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団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★昭和天皇行幸

2023年01月14日 | 国体・皇室・シラス

 ねずさんが何度もとりあげてくれる昭和天皇行幸は何度四でも涙なしに読めません。
  この話に感動しないのはやはり、「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」達と奴等に洗脳された可哀想な人達でしょう。

  日本人が感動するのはシラス国という恩恵が身に染みているのかもしれません。
  こんな凄い国の恩恵を忘れさせられたGHQや戦後利得者達には怒りしかない。特に利得者達の罪は余りにも大きい。この人達にはやはり恥というものが無いのでしょう。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2023/01/08
  
  昭和天皇行幸

  ・・・略

 以下の文は、しらべかんが著「天皇さまが泣いてござった」からの転載です。
このお話は2011年より毎年、新年にご紹介しています。
日本人に生まれたことに感謝の気持ちを持つことができる、たいへんに素晴らしい文です。

 今年は癸卯の年です。
癸卯の年は、新しい勢力が、旧来の勢力の城門を打ち破って城内に突入する年です。
守旧側は押されますが、戦いの決着は来年以降です。
ですから今年は、たいへんな困難の年です。

 けれどどんな困難がやってきても、根を張ることです。
植物が、風が吹いても倒れないのは、地中に根を張っているからです。
これが「根張り」、つまり「ねばり」の語源です。
見えないところで努力を重ねる。
そうすることでどんな困難がやってきても、正しい心と陰徳がある限り、最後は必ず勝つことができます。
そしてそのことが、きっと昭和天皇が国民に求めたことなのではないかと思います。・・・中略

 お腹を空かせた者にパンを与えること、パンを得る方法を教えること以外の第三の道。それは、互いに心を通わせ、同苦し、信じあい、励まし続けることでした。
そのことを、昭和天皇は、見事に体現してくださいました。

 敗戦のショックで打ちひしがれていた人々は、この昭和天皇行幸を境に、国土と産業の復興のために全力をあげ、日本はその後わずか15年で、東京オリンピッ クを開くまでに国土と産業を復興させ、そしてそこから戦後の高度経済成長を果たして、世界第2位の経済大国へと発展していきました。

 天皇の行幸は、政治権力でしょうか。それとも上下関係でしょうか。
パンを与えたのでしょうか。パンを得る方法を教えたのでしょうか。

 違うと思います。
それらとは明らかに一線を画する、もっとはるかに高度なものです。

 これが、天皇の「しらす」です。
日本古来の姿です。

 お読みいただき、ありがとうございました。



  ねばりの語源が「根張り」には驚きです。粘りだと信じていました。

  やはり、日本は凄い国です。


★清陽(すみてあきらか)

2023年01月12日 | 国体・皇室・シラス

 日本書紀が教科書として書かれ、ずっと使われてきたこともねずさんに教わりました。
  余りにも勿体ないが、これもGHQと利得者達によるものだと考えると本当に腹立たしいし悔しい。
  と言うか、それを改正しない政府・自民党・文科省等に怒り心頭です。

  今回もそんな話題を書いてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2023/01/06
  
  清陽(すみてあきらか)

  ・・・略

 誰だって、重く濁った気持ちになったり、落ち込んだり、凹んだりすることがあります。
「あっていいじゃないか」
と日本書紀は書いています。
だって、神様だって、重くて濁ったものを持っている。
まして、私達人間の体は、その重くて濁ったものでできた地(つち)からできる作物を食べてできています。
重たいものがあったり、落ち込んだりすることがあって当然なのです。

 けれど、私達の心には、そんな重濁だけではなく、清陽(すみてあきらか)なものも、ちゃんと宿っています。
つらいことがあっても、かなしいことがあっても、凹んでも、
それでも清陽な心を失わない。
それが人間です。

 だから、人はあたたかい。
そう信じて、希望をもって中今(なかいま)を生きるとき、道は必ず開けてくる。
そういうことが日本書紀の冒頭に記されているのです。

 ここに、何があってもくじけず、人と人との間を生きて、どんな苦難をも乗り越えてきた先人たちの知恵があります。
遠い未来ばかりを夢見るのではない。
過去の成功や失敗にばかりこだわるのでもない。
いま、この瞬間に、できる最大の努力を積み重ねる。

