日本の凄さを教えてくれるねずさんですが、この話題も何度読んでもその暖かさに感動させられます。
今の時代とは真逆の暖かさじゃないでしょうか。やはり、日本は何としても昔のよさを取り戻さなければならない。
今回も、何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本 2023/02/10
江戸時代の凶状旅と「みがく」文化
・・・略
清水次郎長といえば、幕末から明治にかけて、東海道だけでなく全国に名を轟かせた大親分です。
石松の三十石船で有名な広沢虎造の浪曲をはじめ、かつては映画やテレビで繰り返し取り上げられ、日本中、知らない人はいないってほとの人物でした。
ところが残念ながら、こんにちにおいては、若い人に清水次郎長と言っても、知っている人のほうがはるかに少ない。
メディアの影響とはいえ、残念なことです。・・・中略
こうした旅は、いわば自分から進んで行う懲役刑のようなものといえます。
懲役を、役人の手をわずらわせるのではなく、むしろ自分から懲役を(自分の意志で)実行する。
そうすることで犯罪を犯した過去の自分よりも、さらに一層進歩した磨かれた自分に成長して、国に帰るのです。
そういうことが、人生修行としての、「みがき」だと考えられ、常識化していたのが、江戸時代の文化です。
もちろん、悪事を働くことや、ましてや人を殺めることは、決して褒めた話ではないし、してはいけないことです。
けれど、それをしなければならなくなった自分というものは、もういちど魂を根底から磨き直さなければならない。
そのためには、お上の手をわずらわせるのではなく、自分から進んで魂みがきの旅に出る、ということが行われていたわけです。
ちなみに(ここも大切なことなのですが)、凶状持ちの犯罪者は、全国どこの都市でも、長屋(ながや)などに住むことはできませんでした。
長屋というのは、いまでいうアパートや賃貸マンションのことですが、長屋に入居するためには、誰か身元保証人が必要です。
しかしそれだけではなく、仮にもし、その長屋から犯罪者が出たり、あるいはその長屋が犯罪者をかくまっていたと知れた場合には、その長屋はお取り潰し、つ まり完全撤去されるのみならず、向こう三軒両隣は、以後許可が出るまで、通常の三倍課税、長屋の大家は逮捕遠島、長屋の地主もまた遠島を命ぜられました。
要するにものすごく厳しい制裁が課せられていたのです。
ですから清水港で失敗したからといって、安易に江戸や大阪などの大都市に移り住むとかいうことなどまったくできなかったし、だからこそ、親分衆のもとを転々とするしかなかった。
そしてそのことを逆に利用して、より魂を磨こうとした人たちがいた・・・と、そういう社会文化が人々の間に定着していたのです。
ひるがえって現代を見るに、果たして庶民の安全は図られているといえるのか。
犯罪者でさえも、自ら自分を罰し、自ら魂を磨くという考えに至ることが常識となっているといえるのか。
あまりにも江戸文化、あるいは古くからの日本の文化を、軽くみすぎてきてはいないか。
いまの日本で、果たして江戸時代のような、自ら懲役を科すこと、およびそのことに民衆が理解を示し、かつ歓迎することは、果たして可能でしょうか。
日本は、意外にすごい国なのです。
そんな日本を、もう一度、しっかりと見直してみるということは、とても意義のあることではないかと思います。
それにしても、日本は本当に素晴しい国だったんですね。それを見直し取り戻すことこそが目指すべき道でしょう。それこそが、世界も待っていることでしょう。
自虐史観教育の所為もあって日本が嫌いだったが、ねずさんに教えられて目が覚めました。
その中でも驚いたのが、このインパールの戦いでした。何度読んでもその凄さに驚くばかりです。これほどの戦いをした日本兵を悪く言う戦後の教育は余りにも情けない。
それにしても、この日本兵の民度の高さはもっと世界に知られるべきでしょう。それを世界に広めないのは政府の怠慢でもあるでしょう。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。何度読んでも涙なしに読めません。
ねずさんの学ぼう日本 2023/02/08
インパールの戦いと日本の若者
・・略
インパールの戦いは、日本の正式な作戦名を「ウ号作戦」といい、昭和19年3月から同年7月初まで継続した戦いです。
この戦いに参戦した日本軍兵士は、およそ9万人。
帰還できたのは、そのうちの約1万2千人です。
