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団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

焼けぼっくい

2010年11月16日 | 無知

  

「焼けぼっくりに火がついた」と長い間覚えていましたが、何かで、「焼けぼっくい」と気付きました。ところが意味は深く考えずに「松かさ」の焼けたものと思っていました。又しても、恥ずかしい勘違いをしていたようです。

  6日、読売新聞コラム 日めくり

  焼けぼっくい ―― 忘れていたはずなのに

  「ぼっくい」は漢字をあてれば「棒杭」 「木杭」。生木に比べ、表面が焼けて、炭化した木片はすぐに火がつきやすところから、「焼けぼっくいに火がつく」の言い方で、かって関係があって一度は縁が切れていたのが、また元にもどるたとえに使われる。
  特に男女の間柄にいうが、昔たしなんだ趣味に再び興味を持つような場合に用いられている例も見たことがある。
  「ぼっくり」と誤ることがある。これだと女児用の下駄「木履」になってしまう。松の木の実「松ボックリ」は、「松毬」などと書き、また別の語。

  「棒杭」とは思いませんでした。成る程、焼けた杭は火がつきやすいのは間違いありません。子供の頃にはよく焚き火や風呂焚きをしているので燃え残りの木が火がつきやすいのは経験済みです。それだけに何故「棒杭」に思い至らなかったのでしょう。というか「ぼっくい」なんて言葉自体知りませんでした。それだけに、「松ぼっくり」が焼けたものと勝手に思い込んだようです。
  それにしても、昨日の
ドンキホーテといい本当にいい加減に言葉を覚えています。一体どれほどの無知をさらけ出して生きてきたのかと思うと恥ずかしいですね。今更修正もきかないでしょうし、こりゃ本当に気にしないようにしないと生きていけません。

開き直りましょう!


ドンキホーテ

2010年11月15日 | 無知

  

ドンキホーテがドン・キホーテであってドンキ・ホーテでないなんて気がついたのは何時頃だったでしょうか。多分、もう4、50歳にもなっていたような気がします。
  子供の頃に思い込んでしまった言葉は少々のことでは間違っているなんて気がつきません。一生気がつかずに終わるものもきっと沢山有る筈です。自分の勉強不足を恥じるべきなのでしょうが、この程度のことは誰にでもあると割り切った方が精神衛生には良さそうです。
  それでも気がついたときには驚きと恥ずかしさの混じった複雑な気持ちになります。ドンキホーテは私と同じ様な人が多いようです。

  11月5日読売新聞、コラム「なぜなに日本語」より

  切れ目はどこ? その1

  セルバンテスの小説の主人公を「ドンキ・ホーテ」と区切ったら間違いです。貴族の名前に付く敬称がドンなので、「ドン・キホーテ」が正解。枕草子の作者は、性は清少、名は納言?いえ、お父さんの清原元輔の性にちなむ「清」と、位を表す「少納言」を合わせた呼び名といわれますから、区切るなら「清・少納言」でしょう。
  全く見通しが立たないのを「五里霧中」とたとえます。「手がかりがつかめず、捜査は五里霧中だ」などと使います。でも「五里」先まで「霧中」なのではありません。「五里霧」でひとつの言葉です。「五里霧」は、昔、中国で道術の使い手が起こしたとされる五里四方に立ちこめる深い霧を指します。「五里霧」の「中」では、方角が分からず、どちらに進めばよいのか見当もつかないというところから生まれた言葉です。「霧中」を誤って「夢中」と書くことがありますが、これは「五里」で切ってしまうのが、原因のひとつかもしれません。(用語委員会・関根健一)

  「清少納言」も「五里霧中」もこんないわれがあるとは知りませんでした。こうして見ると、本当にいい加減に言葉を覚えています。と言うか気にもしていない。
  しかし、こうなると何気なく使っている言葉の殆どが何も知らずに思い込みだけで覚えたものだけに使うことが恐ろしくなります。とは言いながらも、今更すべての言葉の意味を調べるのも大変です。
  気になるものは調べて、それ以外は気にせずに行きましょう。

それにしても日本語の難しいこと!


