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団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

へそくり

2011年11月26日 | 無知

  相も変らず何の疑問も持たずに使っていた言葉の思わぬ語源を知り、驚き、無知を恥じるばかりです。

  頂門の一針よ り → 2439 号  11・11・21(月) → 生活防衛?へそくり増える 平井 修一

  …略

  へそくりの語源は「綜麻(へそ)繰り金」で、綜麻(紡いだ麻糸を巻いたもの)を繰って貯めたお金の意。綜麻が お臍と混同されて「臍くり」になった。…以下略

 Yahoo! 辞書より

  へ ‐そ【×綜▽麻/巻=子】

  《「へ」は動詞「綜(へ)る」の連用形から。「そ」は「麻」》紡いだ 糸を環状に幾重にも巻いたもの。おだま。おだまき。

  三 省堂 大辞林より

  績(う)んだ麻糸を環状に幾 重にも巻きつけたもの。おだまき。

 き もの雑学あれこれより

  綜 麻繰(へそくり)

  現在では「臍繰り」と書き、内緒で貯めたお金のことを指しますが、かつて農村の女性たちが行っていた内職に由 来します。麻糸をかける道具を「綜(へ)」といい、綜をかけた麻糸を操り糸巻きにしていくことを「綜麻繰」といった のです。山内一豊の妻、千代は綜麻繰が上手だったと伝えられています。その収入を鏡の裏に貯え、そのお金で名馬を買 い夫の活躍に一役をかったそうです。

  語源由来辞典  【オ ダマキの語源・由来】

 オダマキは、つむいだ麻糸を空洞の玉のように巻いた「苧環」に由来する。

オダマキの花は内側に曲がって満開せず、全体的に糸巻きの枠のように見えることから「苧環」の名がついた。

  苧環 (おだまき)(糸繰草(いとくりそう))

  「へそくり」って腹巻の中に隠して持っているから「臍繰り」なのかなと漠然と思っていましたし、あえてその語 源を知ろうともしませんでした。
  昔の女性が麻糸を繰る内職でこつこつと貯めたお金とは想像もしませんでした。亭主が汗水たらして稼いできた 金を遣り繰りしていざと言うときのためにこつこつと貯めてきたと思えば通じるところもありますが、今やそんな苦 しいイメージはなくなってしまったような気もします。しかしながら、格差の広がる今、又必要悪として大手を振っ て歩きそうに思えます。

相も変らぬ無知に反省!


和蝋燭

2011年11月07日 | 無知

  第 82話で書いた兄の死から早いもので13年も経ちました。その13回忌の法要の席で長いお経の合間 の休憩のとき、和尚さんが蝋燭の火を消しました。
  「へ~!、短い休憩の間でもわざわざ消すんだ」と感心しました。ところが休憩が終わって再び火を付けようと しましたがなかなか付きません。「どうしたんだろう」と不思議に思いながら見ていると未だ付いていないのに隣の 方に付け始めました。「あきらめたのかな」とよく見ると小さな火が付いているようです。少し経つと炎が大きく なってきて付いていたのが分かりました。
  このとき初めて、もしかしたらあの蝋燭は「和蝋燭」じゃないだろうかと気付きました。直ぐに近づいて確認す るとやはり和蝋燭でした。お恥ずかしいことに和蝋燭は知っていましたが、実際に目の前で火を付けるのは始めて見 たので、あんなに火が付きにくいのは知りませんでした。
  ということでチョッとサーチしてみました。くわしいブログがありました。

 松 山櫨(はぜ)復活奮闘日記  和 ろうそく芯ものがたり

 芯切につ いて

 芯 がイグサというのはテレビ番組で見たことがありましたが、このブログで普通のイグサとは違うことを知りました。

  あいも変らず知らないことばかりですが、こうやってネットに沢山の情報があるのでその気になれば直ぐに貴重な 知識を得ることができます。

ありがたいですね!


