Chinaは漢字を日本に齎してくれた恩人と教えられて来ましたが、ネットのお蔭で、日本人が上手く取り込み使い易くしたことが凄かったのを知りました。
今や、明治以後に日本人が欧米の言葉を訳したものが特亜3国で使われているのもしりました。
つくづく我が先人の凄さを思い知らされます。その凄さを教えない日本の教育の逆の凄さにも驚かされます。
その漢字について岡田英弘さんが面白い本を書いてくれているようです。
宮崎さんが書評で取り上げてくれています。どうやらChina人は漢字を上手く利用出来なかったようです。そこに、日本との差があるようです。
ところが、それを教えなかった日本の教育が日本人にChinaへの幻想を持たせたようです。つまりは、今のChinaべったりの政・官・財・マスメディアのエリートさん達を育ててしまって、それが媚中という売国奴共を造り上げたのかもしれません。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和三年(2021)7月26日(月曜日)
通巻第6995号
書評
言葉で理想を述べても、実際にやることは異なるというシナ人の特性
人工的な暗号解読だった漢字が、じつは歪んだ性格形成の本源だった
岡田英弘『漢字とは何か 日本とモンゴルから見る』(藤原書店)
日本人の大半が漢字を誤解している。漢字を通して中国人を判断するのも、文化的に大きく誤解をしている。
漢字は表意文字である。そこには言語学的に、表現力においても自ずと限界があり、現在・過去・未来の動詞変化が欠如し てお り、まして助動詞も、前置詞も、形容動詞もない奇妙な言語が中国語なのだ。
ところが、文字を持たなかった日本に五世紀頃から流入し始めたため、日本は中国を文化大国として崇めるという倒錯した 価値 観と風潮を産んだ。
「一衣帯水」、「同文同種」という、歴史を誤断させる事態を招いた。
中国に於いて儒教は理想を述べたに過ぎず、実態とは乖離がある。ところが日本はその理想を実践した。道徳を実践した意 味で 日本は珍しい国であるが、それは本書では書かれていない。
漢字は長江流域で生まれたことは明らかなのだが、黄河中流の洛陽盆地で発展した理由は、「この一帯だけ黄河を渡ること がで きた」からだ。すなわち「洛陽盆地は、異なった生活文化を持つ人びとが接触するユーラシア大陸の十字路だった」
2021年7月に発生した大洪水は、この洛陽盆地に最大の被害をもたらした。鄭州、洛陽、開封は古代から何回も王朝の 首都 が置かれた。
岡田氏は記した。
「漢人にとって漢字を学ぶのは、外国語を使って暗号を解読するようなもの」であって、じつは「漢人の論理の発展を阻害 し た。どういうことかというと、表意文字の特性として、情緒のニュアンスを表現する語彙が貧弱なために、漢人の感情生活を単調 にした」からである。『源氏物語』のような優雅な恋愛を描けないシナの文学! 最近、なぜ渡辺惇一の小説が中国で読まれ るか は、この特性を理解すれば納得がいく。
科挙制度とは、雑多な言葉を喋る多種社会のなかで、共通する暗号を用いてコミュニケーションを成立させることができる エ リートを養成することに目的があり、したがって彼らは古典を丸暗記する。
それゆえに科挙は、「儒教の経典や古人の詩文の文体に沿った表現しかできない」ことになる(29p)。
嚆矢は秦始皇帝で、漢字を統一し、3300字を公認した。つまり漢字を統一するために、ほかの文献を処分したのだ。そ れを 「焚書坑儒」と歴史家は言うが、儒学者を生き埋めにしたという事実はないと岡田氏は言う。
日本人が中国人をみて、なぜ個人と家族が基軸の価値観なのかと衝撃を受ける。
「漢字を基礎としたまったく人工的な文字言語が極端に発達したため、それに反比例して音声による自然言語は貧弱になって し まった。だから、一般の漢人にとって心が通い合うのは生活を共にする家族だけになり、その範囲の外にいる人びととは文字言語 におんぶした紋切り型のコミュニケーションしかできない」。
ところが他方で、「漢字はシナ文化圏(皇帝の支配圏)という商業ネットワークには欠かせないものだった」(59p)。
つまり、こういうことなのである。
「シナの社会が、少なくとも紀元前221年の秦の始皇帝の統一以来、個人主義の傾向が強く、政治の場ではそのときその とき の利害によって目まぐるしく離合集散が繰り返される。自分以外のだれも頼りにはできない。そうした環境で身を守って生きのび る術は、つねに口先では言葉の辻褄を合わせながら、言葉と関係のない行動をとうるほかにはない」(91p)。
日本人はシナ文学の理解をも間違えた。漢詩は理念であって情感ではないのである。中国語は情緒の表現が出来ない。だか ら 「心中」が理解できない点ではアメリカ人と同じである。ましてや赤穂義士?
