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団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★★日本語の素晴らしさが、ここにもある

2020年09月13日 | 素晴らしい日本語

 日本語と英語の違いで良く言われるのが主語や動詞の並びの違いです。英語は動詞が先に来るが日本語は最後にくる。この違いの意味が良く分かりませんでしたが、ここにも日本と欧米の考え方の違いがあるようです。

  ねずさんが、これを話を聞く人、聞かない人の違いとして説明してくれています。やはり、言葉というのは重要ですね。

  何時ものように、全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より     2013/10/14

  話 を聞く人、聞かない人

  ・・・略

 けれど、こうした、何をしたいのか、何をいいたいのかが、話を最後まで聞かないとわからないという日本語の特徴は、常に相手の 話を「ちゃんと聞く」、「しっかり聞く」という態度をはぐくみます。
また、主語を省くということは、「俺が、私が」ではなくて、常に「みんなとともに」、「みんなの考えで」という姿勢をもたらしま す。
ここに、古来から日本人の中に自然に備わった徳義があります。

 結論が最後に来る日本語では、あたりまえのことですが、相手の話を最後までちゃんと聞かなければならなくなります。
ということは、まずは相手の言い分をちゃんと聞くという姿勢が日本人には自然と備わるわけで、その態度や精神は、これまたおのず と互いに相手を認め合い、意見や話をちゃんと聞くという相互共和の精神を育んでもいるわけです。・・・以下略


  やはり、世界平和を目指すのなら世界は日本語を共通語にすべきなのじゃないでしょうか。日本がここまで平和ボケになっているのも、この素晴らしい日本語を使っているのであるなら、世界を平和ボケにさせる為にも日本語を共通にする利点はありそうです。


★★日本語は神様の言葉

2020年06月16日 | 素晴らしい日本語

 ねずさんが日本語は神様の言葉と言ってくれています。日本語こそ世界共通後に相応しいと何度も書いて来たので、これは嬉しいですね。
  その中でも、武田鉄矢さんも言っていたオノマトベの素晴らしさににも触れてくれています。

  やはり、これだけの表現力を持った言葉を劣化させるのは余りにも勿体ない。どうしても世界共通後を目指すべき。



★日本語はどうやって生まれた?

2020年04月14日 | 素晴らしい日本語

 虫の声を聞き分ける事が出来る素晴らしい日本語を世界共通語にすべきと思ってますが、どうやって生まれたかはまだ良く分かっていないようです。

  そんな動画がありました。まだまだ研究不足のようで物足りないものがありますが、面白い考え方ではありそうです。

  日本は、世界から来たものを全て日本で最適なものにする習性があるので、それが言葉にも適用されたのじゃないでしょうか。


  それにしても、今更ながら、日本の凄さが少しずつ解って来るのは嬉しいものです。やはり、日本はとてつもない国なのじゃないでしょうか。
  やはり、一度は地に落ちた日本の時代が来るのじゃないかと期待したくなります。その為には、劣化した日本人が再生される必要はあります。

さて、再生できるでしょうか!

★河野防衛相「日本語で言えばよい」

2020年04月01日 | 素晴らしい日本語

 折角、日本には、2月28日、第7453回の「★日本語はなぜ『世界共通語(リンガ・フランカ)』にふさわしいのか。」などで、取上げてきたように世界共通語に相応しい素晴らしい言葉があるにも関わらず、相変わらず訳の分からない横文字を使いたがる人が多い様です。

  やはり、2018年08月21日、第 6897回の「★追い込まれると横文字に頼る『エリート』」で、取り上げたように政・官・財・マスメディアなどのエリートさん達が追い詰められたり、煙に巻く為にやたらに使いたがるのでしょうか。

  その中で、河野防衛相が素晴らしい発言をしてくれたようです。China肺炎問題で、やたらと英語が使われていることに日本語で言えば良いとか分り易い言葉にした方が良いとか苦言をていしてくれたようです。

  これは、大賛成です。英語の得意な河野外相の言葉だけに重みもあります。

  やはり、分り易い日本語を使ってくれれば理解も早い。何故、ことさら横文字を使いたがるのか。これも、やはり正しい国家観や歴史観を持たない所為かもしれません。きっと横文字の方が賢く見えると思い込んでいるのじゃないでしょうか。  


★★日本語はなぜ「世界共通語(リンガ・フランカ)」にふさわしいのか。

2020年02月28日 | 素晴らしい日本語

 虫の声を聞き分けることが出来る日本語こそが世界共通後にふさわしいのじゃないかと、2014年03月03日、第 5279回の「★★ 日本語を世界共通語に」などで書いてきました。
  こんなことを言う奴はいないのかと想っていたら何と産経抄さんが書いてくれました。

  ロジャー・パルバースという方が、「驚くべき日本語」という本も書いてくれているそうです。

  昨日のホンダジェットに続いて嬉しい記事です。やはり、日本人が日本語の素晴らしさに気付いて自信を持って大事にしたいものです。

  世界の人々が日本語で考えるときこそ八紘一宇の世界になるのです。シラス国を世界に広めましょう。
    
  


  参考;

  驚 くべき日本語  ロジャー・パルバース・著 早川敦子・訳 

 日本語はなぜ「世界共通語(リンガ・フランカ)」にふさわしいのか。

 英語・ロシア語・ポーランド語・日本語。
まったく異なる文化的背景から生まれた4カ国語をマスターした外国人作家が、比較言語論的視点や自らの体験をもとに、世 界に誇る日本語独自の魅力と「世界共通語」としての可能性を説く!