右横書き

2011年10月22日 | 無知

  

日本語の縦書きは右から左に書いて行きますが書き易いし読むのも当たり前のように読みます。ところが、額など が右から左へ一筋で書かれているのはどうにも読み辛い。日本語はこれが当たり前なのだろうとは思うのですが違和感が あります。ところがその横書きにも意味があるのだそうです。

  10月15日読売新聞 コラム 「なぜなに日本語」より

  横書きの文章では、文字を左から右へ並べます。でも、お寺に掲げられている古い額などで、横書きなのに右から 左に文字が並んでいるのを見たことはありませんか。あれは実は右横書きではなく、1行1字ずつの縦書きなのです。縦 書きなら、右から左へ書いていくのは自然ですね。
  江戸時代末、西洋のアルファベットの書き方に出会うまで、日本人には文字を横に書こうという発想はありませんで した。文字をくずして書く草書体も横に続けるようにはなっていません。左から右へ書く左横書きが広まったのは第2次 大戦後のことです。…以下略

 ウィキペディア → 縦書きと横書き

  これぞ本当の目からウロコです。まさか1行1 字ずつの縦書きとは想像もしませんでした。これで長年の疑問が晴れました。草書を書くほどの教養も無い私ですが、横 書きは書きにくいだろうなと感じたことはありました。しかし、いつものごとくその疑問を追及することも無く、そんな ものだろうと思っていました。
  やはり、疑問をもったらきちんと分かるまで追及すべきですね。その一つ一つが長い間に大きな差を生むのでしょ う。なんでも「マアいいか」で過ごしてきた付けは大きいようです。

又もや、反省だけ!


秋の七草

2011年10月09日 | 無知

  何時も日本人の素晴らしさを教 えてくれるブログねずきちの ひとりごとが秋の七草を取り上げてくれています。
  これを読むと自分の無知に改めて気付かされ恥ずかしくなります。「キキョウ」は子供のころ我が家の庭にあったの でよく知っています。あの青い花が大好きでした。膨らんだ紙風船のようなつぼみを手で破裂させて喜んでいたもので す。
  「はぎ」、「おみなえし」、「ふじばかま」は殆ど記憶にありません。「はぎ」も大人になってから知りました。 「なでしこ」は子供のころはよく見たおぼえがあります。そして、今回驚いたの「ススキ」です。確かによく見ていたの で知ってはいましたが、これが「カヤ」とか「オバナ」と呼ばれているとは知りませんでした。
  
第39話でも書いたように我が家の芝にはびこる雑草と の戦いの第一号とも呼ぶべきものがこの「萱(カヤ)」だったのです。大きな穂が出たところまでは見てなかったのであ れが「ススキ」だったとは想像もしませんでした。相変わらずの無知をさらけ出しています。

  ねずきちの ひとりごとより

  秋の七草

  …略

 ススキは、漢字で書くと「芒」とか「薄」と書きます。「カヤ」とか「オバナ」とも呼ばれます。ご存知の通り、先 端にボォっとした穂をつける秋の草花です。

根がしっかりしているので、庭などに繁殖されると困ることも多いのだけれど、とにかく人間と仲良しで、穂も茎も全 部、人に利用されます。

もともと、ススキはイネ科の植物です。

未成熟な穂は昔は食用にされました。穂はそのまま家畜の飼料になっています。いまでも東京の雑司ヶ谷の鬼子母神で は、ススキの穂で編んだミミズク細工が民芸品として売られている。

昔の農家などには、茅葺屋根(かやぶきやね)が多く見られました。「茅(かや)」というのは、ススキのことです。 つまり、ススキの茎は屋根になった。

ちなみに、屋根を麦藁(ムギワラ)で葺(ふ)いたのがワラブキ屋根、草で葺いたのがクサブキ屋根です。

屋根に使うススキの茎は、大量です。

ですから昔は、日本の集落の近くには、かならずと言っていいくらい、定期的にススキを刈り取るためのススキの繁殖 地(狩り場)が置かれました。

それが「茅場(かやば)」です。

東京証券取引所がある東京の茅場町(かやばちょう)は、まさに昔、ススキの繁殖地だったところです。…以下略

秋の七草 0001

秋の七草  

  「萱場町」の語源がここにあっ たのですね。どういう意味だろうと不思議に思いながらも調べることもありませんでした。ねずきちの ひとりごとは本当にためになります。

ありがとうございます!