「国破れて山河あり」なる漢詩を情緒的と捉える日本人は、漢詩を日本語化して解釈した所為であり、「そもそも漢詩は古 来、 『志』、つまり理念を表現するためのものとされてきた」(96p)のである。
そして「洛陽の紙価を高める」という故事に象徴される出来事は紙の発明(105年)だったのである。紙は高価なもの だった ので、「宮中の製紙工場の独占生産で、紙を分けて貰うには帝室の許可が要った」。
この制度は魏呉蜀の三国志時代にも同じだった。ということは何を意味するか?
ここが大事である。
「書物を書くということは、魏志倭人伝の時代には、それほど重大な行為だったのであり、したがって女王・卑弥呼の使が シナ に来たからといって、それだけのことで魏志倭人伝が書かれ、後世につたえられるはずがない。それはそれだけの、政治的な理由 が必要である」(155p)
つまり政治的プロパガンダを目的に魏志倭人伝は書かれたのだ。その魏志倭人伝を金科玉条の如く仰ぎ見る日本の古代学 者っ て、岡田先生がもし生きていたらどう評価されただろうか?
やはり、言語は大事ですね。どう考えても我が先人の凄さに改めて感謝するしかない。
こうなると、日本語を世界共通語とすることを真剣に考えるべきじゃないでしょうか。
日本語を世界共通後にと何度も書いていますが、やはりそう簡単ではないようです。とは言え、興味深い面も多いようです。
何と、フランスで携帯で「もしもし?」と出たら回りの反応が面白いようです。
やはり、日本語は他の言語とは違って多くの特徴があるようです。漢字・ひらがな・カタカナなども日本語の勉強をする外国人にとっては大きな障害のようです。
とは言え、覚えてしまえばその表現力の豊さなど多くの利点があるようです。これからのAIによる自動翻訳機の発達で、そんな苦労も必要無くなれば日本語の世界共通語も有り得るのでしょうか。それとも、そんな意識も必要なくなるのか。
何とも不気味なAI時代の到来が近いようですが、この自動翻訳は期待出来るのじゃないでしょうか。案外、この辺りから世界が平和を手に入れる何てこともあるかも。
それにしても、日本語は本当に面白い。よくぞ日本に産まれけりです。
日本語が世界共通後になれば、世界が平和になるのじゃないかと何度も書いて来ました。それも、やはりねずさん達に日本語の素晴らしさを教えて貰ったお陰です。
それだけに、今の日本語の乱れを心配します。それとも、その乱れにも必然的な意味があるのでしょうか。
案外、その乱れが遠い未来では世界共通語となっているのかも。
そのねずさんが、又、日本語の素晴らしさを書いてくれています。何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう 日本より 2021/04/27
「あ(吾)」 と「な(汝)」と「わ(和)」の世界観
・・・略
いろいろと脱線しましたが、まとめると、
『広大な神聖を持つ「あ(自分)」』
『広大な神聖を持ち、かつ重要な存在としての「な(相手)」』
『「あ」と「な」が織りなす無限に広がる神聖としての「わ」』
という概念となるということです。
ですから、神聖な「あ(自分)」が、相手を大切な存在「な」と認めることで、自分の中にある神聖な霊性と、相手の中にある神聖な 霊性が溶け合い、「わ(和・輪)」が生まれる。
そして「やまとの国」は、すべての人が互いの霊性を神聖として認め合う、大いなる和の国なのだ、というのが、古代における日本と いう国への理解です。
日本語はおそろしいほどの深みを持った言語です。5
古代の日本人はすごいことを考えたものです。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《「あ(吾)」と「な(汝)」と「わ(和)」の世界観》です。 「やまとの国」は、すべての人が互いの霊性を神聖として認め合う、大いなる和の国なのだ、というのが、古代にお ける日本という国への理解です。 日本語はおそろしいほどの深みを持った言語です。 古代の日本人はすごいことを考えたものです。 続きはブログで
小名木善行さ んの投稿 2021 年4月26日月曜日
それにしても、その素晴らしい日本語が世界共通語となり争いの無い世界を齎すなんてことが現実にならないものでしょうか。
余りにも甘すぎるかな。
宮崎さんの書評ほどの頻度ではないですが、ねずさんは月一で感動した本を紹介してくれています。
金と時間が無いと敢えて読書を切り捨てた私とは大違いです。ここが人間の差なのでしょう。
今回紹介してくれている二冊の本も興味深いものがあります。そのなかでも、「日本語という宝」に目が止まりました。これは読んでみたいものです。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう 日本より 2021/04/21
感銘を受けた 二冊の本
・・・略