  世界は日本を待っているのです。その為には日本語を共通後にすることが早道であり必須条件でもあるでしょう。

そんな日は来るでしょうか!

 


★日本語の乱れの原因も反日売国左翼・在日か

2020年01月23日 | 素晴らしい日本語

  毎日ねずさんのブログを読む度に目から鱗です。ところが、まだまだ勉強が足りないようです。今日も、成るほどそうだったのかと思わされたものがありました。

  それはこの部屋でも何度も取上げてきた日本語の乱れです。平和ボケが抜けきっていないのでしょうか、これを単に日本人の劣化だと考えていました。
  ところが、ねずさんがこれも「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」達がマスメディアを牛耳っているためだと書かれていました。
  成るほど、そう考えれば、日本人では到底思いつかないような言葉遣いのおかしさにも納得が行きます。何で、こんな間単なことに気が付かなかったのか。何とも情けない。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとより   2020 年 1月18日  

  友人のひとこと

 ・・・略

 本にも書きましたが、古語では「をかし」と「おもしろし」は区別して用いられていました。
吉本漫才のような瞬間芸を見て「あはは」と笑うようなものが「をかし」です。
悲しい映画を観たあとでも、「今日の映画おもしろかったねえ」というときに用いられるのが「おもしろし」です。
後者は感動をあらわします。

 最近では、日本人のような顔をして日本語を話す日本人でない人が増え、そういう人たちがメディアを牛耳っているために、日本語の表現がかなり不自然なものになっています。
単語がまったく異なる使われ方をするのです。
そしてその異なる使われ方の視点で、我が国の古典を読んだら、それは違った解釈になって当然です。

 たとえば「子供達(こどもたち)」という表現があります。
「供」は複数を表す接尾語で、「達(たち)」もまた数を表す接尾語です。
これでは「子たち、たち」と言っているようなものです。
正解は「子たち」あるいは、単に「子供」で良い。・・・以下略


  やはり特亜3国とは未来永劫の国交断絶が必要のようです。まさか、日本語の乱れもそこに原因があるとは思いもしなかった迂闊さにまだまだ特亜3国の恐ろしさが分かっていないことを思い知らされました。


★知っておきたい「令和」の意味

2020年01月17日 | 素晴らしい日本語

  最悪の平成よりもっと悪くなる令和のことは余り興味が沸きませんが、ねずさんが、その令和の意味を書いてくれています。
  その中で、GHQがこの素晴らしい日本語を消滅させようとした企みと何故それを防ぐことが出来たのかを書いてくれています。
  もし、これが成功していたら日本人は今以上に劣化していたのは間違い無さそうです。とは言え、かろうして守られた日本語も奴等の仕掛けでどんどん劣化しています。これを何とか護らないと日本はどんどん劣化して行くでしょう。
  やはり文科省を廃して教育改革を急ぐべきです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとより    2020 年 1月11日

  知っておき たい「令和」の意味

   ・・・略
 漢字には、一語一語に、その成り立ちと意味があるということは、国語の教育を受けたことのある方であれば常識とするところ です。
けれど戦後「漢字かな混じり文を用いるから日本人は優秀だ」、あるいは「日本人が優秀で戦いにも強いのは、日本人が漢字かな 混じり文という特異な文化を持つことに由来する」という議論がなされ、GHQによって昭和22年に「当用漢字」が示されて、 ここから日本人は漢字の持つ本来の意味を失っていくようになりました。

  そもそも「当用漢字」というのは、「当面用いる漢字」の略です。
では漢字を当面用いた後にどうするのかといえば、日本語表記を全部ローマ字にするという案が当時出されていたのです。
ところが、ローマ字を書いたことがある方ならわかると思いますが、これでは大変に意味がわかりにくい。

 早い話、新年の挨拶を、
「Shinnen akemashite omedetou gozaimasu.」
と書くのと、
「新年明けましておめでとうございます」
と書くのでは、文字の読み取りの速さがまるで違うし、日本語は歴史が古いために同音異義語が非常に多い。
加えて、「キラキラ」とか「ガタゴト」というような「オノマトペ」と呼ばれる擬制言葉がたいへんに多い言語ですすから、ロー マ字表記にしたら、ものすごく言語の意味がわかりにくくなります。
このため、日本語表記のローマ字化については、各方面から猛烈な反対運動が起こり、さしものGHQもゴリ押しができなくなっ て、結果、「当面用いる漢字」とカナによる表記が、戦後の日本語表記の方法になりました。

 その代わり、ほとんど報復的に、漢字の意味が取りにくいものに変更させられました。・・・以下略


  どう考えても、教育改革が一番急がれます。これを放置したまま経済が発展したところで三島由紀夫さんが言われる空っぽの国が出来上がるだけです。そんな国は直ぐに崩壊するでしょう。