藻場(もば)

2011年10月05日 | 無知

  この部屋で何度も取り上げてきたのが漢字とか言葉を勘違いして覚えているものです。自分では気づかずに使って いるのであちこちで恥をさらしていることでしょう。その間違いに気づいた人も言い難いのでしょうあえて忠告する人は 少ないようです。それだけに一生気づかすに使ってしまうことも多いのじゃないでしょうか。
  そんな思い違いに「藻場」があります。子供のころ仲間同士で海へ泳ぎに行ったものですが、そのとき、引き潮だと 藻が足に絡んで泳ぎにくく、「藻場に気をつけろよ足を取られて溺れるぞ」と年上の人に忠告されたりしたものです。
  と言うことで、その「藻場」を海草の名前だと長い間思い込んでいました。それが「いろいろな海草の群落」だと気 がついたのはまだ最近のことのように思います。チョッと古い記事ですが藻場に触れたものがありました。

  香川ニュース | 四国新聞社より 2011/02/27

  2月27日付・海底ごみ退治

 …略

 今ふうに言えば、美しい瀬戸内海を痛めつけ、漁業者を苦しめている悪魚は、不法投棄物や海底ごみなどである。 ペットボトル、プラスチック容器、空き缶、ビニールからテレビ、洗濯機などの電気製品、タイヤ、自動車の大物に至 る。

 海藻と海草が茂る「藻場(もば)」は海の草原であり、森林に当たる。藻場は魚類などの産卵の場であり、餌場であ り、揺りかごにほかならない。海底ごみなどによって、海が砂漠化される恐れもある。瀬戸内海には1万3千トン以上の ごみが沈んでいるそうだ。…以下略

  何ともそそっかしい。こうやって勝手に思い込んだ言葉の何と多いことか。今でも気づかずに使っている言葉が沢 山あると思いますが、何時もの「マアいいか、今更気にしても仕方ないと」諦めましょう。

  さて、その「藻場」と思い込ん でいた海草の名前が気になり、ウィキで調べて見ました。どうやらアマモのようです。5,6ミリの幅で海底から1メー トルくらいが一面に生えてきているものです。その薄い葉が泳いでいる足に当たると切れるような痛みが走ったりしたも のです。その気持ちの悪さもあって引き潮で泳ぐのが嫌いでした。
  あれがアマモだったんですね。名前は聞いたことがありましたが、気にもせずに今まで来ました。「藻葉」が砂漠化 しているのならあのアマモの群生ももう無いのでしょうか。

相変わらず知らぬことばかり!


薬指

2011年09月12日 | 無知

  世の中には根拠は無いとは思いながらも妙に気 になることがあるものです。たとえば、血液型なんかもそうじゃないでしょうか。
  そんな話題のネタになりそうな記事がありました。

  時事ドットコムより

  男性ホルモンで薬指長く=人さし指との差 -マウス実験で初確認・米大学

 手の人さし指と薬指を比べると、男性は薬指の方が長く、女性は人さし指の方が長い人が多いのは、胎児期に指がで きる際の男性ホルモンと女性ホルモンのバランスにより、薬指の成長に差が生じることが原因だと分かった。米フロリダ 大の研究チームが5日までにヒトと同じ哺乳類であるマウスの実験で初めて確認した。米科学アカデミー紀要電子版に発 表する。

 人さし指と薬指の長さの比率に男女差があることは昔から知られ、男性は薬指が長いほど、子供がたくさんでき、運 動能力が高いと言い伝えられてきた。1998年以降は性ホルモンの関与を指摘する研究論文が多数発表され、男性ト レーダーは薬指が長いほど高い利益を上げるとの論文もあった。

 マウスでは4本の足でヒトの手と 同様の性差があり、研究チームは右後ろ足に注目。胎児では受精後17日目までに性差が生じることを明らかにした上 で、男性・女性ホルモンの働きを人為的に変える実験を通じ、男性ホルモンが相対的に強く働くと薬指が長くなることを 突き止めた。(2011/09/06-04:50

  本当なんですかね。思わず長さを比べてしまいました。成る程、心持薬指が長いようです。ということは人並みと いうことでしょうか。取り合えず一安心なんて思う私が居て苦笑してしまいます。
  こんなのが流行ると何となく嫌ですね。甲斐性がないと思ったらやっぱり薬指が短いんだなんて言われそうです。

ほっといてくれ!