この退却戦で、陸空から英国軍の攻撃を受け、さらにマラリヤや赤痢が日本の兵隊さんたちを襲いました。
退路となった街道には、延々と餓死した日本兵の腐乱死体や白骨が横たわり、その有様から、この街道は「白骨街道」と呼ばれました。
街道で亡くなった兵隊さんの数は、およそ4万人に達するといわれています。
亡くなって一週間程度の屍には、どす黒い汁が流れ、黒い大型のピカヒカ光る蠅が群がり、黒い大きな固まりがそこにあるように見えたそうです。
なにかの拍子に蠅が飛び上がると、遺体がもぞもぞと動いて見えたそうです。
大量の蛆が、遺体を食べながら動いているのです。
腐臭もすさまじいものであったそうです。
けれどその遺体は、ひとつひとつが、歓呼の声に送られて出征した、笑顔さわやかな頼もしい皇軍兵士たちです。・・・中略
誇るどころか、関係のない民家を襲わないなんて、そんなことは「あたりまえ」のことにすぎない。
それが日本人だ、ということです。
そして、そうやってきたのが私たちの祖父の若き日であった、ということです。
世界では、襲うのがあたりまえで、襲わないことがありえない。
日本では、襲わないのがあたりまえで、誰ひとりそのことを誇ろうとさえしない。
さらにいえば、あの苦しい退却行において、生き残った人たちの手記を読むと、途中でビルマ人の青年に助けてもらった、あるいは民家の人たちが沿道で食事を振る舞ってくれたということに、心からの感謝を捧げている。
それが、若き日の、私たちの父の姿であり、お爺ちゃんの若き日の姿なのです。
なお、インパールの戦いについて、本文では、「負けるとわかって戦った」という一般の考察をそのまま記載させていただきましたが、異説もあります。
それは、インパール戦が、前半まで圧勝であったという事実です。
日本軍は、インパール街道の入り口をふさぐコヒマの占領に成功している。
コヒマの占領は、味方の補給ラインの確保を意味します。
従って、この段階では、日本軍側に補給の問題はなく、戦線は日本側有利に動いています。
このあと、牟田口中将は、近くにある敵の物資補給の要衝であるディマプールをつこうとしてます。
これが成功していれば、インパールの戦いは、日本の勝利に終わっています。
そのことは、戦後になって敵将が、はっきりと認めています。
戦後左翼のああだこうだの評論よりも、戦った相手の言う事と、その後、何が起こったのかをきちんと見ることの方がよほど真実に近いのではないかと思う次第です。
しかしこんな凄い先人を貶める教育を平気でする日本の教育は本当に狂っている。これを改正出来ないようでは、日本の未来は無いでしょう。
いつまで放置しておく積もりでしょうか。
この話もねずさんが何度も取り上げてくれていますが、何度読んでも昔の日本女性の凛とした態度に感動させられます。
こういう女性が今の日本にまだ存在するのだろうかと思ってしまいます。これに匹敵する男も居ないのかもしれません。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本 2023/02/04
たおやかにやまとなでしこ咲きにけり りんと気高くたじろぎもせず
・・・略
女性を礼賛するために申し上げているのではありません。
力の強さなら、男性の勝ちです。
世界中、どこの国においもて、どの民族においても、歴史を通じて権力とは「力」です。
そして国の軍事と警察と財務を握った者が、その国の最高権力者です。
けれど、我が国では、その「力」を超える存在を、社会の中心に置きました。
それが天上の神々とつながる天子様であり、その天子様によって、権力者が支配する民衆が「おほみたから」とされたのです。
天子様は、人であり、権力者よりも上位にある国家最高の「権威」です。
そして権威は、権力を超えることができます。
権威は、古くて長い歴史伝統文化によってのみ育まれます。
なぜなら、権力には「古い」ということがないからです。
権力は常に入れ替わり、「古さ」を持つことはできません。
なぜなら政変によって、毎度、権力が根底から否定されてしまうからです。
「力」による権力は、より大きな力の前に屈するのです。
そして、どんな理不尽でも、力があれば許されるというのでは、決して人類社会に平和と安定をもたらされることはありません。
そしてその力を理知的に抑えるものが、何が正しく、何が間違っているのかということを明確にする価値観です。
そして価値観は、「古い」ということが価値になります。
