Koreaというどうにもならない国が隣にあることが日本の最大の不幸なのは明らかです。これも、ネットを始めてねずさん達に出会うことがなければ全く知らずに終わったのかもしれません。
特に、ねずさんは朝鮮半島の人達の信実を詳しく書いてくれるので、絶対に付き合ってはいけない人達だというのが良く分かります。
今回の話題もその朝鮮が絡んだ話です。こんな国が隣にいなかったら、この対馬の柳川さんも平穏な人生を送ることができたのじゃないかと気の毒になります。
とは言え、この人こそ、今問題の学術会議の人達の代表かもしれません。尤も、質としては柳川さんは国を思っての行動ですから比べるのは気の毒というものです。
それにしても、徳川幕府は凄いですね。この柳川さんを罰することなんて今の時代では到底無理でしょう。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう日本より 2020/10/30
「柳川一件」 という武家社会のたいせつな教訓
・・・略
なぜそのようになるのか、ご理解いただけますでしょうか。
なぜ嘘はイケナイと言った柳川調興が罰せられ、なぜ偽書を書いた宗義成が無罪とされたのでしょうか。
朝鮮出兵をしてきた全国の大名たちからすれば、民を人として扱わず、民に対して暴虐と貪りの限りを尽くし、平気で奪い、殺し、その肉を食らう李朝は、まさに獣です。
獣に偽書を送って対馬藩の民衆の安寧を図るのは、
「たびたび熊に襲われる村人が、
熊に餌を与えることで、
熊からの被害を食い止めようとすることと同じである。
よって藩主宗義成の行動は、
藩主として当然の行いである」
ということなのです。
李朝を「人の王朝」と考える家老の柳川調興のほうが、むしろ実態をわきまえない「曲学阿世の徒」であり、さらにはその曲学に基づいて藩主を告訴するなど、もってのほかと判断されたわけです。
江戸の武家社会では、この事件を「柳川一件(やながわいっけん)」といって、学問が空理空論に走ることを戒めた事件として、大切な教訓とされました。
要するに、いくら勉強ができてても、「民を靖んじる」という「施政の本義」を失っては、国民の生活を守ることはできない。
ですから
「民を靖んじる心がないなら、
それは無学と同じである」
と考えらたのです。
いま日本学術会議のことが問題になっていますが、ここにこそ問題の本質があります。
もっとも対馬藩では、この事件で漢籍、朝鮮語に通じた柳川調興がいなくなり、朝鮮と直接交渉ができる通訳がいなくなってしまったため、藩主の宗義成は幕府に泣きついて京都五山の僧の中から漢文に通じた碩学を派遣してもらい、ようやく外交ができる体制を整えたという逸話も残っています。
苦労もあったことでしょうけれど、この事件は、政治とは、人材とは、などを考えるうえで、とても深い内容を持つ案件であろうと思います。
ねずさんも学術会議への怒りがこれを再掲させたのじゃないでしょうか。戦後の日本に、反日売国左翼・在日共を跋扈させたことが、こんな奴等が日本の足を引っ張り続けているということでしょう。
それをきちんと砂漠徳川幕府のような政治家がいないことがそれを許してきたのでしょう。
やはり、一日も早く反日売国左翼・在日共を一掃しない限り日本の再生は有り得ないでしょう。