 あたりまえのことですが、より良い未来にやってきてもらうには、それしか他に方法などない。
そういうことを日本書紀は、冒頭で教えてくれています。



  日本書紀の教えを取り戻す日は来るのでしょうか。と言うか来て欲しいものです。


★天皇の四方拝と初詣のお話

2023年01月08日 | 国体・皇室・シラス

 毎年ねずさんが書いてくれる四方拝もシラス国を知らなかったように当然知りませんでした。
  それにしても、何という素晴らしい国を我が先人は築き上げて来たものでしょうか。
  それ以上にそれを教えない今の日本教育の酷さは怒りしかない。教育界の人達は日本人をどうしたいのでしょうか。
  もしかしたら堕落した自分達のレベルに落としたいのでしょか。やはり、「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」達が潜り込んでいるのじゃないでしょうか。

  今年も、ねずさんが書いてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
  

  ねずさんの学ぼう日本より      2023/01/01
  
  天皇の四方拝と初詣のお話

  ・・・略


 世界中に、王や皇帝と名のつく人は、古今東西、歴史上枚挙に暇がないほど、数多くいたし、いまもいます。
けれどそれらすべての王侯貴族は、ことごとく「支配者として君臨する人」です。
これを古い日本語で「ウシハク」といいます。
君臨する人というのは、現代の世界でもそうですが絶対に責任を取らないし、民衆のことを単に雨後【うご】の筍【たけのこ】のように「いくらでも生えてくる雑草」という程度にしか思わないものです。

 このことは議会制民主主義でも同じで、選挙で選ばれてしまえば、任期中は権力者として君臨できるわけです。
そして君臨する人というのは、実はオウムの麻原彰晃と同じです。
自分のことを神だと思うようになります。
神だから、民衆に対する生殺与奪の権を持つし、自分だけが神として崇め奉られようとします。
このような人は、自分のことを神とでも思っているから、自分では絶対に責任を取らないし、自分のことしか頭にない。
つまり自分が神だと思いこんでいるだけで、その実態は魔物【まもの】であり、西洋風に言えば悪魔です。
魔物や悪魔を社会の頂点に置けば、ろくな社会にならないのは自明の理です。

 西洋文化というものは、植民地支配が始まった16世紀以降に力をつけた民衆が18世紀末頃から王権を否定し攻撃することで生まれた比較的新しい文化です。
その新しい文化に染まることが良いことだからと、特に戦後は「古い衣【ころも】を脱ぎ捨てて」などという標語が我が国でもさかんに言われるようになりまし たが、どっこい、我が国の文化は4万年前の新石器時代からずっと続く様々な試行錯誤の蓄積の中で育まれ、8世紀にはほぼ完全な形で出来上がった文化です。
つまり欧米の文化がわずか200年少々の歴史しかないのに対し、我が国の文化は1300年の歴史の中で、様々な紆余曲折を経験する中で育まれた文化なのです。
「古い衣を脱ぎ捨てて」ではなく、いまこそ「古い衣を引き出して」新たな日本文化を開眼させるべき時代【とき】なのです。

 その日本文化の根幹にあるのが、天皇が民衆のことを知り、民衆を「おほみたから」として、先祖代々を意味する神々と直接つながられる「知らす」統治です。
「知らす」とは、現代語にすれば「お知りになりなさい」という意味です。
天皇が民衆のことを深くお知りになられ、その天皇が民衆を「おほみたから」とされることで、天皇が任命する政治権力者が、どこまでも民衆が豊かに安全に安心して暮らせる社会の実現のために責任を持つ、という社会の仕組みです。

 ですからシラス統治のもとでは、民衆が神々の「たから」です。
神々のたからであるということは、民衆に国家として最高の尊厳が与えられているということです。
つまり究極の民主主義といえる統治が、シラス(知らす、Shirasu)です。
日本は、神話の昔から、このことを基本にできあがっています。