みそか

2011年09月08日 | 無知

  大晦日といえば年末の31日、それから月末を 晦日(みそか)と言う事を知りました。「みそか」自体にどんな意味があるかとかは考えずそれで納得していたのです が、どうやら意味があったようです。

  SankeiBizより

  【人気の一品】歯磨き粉不要の「ナノテク 歯ブラシ」 (1/2ページ)

  …略

  商品名の「ミソカ」は30日を表す晦日(みそか)をもじったもので、朝晩に使うと1カ月で取り換え時期を迎え ることを意味している。…以下略

  「みそか」が30日から来ているとは思っても見ませんでした。確かに「みそか」と読めますね。早速、調べて見 ました。

  ウィキペディアより → 晦日

  晦日(かいじつ、つごもり、み そか)は、太陰太陽暦の暦法である中国暦、和暦の毎月の最終日のことである。具体的には、小の月では29日、大の月では30日 となる。翌月の朔日の前日となる。

月相を表す弦・望・晦・朔に由来するもので、「朔」が月が現れることを意味するのに対し、「晦」は月が隠れること を意味する。

つごもり、みそか [編集]

晦日にあてられる訓のうち、「つごもり」は「月隠り(つきごもり)」が転じたもので、本来は月相の「晦」の意味で ある。

「みそか」は本来は「三十日」の古 い表現(ふつか、みっか、…と続く先にある言葉)だが、実際の日付にかかわらず月の最終日を指す。「みそか」が29日を指す月には30日 は存在しないので、混乱が起こることはない。

大晦日 [編集]

詳細は「大晦日」を参照

一年で最後の晦日、つまり最後の日を「大晦日(おおみそか、おおつごもり)」という。これは通常は十二月晦日だ が、閏年でしかも閏月が閏十二月のときは、閏十二月晦日である。

  やはり「三十日」からきているようですね。何でも意味があるんですね。相変わらず何の疑問も持たずにただそん なものだと覚えているだけではチョッと情けないですね。もっと日本語に興味を持つべきかもしれません。とは言いなが らも。今更反省しても遅そうです。しかし、諦めたらおしまいです。もう少し好奇心を持って行きたいものです。

反省ばかり!


風流

2011年08月19日 | 無知

  殆どテレビを見なくなった私で すが、その数少ない中で時々見るのがNHK 鑑賞マニュアル美の壺です。と言っても、最近は日曜の朝4時半からの再放送を時間が合えば食事をしながら見るくらい です。
  今回もたまたまその時間に起きたのでぼんやりと見ていましたが気になる言葉がありました。

  file212「京焼」|NHK 鑑賞マニュアル美の壺

  京焼鑑賞 三のツボ、「伊達道具で風流を楽しむ」

  画面に「風流(ふりゅう)」と出ているのです。何、「ふりゅう」。「ふうりゅう」だろうと見ているとやはり 「ふりゅう」と言っています。どうやらそんな言葉があるようです。

  早速サーチして見ました。

    ウィキペディアより

  風流

  風流(ふりゅう)とは、中世以 後の日本において高揚した美意識の1つ。人目を驚かすために華美な趣向を凝らした 意匠を指し、婆娑羅や数寄とともに侘び・寂びと対峙する存在として認識された。後にはこうした意匠に沿った芸能や美 術・建築などにも用いられた。なお、室町時代の漢和辞典である『下学集』には「風流の義也。日本の俗、拍子物を呼び て風流と曰ふ」とある。

現代の日本語で日常的に用いられる「風流(ふうりゅう)」の言葉の指す美意識とは若干異なるものである。

  やっぱりあるんですね。もう一つ理解できかねますが何となく分かるような気もします。
  それにしても、64年間全く知りませんでした。是ほどものを知らないのでは、何時、知ったかぶりをして恥をかく ことになるかもしれません。と言うか、知らないうちに一杯恥をかいてきているのは間違いなさそうです。
  やはり戦後教育の手抜きが影響しているのでしょうか。子供のときに目一杯詰め込むことは必要なのかもしれませ ん。ゆとりは恥につながりそうです。

今更取り返しはつかない!