我が国では、こうして「力よりも、正しいことがある」という信念が育まれました。
つまり男性の持つ「力」を凌駕することができる正義を、女性たちが保持することができるようになりました。
そしてこのことが、我が国の女性が外地に出たとき、多国の人々から、
「日本人女性は凛としている」
とみられるようになった根拠です。
今も世界では同様に見られているのなら嬉しいですね。劣化した日本人が昔の日本人を取り戻して欲しいものです。
日本食の凄さをパン粉で驚かされました。それだけでも驚きでしたが、今度はマヨネーズも同じように世界のシェフに認められているそうです。
ここでも、日本人の食への拘りが世界を魅了していることに貫洞です。その恩恵に預かっていることに感謝です。
「日本のあれこれ」が、紹介してくれています。それにしても、日本人の味覚とその拘りの素晴しさは桁違いのようです。
それにしても、何とも素晴しい国に産まれたことを心から感謝するしかない。
西郷隆盛の人気は凄いものがありますが、その魅力がどこにあるのでしょうか。ねずさんが取り上げてくれています。
実際に会ったことがないので判断は付きませんが、そういう人に会ってみたいものですが、会ったところで私自身にその判断力があるとは思えないのが残念です。
しかし、南洲翁遺訓を知るとその凄さに驚きます。実際にこれを実践している人が今の日本に存在するとは思えないだけにやはり大きな人だったと思えます。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本 2023/02/02
南洲翁遺訓
・・・略
常人と違うのは、それでいて不思議と大きな威厳が備わっていたこと。
なぜ威厳があったのかというと、西郷さん自身が、常に身を修し己れを正しくすることを片時も忘れなかったからだったといいます。
だから、真面目で飾り気がなくて明るいというだけでなく、西郷さんは周囲から尊敬される人物であったのです。
我が国では古来、権力をかさにして威張る人は決して尊敬されることはないし、国会で口をひらけば罵詈雑言しか出てこないような馬鹿者は、世間から相手にされなかったのです。
つまり、当時の日本には高い民度が備わっていた。
だからこそ西郷隆盛は不動の人気を得たのです。
ここは大事なところです。
現代日本は、30年以上にわたって経済成長がない国です。
加えて、いわゆるグローバリストたちの言いなりであり、世界のATMと化している国です。
不思議なことに、これだけの情報化社会にありながら、日本がそのような情況にあるという自覚を持つ国民は少ないし、ましてその情況を自ら主体的に「変えよう」という人も、ごく一握りです。
さらには「変えよう」とする人が現れると、寄ってたかって潰しにかかる。・・・中略
そんな西郷隆盛の言葉を「遺訓」として書き残したものがあります。
「南洲翁遺訓」と言います。
西郷隆盛の弟子たちがまとめたもので、全部で41項目あります。
ここではその全文ではなく12項目を抜粋でご紹介します。・・・中略
いかがでしたか。
まったく明治以降の日本そのものであり、まるで現代の日本を予見したかのような言葉の数々です。
いまの日本に、そしてこれからの日本に必要なことは、まさに南洲翁遺訓にあり。
そのように思いますが、みなさんはいかがでしょうか。
この遺訓を実践できる人が存在するとは思えないですが、それは悲観がすぎるのかも。案外それなりの人は存在すると思いたいものです。
日本があの廃船から見事に立ち直ったのはやはりシラス国という究極の民主主義のお陰のようです。
これも、ねずさんが教えてくれています。これは意外な視点でした。やはり、日本は特別な国なのじゃないでしょうか。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
「
ねずさんの学ぼう日本 2023/01/31
日本が壊れない本当の理由
・・・略
「
日本が見事に復活した理由もまた、日本が「民こそをおほみたから」とするシラス国だからです。
国土が焦土となったとき、政治では◯◯闘争と呼ばれる対立や紛争が次々と起こりました。
けれど多くの民衆は、そんな「政治遊び」などに付き合っているヒマはないと、仕事の席では政治の話は御法度にして、みんなで力を合わせて町を復興させ、企業の業績を伸ばしていったのです。
皇民教育を受けていない戦後世代が社会の中核を担うようになって30年。
相変わらず政治闘争は激しく行われていますが、日本の成長は停まったままになっています。