 そして日本がシラス国であるためには、民衆の側にも高い民度が求められます。
そうでなければ民は我執我欲に走り、なかでも飛び切り欲の深い者が富や政治を私物化して独占し、他の民から収奪をはじめてしまうからです。

 ですから知らす統治には、そうしたゆがみを正す機能が必要です。
それが荒魂【あらたま】です。
まっすぐにすることを「たける」といい、漢字で書いたら「武・健」です。
世界中、どの国の言語でも、武は攻撃(アタック)か防御(ディフェンス)のためのものです。
しかし我が国ではどこまでも、歪みを正してまっすぐにする「たける」ために用います。

 人々が私的な欲を自ら抑えこみ、誰もが公徳心を持って真っ直ぐに生きることができるならば武は必要ないかもしれません。
けれど、そのようなことは人間社会ではあり得ませんから、歪みを正す武【たける】が必要となるのです。
いまの日本に欠けているのは、その武です。
そもそも歪みを正すための「武」と、他人の迷惑を顧みない暴力とでは、まったく意味も方向も結果さえも異なるものです。

 ともあれ、高い民度を保たなければならない国に、私たちは生まれました。
これはとてもたいへんなことです。
ひとりひとりにルールが求められるからです。

 赤信号ならば、誰もいなくても、ちゃんと停まらなくてはならない。
それは誰もいなくても監視カメラがあるからではなくて、天が見ているからです。

 そしてどこまでも謙虚に、自分の幸せだけでなくみんなの幸せを願っていく。
天皇陛下が率先して、元旦の早朝から、そうしておいでになるのです。
国民もまた、互いの「愛」を大切にする。
そうすることで、互いに信頼しあえる国を築いていく。
それが日本であり、日本人の行動です。



  それにしても、こんな凄い国は何としても取り戻さなければなりません。今の劣化した日本人にそれが出来るとは到底思えませんが、そんなことを言えばねずさんに叱られること間違いなし。
  ここは、ねずさんを信じましょう。世界もそれを待っているはず。


★昭和の赤穂浪士ー日本人の覚醒と行動をハバロフスク事件で考える

2022年12月31日 | 国体・皇室・シラス

 日本人の辛抱強さには感動すると言うか呆れるものがあります。これも、シラス国というとんでもなく素晴らしい国に生まれたお陰なのでしょう。
  ところが、それを教えられなくなった戦後に見事に劣化してしまいました。

  この劣化を何とか再生して世界にシラス国を広める時が来て欲しいものです。

  その先人の凄さをねずさんが何度も書いてくれて今す。この話も最初に読んだ時の衝撃は忘れられません。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/12/24
  
  昭和の赤穂浪士ー日本人の覚醒と行動をハバロフスク事件で考える

  ・・・略

 日本人が目覚めるときというのはどういうときなのか。
目覚めたとき、日本人はどのような態度をとるのか。
このことについて、「ハバロフスク事件」を題材に考えてみたいと思います。
「ハバロフスク事件」というのは、かつてシベリアに抑留されていた人が、日本人としての誇りに目覚め、立ち上がった事件です。

 シベリアに抑留された日本人は、十年間、ひたすら恭順の姿勢をとり続けていました。
「民主化」と称する旧ソ連流の共産主義教育にも大人しく従っていました。
その日本人が、ある日、立ち上がったのです。
それは銃を手にした戦闘とは、まったく異なる実に日本的な戦いの姿でした。

 大東亜戦争終結後、ソ連は、旧関東軍の将兵をシベリアに抑留しました。
ソ連兵の態度は、まったく威圧的で情け容赦なく、
「我々は、百万の関東軍を
 一瞬にして壊滅させた。
 貴様等は、敗者で、囚人だ」
と、何かにつけ怒鳴ったのだそうです。
もう本当に「嘘を言うな!」とこちらが怒鳴りたくなりますが、ソ連兵は銃を持ち、こちらは丸腰だから、悔しいけれど抵抗できない。