ヘチマ

2010年10月11日 | 無知

  

物の名前の由来はいろいろとありますが、中には冗談のようなものがあるようです。

 10月2日読売新聞 コラム「日めくり」より

  ~もヘチマ――ヘッタクレということも

  「理屈もヘチマもない」「予定もヘチマもあったものじゃない」のように使う。つまらないもののたとえとしてヘチマを持ち出すことで、否定を強調する言い方だ。
  たわしに加工したり、せき止めや化粧水に用いたり、ヘチマは有用な植物のはず。取るに足らないもの、つまらないものを「ヘチマの皮」と言うが、その「皮」を略した表現なのだろうか。

  ところで、ヘチマは糸瓜と書く。イトウリ→トウリと読んで、トはイロハ順ではヘとチの間、「ヘチ間」となったという語言説がある。

  これは中々面白い語源ですね。本当でしょうか。早速ウィキぺディアで調べてみました。

 ウィキペディア → ヘチマ 

  名前の由来 [編集]

本来の名前は果実から繊維が得られることからついた糸瓜(いとうり)で、これが後に「とうり」と訛った。「と」は『いろは歌』で「へ」と「ち」の間にあることから「へち間」の意で「へちま」と呼ばれるようになった。今でも「糸瓜」と書いて「へちま」と訓じる。

沖縄ではナーベーラーと呼ぶが、一説によるとこれは“なべあらい(鍋洗い)”に由来するという。

  どうやら本当のようです。しかしこんな冗談のような名前が残ると言うのも凄いですね。日本人って結構ユーモアのセンスがあるのかも。

  ところで、ヘチマって食べられるんですね。タワシとしてのヘチマのイメージしかないのであんな硬い物をどうやって食べるのかと不思議でしたが、その前の青い時に食べるのだそうです。キュウリの親分のような感じらしいです。参考:へちま料理
  ゴーヤが食べられるのにも驚きましたが、これもどちらかと言えば沖縄とか九州の方で食べるところがあるようです。ゴーヤは結構食べるようになりましたが、ヘチマは未だ試した事がありません。一度挑戦してみたいものです。

意外とおいしそう!


ケッタマシーン

2010年09月25日 | 無知

  何時ものようにサイト巡回をしていると全く聞いたことも無い「ケッタマシーン」なる単語が出てきました。文章の前後関係からも全く想像もつきません。一体なんだろう。
  と、ここで最近重宝しているのが、その単語を選んで右クリックすると辞書や百科事典に飛んでくれるサービスです。もしかしたら私が使っているブラウザ
Operaだけの機能でしょうか。兎に角、読めない漢字とか意味の分からない言葉があると右クリックで直ぐに飛んでくれるので重宝しています。

  という訳で、早速右クリックで調べてみました。

 ウィキペディア ケッタ

  ケッタ、けった

  自転車 - 岐阜を中心とした東海地方で使われる新方言語彙で、自転車を指す。ケッタマシーンなどともいう。

  何と自転車のことですか。これはチョッと想像もしませんでした。東海地方では当たり前のように通じるのでしょうか。
  そういえば、私がフォローさせてもらっている
twitterに「楽チンケッタ」という自転車関係のところがありましたがあれもそういう意味だったんですね。おかしな名前だとは思っていましたが、まさかこんな意味があったとは。

   twitter → rakuchinketta

  それにしても、この右クリックの辞書や百科辞典の便利さに慣れてしまうとそれでなくても辞書なんか引かなくなってしまっているのに、ますます横着になってしまいそうです。と言うか、後でなんて思いながら結局調べないのよりは余程ましなのかもしれません。
  しかしながら余りに知らないことばかりで、右クリックから横道に逸れてしまって只でさえ足りない時間が又しても足りなくなりそうです。 

良いのか悪いのか!


舞妓

2010年09月23日 | 無知

  

固定観念というか思い込みというものは自分ではなかなか気が付かないものです。
  16日の読売新聞コラム「平城京を歩く」でそんな思い込みに気が付きました。

  元林院(がんりいん)

  …略

  ポクッ、ポクッ。通りの向こうから、舞妓の履くおこぼの音が響いた。出会ったのは菊弥さん(19)。着物や舞が好きで、2年前にこの世界に入ったという。「自分の芸を磨いて、街をもり立てたいです」とほほ笑んでくれた。
  明治初めからある花街。元林院の名はこの地にあった興福寺の別院由来する。
  大正~昭和初期の最盛期には、300人の芸舞妓を抱え、京都、大阪の花街に並ぶにぎわいがあったそうだ。今、置屋は3軒、芸舞妓は10人ほどになったという。…以下略

  舞妓と言えば祇園という固定観念に囚われてしまっていました。考えれば芸妓さんのいるところは当然舞妓さんもいるはずですね。

  ウィキペディア 舞妓

  舞妓(まいこ)は年少芸妓、芸子(芸妓)の見習い、修行段階の者を指す。舞妓は京都(大阪、奈良などでも)の呼称である。東京など関東地域でいう『半玉』もしくは『おしゃく』に相当する。芸者は江戸での呼び方なので、区別する必要がある。

  参考:菊乃流

  関東と関西では呼び方も違うんですね。芸者が江戸での呼び方というのも知りませんでした。全く、何にも知らないですね。尤も、どちらにしても一生縁の無い世界です。
  それにしても、自分の頭の固さには今更ながらあきれます。もっと柔軟な考え方が必要ですね。とは言うものの、それができていれば人生も変っていたのかも。

今更遅い!