世界中、どこの国のどの民族であっても、誰もが人生において「愛と喜びと幸せと美しさ」を求めます。
けれど、そのために必要なことは、庶民がたいせつにされていることです。
それなら「民主主義」があるではないかという人もいることでしょう。
けれど「◯◯主義」という言葉は、いつの世においても「ないものねだり」です。
米国は自由と民主を求めて建国された国です。
これが米国民の基本理念です。
けれど現実は、1%の人たちが全米のGDPの50%を所得にしています。
政治もまた、ごく一部の大金持ちの利権のために動きます。
そのどこが民主主義といえるのか。
日本には、もともと「◯◯主義」という言葉はありません。
代わってあるのが「民衆こそがおほみたから」という概念であり、それが日本建国の理念です。
結果として日本では、一般の庶民が、人としての愛と喜びと幸せと美しさを普通に求めて生きることができます。
このことははるか万葉の世界においても明らかといえます。
「そんなことはない。日本には様々な問題がある」という方もいるかもしれません。
しかし問題があるということは、問題を自覚できる感覚があるということです。
そして自覚ができることならば、それは改善し、乗り越えれば良いだけのことです。
それは神々が我々に与えてくれた改善のチャンスです。
チャンスは、いつの時代にも、どんな場合にも「苦難」の形をとって目の前に現れます。
それを乗り越えていくことが、生きるということなのだと思います。
人類が「愛と喜びと幸せと美しさ」を求める限り、
日本は永遠に不滅です。
やはり、シラス国という恩恵で育ってきた日本人は本当に恵まれているようです。それこそが、日本人がお上を信じるのもこの恩恵に心底感謝しているからじゃないでしょうか。
この素晴しさを日本人が自覚し、それを世界に広めることこそがやるべき方向でしょう。
日本の識字率の凄さが室町時代の大工さんの落書きから話題になっているようです。日本人が同じ記事を見ても、そんなものかと思うだけで識字率なんて思わなかったのじゃないでしょうか。
それだけ、日本の教育水準が昔から凄かったという証拠でしょう。やはり、日本は凄い国だったのです。その日本の教育の劣化には今更ながら危機を覚えます。
「日本のあれこれ」が取り上げてくれています。
やはり、国の基本である教育を昔のように戻すことが必要です。それに気が付かない日本の教育界の劣化には本当に呆れます。
何といっても、それを放置している政治の怠慢が一番の問題でしょう。それも、やはり、正しい国家観も歴史観も持たない奴等を選ぶ国民にあると言えそうです。
日本食がブームになっていることに驚かされます。世界の料理も日本では別物になって美味しくなるのは今では有名です。
そんな裏で活躍している日本の魔法の粉があるそうです。一体、何でしょうか。
何と、それはパン粉なのだそうです。これにはビックリです。確かにトンカツの美味しさは初めて食べた時に衝撃を受けたことを思い出します。
「日本のあれこれ」が、詳しく取り上げてくれています。それにしても、日本人の食への拘りは凄い。やはり、日本に生まれただけで儲けものです。本当に日本に産まれてよかっ。
それにしても、パン粉が世界とは違うことに驚きです。日本人の拘りに感謝です。
明治維新は日本にとっては功罪半ばのような気がしていましたが、日本だからこその素晴しさも発揮していたようです。
武士や貴族の身の処し方がウシハク国の西欧とは違ったようです。これこそがシラス国の凄さと言えそうです。
ねずさんが教えてくれています。何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本 2023/01/29
身分を返上した武士や貴族
・・・略
左系の人は、いまも共産主義革命を望み、ゲバラを尊敬しているそうですが、ゲバラの行ったキューバ革命による死者は約22万人です。
しかもそのうちの約8割が一般市民です。
民衆のための革命といいながら、なぜ大量の民衆の命が犠牲になるのか。
普通の常識に従えば、彼は偉大な革命家ではなく、ただの殺人鬼です。
ではどうして日本は、民衆の犠牲を伴わずに大規模な改革が可能だったのでしょうか。
その最大の答えは、我が国における改革が、常に「政権交代」の枠組みの中にあったという点です。
つまりロシア革命やキューバ革命、フランス革命、あるいはChinaの易姓革命のような、国の形が変わる革命を、我が国はしなくて済んできたのです。