 現実には、そもそも終戦時、関東軍の主力は、ほとんど南方戦線にまわされていて、満州には戦えるだけの戦力がありませんでした。
そういうところにいきなり日ソ不可侵条約を一方的に破棄して参戦してきて、強奪と暴行の限りを尽くした卑(いや)しい見下げ果てた連中が、「自分たちは勝者である」と威圧的態度をとる。
腹がたって仕方がないが、生きてさえいれば、いつの日か、必ず祖国に帰ることができる。
生きて家族に会うことができる。
その一点のためだけに、彼らは、腹の立つのをぐっとこらえて、耐え続けていたのです。

 しかし従順に職務をこなす日本人捕虜たちに対して、ソ連兵が行ったのは、徹底的な酷使です。
日本人は黙って言うことを聞くから、もっともっと酷使しちまえ!というわけです。
人を人として考えない。
モノや使い捨ての道具のようにしか思わない。
まるで鬼畜外道の振舞ですが、実はそれが世界の標準です。
日本だけが違う。

 ご皇室をいただく日本では、ご皇室という国家最高権威によって、民衆が「おほみたから」と規定されます。
権力は、ご皇室のもとで、その「おほみたから」が豊かに安全に安心して暮らせるように責任を持つことが役目です。
そういう国家のカタチは、世界の中で日本だけが持っていた、これこそが誇るべき日本のカタチだし、戦前戦中の日本人が必死で戦って護ろうとしたものです。・・・中略

 現代日本を考える上でも、同じことが言えるのではないかと思います。
私たちが拒否しているのは、一部の人の利権のために、民衆が利用主義的に利用されるという社会です。
私たちが希求しているのは、圧倒的多くの民衆の一人一人がが「おほみたから」として尊重される社会です。
そして民衆にとっての「よろこびあふれる楽しい国=豈国(あにくに)」であり、誰もが豊かに安全に安心して暮らせる国です。
そういう日本を取り戻したい。
そういう日本を未来を担う子達のために復活させたい。
それが、戦いで散って行った帝国軍人さん達の熱い願いであり、今を生きる私たちの望みです。



  シラス国を取り戻した日本を見てみたいものですが、とりあえずは有り得ないですね。悲しい。


★忠臣蔵の真実

2022年12月19日 | 国体・皇室・シラス

 子供の頃には毎年のように見ていた忠臣蔵は本当に見なくなった。ここでもねずさんが教えれくれたように日本を貶めたい奴等が蠢いているのでしょう。
  と言うか、忠臣蔵の裏に皇室問題があることなど想像もしていませんでした。それはそうですね。シラス国もねずさんが教えてくれるまで全くしらなかったのですから。

  日本の国体という日本が存在する最も大切なことを教えない日本の教育を何時まで放置しておくのでしょうか。

  もし、ねずさんがネットで教えてくれなかったら今も日本人は全く知らずに平和を謳歌していたのは間違いないでしょう。まさに救世主です。

  今回もその忠臣蔵を取り上げてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/12/12

  忠臣蔵の真実

  ・・・略

 さて、右に述べた赤穂浪士討ち入り事件の真実は、二〇一〇年に最初に発表した際には、ずいぶんと「そんな話は、聞いたことがない」と叩かれたものです。 実際、江戸時代からの各種演劇や忠臣蔵の講談などに、そのような描写はありません。これは当然のことで、討ち入りが皇室尊崇の精神に基づくものだと芝居を 打てば、将軍に恥をかかせることになり、それは「おかみの威光を傷つけた」として処罰の対象となるからです。
 けれど昔から「江戸の芸能は二度美味【おい】しい」と言われ、まずは舞台を見て美味しい。そして帰りの蕎麦屋【そばや】で、祖父から本当の理由を教えてもらって、また美味しい。だから「二度美味しい」。

 世の中の正道を保つためには、建前を尊重しなければならないというのが、日本古来の考え方です。建前など関係なく、結果を得ることができさえすれば良い というのは日本人の思考ではありません。だから日本は平和でいるし、日本以外の諸国では殺戮や不公正がまかりとおるのです。我が国は、お上は、常に論理的 に正しく説明がつくように政道を行なわなければならないとされてきた歴史を持ちます。勝つためなら何をやっても許されるという、どこかの国とは歴史が違う のです。

