元の神と名前を交換した。
 第二十一代ワカタケルこと、雄略天皇は兄の安康が皇后の連れ子に殺された。直後、兄ふたりとつれ子を匿った豪族もろとも殺害した。さらに皇統後継最有力のイチヘノオシハを狩りに誘い出して暗殺した。
 蘇我氏は政策対立を起こした崇峻天応を暗殺した。

 以後、皇統をめぐる熾烈な闘いは有馬、早良、大津、穴穂部皇子、藤原四兄弟の長屋王謀殺などと続くのである。

  こうやって見ると日本でも暗殺は多くあったことに今更ながら思い知らされます。
  とは言え、やはり成功は少ないようです。とは言え、それも必然なのかも。それにしていも、今更ながら安倍さんの死は勿体なかった。どうみても、安倍さんに匹敵する人が殆ど居ないことにそれを思い知らされます。
  やはり、青山さんや高市さんに総理をやって貰いたいものです。今の優柔不断総理よりは余程期待できそうです。

さて、どんな時代が来るか!

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