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団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★今村均・森田必勝・宮崎正弘の秘話

2020年11月29日 | 誇れる日本

 今村均大将と言えば、2018年5月28日 、第1059回の「 ★日本人はどこまで劣化した のか」等で取り上げたように、日本でも最も尊敬されるに値する方でしょう。
  何と、その今村さんが、22日、第7721回の「★三島由紀夫と死んだ男  森田必勝の生涯」と縁があり、その縁の裏に宮崎さんの交渉があったのだそうです。

  何とも、凄い縁ですね。それを宮崎さんの読者の声に村田春樹さんが投稿してくれています。
  今村さんが天寿を全うされていたのも初めて知りました。それにしても、尊敬すべき方々は皆さん自分の生活より部下のことを考えられていることにその凄さを思わずにはいられません。
  あの乃木さんを思い出します。日本にはこうした人達がおられたということこそが腹黒い世界とは違うことを世界に広報したいものです。
  これこそがシラス国の証拠でしょう。

  それにしても、宮崎さんの活躍は凄い。この話題は本当に驚きでした。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より  令和2年(2020)11月21日(土曜日) 通巻第6707号 

  (読者の声3)

 帝国陸軍の今村均大将をご存じの方は多いと思う。陸軍大学首席(恩賜の軍刀)。大東亜戦争開戦時は軍 司令官して蘭印作戦を指揮。その猛攻撃にオランダ軍は敗退。インドネシアを占領し、軍政を敷いた。
オランダ軍に拘禁されていたスカルノとハッタを解放しインドネシア独立義勇軍(PETA)を組織した。今村大将の善政は インドンネシアの親日感情としていまだに残っている。

 戦後、自決に失敗して東京に移送され(時に59歳)戦犯裁判。巣鴨で禁固10年。ところが今村大将は部下とともにマヌス 島で服役することを申し出たのだ。今村大将の申し出について、マッカーサーが「私は今村将軍が旧部下戦犯と共に服役する 為、マヌス島行きを希望していると聞き、日本に来て以来初めて真の武士道に触れた思いだった。私はすぐに許可するよう命 じた」と言ったとする説もある。

 昭和25年3月から28年8月までマヌス島豪軍刑務所に服役したが、刑務所の廃止に伴い、他の日本人受刑者とともに巣鴨 に移管され、29年1月に刑期満了で出所。入獄中から執筆を開始し、出獄4年後に『今村均回顧録』を完成させている。
一方で、出所後は、東京の自宅の一隅に建てた謹慎小屋に自らを幽閉し、戦争の責任を反省し、軍人恩給だけの質素な生活を 続ける傍ら回顧録を出版。その印税は全て戦死者や戦犯刑死者の遺族の為に用いて、元部下に対して今村は出来る限りの援助 を施した。それは戦時中、死地に赴かせる命令を部下に発せざるを得なかったことに対する贖罪の意識からの行動であり、そ の行動につけこんで元部下を騙って無心をする者もいたが、それに対しても今村は騙されていると承知しても敢えて拒みはし なかったとする。
戦後生き残った将星の中でまさに亀鑑ともいうべき人であり、私は心から尊敬している。
余談だがパレンバン攻略の空の神兵奥本實中尉は戦後、戦死した部下の慰霊に後半生を捧げたそうである。今村大将と奥本中 尉、相通じるものがある。接点があったのだろうか。

 昭和43年6月15日、東京市谷の私学会館ホールで「全日本学生国防会議結成大会」が開催された。参加者500人、激励 電報24通、予想だにしない大盛況だった。同時刻に左翼が日比谷野音で集会を開催しており、マスメディアは両方に取材攻 勢をかけた。カメラのフラッシュと満場の拍手の中、議長として壇上で獅子吼したのは早大国防部の森田必勝さんその人だっ た。

 そして来賓として祝辞を述べたのは、今村均大将と三島由紀夫先生だった。今村均大将と、森田必勝さんがあいまみえていた とは!

 11月に出版された「三島由紀夫と死んだ男─森田必勝の生涯」(犬塚潔著。秀明大学出版会)でこの事実を知り、何とも言 えぬ感慨に襲われた。82歳の老将軍と23歳の青年はなにを語ったのだろうか。
今村大将はこの3か月後に鬼籍に入る。この大会が大将の愛国の熱情の、最後の発露の場所だった。私は当時高校三年生。 「あとせめて二年早く生まれて早大生としてこの大会に参加したかった」としみじみ思う。

 三島先生も森田さんも2年5か月後に鬼籍に入る。意外に早く後を追ってきたお二人に、泉下の大将はさぞ驚いたことだろ う。そして3人は何を語ったのだろうか。今から50年前の今日、東京はときならぬ台風(野分)に襲われた。新宿十二社の アパートの窓ガラスを激しい雨がたたいた。
それを凝視する森田さんの心境はどのようなものだったのだろうか。
 「今日にかけてかねて誓ひしわが胸の思ひを知るは野分のみかは」(森田必勝命辞世)。 (村田春樹)

 (宮崎正弘のコメント)三島さんは森田に「お前が議長なら。。」と言って全日本学生国防会議の結成大火に駆けつけ、万歳 三唱の音頭をとりました。それからソ連大使館までのデモ行進に途中までタクシーで着いてこられ、森田議長ほかに手を振っ ていた光景を思い出します。あれあら52年、そして三島事件から半世紀です。
 今村閣下は小生が直接交渉に豪徳寺にあった御自宅へ伺いました。その後も二回ほど挨拶に行って、当時の防衛庁との橋渡 しもお願いしたことがあります。

  宮崎さんに今村さんの印象などを教えて貰いたいものです。既に何処かに書かれているのかも。
  それにしても、こんな奇遇ってあるんですね。

宮崎さん偉い!

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