★説明責任は日本人にある

2019年12月22日 | 素晴らしい日本語

  日本語こそが世界共通語になるべきだと考えていますが、表現力が素晴らしいだけでなく、深い文化がひそんでいるようです。
  日本人と韓国人が分かり合えないのも同じ日本語を使っても文化の違いで理解仕会えないのだそうです。これは、盲点でした。
  その文化を理解出来る人は日本人を理解することが出来るのじゃないでしょうか。

  やはり、日本語が世界共通語になって初めて世界は分かり合え平和を手に入れることが出来るのかもしれません。と言うことは、やはり地球滅亡の時までに間に会うかどうかわからないのかも。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとより    2019 年 12月17日

  説明責任は 日本人にある

  ・・・略

 日本語は、「朝起きたら眠かった、眠くなかった」というように、相手の話を最後までちゃんと聞かないと、意思がどっちにあ るのかわかりません。
ですから自然と、相手の話を最後までちゃんと聞く姿勢が備わります。
このことは実は日本の文化の基礎といえることです。

 欧米やChinaの言語では、結論が先にきて、あとから理由が来ます。
この場合、理由の前に結論だけが先行しますから、相手の話を最後まで聞かずに、結論に対して反応的になります。
パブロフの犬と同じです。
結論を言われる、反応する。
反応は、ときに対立を生み、それが闘争に至ります。
最後まで話を聞けば、なんてことないことなのに、先に思い込みで対立してしまうのです。
ですからどうしても最後まで話を聞かせようとするときには「威嚇」が必要だったりします。・・・中略

 ここに文化的ギャップがあります。
日本人だけの社会であれば、日本文化を共有していますから、説明は要りません。
しかし、いまの日本のように、日本人のような顔をして日本人名を名乗るけれど日本人ではない人たちが混じっていたり、外国人を含めた会議やプロジェクトを遂行しようとするときには、なぜ我々日本人は、そのような行動や発言をするのかについて、日本人自身が、はっきりと明確にその理由を、相手にわかるように説明できなければなりません。

 つまり日本人の行動に関する説明責任は、日本人自身にあるのです。
ということは、日本人が日本人の行動を、それを単に「あたりまえのこと」や「昔からそうだから」というだけではなしに、ちゃんと理由や意味を説明できるようにならなければならないということです。

 男系天皇にしても、「昔からそうだから」とか、「伝統だから」、あるいは単に「Y遺伝子が」という説明では、周囲は納得もしないし、理解も得られないのです。
ではどのように説明できるのかは、拙著『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』で詳しく述べましたので、ここでは重複は避けますが、ただ「常識だから」というだけでなく、「なぜ常識なのか」を説明できるようになること。
そのことが、これからの時代、もっと大切になっていくように思います。


  日本を世界に理解してもらうには相当の努力が必要のようです。翻訳機では無理かも知れないですね。

  日本語の面白さをツイートしてくれていたのがありました。これも日本語の面白さでしょう。日本語の凄さを思い知らされます。やはり、大事に守って行きたいですね。地球滅亡まで。


★筆順と当用漢字が日本をダメにする

2019年12月18日 | 素晴らしい日本語

  当用漢字で育った身としては、戦前の漢字の難しさに戦後で良かったと思ってました。ところが、それがGHQの日本人をアホにする企みだったとは。
  これらも、ねずさんに教えて貰ったのですが、改めて書いてくれています。今更ながらですが、昔の漢字で勉強したかったと今更ながらに思うのですから勝手なものです。

  それにしても、GHQの底意地の悪い企みには今更ながらに世界の腹黒さを思い知らされます。それ以上にそれを受け継ぐ日本嫌いの文科省には腹が立ちます。そんなに日本が嫌いな奴等が教育に携わっている限り日本を再生するのは無理でしょう。やはり、一日も早く廃止すべきですね。

  何時ものように、前文をリンク元で読んでください。

   ねずさんのひとりごとより    2019 年 12月13日 

  筆順と当用漢字が日本をダメにする

   ・・・略

   トップの画像は、必殺仕掛人シリーズの昔のポスターです。
「必殺!シリーズ」は、大人気となったテレビ時代劇シリーズですが、最初のときは、緒形拳や林与一、山村聰さんなどが出演 し、その名称も「必殺仕掛人」でした。
ところが、大人気となったこのシリーズは、なんと33話で打ち切りになってしまいます。
そして藤田まことの演じる中村主水が登場する必殺仕置人シリーズとなるのですが、この両者のポスターを比較すると面白いこと がわかります。

 「必」という字のところをよく観ていただきたいのですが、最初の「必殺仕掛人」のときには、「必」の字が、「心」を書いて、 そこに袈裟に斜めの線をズバッと入れて「必」という字にしています。
実は、昔の「必」という字の筆順がこれで、心にズバッと刻むから「必ず」であり、勝つと心にきざめば「必勝」になったわけで す。

 ところが、藤田まことのシリーズになってからは、「必」の字が、カタカナの「ソ」を書いてから「心」の一部を書くような筆順 になっています。
実は、必殺仕掛人シリーズが早々に打ち切られた背景に、この「必」という字の筆順の指摘があったといわれています。

