自衛隊を災害援助団体として、都合よく扱って来た戦後の日本の劣化の凄まじさは情けないとしか言いようがない。
それを何とかしようと安倍さんが、改正に新しい案を投げかけてくれたことで、青山さんの案等も出て来て、少しは光が見えて来たのじゃないでしょうか。
何時もの阿比留さんが、この憲法改正を自衛隊に感謝を示そうと書いてくれています。これは、良い表現ですね。
長年、災害救助でお世話になってきた自衛隊にお礼をする時です。このままで放置しておくことは、日本人にとって最大の恥でしょう。
産経ニュースより 2018.2.17
【阿比留瑠比の極限御免】改 憲で自衛隊に感謝を示そう
東日本大震災が起きた平成23年の4月から5月にかけ、被災地である福島県内をレンタカーで回った。津波の爪痕が生々しいいわ き市の海岸部では、がれきと化した集落や、沈没船がそのまま残る港を見て、在りし日の風景との差に呆然とするしかなかった。
ただ、そんな中でわずかに救われる思いがしたのは、商店の扉や道ばたの看板など至るところに書かれていたこの言葉だった。
「自衛隊さん、ありがとう!」
不眠不休で被災者らの救出、支援に当たった自衛隊員の献身は、地元の人たちの心にしっかりと届いていた。「事に臨んでは危険を 顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる」(服務の宣誓)ことを誓い、実行している自衛隊に対し、国民 がそれを評価し、感謝の気持ちをささげる。
あるべき道理を目撃したかのような気分だった。
ところが、その自衛隊の存在を憲法9条に明記しようという安倍晋三首相の提案が、なかなか実現に向かわない。内閣府が27年3 月に発表した世論調査では、自衛隊に好印象を持つ回答が92・2%に達し、昭和44年の調査開始以来、過去最高となっているにも かかわらずである。
「(自衛隊が)最初から合憲なら、改憲で自衛隊を明記する必要はない」
希望の党の玉木雄一郎代表は、安倍首相の提案をこう批判した。だが、合憲であるものを明記してはいけないという理屈は成 り立たない。玉木氏の言葉はまるで無意味である。
むしろ政府は合憲だと解釈する立場を取ってきたのに、憲法学者の6割以上が自衛隊は違憲だと判断している現状を放置し続 けることこそ、政治家として無責任だといえよう。
「自衛隊は憲法違反だといわれるたびに、胸に突き刺さるものがあります」
筆者は、元陸将の一人がこう語るのを聞いたことがある。共産党も「自衛隊と憲法9条は両立し得ない」(志位和夫委員長) との見解であり、自衛隊をこんな中ぶらりんの立場に放っておいていいわけがない。
立憲民主党も党名からして「立憲主義」を強調するのであれば、自衛隊という巨大な実力組織を、きちんと憲法上に規定しよ うとせず、違憲論が横行するのに任せておいてどうするのか。それは、明らかに立憲主義に反する態度である。
自衛隊を憲法上も正当な存在として位置づけることに、何を恐れたり怯んだりする必要があろうか。これからも自衛隊を曖昧 な地位に置き続けることに、何の理もありはしない。
自民党内も、戦力不保持を規定した9条2項を削除すべきだとか、自衛権の保有も明記すべきだとかさまざまな意見があっ て、なかなかまとまらないという。だが、まずは何をさておき自衛隊の明記を優先させるべきではないか。
司馬遼太郎氏の代表作『竜馬がゆく』に、こんな名場面がある。薩摩と長州が手を結べば幕府を倒せると分かっているのに、自 ら連合を申し出ることをためらう西郷隆盛に、坂本竜馬が叫ぶように言う。
「長州が可哀そうではないか」
物語では、この言葉に西郷が突き動かされ、連合を申し入れることを決断する。根っからの護憲派はともかくとして、せっかく の千載一遇の機会に、ぐずぐずと小理屈をこねて動かない国会議員を見ると、「自衛隊が可哀そうではないか」と言いたくなる。 (論説委員兼政治部編集委員)
もっと悪いのは、何の手も打たなかった政府自民党かもしれません。どうして、最高の先人を継いだ我々が、ここまで劣化したのでしょう。人間って弱いんですね。