1 『一寸先は光ですー風の時代の生き方へ』
はせくらみゆき著 青林堂
はせくらみゆきさんは、個人的に、本物の神様、もしくは本物の神様の依代となられておいでの方のように思っています。とにかく素 敵な方で、我々を素敵な未来に導いてくださるような、そんな方です・・・などと書くと、まるでどっっかの宗教団体の勧誘のようで すが(笑)、そんなふうに思えるほど、すごい方です。
そのはせくらさんが、我々が住んでいる世界が、どのようになっているのかを、明るく、わかりやすく書き下ろしたのが、この本で す。
このように申し上げますと、「ああ、スピリチュアル系の本か」と思われるかもしれませんが、はせくらさんは、間違いなく、理系女 子です(笑)。
物理に関する造詣も、ものすごく深い。
けれど、そういうことを、むつかしい数式で説明されても、我々にはチンプンカンプンですが、はせくらさんは、ものすごくわかりや すく、腑に落ちる形で我々に教えてくれます。
特に最後の方にある、「日本語という宝」という章などは、まさに我が意を得たりという感じで、これはぜひ、みなさまにもお読みい ただきたいと、推薦させていただく次第です。・・・略
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《感銘を受けた二冊の本》です。 読んで、これは!と思えた2冊の本をご紹介します。 どちらも、あっという間に読めてしまう本です。 そしてどちらも、前向きな良い刺激を与えてくれる本です。 続きはブログで
小名木善行さ んの投稿 2021 年4月20日火曜日
「日本語という宝」には興味がありますが、ぐっと我慢です。
ネット巡回と庭の手入れで追われる日々で、読書をしないことの言い訳にしていますが、正直これ以上どうやって時間をひねり出せば良いのか分かりません。尤も、最大の理由は極貧です。
ねずさんが漢字のルーツは日本にありとの説を唱えてくれています。その説はいずれ証明されるだろうと自信満々です。これは面白そうです。
やはり、日本語は世界共通語になる運命なのでしょうか。その時の為にも美しい日本語を作り上げたいものですが、ねずさんは顔文字なども受け入れられるようになるだろうと予想されています。
これも仕方がないことなのかも知れません。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう 日本より 2021/04/09
漢字は Chinaから渡来しました。ではその漢字はどこで生まれたのでしょうか。
・・・以下略
現代教育を受けた我々にとっては、(笑)やヾ(●^▽^●)ノわはは♪は、正規の文字とは区別されていますが、そうしたいのは 学者の先生方だけのことであって、多くの日本人は、なんの迷いもなく、顔文字や記号を普通に使いこなしています。
おそらくあと千年も経てば、ヾ(●^▽^●)ノわはは♪は、歴史のある伝統文字とされていくのではないか?(笑)
しかしそのとき、向こう千年の間「日本文明が滅ぼされなかった場合」という条件が付きます。
逆に言えば、これまで数千年間、日本が他国によって滅ぼされることがなかったからこそ、日本人は世界最古と言って良い日本語を継 承していることができているのです。
これはとっても重要なことです。
以上述べた漢字は日本の神代文字から生まれたかもしれないという説は、いまはまだ「ねず説」です。
けれど、あと30年もしたら、様々な考古学上の発見等で立証されていくものと思っています。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《漢字はChinaから渡来しました。ではその漢字はどこで生まれたのでしょうか。》です。 便利なものは柔軟に取り入れてきたのが我が日本人です。 我が国は、紀元前200年頃から、紀元後の8世紀のはじめまでという、およそ千年の歳月をかけて、漢字を我が国 の文字として日本語の記述に同化させていったのです。 続きはブログで
小名木善行さ んの投稿 2021 年4月8日木曜日
それにしても、漢字までもが日本起源となるとChinaが必死で反論してくるでしょうね。案外、それが戦争のきっかけになったりして。尤も、Chinaがそんなに長く存続していることは有り得ないと信じています。
日本語の弱点と思われてきた結論を最後にする話法こそが日本が産んだもめごとを収める最高の方法であることをねずさんに教えて貰って、長年、ここで書いているように日本語こそ世界共通後にすべきという考えに自信を持ちました。
まどろっこしい話法に、こんな凄い秘密があったとは全く想像もしていなかっただけに改めて日本の凄さを思い知らされました。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう 日本より 2021/03/19
日本的議論の ルール
・・・略
すこしまとめると、