 「心に勝つことを刻む」という、漢字の持つ本来の意味を正確に筆順にすることが、文科省によって否定されているのです。
理由は「そういうことを教えると、日本人が優秀になってしまうから」なのだそうです。

 みなさんは学校で「当用漢字」なるものを教わったご記憶があろうと思います。
「当用漢字」というのは「当面用いる漢字」の略で、GHQの指導に基づき、昭和21年11月5日に国語審議会が答申し、同年 11月16日に内閣が告示したものです。
つまり、GHQによる戦後の占領政策の一環として誕生したのが「当用漢字」です。

 GHQにとって、最大の関心は「なぜ日本人がここまで強いのか」ということでした。
その原因がわかれば、その原因を取り除くことで日本人をおバカな国民にすることができるからです。
そしてたどり着いた結論が、日本人が用いる漢字でした。

 漢字というのはもともとが会意象形文字といって、意味のある文字の部品の組み合わせによって、一定の意味を持たせた文字で す。
 つまり漢字は、意味のある部品(象形)の組み合わせ(会意)によるものであり、その漢字を縦横に駆使することで、日本人 は、幼い頃から洞察力を身に付け、その察する力を人々の和に結びつけることで、日本人は世界的に観ても優秀な民族となってい るのだから、その原因を取り除けば(あるいは加工してしまえば)、日本人から優秀性が失われる、というわけです。・・・以下 略


  今も、ネットで藤田まことさんの必殺を見ていますが必の字にそんな違いがあるとは気が付きませんでした。ところで、この「必」はねずさんの言う「心」じゃないでしょうか。使い勝手の悪いエディターAnthyも良いところもあるようです。


★★英語は日本語と歴史を習得してから勉強すべき

2019年11月10日 | 素晴らしい日本語

  何時もの宮崎さんのメルマガは、ご本人の記事だけでなく書評や読者の声もレベルが高く何時も目から鱗ばかりです。

  今回の読者の声は英語教育について実際に海外で英語を操った体験をされた方々の声だけに貴重なものがあります。
  この部屋でも何度も書いていますが、今の日本の英語教育の可笑しさが浮き彫りになっています。

  特に、政治家で日本語もまともに習得せず、正しい国家観も歴史観も持たないものが英語を使う危険さに恐怖を覚えます。
  特に、宮崎さんが宮澤喜一を挙げているのに納得しました。歴史を知らない為にKoreaに付け込まれニセ慰安婦問題で日本を貶めた張本人でしょう。
  こんなのを総理に選んだ日本人の大きな失敗です。何と、その宮澤喜一の足元にも及ばないようなセクシー政治家を次期総理になんて言ってる日本人は同じ過ちを犯すのでしょうか。

  兎に角、この読者の声は面白い。是非読んでください。

 宮崎正弘 の国際 ニュース・ 早読みより  令和元年(2019)11月5日(火曜日)弐  通巻第6262号 

  (読者 の声2)

 貴誌6262号の「読者の声」で、私の英語教育論を述べさせていただいたところですが、時事通信社11月4日配信の「小泉 氏、得意の英語で環境外交=自民からは不安の声」というニュースが目にとまりました。
 (私には)このいささかの教養も感じられない、無内容な、カッコだけの若造、英語云々以前に、日本語による言動でさえも、 能力に疑問があると思っていましたが、ここでも馬脚を現していますね。
 小泉氏の英語能力の程度を具体的に知るわけではないので、同氏の学歴などから推測するものですが、国内で、英語学習も十分 でなかった者(すなわち、文法応用力も語彙力も十分に身に着けていない者)が、わずかの期間、「留学」して卒業証書をもらっ てきても、そんな程度で、「大臣」が責任ある発言をできるレベルに達しているとは考え難いように私は思い(推測し)ます。
 そもそも中途半端な英語力でありながら、そのことを自覚できず、「国際会議では『通訳を通してでは勝負にならない』」(上 記時事通信社ニュース)などとのたまうことが、教養の浅さを示しています。
 少なくとも、実務者レベルの者ならともかくとして、「大臣」としての外国要人との会話で、語学力不足からの誤解が生じた ら、どうするつもりなのか。
 直接の会話は挨拶程度か最低限の「私的」会話にとどめるのが賢明ではないだろうか。
 相当に語学力があっても、通訳を介することによって、少なくとも、通訳されている間、思考をする時間の余裕を得て、回答が 慎重なものになるだけでなく、最悪の場合、通訳の誤訳だったと言い逃れる余地もあります。
 上記時事通信社ニュースは、「自民党内にはパフォーマンスにも映る今のスタイルを続けることへの不安の声もある」と述べて いますが、そのとおりでしょう。 

https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%87%AA%E6%B0%91%E5%85%9A&ei=UTF-8&rkf=1&slfr=1&fr=link_direct_nws(椿本祐弘)

(宮崎正弘のコメント)英語をひけらかした宮澤喜一を思い出しました。国益を守るのが政治家のはずでは、と何回も在任中に感 じたことでした。
三十数年前まで、政治家で英語を操る人は稀でしたが、いまは相当数、それも若手が出てきましたが。。。