鬼瓦

2010年09月14日 | 無知

  

何時ものように、更新のネタ探しにネット巡回をしていて興味ある記述を見つけました。

  YOMIURI ONLINEより

  鬼瓦 うどんとコラボ

 県の伝統的工芸品の一つ、鬼瓦をモチーフにしたうどん鉢「鬼瓦 さぬきうどんの器」が、高松市牟礼町原の道の駅「源平の里 むれ」で販売中だ。笑ったり、にらんだりと一つひとつ表情が異なる鬼の顔を底面にあしらったデザインで、訪れた観光客らの人気を集めている。

 県内では、江戸時代後期から鬼瓦などの装飾瓦の製造が、現在に伝わっている。鬼瓦は、瓦ぶき屋根の端に雨水の浸入を防ぐために取り付けられ、水や火などの災いから建物を守る魔よけとしても使われてきた。…以下略

  とここまで書いたら、「うどん」に反応したと思うでしょう。ところが私が「あれっ」と思ったのは、「鬼瓦は、瓦ぶき屋根の端に雨水の侵入を防ぐために取り付けられ」というところです。
  実を言うと、鬼瓦は魔よけなどのための飾りくらいにしか思ってなかったので、雨水の侵入を防ぐという考えれば当たり前とも思える本来の役割があることなど考えたこともありませんでした。
  本当なんでしょうか。

  ということでサーチしてみました。相変わらずネットの凄さを感じさせてくれる情報が沢山ありました。

 建築エコノミスト森山のブログ 絶滅危惧器具4 鬼瓦

 お地蔵さんの寺子屋だより 船橋地蔵院の鬼瓦

  Q.屋根材としての役割は何だろうか?

  1. 鬼瓦の役割は、棟の両端から雨水が進入するのを防ぐことにあります。粘土瓦の製造業者は「粘土瓦製造業」に分類されるので、確かに屋根材なのですが、機能的には意匠としての飾り屋根です。

  一家の守り神「鬼瓦」

   雨漏り・入母屋、化粧棟

  こう見てみると、鬼瓦が雨水を防ぐ役割を果たしているのは常識のようです。相変わらず知らぬは私だけ状態のようです。
  それにしてもこんな当たり前のことに気が付かなかったとは頭悪すぎですね。

情けない!


棗(なつめ)

2010年09月06日 | 無知

  実物は見たことないが小説などに良く出てくるものに第1522回で取り上げたナツメがあります。そのナツメが茶道具の棗とも関係があるようです。相変わらず知らないことばかりです。

  8月31日 読売新聞コラム「茶の湯」より

  薄茶を入れる薄茶器で最もポピューラーなのが漆器の棗だ。小ぶりの小棗は濃茶用の茶入れに使われる。植物のナツメの実に形が似ていることから名付けられた。
  棗形の茶器を初めて作ったのは村田珠光同時代の塗師で京都・相国寺前に住んでいた羽田五郎といわれる。続く時代の武野紹鴎が用いたとわれる紹鴎棗も存在する。今日では、利休形と呼ばれる千利休の好みで、黒色の漆を塗った真塗(しんぬり)のものが基本となっている。
  この外、平べったい平棗や下部が膨らんだ尻張棗、白粉を溶く容器に似た白粉解(とき)棗など形は様々ある。蒔絵や螺鈿で華やかなデザインを施したものも多い。朱塗、溜(ため)塗、一閑張もあって、バラエティー豊かな茶器だ。…以下略

  棗ってどんな実なのか第1522回でも書いたように偶然一度だけ目にしましたがあまり良くわかりませんでした。しかし、こうして名付けられたと言う事は日本に昔からあったものだと考えるべきなのでしょうね。

  ということで、サーチしてみました。

ウィキペディア→ ナツメ

                (茶器)

  (なつめ)

  棗のホームページ

  形は良く似ているようですが大きさは随分違うようです。これで良く思いつきますね。それほどポピュラーな実だったのでしょうか。
  食べるとりんごのようなのだそうなので一度食べてみたいものです。それにしても昔の人は優雅な名前をつけるものです。
  茶道には縁がありませんが夏目漱石の所為でしょうか妙に気になる名前です。それにしても、名前の分からない木や雑草に名前を知っていても見たことも無いものなど色々あります。

本当に知らないことばかり!