1 お互いに自己主張だけを繰り返すのではなく、相手の話をちゃんと聞いて真意を受け止めようとした。
2 身分の上下に関わりなく、互いが互いに対して率直かつ誠実に対応した。
3 お互いに自分の意見に固執するのではなく、国想う心という共通する心を抱いていた。
4 何が良いことで何が悪いことなのか、互いに価値観を共通させていた。
5 同じ言語を用いていた。
といった点があげられようかと思います。
5の同じ言語ということには、もうひとつ、日本語の特殊性も理由のひとつとして加えられるかもしれません。
日本語は、「朝起きたら眠かった、眠くなかった」というように、相手の話を最後までちゃんと聞かないと、意思がどっちにあるのか わかりません。
ですから自然と、相手の話を最後までちゃんと聞く姿勢が備わります。
このことは実は日本の文化の基礎になっているかもしれません。・・・中略
ところが日本では、11世紀には、源氏物語や方丈記に代表されるように文学が生まれ、また鎌倉時代頃になると琵琶法師による箏 曲「平家物語」に代表されるような「語り」の文化が発達します。
さらにこれが江戸時代には、落語、浪曲、講談のように、語りそのものが話芸として発達していますが、その根底にあるのは、話を最 後まで聞かせるための工夫、つまり結論はなんだろうと思わせて、最後の最後まで話を引っ張る工夫などがされ、それが話し言葉や書 き言葉の文法として定着しています。
この、「話を最後までちゃんと聞く」という言語作法は、実はとても大切なことで、ワクワクさせて、ひっぱってひっぱって、最後 にオチがつくのですが、こうした芸能は、実は諸外国に、あまり例がありません。・・・以下略
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《日本的議論のルール》です。 お互いの言い分をちゃんと最後まで聞いて、その上で議論する。 ただし、議論のための議論、すなわち屁理屈は認めない。 また人格攻撃は行わない。 議論は、あくまでその問題に限定して行う。 ひとたび議論が決したら、あとで文句を言わない。 これが日本的議論のルールです。 続きはブログで
小名木善行さ んの投稿 2021 年3月18日木曜日
バベルの塔を壊した神の意志はどこにあったのでしょうか。と言うか、やはり西洋の神は人類の進歩や平和を望んでいないのじゃないでしょうか。
ここは、世界平和の為にも神道の元で日本語を世界共通後とすべきでしょう。もし、そんなことが出来れば案外世界平和も有り得るかも。
日本語こそ世界共通語になるべきだと書いてきましたが、それを証明してくれるようなことをロシアから日本にこられた女性が語ってくれています。
最後に、日本語は人を優しくすると体験談を語ってくれていますが、これこそが日本語が世界共通語になるべき本当の意味じゃないでしょうか。
日本語こそが世界平和を齎すのです。
討論でも日本語こそが日本文化だと発言されています。やはり、日本語は凄いようです。
その素晴らしい日本語をこれ以上劣化させるのは何とか防ぎたいものです。世界共通語とするためにも美しい言葉として行きたいものです。
誤字脱字で何時もご迷惑をお掛けしています。これも、お世話になっている無料エディターAnthyの所為もありますが、根本的には私の「マアいいか」精神にあります。
これでも結構気はつけているのですが読み直して余りの強烈な誤字脱字に呆れることも度々です。
実を言うと何時もお世話になっている宮崎さんの誤字脱字も強力なものがあるので、密かにあの宮崎さんでさえあるのだからと慰めています。
そんな私も、「づ」と「ず」の使い分けに悩むことがあります。ということで、目についたのが産経の記事でした。ズバリのタイトルです。これは全く知りませんでした。
産経ニュースより 2021.1.31
【日 本語メモ】「づ」と「ず」の使い分け
先日、校閲中の記事に「初動つまづき重く」という見出しが出てきました。弊紙の用字用語集「産経ハンドブック」にのっ とり、「つまずき」で赤字を出しました。漢字の「躓き」は常用漢字でないこともあり、弊紙では平仮名で表記を統一するこ とになっています。
赤字を出した後、ふと気になって「つまずく」と「つまづく」をパソコンで漢字変換してみたところ、どちらも同じ漢字の 「躓く」が変換結果で出ました。一般的には「ず」を用いた表記が正しいように思えますが、なぜ「づ」の表記でも変換でき たのでしょうか。
国語辞典の『大辞林』(三省堂)を引くと、「現代仮名遣いでは『つまづく』のように『づ』を用いて書くこともできる」と の記述があります。現代仮名遣いとは、現代語の音韻に従って書き表すことを原則とした仮名遣いのことを言います。 現代 仮名遣いより前は歴史的仮名遣いが用いられており、昭和21年に「現代かなづかい」が公布されるまでは歴史的仮名遣いが 公的なものとなっていました。