   ♪
(読者の声3)貴誌6261号「読者の声」における、「昔の英語教師」氏の英語教育・入試論、拝読しました。とりわけ同感し たのは、「むしろ喫緊の課題は、外国語の達人を目指す1割の若者に対する英才教育だ」ということです。小生は、「英才」にも なれなかったのですが、今でも恨みに思って ・・省略・・とは言え、私のように「上級国民」とは言い難い人生を送った人間に とって、いったい、多くの時間と費用をかけても、中途半端な英語学習など、どれほどの「効用」があったのか、また現にあるの か、と思うと自嘲的にもなります。しかし、それを言うならば、数学だって、物理だって、化学だって同じことであって、独り 「英語」だけが『役に立たない』などと誹られるいわれもないでしょう。・・について。
 
自分も英語にはかなりの時間を費やしてきました。英語学習のメリットとしては、WEBの時代に英語でニュースが読める、仕事 で多少使えるなど。時間を費やしたことについては、それに繋がって面白い経験ができたのでなんら後悔はしていません。まーイ ギリス人やアメリカ人にはこの感覚はどうやってもわからないでしょう(笑)。
また日本語と英語の比較を通じ、日本文化と英米文化の違いが分かることは大メリットです。
したがって、「兵隊が攻めてくれば、一緒に酒を飲んで話し合えば、わかる」というような、「ド」日本的な「ド」頭の固い発想 は自分には存在しません。発想を多様化するという英語学習の隠れたメリットはあると思います。英語に限らず、日本の文化とは 異質な世界の言葉を学ぶことは日本を深く理解することにつながると思います。金魚鉢のなかの金魚は水の存在が理解できません から。
 蓋し、将来、本当の英語をしゃべるためには、日本語は子音が少ない言語のため、幼少期に子音、英語のリズムになれることが 必要と思われます。現実に、タイの富裕層は英語がとても上手ですが、幼少期からの学習が成功している好例でしょう。
週に数回数時間の、学校英語にそれは期待すべくもありません。学校英語にもそれはそれのメリットがあって、英語を漢文のよう に読めるようになり、それで十分だし、将来、英語を勉強したくなったり、必要な人にとっての基礎力は築けます。

 自分の時代は、英語を聞く機会はリスニング教材のスローでクリアな英語位でした。あれはいくら聞いても役にはたちません。
それ以外は映画、洋楽、そして今は無きFEN・・・とても懐かしいです。時報の”timeat the tone..”という決まり文句とかいまだに頭にこびりついています。いまは英語なんてユーチューブでいくらでも聞ける時代ですし、洋画はNetflix やUnextなどでいくらでも見れるので良い時代になりました。
この環境下ならば、学校英語の基礎が前提で、仕事で使う英語位は、やる気さえあれば2-3年で可能じゃないでしょうか、と推 測します(事実はわかりませんが)。
 とはいえ、明治維新時に、英語ができる人間なんて人口の1%も存在しなかったでしょうが、立派に改革をやりとげました。
それから推測して、現代でも30人に1人英語が出来る人がいれば、それで十分と思います。極論を言えば、学校英語は3.3% の人間にとって英語学習をするきっかけになりさえすればそれで良いのでは、と思います。
英語圏の子供と同じ知能で英語できたって、何の意味もありません。
   (R生、ハノイ)

  ♪
(読者の声4)私は、アメリカで9年勤務しましたが、私が見ても英語はかなり劣悪な駐在員も、実務においては、それなりにア メリカ人と意思疎通して仕事をしていました。
たとえば10人駐在員が居れば、本当に英語(特に読み書き)がアメリカ人と対等にできる必要があるのは、1人です。
抽象的な経営思想などを語るためには、やや高等な英語をしゃべる必要があります。
またアメリカ人も、高卒の普通の社員は、社内でしょっちゅう文法を間違って英語をしゃべっていました。私の年代で、厳しい受 験で鍛えられた日本人は、文法や単語力では、そういう高卒のアメリカ人には、まったくひけをとりませんでした。
アメリカ人でまともな英語を喋れるのは、大学に入学した経験がある人になって初めてです。
でも、例えば仮定法過去完了など、アメリカ人でも簡単にはしゃべれないとおもいます。こちらは受験のおかげで頭を必死に回転 させれば、しゃべれました。

それから話題がとびますが、バルセロナの話です。
数年前、フランスでレンタカーを借り、アンドーラ経由バルセロナに行きました。カーナビ付の大型のアメ車を借りたのですが、 市内の細かい道までは出ておらず、うろうろしているうちにパンク強盗に会い、色々取られました。
同行者の被害は、過去にも経験していましたが、自分が被害者になったのは初めてでした。そこで盗難証明書を作ってもらおうと (海外で被害に会ったら第一にやるのはこれです)すぐ警察に行ったら、対応してくれた警察官が優秀で、こちらが英語で説明す ると、同時にワープロでスペイン語で調書を作ってくれ、説明が終わるとほぼ同時にコピーを取り署名して、そのコピーを日本に 持ち帰り保険金をもらいました。こんな警官、日本にいるでしょうか。
ところで、バルセロナで話される言葉はスペイン語よりフランス語に近いと聞いていましたが、実際は、英語が相当通じました。 当時すでにトラベラーチェックはほとんど使い物になりませんでした。とにかく物騒なところですが、一般人は親切でした。
(関野通夫)
 