為体

2011年07月12日 | 無知

  昨日の「椀飯振る舞い」に続いて又しても思いもよらなかった「為体」です。これで「ていたらく」と読むのだそ うです。てっきり「体たらく」が当たり前と思っていたので、想像もつきませんでした。
  全く、こんなことも知らないなんて、なんという為体でしょう。それにしてもこんなに知らない漢字が多いとは、一 体何を勉強してきたのでしょう。というか、こういう漢字は学校でも教わらなかったですね。このあたりも、戦後教育の 日本人を駄目にする意図によるものでしょうか。

  Yahoo!辞書より

  てい‐たらく【体たらく/為=体】

 《「たらく」は、断定の助動詞「たり」のク語法》ありさま。ようす。ざま。現在では、ののしったり自嘲をこめた りして、好ましくない状態にいう。「初日から遅刻とはなんという―だ」…以下略

  尤も、今時、「ていたらく」なんて言葉も日常会話で使われることも無いような気がします。何となく古き良き言 葉も淘汰されて妙な言葉遣いが幅を利かせるようになっているのかもしれません。
  戦後教育の所為でそれでなくても礼儀作法や言葉遣いで評判の悪い団塊の世代の私がこんなことを思うのですから日 本語のみだれは留まることを知らないのかもしれません。
  古典の読めない私以上に日本語を知らない日本人ばかりが日本の素晴らしい伝統を知らない時代になりそうです。こ れも、日本人に伝統を忘れさせる戦後教育の意図だったのかもしれません。

もう取り返しがつかないのかも!


履き違える

2011年06月09日 | 無知

  相変わらずの思い込みによる勘違いです。「は きちがえる」を「掃き違える」とか「吐き違える」と漠然と思っていて、辞書で確認する事も無く長い人生を過ごしてき ました。

  そしてあるとき、サイト巡回の途中で「履き違える」に会いました。

 ありゃ、こりゃ又大きな勘違いをしていたようです。慌てて、辞書で検索してみました。

  案の定間違えていました。

  はき‐ちが・える〔‐ちがへる〕【履 (き)違える】[動ア下一][文]はきちが・ふ[ハ下 二]

他人の履物をまちがえて履いたり、左右をまちがえて履いたりする。「うっかり人 の靴を―・える」

意味を取り違える。考え違いをする。「目的を―・える」

  なんでこんなに粗忽なのでしょう。というかいい加減な性格がもたらす当然の結果なのでしょう。
  知らぬが仏で一体どれほどの恥を掻いてきたのかと想像するだけで冷や汗が出ます。これからはもっと気をつけよう と今更ながらに反省しています。

もう遅いかも!


日照時間

2011年03月16日 | 無知

  青空が減ったような気がすると何度も書いてい ますが、それは日照時間も減っていることにつながるのでしょうか。日照時間と言っても漠然とお日様が出ている状態だ と思っていましたが、どうやら規定があるようです。

  3月4日読売新聞コラム「お天気博士」がその 日照時間について説明してくれていました。

  日照時間

  …略

  日照時間は「直射日光が地表を照らした時間」のことだ。気象庁は、1日のうちで、直射日光による放射エネル ギーが、1平方メートルあたり120ワット以上ある時間を日照時間と定めている。
  基準となる「120ワットの日射」とは、直射日光によって物体に影ができるギリギリの明るさだ。
  太陽がうっすらと雲の覆われていても、地上に影ができるくらいの光が放射されていれば、日商があるということに なる。…以下略

  影ができるかどうかくらいとは、細かな規定があるんですね。サーチしてみました。

  Wikipediaより

 日照時間

  日照時間(にっしょうじかん、actual sunshine duration)とは、気象台やアメダスなど日照計により観 測される日が照った時間数のことである。

  日照時間の定義 [編集]

日照時間は、一日のうちで、日照計 で測定される直達日射量が120W/m2以上である時間と定義される。日照なしの目安 (120W/m2以下)は、直射光によって物体の影が認められ ない程度。…以下略

  やっぱりそうみたいですね。薄曇というところでしょうか。今度からこのあたりを意識してお天気を観察してみま しょう。
  これは太陽光発で言えばギリギリ発電しているというところでしょうか。サンヨーのHITが得意としている状態か も。シャープの苦手とするところでしょう。

すっきり青空が良い!