文化庁HPによると、基本的に単語に「づ」を使うパターンは2つあり、(1)同音の連呼によって生じた場合と(2)二 語の連合によって生じた場合に分けられます。
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例として、それぞれ下記の単語が挙げられます。
(1) の場合
つづみ(鼓)、つづく(続く)、つづる(綴る)
(2) の場合
みかづき(三日月)、たけづつ(竹筒)、たづな(手綱)
「つまずく」の語源は「爪突く」といわれています。上記の原則にのっとると「爪+突く」で(2)に該当し、「つまづ く」が正しいように思えますが、現代では「躓く」の漢字が一般的に用いられており、上記(1)(2)の原則は適用されま せん。
また、現代仮名遣いは従来の表記の慣習を尊重して一定の特例が設けられています。二語に分解しにくいものは、それぞれ 「ず」を用いて書くことを原則とし、「づ」を用いて書くこともできるとされています。「せかいじゅう(世界中)」「いな ずま(稲妻)」などが例として挙げられ、「つまずく」もこれに該当します。そのため、「つまずく」「つまづく」のどちら でも「躓く」で漢字変換ができる訳です。
ちなみに、他にも例外はあり、「ずが(図画)」や「りゃくず(略図)」など、漢字の音読みでもともと濁っているものは 「ず」を用いて書くこととされています。
普段の校閲作業ではこのような原則まで把握しておく必要はありませんが、言葉を扱う仕事に携わる上で、言葉に関する不 明点はなるべく解消しつつ業務に取り組んでいく姿勢を忘れずにいたいものですね。(か)
やはり日本語は難しいですね。と言うか奥が深い素晴らしい言葉じゃないでしょうか。
それだけに勉強不足の身ではご迷惑をお掛けしますが、又やったなくらいで軽く流してやってください。お願いします。
ひふみにそんな意味があるとは思ってもいませんでした。最初にねずさんに教わった時には本堂に驚きました。そのお蔭で、左が上というのもやっと覚えることが出来ました。
今度は、バンカラの意味を教えてもらいました。バンカラは私の学生の頃には言葉は残っていましたが、実際に見かけることはありませんでした。やはり、戦前のはやりだったようです。
只一つ、それらしきもので、学帽にローソクを足らして形を整える風習がクラブに残っていて、一生懸命形を整えて愛用していたことを覚えています。結構気に入っていて大事にしていたのですが、卒業の時にでも無くしたようです。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
「ひふみ」の お話し
・・・略
実はここに日本の秘密があります。
数詞と書いて「かぞえことば」と訓読みするのですが、その数詞には、二通りの意味があったのです。
ひとつは、いまでも計算に使う「いち、にぃ、さん」です。
これは算術に使う「数詞(すうし)」です。
もうひとつは、「ひ、ふ、み」です。
これは、日本人としての道徳観や文化の本質を伝えるために使う数詞(かぞえことば)です。
日本語の最大の特徴である「一字一音一義」を伝えるものであったのです。
言い換えれば、文化を「「かぞえことば」で学んだのです。
そしてこの根幹にあるのが、いちばんはじめにある「ひ、ふ、み」です。
これは霊主体従(れいしゅたいじゅう)を表します。
「ひ」が霊(ひ)、「ふ」が生、「み」が身です。
ですから「ひふみ」は「霊生身」で、霊(ひ)《魂のこと》から身が生まれることを表します。・・・中略
「バンカラ」という言葉があります。
明治から昭和にかけて、威勢の良い大学生の合言葉のように用いられた言葉です。
かまやつひろしの「我が良き友よ」にも出てきます。
「バンカラ」というのは、もともと「南蛮カラー」、あるいは「南蛮渡来」を意味する言葉でした。
日本古来の、江戸時代を通じて正しいとされた、居住まいをただし、姿勢を良くし、上長の前では襟を正して正座して、深々と頭を下 げる。
そのような礼節を重んずる旧来の書生の姿ではなく、自分たちは「南蛮カラー」だ、旧来の陋習(ろうしゅう)をぶちこわすのだ、自 由な精神を重んずるのだといって、学生服や学帽をあえてボロボロにし、無精髭を生やして乱暴者を装(よそお)う、そのような学生 たちの、ある種の(当時としては)近代的な自己主張の言葉であったわけです。
いまでは「バンカラ」もすっかり古い言葉になってしまっていて、何やら古い時代の美意識を感じさせるような言葉になっています が、実は和を貴ぶ日本文化を否定する精神文化であったわけで、決して良い言葉ではありません。・・・以下略
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《「ひふみ」のお話し》です。 大切なことは、もとからある日本文化を取り戻し、日本人としての自覚と自信を取り戻すこと。 そのための重要な要素が、日本人の日本人による日本人のための日本...