(宮崎正弘のコメント)日本人だって、大学をでた人でも、ろくな日本語をしゃべりませんからね。あの名門のプリンストン大学 ですら『TIME』を辞書なしで読める学生はそうざらにはいないとか。プリンストンの卒業生から聞いたことがあります。

  やはり、まずは日本語です。こんな素晴らしい日本語を習得しないのは余りにも勿体ない。何と言ってもいずれ、世界共通後になるのですから。


★日本人のローマ字表記 来年1月から「姓・名」の順

2019年10月28日 | 素晴らしい日本語

  ローマ字の姓名の順番を変えると河野外相が言い出したことを、5月24日、第1115回の「ローマ字、姓・名の順に」で、取上げました
  何と、早くも決まったようです。ところが、今度は萩生田文科相の胆道のようです。役所もやればこんなに早く出来るんですね。と言うか、もっと大事なことを早くやれと言いたくなります。

  それでも、外国の順番に従うという訳の解らない決まりが無くなったのは良い事かもしれません。次は、これを漢字にしてもらいたい。と言うか、何で自国語で名前を書けないのでしょうか。もしかしたら日本だけでしょうか。

  何時の日にか、世界共通語となった日本語での名前が当たり前になる日が来るのでしょうか。


★「いか」に住んでいる父と母

2019年10月17日 | 素晴らしい日本語

  それでなくても誤字脱字や思い込みなどで、2008年11月22日、第3352回の「 誤字」でも書いたように恥を晒しています。
 特に、このブログは誤字脱字がもの凄く多いのですが、これは、無料でお世話になっているAnthyというエディットの所為もあります。兎に角、使い難いエディットですが、無料でお世話になっているのでそこは我慢するしかないでしょう。
  というより、本当は、私の「マアいいか」の好い加減な性格が一番の原因です。読んで頂いている方達にはご迷惑をお掛けしていることでしょうが、又やったなと冷やかに見てやってください。

  私が、宮崎さんのメルマガが大好きなのは、結構面白い誤字があるからです。多分ご本人じゃなくスタッフの方が打っているのじゃないかと密かに思ってます。

  と、そんな好い加減な性格ですので誤字・脱字や思い込みで間違って覚えたままの言葉が非常に多いのです。それだけに、そういう見出しを見ると読んでしまいます。

  産経にそんな記事を見付けました。これも面白い。  

  産経ニュースより     2019.10.

  【日本語メモ】「い か」に住んでいる父と母

 日本語の特徴として同音異義語の多さが挙げられます。慌てて文書を作成すると、どうしても変換ミスが発生してしまいます。

 「内臓」と「内蔵」、「人口」と「人工」、「衛生」と「衛星」、「仮設」と「仮説」、「符号」と「符合」、「形成」と「形 勢」などです。

 同音異義語が時として思わぬ誤解を招き、騒動を引き起こすことがあります。

 かつて国会の委員会での質疑応答で、答弁者が「それは傍論であります」と述べたところ、質問者が「暴論とは何ですか。撤回 しなさい!」と反発し、議論がかみ合わなくなってしまったことがありました。

 傍論(裁判の判決文のうち判決理由と関係のない部分)を暴論(乱暴な議論)と勘違いしてしまったのです。

 その場面をおもしろおかしく伝えるテレビ映像を見ながら、「国権の最高機関」の議論としてあまりにもお粗末だなと呆れてし まいました。

 実は私もとんでもない思い違いをしたことがあります。

 小中学校で習い、合唱した唱歌「故郷(ふるさと)」の歌詞に「いかにいます父母」とあるのを、当時意味も分からずに歌って いた私は「この歌を作った人の両親は『いか』という場所に住んでいるのか。それにしても珍しい地名だな」と思い込んでいまし たが、40歳を過ぎたある日突然気付いたのです。「いかに」は「如何に」であり、「父や母はどのようにしておいでだろうか」 が正しいのだということに。

 30年近くもこんな簡単なことに気付かなかった自らの不明を恥じるばかりですが、周りの誰かに「いかって何県の地名な の?」と聞きさえすれば防げた間違いでした(笑われたでしょうけど)。

 先日、父に「ディズニーシー」に子供を連れて行った話をしたところ、「AとBにはもう行ったか?」と真顔で尋ねられてしま いました。

 知らないという事は恐ろしい。疑問点があれば知ったふりをせず、恥ずかしがらずに聞いてみることを心掛けたいですね。

 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ですから。(あ)

  やはり、疑問に思ったら調べるとか聞くとかしないと駄目ですね。特に私のように勝手に理由付けして放っておくのが最悪でしょう。あちこちで恥を晒しているでしょうが、今更この性格も治らないでしょうから今まで通り「マア、いいか」で行きます。