それができたのは、我が国に天皇がおいでになったからです。
日本の国の形は、はっきり申し上げれば「君主国」です。
頂点におわすのは、もちろん天皇です。
戊辰戦争においても、佐賀の乱でも、西南戦争でも、天皇の「おほみたから」という概念が根底において崩れていない戦いであったから、民衆の犠牲者はほぼ皆無に近く、どこまでも責任を持つ武士たちの戦いの枠組みを外れることがなかったのです。
これは、我が国の天皇が古来政治権力を持たず、政治権力よりも上位の存在として民衆を「おほみたから」としてきたからこそ実現できたことです。
なぜなら、政治を担う者は、常に「天皇のおほみたからを支える立場」にあたるからです。
これによって民衆は権力者の私有民、奴隷、被支配民とならずに済んできたし、政治の枠組みの大改編に際しても、民衆の血を求めずに済んできたのです。
これがわかると、天皇の存在を否定する人たちというものが、どのような思考に基づいている人たちなのかがはっきりと見えてきます。
それは「自分が世間の、あるいは社会の支配者になりたいというきわめて幼稚な思考しか持たない人たち」です。
なぜなら、「国家最高の存在は権力者でなければならない」という概念しか持っていないからです。
要するに外国かぶれです。
明治維新にせよ、大日本帝国憲法にせよ、欧米列強という侵略者たちに立ち向かうために積極的に彼らの文化や軍事を採り入れざるを得なかったという時代背景のもとに生まれたものに過ぎません。
しかしその目的はなにかといえば、我が国の万年単位で続く、平和な国柄を、民をこそ「おほみたから」とする国柄を護るために行われたものです。
従って、明治以降に生まれたものが、必ずしも正しいものではないことになります。
なぜなら、欧米で生まれた大航海時代以降の西洋文明は、支配と隷属、一部の者の利益のみを重視する文明にほかならないからです。
彼らは、キリスト教を信仰しますが、キリスト教の教えは、民を子羊として慈しむものであると聞きます。
そうであれば、なぜ、その民が犠牲になり続ける政治体制がいまも続くのでしょうか。
現代の常識を、あらためて日本の歴史から眺めてみる必要の理由が、ここにあります。
やはり維新は日本ならでのものだったようです。ウシハクの世界には出来なかったことは間違いなさそうです。
やはり、日本は素晴しい国です。
H3ロケットへの期待をとりあげましたが、探査機SLIMが月面へのピンポイント着陸に成功したそうです。何と、世界初なのだそうです。
只し、ちょっとした失敗もあったようです。やはり、どこか気の緩みがあるのじゃないかと心配にもなります。
余りにも完璧を求めすぎるのかも知れませんが、どうしても期待したくなります。
「ニュースのあかり / News community」が、詳しく報告してくれています。
折角、頑張ってくれているのにこうしたちょっとしたミスが目立つような気がします。画竜点睛を欠くですね。そこまで求めるのは酷なのかもしれませんが、ここはやはり、日本の素晴しさを見せて欲しいものです。
去年のH3ロケットの失敗はまさかと思っていただけに驚きとともにがっかりしたものです。
その後どうなっているのか思ってましたが、どうやら来月には打ち上げのようです。準備万端のようですが成功を期待します。
「俺たちのJAPAN-スカッとワールド-」が、詳しく取り上げてくれています。
【海外の反応】「こんなもの作りやがって!!」日本がついにH3ロケット完成へ!大焦りの隣国からは驚愕の声が寄せられ…w
とは言え、最近の日本の劣化を見ていると抜かれる日がこないとはかぎりません。
日本の文化の素晴しさをネットのお陰で知るようになりました。特にねずさんに教わったのが最大です。
それに動画による海外の情報で日本の評判を沢山見ることでその素晴しさを認識させられました。
それを証明するような放送をNBCがしてくれたと、まごころJAPAN【海外の反応】が取り上げてくれています。
やはり世界も日本の素晴しさを認識してくれだしたようです。世界が日本のシラス国を待ち望む日は近いのかも。
日本の素晴しさは文化に現れていることが世界にも認識されだしたことを取り上げました我、それも自然の厳しさが育ててくれたのかも知れません。
むすび大学チャンネルでねずさんが由井さんとの対談で聞き出してくれていいます。それを忘れた今の日本は本当に危機と言えるでしょう。
やはり日本は先人が築き上げてくれたシラス国の素晴しさを取り戻さなければ未来は無いでしょう。