小名木善行さ んの投稿 2021 年1月28日木曜日
それにしても日本の文化は深いですね。明治以後に西洋被れで多くを捨ててしまったのは返す返すも残念です。今からでも掘り起こすべきものも多くありそうです。
世界の標準語になるべき最高の日本語がその自覚の無い文科省を頂点とする教育界で蔑ろにされているのが心配で仕方ない。
相変わらず幼児英語教育を唱える人達も多いようです。虫の声を聞くことが出来る日本語の素晴らしさを自覚すべきです。
ねずさんも、そんな国語力の低下を心配されています。ねずさんが教えてくれた江戸時代の人達の識字率の高さには古典も草書体も全て含まれていることを考えると現代の人達より余程高いということに目から鱗でした。
ねずさんの学ぼう日本より 2021/01/13
国語力の低下 は思考力の低下
・‥略
日本人が日本人としての誇りを取り戻し、日本の再生を図ろうとする取り組みにあたり、歴史を重要視する方は多いと思います。
もちろん筆者もそのように思います。
けれど、もうひとつ、大切なファクターがあります。
それが「国語力」です。
当然のことです。
我々は日本語で考え、日本語で判断し、日本語で人に伝えます。
ですから日本語力(国語力)の低下は、思考力の低下、判断力の低下、伝達力の低下を招きます。
これはたいへんなことです。・・・中略
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《国語力の低下は思考力の低下》です。 意味がわかって会話をするのと、意味がわからずに会話するのとでは、雲泥の差があります。昨今では、英語教育の ために、国語教育のための授業時間を短縮するという動きになっていますが、もったいないことです。 続きはブログで
小名木善行さ んの投稿 2021 年1月11日月曜日
やはり、日本人が日本語の素晴らしさを自覚することが第一です。そうすれば、自然に世界もそれを認める時が来るでしょう。
世界の共通語になるべき日本語の成り立ちも奥も深いようです。流石選ばれた言葉だけのことはあります。
ねずさんがその奥の深さを詳しく教えてくれています。やはり、素晴らしい日本語には成るべくして成った理由があるようです。
それにしても、我が先人は凄い人達です。
ねずさんの学ぼう日本より 2020/12/24
漢字渡来以前 に日本に文字はあったか
・・・略
神代文字が、鹿骨占いのための、ひび割れのパターンか、そのひび割れのパターンの意味を説明した記号(文字)であるとすれば、 それぞれのパターンには名前がつけられることになります。
それが日本語の音になります。
こうして一音ごとに意味が定まれば、今度は、音を組み合わせることで単語が生まれます。
たとえば「ウ」は、海(うみ)、宇宙(うちゅう)のように、広大無変なものを指します。
「ミ」は身巳実深箕にあるように、そこにある現実もしくは器のことを言います。
広大な「ウ」と、器の「ミ」を重ねて「ウミ」とすれば、湖などよりもはるかに広大な海を意味する単語になります。
同様に「ム」は何かが生まれるところ、「ラ」は場を意味します。
すると、何もないところから子が生まれる場としての「ムラ」が誕生します。
日本語は、こうして生まれた単語を、定着を意味する「ノ」でつなげることで、長文を形成します。
漢字は、そうした単音の記号の組み合わせによって成り立ったものですから、我々日本人からすると、漢字は、神代文字を組み合わせ て「単語」ではなく「ひとつの文字」としたものということができます。
ですから「海」という漢字には、同じ意味を持つ大和言葉で「ウミ」という訓読みを与えました。
同様に「村」には、同じ意味を持つ大和言葉の「ムラ」という訓読みを与えたのです。
漢字に訓読みがあるということは、漢字文化圏の中では日本だけです。
つまり、日本には、漢字よりも多彩な哲学や思考や文化や文字があったということです。・・・以下略
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《漢字渡来以前に日本に文字はあったか》です。 けっこう、重要な記事です。 『隋書・倭国伝』に、「無文字。唯、刻木、結繩。敬佛法於百済求得佛經始有文字」と書かれていることから、我...