★日本人として日本語を扱う者の正しい姿

2019年10月14日 | 素晴らしい日本語

  毎日ねずさんに教えられることばかりです。今日のブログの百人一首も公の覚悟の素晴らしさを書いてくれています。やはり、日本は凄い国です。

  この本論とはズレますが、あえてねずさんが触れてくれている呼び名に関することが、以前から、このブログで悩んでいた事でした。
  と言うのも、今は、安倍総理を筆頭にさん付けで統一しています。そして、反日売国左翼・在日と判断した奴等には呼び捨てです。
  こんな失礼なことをして良いのだろうかと悩んでいましたが、あの反日売国左翼・在日共のやりたい放題を見ていると、どうしても怒りで敬称どころかさんも付けたくなくなるのです。
 
  それを、ねずさんが正しい姿ではないと指摘してくれています。さて、どうしたものかと悩みますが、正しい姿には戻れそうもありません。どうぞ、許してやってください。

  何時ものように、全文をリンク元で読んでください。この詩の矜持を日本の政治家に持って貰いたいものです。先ず、殆どの人が無理でしょう。

  これも、まずは正しい国家観と歴史観を持てる教育の改革からでしょう。それとも、政・官・財などのお偉いさん達にこのねずさんのブログを読んで貰いますか。

  ねずさん のひとりごとより   2019 年 10月10日

   あ まりてなどか人の恋しき

   ・・・略

  一部の大手メディアや、メディアに登場するコメンテーターさんたちは、総理や副総理のことを、「安倍さん」、「麻生さ ん」と呼ぶことが、まるでならわしでもあるかのように行われていますが、私的な・・たとえばゴルフのスコアがどうだったとか いうことを述べるときには「安倍さん」、「麻生さん」でも良いのですが、国政に関することを論評するときには、「安倍総 理」、「麻生副総理」等とお名前をお呼びするのが日本人として日本語を扱う者の正しい姿です。

 もちろん、野党の党首の方々なども同じです。
枝野幸男氏であれば、立憲民主党党首なのですから、その職務上の公的な発言について云々するときは、「枝野さん」ではいけな い。
たとえば政党に関する事柄であれば、あくまでも「枝野代表」とお呼びするのが日本語を話す者の最低限のルールというべきもの です。

 なぜならそれが秩序だからです。
秩序がなければ、社会は成立しません。
そして人は、人々という集合体の中・・・いまの時代で言うならば、日本という国家の中において、その一員として生活していま す。
 「そんなことはない。俺は自分で人生を切り開いて生きているのだ」と仰る方もおいでになりますが、そういう方であっても火 災が起これば消防署のお世話になるし、犯罪被害にあえば、頼るところは警察です。
病院で使う保険証も、国という集合体の中で営まれているものです。

 要するに人はひとりでは生きていないわけで、あくまでも集合体の中で、集合体のひとつの細胞として生かされ、生きているわ けですから、そうした集合体における役割を互いに自覚していくためにも、呼称はとても大事なものといえます。

 最近は親子兄弟の間でも、子が母をつかまえて「○○ちゃん」と呼ぶことが、あたかもかっこいいことであるかのように宣伝さ れたりしていますが、これもまたおかしな現象といえます。
わが国では、その中にいる最も年少の者の視線に合わせて、互いを呼ぶというのがならわしです。
それは、もっとも年少の子を大切にしていこうという、わが国独特のやさしさのある文化に基づくものです。
そうした日本文化は、これからも大切にしていかなければならいものであると思います。・・・以下略


  どんなにねずさんのブログを読んでも、反日売国左翼・在日共には利き目は無いのかも。その証拠が今日取上げた文ちゃんの嘘に見事に表れているのじゃないでしょうか。本当に教育は恐ろしい。


★何故カタカナ語がやたらと増えるのか

2019年09月22日 | 素晴らしい日本語

  ねずさんが書いてくれた、19日(木) 、第 1919回の「★天高く馬肥 ゆる秋」で、日本語の素晴らしさを改めて認識させて貰いました。

  安易にカタカナ語を導入するなと書きましたが、何故、安易にカタカナ語を使うのかは、2018年08月21日、第 6897回の「★追い込まれると横文字に頼る『エリート』」で、田村さんが教えてくれてなる程と思ったものです。

  とは言え、まだ納得出来ないものもありました。と言うのも、カタカナ語には本当に日本語にピタリと当てはまるものがあり、便利に使わせてもらっているのも間違いないのです。

  そんな疑問にねずさんが答えてくれています。これは、目から鱗です。その外来語が持つ概念が日本語にあるかないかが別れ道だそうです。これは、納得できます。
  だからこそ、語彙の少ない戦後の日本人はやたらにカタカナ語を使いたがるのでしょう。これは、納得です。

  何時ものように全文は、リンク元で読んでください。    

  ねずさんのひとりご とより     2019 年09月16日

  豈無國歟 (あにくになけむや)のもつ意味と凄み

  ・・・略

  要するに単語をまるごと輸入するしかなかったのは、その概念がなかったからということが できます。
逆に概念があれば、自国の言葉に置き換えて翻訳することができるのです。

 この点について、近年外来語を翻訳後にしないで、そのままカタカナ文字で表現する人たちがいますが、そうした人たち は、 要するに日本語でのその概念を持ち合わせていない不勉強が根底にあるか、あるいは何らかの悪意のもとにご都合主義的に他 人を煙に巻くために外来語を悪用しているのかのどちらかです。