楽焼

2011年02月10日 | 無知

  

殆どテレビを見なくなった私ですが、放送開始以来殆ど見ている番組に「何でも鑑定団」があります。本物を見る楽しみといくらするんだろうというゲスの根性で何時までもあきません。
  そんな中で「楽焼」なんてものも知りました。「楽家」が作る茶碗に「黒楽」と「赤楽」があるなんてことも覚えました。だから、「楽家」というのは苗字が「楽」という変わった名前だと勝手に思い込んでいました。ところがこれが大恥でした。

  1日、読売新聞コラム 「茶の湯」 らくやき [楽焼]より

  侘び茶に合う茶碗がほしいという千利休の注文を受け、陶工、あるいは装飾瓦の工人だったといわれる長次郎が焼いた。以降400年あまり、長次郎を祖とする楽家で作られてきた。…中略

  しかし、茶陶の楽焼は長次郎以来の伝統を受け継ぐ焼き物だ。この「楽」は豊臣秀吉の聚楽第に由来する。…中略

  長次郎の茶碗は当初、今焼茶碗と呼ばれた。今風の新しい茶碗だった。「松屋会記」には「宗易形ノ茶ワン」という記述も見える。宗易とは利休のこと。基本は半筒形で、黒楽と赤楽の両種がある。
  それが聚楽焼茶碗という名に変わる。聚楽第で焼かれたからで、利休の屋敷が聚楽第の中にあったのだ。
  楽焼と称するようになったのは、長次郎の次の二代常慶が秀吉から聚楽第の楽の字の印を拝領してから。ちなみに聚楽は「長生不老の楽しみを聚(あつ)むるもの」を意味する。…以下略

  苗字じゃなかったんですね。何でも勝手に思い込んでしまう悪い癖が出てしまいました。「楽」が聚楽第から来ているなんて想像もしませんでした。お茶をやられる人たちにとっては常識なんでしょうが門外漢にとっては思いも付きませんでした。

  参考: ウィキペディアより  楽焼

  …略

  歴史

天正年間(16世紀後半)、瓦職人だった長次郎が千利休の指導により聚楽第を建造する際に使用された土を使って焼いた「聚楽焼」(じゅらくやき)が始まりとされる。二代目・常慶の父、田中宗慶が豊臣秀吉より聚楽第からとった樂の印章を賜り、これを用いるとともに家号にしたことから楽焼となった、との説が広く知られる。正統な楽家の楽焼を本窯、傍流の楽焼を脇窯という。…以下略

  やはり広く知られていたのですね。これだから教養の無い物は駄目ですね。知ったかぶりで苗字が「楽」なんて言わなくてよかった。

ホントに知らないことばかり!


かかずらう

2011年01月27日 | 無知

  

日頃使い慣れない言葉を使うと恥をかきますね。先日柄にも無く「かかずらわりたくない」と言おうとして「かかずらわりたくない、…いや、かかわずらりたくない」とどっちかわからなくなり舌までもつれてしまいました。
  ということで、ネットで調べて見ました。

  かかずらう

   かかずら・う〔かかづらふ〕【▽係う/▽拘う】[動ワ五(ハ四)]

かかわりあいを持つ。かかわりあって離れられない状態になる。関係する。「不正事件に―・う」

気持ちや考えがそこにひっかかって離れなくなる。こだわる。拘泥する。「つまらぬところに―・う」「名目に―・う」

あちこちにひっかかる。

  どうやら、かかずらうの方が正解のようです。ただし私の様な間違いをする人もいるようです。

 かかわずらう 

 かかずらう+わずらう

 意味から言うとこちらが本当の様な気がしますが、間違いのようです。これを調べている途中で面白いのを見つけました。
  以前第話で取上げたサザンカの例がありました。

  ウィキペディア 音位転換

  …略

  語として定着した例 [編集]