 そうそう。学校で習う円周率ですが、世界で円周率の計算式を求めて十八世紀から十九世紀にかけて大激論が交されていた頃、日本ではその百年前の17世紀 の寛文三年(一六六三年)に、村松茂清という人物が小数点以下七桁までの正しい値を求め、日常的に使用する円周率を三・一四と決めています。その村松茂清 は、播州赤穂藩の人で、討入りした村松喜兵衛の父、村松三太夫の祖父となります。二人共村松茂清に負けず劣らず算術に長けた秀才であったと伝えられていま す。討ち入りをした赤穂の浪士たちは、教養の高い武士たちであったのです。



  この日本人の劣化を何とかしない限り日本の再生は有り得ないでしょう。それに手を付けようともしない政府・自民党には本当にがっかりさせられます。
  尤も、自虐史観を信じ込まされている優等生ばかりなのですから仕方ないのかも。
  それにしても、自分で勉強しようとも思わないのでしょうか。何とも情けない。


★★山形大学が開発した「新技術」【代替肉調製】

2022年12月14日 | 国体・皇室・シラス

 何とも驚くべき技術が開発されたそうです。本当でしょうか。今や、代替肉として大豆が使われていることは有名です。
  ところが、この大豆の変わりに米から代替肉が出来るというのです。これは米粉の利用と共に日本の食料事情は一気に解決するのかもしれません。

  食料とエネルギーを自給出来る時代がそこまで来ているのでしょうか。これは、ワクワクしますね。

   NEX工業が詳しく取り上げてくれています。これは何としても実現して貰いたい。


  産経新聞も取り上げてくれています。

  この代替肉と米粉という想像もしなかった武器を手に入れることが出来れば日本の未来はバラ色です。
  これこそが、「天壌無窮の神勅」なのかもしれません。

何とも嬉しい!

★熟田津に船乗りせむと月待ば

2022年12月06日 | 国体・皇室・シラス

 ねずさんがこのどう考えても消滅しかないと思える日本を勇気付けてくれますが、流石にちょっと信じ切れないものがあります。
  とは言え、天照大御神のご神勅は信じたいものです。と言うかこれが信じられないようでは本当に日本の未来を諦めるしかないでしょう。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/11/29

  熟田津に船乗りせむと月待ば

  ・・・略

 20年という歳月は、天国を地獄に、地獄を天国に変えることができる歳月でもあります。
そして時代が変わるときは、またたくまに世の中が動いていく。
コロナショックで、まさにいま、日本は激動の時代にあります。

 けれど、どんなときでも、陛下の大御心を思い、勇気を持って前に進むとき、そこに本来の日本人の姿があります。
それは、勝つとか負けるとかいうこと以上に、私たち日本人にとって大切なものです。

 またご皇室の内部に問題がある云々とも、一切関係ないことです。
そもそも問題点というのは、いつの時代にあっても、どのような場所であっても、どのような人であっても、たとえご皇室であっても、そこにあるのが人である以上、必ずあるものです。
問題が起きているということは、物事が動いているということであって、むしろ問題が何もないなら、それは物事が動いていない、つまり生きた人間がそこにいないということです。

 ご皇室内部の問題は、ご皇室に委ねればよいのです。
外野があれこれ言うべきことではない。
名誉欲、経済欲に駆られたどっかのアホがご皇室内部に入り込むような事態は、いまも昔も繰り返しあったのです。
けれど歴代天皇のご事績はゆるぎなく歴史に燦然と輝いています。・・・中略

 吉田松陰が水戸藩郷士、堀江克之助に送った書です。

「天照の神勅に、
 『日嗣之隆興 天壞無窮』と有之候所、
 神勅相違なければ日本は未だ亡びず。
 日本未だ亡びざれば、
 正気重て発生の時は必ずある也。
 只今の時勢に頓着するは
 神勅を疑の罪軽からざる也」

