団塊の世代のつぶやき

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★三島由紀夫と死んだ男  森田必勝の生涯

2020年11月22日 | 誇れる日本

 三島由紀夫の自決から50年の今年は、評伝などの出版も多いようです。ところが、一緒に自決した森田必勝さんのものは極単に少ないようです。
  これこそが有名人と無名の人の差なのでしょう。正直なものです。とは言え、もし森田さんが居なければ三島さんの自決も無かったかも知れないと考えると日本にとっては恩人とも言える人じゃないでしょうか。

  そんな森田さんの本を、宮崎さんが書評に取り上げてくれています。それにしても、一生を懸けて書き上げてくださる方が居ることに頭が下がります。この辺りが、日本の凄さでもあるのでしょうか。

  いずれにしても、三島さんの自決によって日本人が少しずつ目覚めて来たことは間違いないでしょう。つまりは、日本の救世主とも言えるのじゃないでしょうか。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より  令和2年(2020)11月14日(土曜 日) 通巻第6698号   <前日発行>

  書評  

 三島由紀夫評伝、文学論、政治論、演劇論は数千もあるが
  森田必勝を論じた研究書籍は僅か、本書は半世紀を経ての白眉

  犬塚潔『三島由紀夫と死んだ男  森田必勝の生涯』(秀明大学出版会)

 多くの人は忘れている。あの三島事件の主役がもう一人いたことを!
 昭和四十五年十一月二十五日、三島由紀夫は自衛隊に楯の会の学生四人をともなって赴き、益田東部方面総監を人質に バルコ ニー前広場に隊員を集めさせて激越な演説をなし、ビラを撒き、改憲のクーデターを呼びかけて自刃した。
 そのとき楯の会学生長だった森田必勝も自決した。すなわち三島単独ではなく、同行者が居たことを多くが忘れている のであ る。
 森田必勝は実家にアルバムと日誌を残していた。
 事件前の八月に四日市に帰省したおり、日記とアルバムを整理していた形跡があった。直後に森田家に泊まり込んで日 誌の整理 をしたのは評者(宮崎)だったから、その事実は了解していた。

 森田の友人ら周辺には、楯の会までの活動記録などの資料が残され、事件後二ケ月で森田遺稿集『わが思想と行動』 (日新報 道、絶版)が刊行された。以後、多くの三島研究家は、この森田遺稿集を第一次資料として、参考文献の筆頭にあげてきた。避け て通れない必読文献となっていたからだ。
 その後も森田必勝を主役とする書籍は三冊ほどでたが、本書はその決定版と言って良いだろう。事件から半世紀を経て ようやく 明らかとなった事実の集大成とも言える。

 著者の犬塚氏はふとした切っ掛けで三島事件の究明に没頭するようになり、本業の傍ら新資料がでたときけばどこまで も出かけ て、資料を集め、なかには相当高価なものもあった。そのうえで関係者を訪ね歩き、半世紀に亘って、これまでにも知られなかっ た多くの事実をも発見してきた。或る女性にあてた森田のラブレターも発見した。
 評者は森田の遺稿集を編集した経験もあって、どれが新発見の資料かは、すぐに判別が出来る。数えると評者が撮影し た写真 も、本書には十四葉、挿入されている。ところが、「へぇ こんな写真や手紙があったのか」と驚かされる発見が数点あった。犬 塚氏の収集努力の賜だ。かくして三島研究家にとって必読文献が増えた。


  実際に森田さんとも付き合いのあった宮崎さんだけにこういう本には特別の感慨があるのでしょうね。
  書かれた森田さんも書いた大塚さんも日本の為に働いてくれたと言えるでしょう。

  政・官・財・マスメディアなどのお偉いさん達に少しは見習って国のために働けと言いたい。

余計なお世話と言われそう!

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