音の入れ替わりは不特定多数の語において日常的に起きているのだが、ときに、入れ替わった音の並びが優勢になり、時を経てそのまま定着してしまう場合もある。以下、比較的なじみの深い語彙の中から例を挙げる。

日本語の例 [編集]

入れ替わった音を太字で示す。

新しい: ラタタラシイ

山茶花: ンザザン

映日果: エイジツカ *イジチクイチジク

※やや不規則な変化の例。ただし「イチジク」の語源には異説あり。

舌鼓: シタツヅミシタヅツミ

秋葉原: アキバハアキハバ

…以下略  

  音位転換ですか、全く知りませんでした。こうしてみると日本語も結構いい加減なところがあるんですね。というより言い易い方が定着するのでしょうか。正しいより大勢の方が強いというのもマスコミに踊らされる日本人の特性を象徴しているのでしょうか。

面白いですね!


膝栗毛

2010年11月27日 | 無知

  

このところしょっちゅうお世話になっている「日めくり」に又面白いのがありました。

  19日、読売新聞 コラム「日本語 日めくり」

  膝(ひざ)――新しい常用漢字から

  ももとすねをつなぐ間接のところの名称と考えるのが一般的だが、「膝に乗せた荷物」といった場合は、ももの上全体を表すことになる。屈服する様子をたとえた「膝を折る」「膝を屈する」の「膝」は関節、何かに感心したり、突然アイデアが浮かんだりしたときの動作「膝を打つ」の「膝」はももの上のことだ。

  十返舎一九「東海道中膝栗毛」は自分の膝を栗毛の馬の代用とする、つまり、馬や駕籠に乗らずに旅するのをしゃれて付けた題名。この「膝」はももからくるぶしなどまで含んだ足全体を指しているのだろう。ひ

  「膝栗毛」にこんな意味があったとは全く知りませんでした。これはもともとあった言葉なのかそれとも十返舎一九が考え出したものかどちらなんでしょう。
  それにしても、歩き旅のことを膝栗毛とは、只の「旅」という意味としか思ってませんでした。
  この「日めくり」には教えられる事ばかりですが、それは、取りも直さず、日頃から如何に言葉というものにいい加減に取り組んでいるかということなのでしょう。もっと疑問を持たないといけないのでしょうね。

  参考:膝栗毛の意味は?

「マアいいか」の所為でしょうか!


膝栗毛

2010年11月27日 | 無知

  

このところしょっちゅうお世話になっている「日めくり」に又面白いのがありました。

  19日、読売新聞 コラム「日本語 日めくり」

  膝(ひざ)――新しい常用漢字から

  ももとすねをつなぐ間接のところの名称と考えるのが一般的だが、「膝に乗せた荷物」といった場合は、ももの上全体を表すことになる。屈服する様子をたとえた「膝を折る」「膝を屈する」の「膝」は関節、何かに感心したり、突然アイデアが浮かんだりしたときの動作「膝を打つ」の「膝」はももの上のことだ。

  十返舎一九「東海道中膝栗毛」は自分の膝を栗毛の馬の代用とする、つまり、馬や駕籠に乗らずに旅するのをしゃれて付けた題名。この「膝」はももからくるぶしなどまで含んだ足全体を指しているのだろう。ひ

  「膝栗毛」にこんな意味があったとは全く知りませんでした。これはもともとあった言葉なのかそれとも十返舎一九が考え出したものかどちらなんでしょう。
  それにしても、歩き旅のことを膝栗毛とは、只の「旅」という意味としか思ってませんでした。
  この「日めくり」には教えられる事ばかりですが、それは、取りも直さず、日頃から如何に言葉というものにいい加減に取り組んでいるかということなのでしょう。もっと疑問を持たないといけないのでしょうね。

  参考:膝栗毛の意味は?

「マアいいか」の所為でしょうか!