小名木善行さ んの投稿 2020 年12月23日水曜日
その素晴らしい日本語も、戦後の日本人の劣化に釣られてどんどんおかしな方向に行っているようです。
世界共通語の為にももう一度見直し再生し、磨きを掛けたいものです。それでこそ、世界に平和を齎せるのじゃないでしょうか。
器が小さいことほど情け無いことは無いと子供のころから教え込まれて来たのが日本人じゃないでしょうか。それだけに、自分の器の小ささに何時もがっかりさせられたきました。
そんな器をねずさんが書いてくれています。器なんて言葉が何時の間にか消えてしまっていたと思っていましたが、いよいよ復活のようです。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう日本より 2020/12/22
人の器(うつわ)
・・・略
日本語は、「朝起きたら眠かった(あるいは)眠くなかった)」というように、相手の話を最後までちゃんと聞かないと、意思がどっちにあるのかわからない構造をしています。
ですから自然と、相手の話を最後までちゃんと聞く姿勢が備わります。
このことは実は日本の文化の基礎といえることです。
欧米やChinaの言語では、結論が先にきて、あとから理由が来ます。
この場合、理由の前に結論だけが先行しますから、相手の話を最後まで聞かずに、結論に対して反応的になります。
するとパブロフの犬と同じになります。
結論を言われる、反応する、です。
その反応は、ときに対立を生み、闘争を生みます。
最後まで話を聞けば、なんてことないことなのに、先に思い込みで対立してしまうのです。
ですからどうしても最後まで話を聞かせようとするときには「威嚇」が必要だったりします。・・・中略
ここに文化的ギャップがあります。
日本人だけの社会であれば、日本文化を共有していますから、説明は要りません。
しかし、いまの日本のように、日本人のような顔をして日本人名を名乗るけれど日本人ではない人たちが混じっていたり、外国人を含めた会議やプロジェクトを遂行しようとするときには、なぜ我々日本人は、そのような行動や発言をするのかについて、日本人自身が、はっきりと明確にその理由を、相手にわかるように説明できなければなりません。
つまり日本人の行動に関する説明責任は、日本人自身にあるのです。
ということは、日本人が日本人の行動を、それを単に「あたりまえのこと」や「昔からそうだから」というだけではなしに、ちゃんと理由や意味を説明できるようにならなければならないということです。
男系天皇にしても、「昔からそうだから」とか、「伝統だから」、あるいは単に「Y遺伝子が」という説明では、周囲は納得もしないし、理解も得られないのです。
時代は資本の時代から、戦士の時代へと変わろうとしています。
戦士の時代は、資本よりも、個人の情報発信が、世の中を変える大きな力になる時代です。
ということは、何より個人個人の資質の向上が求められる時代になったということです。・・・以下略
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《人の器(うつわ)》です。 個人の資質のことを、昔は器(うつわ)と言いました。 そして器の大きさが、その人の度量の大きさであり、実力とされました。 果たして現代日本ではどうでしょう...