しのつく

2010年08月27日 | 無知

  第3980回の「彊」に次いで、またしても無知を思い知らされました。

  8月18日読売新聞コラム「日めくり」より

  しのつく雨 ― 一天にわかに…

  言葉の響から、しとしと降る雨と誤解しがちだが、漢字で書けば「篠突く」。篠竹(群がって生える細い竹)を束ねて突き立てるように、細かいものが一斉に飛んでくる様子を表す。雨粒が地面に激しくたたきつけてくるのが「しのつく雨」だ。広重の版画「東海道五十三次」の「庄野」は、墨色の空から地面に向かって斜めに無数の雨がえがかれていて、しのつく雨がうまく表現されている。
  「しのを突く」「しのを束ねる」ともいう。風も加わって大荒れになるのは「しのを乱す」。こうなるともう傘は役に立たない。

  しのつく雨が「篠突く」であり「篠竹」とは全く想像もしませんでした。もっとも、しのつく雨なんて小説では目にしますが、実生活で使ったこともないのでしかたの無い事かもしれませんが、相変わらずの無知振りに悲しくなります。
  今更ですが、日本語の勉強が必要なようです。さて、とりかかるか、それとももう残り少ない人生、きっぱりと諦めるか。

どうしよう!


2010年08月12日 | 無知

  

「彊」という字を初めて見たのは「自彊会館」という高松高専の学生会館の石に彫られた会館の名前でした。何て読むんだろうと教えてもらったら「じきょう」と読み「自分で励む」というような意味だと教えてくれました。世の中には難しい字があるものだと思ったものでした。

  その後、たまに見かけることはありますが滅多にお目にかかることも無いので、半ば忘れた状態でした。ところが、最近ネット巡回の途中で彊は強と同じ字であると書いているところがあり驚きました。

  早速サーチしてみました。

  ウィクショナリー → 

  意義

本来は「強い弓」の意味だが、転じて「強い」「強いる」の意味も持つ。中国の簡体字では「強」と同字。

  やっぱり同じ字のようです。

  自彊で調べてみたら学校などの校訓として多く採用されているようです。

  参考: 岐阜県立岐阜高等学校の校訓

  自彊不息(自分から努力し一刻も休まない)

  彊が強と同じとは想像もしていませんでした。それにしても、常用漢字で簡単な字ばかり教わり、難しいことを避けてきたのは楽をしてきた報いなのでしょうね。子供のときに苦しくても多くを詰め込んだ方が結局は役に立つのじゃないでしょうか。これなども、ゆとり教育の問題点でしょうね。
  大人になって恥をかくのはそうして育った本人なのですからゆとりもいい迷惑かもしれません。

難しいところですね!


半旗

2010年07月30日 | 無知

  テレビや新聞などで「半旗を掲げる」とあるのを国旗を半分にしたものなんて思ってました。本当の意味を知ったのは何時の頃だったでしょうか。と、分かっていたつもりでしたが、半旗の掲げ方があるとは思っていませんでした。相変わらず思い込みの激しい私です。

  ウィキペディア: 半旗

  半旗

半旗(はんき)とは、弔意を表すために旗竿の最上位より下に掲げた旗のことである。

かつて船において弔意を表す方法であった国旗に喪章を付ける(弔旗)慣習が、洋上では視認しにくいとして国旗を半下する方法に変化したものである。現在は洋上に限らず実施されており、弔意を示すためには原則として半旗を掲げ、半旗の掲揚ができない場合は弔旗とするのが一般的である。

  掲揚方法 [編集]

旗を旗竿の最上位まで掲げ、その後に旗竿の半旗の位置にまで降ろすことで行われる。半旗の位置とは、おおよそ旗の一辺から旗竿の2分の1の範囲であり、半旗であることが分かる位置であればよいとされる。逆に半旗としない場合は、旗竿の構造上可能な範囲において最上位に掲げて固定し、傍目に半旗であると誤解されないように掲揚するべきであるとされる。