 前者には、たとえば「リノベーション(renovation)」があります。
これは「既存の建物を大規模に改装して用途変更や機能の高度化を図り、建築物に新しい価値を加えること」で、イノベー ション(技術革新)とも意味が違うし、もとから日本語にある修理、修繕、修復などとも意味が異なります。
ですからリノベーションは、リノベーションとして用いるしかありません。

 後者にはたとえば「コンセンサス(consensus)があります。
これは意見の一致のことで、普通に日本語で「合意」と訳すことができるものです。
これを「合意」と言わずに、意図的に「コンセンサス」というのは、なにか意図があってのことです。
もっとわかりやすいものでは、ヘイトスピーチの「ヘイト」があります。

 ヘイトというのは英語の「hate」のことで、これは「憎悪」を意味します。
差別は世の中にあってしかるべきもので、差別そのものを良くないと決めつけるというのはおかしな議論だ、という論が出る ようになったら、そういう意見はヘイトだというのです。
突然「ヘイト」と言われても、意味の分かる人はそうそう多くはありません。
え、それってどういう意味?と相手が混乱している間に、相手を悪いと決めつけて憎悪をあおる。
どっちがヘイトだって言いたくなりますが、「ヘイトスピーチ」と言わずに、普通に日本語で「憎悪発言」とわかりやすく言 えば意味がわかるようになります。
要するに、相手を煙に巻くために、カタカナ英語を悪用している典型です・・・以下略


  やはり、きちんとした国家観も歴史観も持たないエリートが何でもカタカナにしたがるのでしょう。もう一度カタカナ語を見直し日本語に概念があるものは日本語にすべきですね。

★天高く馬肥ゆる秋

2019年09月19日 | 素晴らしい日本語

  ねずさんのお蔭で日本語の素晴らしさに気付かされましたが、それまでは苦手だった古文や漢文がなくなって助かったと思ってました。
  ところが、そうして軽んじた為に勉強もしなかったので、今や古典も読めません。漢字も当用漢字で教育されているので、昔の字は殆ど読めません。
  これも、GHQの日本人劣化作戦の一つだったのでしょう。まんまとそれに乗って古典も読めない日本人になってしまいました。

  これも、やはり日本人が早く目を覚まして、日本語の素晴らしさを知ることが必要でしょう。特に最近の横文字の反乱などは便利でもあるだけに油断しているとKoreaのように漢字が読めなくなる時代が来るのじゃないかと心配です。

  ねずさんが、それ以上に奥の深い日本語について書いてくれています。それにしても、先人はこうした字を筆で書き、あの叢書を読んでいたことを考えるとその凄さに驚かされます。
  それも、教育次第なのでしょう。それを捨ててきた日本は何とも勿体ないtことをしたものです。

  何時ものように全文はリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりご とより     2019 年09月14日

  天高く馬肥 ゆる秋    

  ・・・略

  なんでもそうですが、漢詩にせよ漢文にせよ英語にせよ、なんでもかんでも日本は劣っていて、何もかも余所の国から教わっ たのだというように子供たちに教えたり、解釈したりすることは、間違っています。
そういうものは、情報操作に軽々と乗せられてしまった、あわれな思考にすぎません。

  漢字の他にカナがあり、漢字に訓読みがあるように、わたしたちの祖先は、もとからある大和言葉による日本文化という土壌の上 に、輸入語を日本風にアレンジして使って今に至っています。
昔も今も同じです。

 儒教における礼儀などもその典型で、儒教では礼儀はどこまでも君(上司)に対するものであるのに対し、日本では「礼」という 字に「うやまう」という大和言葉に、あとから「礼」という字を充てています。
儒教では、礼は「上下の関係において、相手にはっきりとわかるように見せるもの=禮」ですが、日本では人と人とは対等な存在 ですから、身分の上下に関わらず、相手に対して一定の礼をとろうとします。
ですから古くは、「礼」と書いて「うや(ゐや)」と読んでいました。
それが人を敬(うや)まい、尊重する、日本人の感覚です。

 似て異なるのが、漢字文化と日本文化です。
両者を混同するだけでなく、漢字文化が日本文化よりも上位に位置するのだというように、そもそも物事を上下関係でしか捉えよ うとしないということ自体が、日本的思想からは外れているのです。
これは特に戦後の文系学会の、大きなはき違いの最たるものであろうと思います。
あたりまえです。
文化に上下など、あろうはずがない。

 それぞれの国の、それぞれの風土の中で培(つちか)われてきたものが文化です。
地震のない国と、常に地震の脅威にさらされている国では、その建築文化に違いがあるのは当然です。
内陸部で海がなく、塩分は動物の肉からしか取れない国や民族と、四方を海に囲まれて、いつでも塩分もタンパク質も摂取できる 国では、食文化だって異なります。
要するに文化に上下などないのです。・・・以下略


  もう江戸時代の寺子屋のような教育を取り戻すのは無理かも知れませんが、少しでも良いものを取り戻したいものです。戦前までは、大部分が残っていたことを考えると出来ないことはないでしょう。