小名木善行さんの投稿 2020年12月21日月曜日
それにしても言葉とは恐ろしいものですね。日本人と世界、特に特亜3国の人達が分かり合えないのに言葉がこれ程までに影響しているとは思いませんでした。
やはり、この素晴らしい日本語こそが世界共通後に相応しいことは間違いなさそうです。そんな日が来るのでしょうか。
世界に誇れる日本語の中でも特に素晴らしいのが「いただきます」や「もったいない」等沢山あります。
ところが、不思議なことにこの「いただきます」には方言がないのだそうです。
その理由をねずさんが教えてくれています。その成り立ちが新しいのだそうです。新しいと言うから明治以後かと思ったらなんと室町時代だそうです。
詳しくは動画を見てください。
「もったいない」も同じような成り立ちなのかもしれません。それにしても、時代が新しいのが室町時代なんて何とも長い歴史を持つ日本らしくて誇らしい。
外国との付き合いは生まれ育ちによる言葉の違いがあるだけに気を付ける必要がありそうです。どんなに訳されても、生まれ育ちによって本来の意味が違っていることが多いのじゃないでしょうか。その細かいニュアンスの違いが紛争を齎すこともあるでしょう。
それだけに言葉の恐ろしさを認識した外交が必要になるのでしょう。ところが、国家観も歴史観も持たない人達が言葉の恐ろしさも認識せずに外交をやっているのですから何が起きてもおかしくないという恐ろしい状況です。
世界で紛争がなくならない原因の一つでもあるのでしょう。
そんな微妙な違いをねずさんが教えてくれています。たかが「夢」という言葉一つでもこれだけの違いがあるとなるとやはり外国との付き合いは余程心して懸からないと恐ろしいことになりそうです。
ねずさんの学ぼう日本より 2020/12/11
「夢」 と「ゆめ」と「ドリーム」の違いにみる日米中の文化の違い
・・・略
我々日本人は、日本語で思考します。
これは子供でも大人でも同じです。
そこで先生が子供たちに、
「君の夢は何ですか?」と質問します。
実は、これは日本人にとっては非常にむつかしい質問です。
なぜなら、日本人にとっての「ゆめ」は、あくまで「仮想現実」と等しいものだからです。
むしろ問うなら「君の望みは何ですか?」と問うべきだと思います。
それなら英語圏の意味と同じになるからです。
英語圏なら「ドリームを叶えよう」といえば、それは「自分が抱く望みを叶えよう」という意味になります。
だからそのまま望みの実現のために努力することになります。
中国語では、「夢」は、現実でも仮想現実でもなくて、それは単に「消えてしまうもの」です。
消えるとわかって努力するのは無駄なことですから、そのような文化圏の人たちが、メディアなどで日本国民に「夢をかなえよう!」と呼びかけるときは注意が必要です。
なぜなら彼らは、夢など、かなうはずがないと知っているし、かなえさせてあげようという気さえもないから、そのような発言に至っていることが多いからです。
つまり「騙し」ですが、「騙す人より、騙される人が悪い」と考えるのが彼らの文化です。・・・中略
実は戦前戦中までの学習指導要綱には、この日本人が日本語で思考するために国語教育が必要なものであるということが、ちゃんと明記されていました。
現代の指導要綱には、その文が見えないことは、とても残念なことです。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《「夢」と「ゆめ」と「ドリーム」の違いにみる日米中の文化の違い》です。 言葉はたいせつなものです。 日本語は、多様な文化を採り入れるのに際して、とても適した言語です。 ところが、も...
小名木善行さんの投稿 2020年12月10日木曜日
それにしても、言葉にこれ程の違いがあるということに今更ながら愕然とします。やはり、外交は難しそうです。
もしかしたら、世界平和は人類が日本語で育つまでは夢なのじゃないでしょうか。
面白いツイートがありました。あの「珈琲」という漢字の由来です。何と、蘭学者が発案したのだそうです。
その発想がコーヒーの赤い実からなのだそうです。何とも優雅です。やはり、先人の教養は凄い。
そう言えば「珈琲」と言う漢字は、津山藩の蘭学者 宇田川榕菴(うだがわ ようあん)が発案したもので、コーヒーの赤い実がかんざしに似ていたので、髪に挿す花かんざしの意味の「珈」と、かんざしの玉を繋ぐ紐の意味の「琲」を合わせて「珈琲」と名付けたんだとか。なんだか美しい名前だな。 pic.twitter.com/8kr8qoyUaQ
— Green Pepper (@r2d2c3poacco) September 18, 2020
この翻訳語では、福沢諭吉が有名ですが、こういう人もおられたんですね。
・・・略
あの言葉も、この言葉も、榕菴が考案
宇田川榕菴は、造語の天才でもありました。「珈琲」の当て字も、榕菴の作品の一つに過ぎません。
海外から伝わってきた化学や植物学の書物を翻訳する過程において、現在でも使われている様々な学術用語を造り出します。
分野別にいくつかをご紹介すると、宇田川榕菴の偉大な功績が手にとるように分かるはずです。
【元素名】 酸素、水素、窒素、炭素
【化学用語】 元素、金属、還元、溶解、試薬、酸化
【日常用語】 温度、沸騰、蒸気、分析、物質、法則、圧力、結晶、成分
・・・以下略
何とも、凄い。知らないで散々お世話になっていたようです。感謝。
それにしても、先人はこうやって後世の我々の為に一生懸命考えてくれたのでしょう。China語も殆どがこうした日本人が翻訳した漢字をつかっているそうです。とはいえ、奴等には感謝の気持ちはないようです。