半旗を降ろす場合には、再び旗を旗竿の最上位まで掲げ直してから降ろす。…以下略

  旗竿の頂点から少し下ろした位置に掲げるくらいにしか思っていなかったのですが、こんな決まりがあるとは全く考えもしませんでした。尚且つ、降ろし方にも決まりがあるとは、全く知らないことばかりです。
  しかし、
第3963回の「灯台下暗し」といい、余りにも無知が酷いですね。これで、平気でHPを書いているのですから恐ろしい。ここはやはり気にしないでやっていくしかなさそうです。
  このあたりもある程度自覚しているところがあったので麻生さんの間違いを責める気にはなれなかったものです。
  それにしても、人の間違いの揚げ足を取るマスコミの人達ってきっと自分は間違いなんかしないんでしょうね。

本当なら凄い!


灯台下暗し

2010年07月26日 | 無知

  

サイト巡回の途中で、又しても自分のアホさに気が付きました。

  灯台下暗しの「灯台」を何の疑問も感じずに海に建っている灯台と思い込んでいましたが、何と江戸時代などに使われていた部屋の明かりを置く台なのだそうです。

  そういわれて見れは海の灯台なんてのは近代になってのものだろうし、ことわざに使われるには時代が合わないのかもしれません。

  早速サーチしてみました。

   ことわざ学習室 → 灯台下暗し

  灯台下暗し読み(ひらがな) とうだい もとくらし。

 意味

自分の身の回りで起きていることは、意外と分かりにくく、気がつかないものだというたとえ。

 解説

灯台は、海岸近くにある灯台ではなく、灯明台(とうみょうだい)のことで、昔、部屋の中を明るくする為に、用いた、火をともして置く、少し高い台のことで、この台の真下は、暗くて、よく見えないことから生まれたようです。他人のことは、よく知っているが、自分のことになると、よく分からないという意味もあるようです。…以下略

  まぁ、海の灯台でも意味が通らないことはないので「灯明台」なんてものを使ったことも無い身としては勘違いしていたのも仕方の無いことかもしれません。
  それにしても、もう少し言葉というものに関心を持たないといけないですね。勘違いしたまま覚えている言葉はまだまだありそうです。知らないことは強いですが、長い間恥をかき続けているのですから恐ろしいものです。麻生さんのようにマスコミによって総理まで辞めさせられることもあるのですから。

凡人としては気にしない手もあります!


おうばんぶるまい

2010年07月06日 | 無知

  「おおばんぶるまい」と言えばてっきり大盤振る舞い」だと思っていましたが、どうやら間違っているようです。

  産経新聞より

  【産経抄】7月2日

  気前よくもてなすことを、「椀飯(おうばん)振る舞い」という。江戸時代には、正月などに親類縁者を招いて開く宴(うたげ)を意味した。5月から6月にかけて来日したばかりの中国人32人に、大阪市が「生活保護」と呼ばれる「椀飯」を振る舞っていたことがわかった。…以下略

  この記事自体はとんでもないものですが、今回は中身じゃなくこの「椀飯(おうばん)」です。
  「大盤(おおばん)振る舞い」だとばかり思って、他の漢字があるなんて考えたこともなかっただけに驚きました。
  あわてて、辞書を引いて見ると「おおばん」では「大盤」、「おうばん」では「椀飯」がありました。常日頃「おうばん」なんて言わないので「おおばん」でしか調べないので「おうばん」に気が付かなかったのかもしれません。
  それにしても、日本語って難しいですね。知らずに使っている言葉がどれほどあるかと思うと怖い物があります。
  それでなくても結構いい加減な性格で誤字・脱字はしょっちゅうだし、間違って覚えているものもあるし、パソコンでは
第3927回の雨以下のような誤変換は日常茶飯事なのにこの上こんな語源の違うものまであったんじゃオチオチ文章もかけませんね。
  と言いながら、そこは結構いい加減な性格で気にしなかったりして。

お恥ずかしい!

  それにしても、来日したばかりの中国人への「生活保護」は何とも恐ろしい話です。日本はどうなるのでしょうか。この11日で答えはでるのかも。


二六時中

2010年06月19日 | 無知

  昔から「妙な言葉だなあ」と思いながらも詳しく調べもせずに置いた言葉があります。そんな言葉の一つを見つけました。

  9日、読売新聞 ポケモンといっしょにおぼえよう!熟語大辞典より
  四六時中(しろくじちゅう)

  一日中。いつも。「四六時」は、4×6=24から、一日(24時間)を指す。昔は一日を12に分けていたから、「二六時中(にろくじちゅう)」と言ったんだ。

  今や、私が年寄りと言われる歳ですが、そんな私が年寄りと思っていた人たちが時々「にろくじちゅう」と言うのを聞いて何で「しろくじちゅう」と素直に言わないのだろうと思いながらも、単なる言葉の遊びくらいにしか思っていませんでした。
  まさかこんな意味があったとは、推理力と言うか想像力の無さに恥ずかしくなります。
  
第2559回で、不定時法を取上げて、太陽と共に生活しましょうなんて書いたくせに、これには思い及びませんでした。

反省!


やむを得ない

2010年06月11日 | 無知

  なにをかいわんや」と書くとき変換では何をか言わんや」とは出ずに「何をか況や」と出るので思わずどちらが正しいのか解らなくなって悩む時があります。正解は「何をか言わんや」の方で、「況や」は発音だけで出てくるようです。この辺りがIMEが一太郎に及ばないと言われるところでしょうか。
  兎に角、日本語は難しい。教養の無い身には辛いものがあります。

  そんな事を思い出させる言葉がありました。

  6月4日、読売新聞コラム「日めくり」より

やむを得ない ―― ため息と涙とともに

  そうするよりほかにどうしようもないと、あきらめたときに口に出る言葉。「やむ」は、途中で行われなくなること。終わらずにいつまでも続くのが「やまない」。やめようとしてやめられないのは「やむにやまれぬ」。「やむを得ない」は、やめたくてもやめられず続けざるをえないというところから、不本意ながら、仕方ない、といった意味になったものだ。
  明鏡国語辞典は、「やむおえない」「やむ終えない」「やもう得ない」は誤りと特記している。言葉の成り立ちを意識しないで使うと、こんな誤用もおこるのだろうか。

  これなんかも私は方言では「やもうえん」なんて使い方をしていましたが間違っているのかもしれません。
  それにしても、日本語はどんどん劣化していくのでしょうね。戦前の口語とか古典なんて殆ど勉強しなかったので、昔と言うか戦前のものさえ読めない私の様な人間が増える事によって日本の良さも失われているのかもしれません。ここでも、戦後教育の歪が現れているのでしょうね。
  やはり、教育というものをいい加減に考えてきたことが戦後の日本の最大の失敗だった事は間違いないですね。

もう取り返しか付かないのかも!


もしもし

2010年05月26日 | 無知

  我が家は父が昔の電話局に務めていた関係で、割と早くから電話がありました。その所為で、子供の頃から電話が鳴ると直ぐに「はい××です。」と取る癖が付いていました。当時はそんな事思いもしませんでしたが、今考えると子供が出た相手は嫌だったでしょうね。
  それでも父の教えで「もしもし」という取り方はしませんでした。ですから、今でも電話を取ったときに「もしもし」と言うのには違和感があります。それでも、その「もしもし」という言葉がどういう意味で、何故使われるようになったのかは何時も疑問に思っていました。

  21日の読売新聞コラム「学び」が詳しく教えてくれていました。

  「もしもし」の始まり

  電話するときの決まり文句「もしもし」。「もしも」「もしや」の「もし」ではありません。「××と申します」と自己紹介する際に使う敬語の「申し」がもとになっています。
  「申し」は昔、人にていねいに呼びかける言葉として、「申し、おひめさま」のようにも用いられました。それを「もし」と短くして、二つ重ねたのが「もしもし」です。
  童謡の「うさぎとかめ」は、うさぎが「もしもしかめよ、かめさんよ」と話しかけます。道で会った知らない人に、「もしもし、何か落とされましたよ」と、呼び止める場合にも使われた言い方でした。
  ベルが発明したテレホンは日本に入って来て電話と訳されました。受話器に向かって言うハローの代わりには、古くからあった「もしもし」をあてることになったのです。通じているか確かめる意味合いもあり、もともとは、電話をかけた方が言うものです。
  敬語から生まれた言葉です。心をこめてていねいに使いたいですね。(用語委員会・関根健一)

  何気なく当たり前の様に使っていますが、こんな訳があったのですね。まさか「もしもしかめよ」の「もしもし」と同じは思ってもいませんでした。こうして知らずに使っている言葉って多いですね。もうすこし、言葉と言うものに興味を持った方が良さそうです。
  とは言いながらも疑問を持っても、面倒臭がってついそのままにしてしまうことになりがちです。

もう少しマメにならないと!