 《現代語訳》
天照大御神のご神勅(しんちょく)に、「日嗣(ひつぎ)の隆興(さかえ)まさむこと、天壞(あめつち)とともに無窮(きはまりなかる)べし」とあります。そしてご神勅の通り、日本はいまだ滅んでいません。
日本がいまだ滅んでいないなら、日本が正気を取り戻すときが必ずやってきます。
ただいまの時事問題に頓着(とんちゃく)して、簡単に日本が滅びると言うのは、ご神勅を疑うというたいへん重い罪です。



  それにしても日本の歴史は素晴らしいですね。こんな歴史を持つ日本人がそれを教えて貰えない教育には呆れるしかない。
  それ程に、日本が嫌いなのでしょうか。それとも、「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」に洗脳されているのでしょうか。
  いずれにしても、この日本の教育を変えない限り日本の再生は望めないし、消滅も有り得るのじゃないでしょうか。


★因縁話と江戸城天守閣

2022年11月22日 | 国体・皇室・シラス

 この江戸城天守閣の再建をしなかった話をねずさんが書いてくれたのを読んだときに徳川時代に対する考えが完全に変わりました。
  これが出来る権力者はシラス国の日本だからこそじゃないでしょうか。ウシハク国ならこの再建が最優先されたはずです。
  これこそが日本の国体を理解させる最高の例でしょう。まずは国内にそして世界にこの事実を公報すべきでしょう。

  今回もこれをねずさんが書いてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/11/15

  因縁話と江戸城天守閣

  ・・・略

  一生懸命学んで大人になって、 大人になったら、一生懸命働いて、 子や、孫の未来を築く。 それが日本人の、1万7000年続いた縄文時代以来の、DNAに蓄積された日本人の姿です。 ここに因縁話が生まれる背景があります。 因縁というのは、歴史的原因と経過のことだからです。 ということは、因縁話が理解されない社会というのは、その民族が「民族としての歴史を失っている」、もしくは「失わせたい力が働いている」ことを意味します。

  さて、明暦の大火に関連して、もうひとつたいせつなことを書いておきます。 この大火の延焼で、江戸城にあった五層建てのたいそう立派な天守閣が、燃えてなくなりました。 ところが徳川幕府は、明暦の大火で家屋を失った民衆のために、惜しみなく資金を提供し、町の復興のために予算を用いました。 そしてそのために、わが国最大にして最高の江戸城天守閣の再建をあきらめたのです。 天守閣を再建して虚勢をはることよりも、焼け出された人々への民生が第一。 これが西洋やChinaの歴史にない、我が国の政治権力の姿です。

  徳川幕府が天守閣を後回しにし、さらには以後200年以上も天守閣を再建しなかった理由に、当時の武士たちの立ち位置が現れています。 武士はもともと新田の開墾百姓たちです。 そして武士は、平安の昔も、鎌倉時代も、戦国の昔も江戸時代も、領主として、天皇のたからを預かったのであって、領土領民はあくまで「天子様の大御宝」と認識されたのです。

  西洋やChinaでは、領主は領土と領民を支配します。 けれど日本では、領主はあくまで、天皇のたからである領土領民に知らす統治を行なう「知行」をしていたのであって、領土領民を支配したのではありません。
  いまの会社内で、部長や課長が部下を「支配」しているのではなく、部下はどこまでも「会社」の社員であり、「役席者が私的に支配しているのではないことと同じです。 そしてそういうことがなぜ実現できたかといえば、歴史的を大切にしてきたからなのです。 因縁話は、そうした歴史的背景と日本の常識の中から生まれた物語であるといえるのです。

  本当に、この話は感動します。確かに天守閣を見てみたい気持ちもありますが、そうじゃなくこの事実を世界に広めて日本がどんな国であるかということを理解してもらうことにその再建費を使うべきでしょう。
  政府・自民党・外務省などにその発想があるとは思えない。残念です。

★京杭大運河の失敗と遣隋使・遣唐使についての考察

2022年11月17日 | 国体・皇室・シラス

 遣隋使や聖徳太子の日いずる国で知っている髄ですが、その政治はやはりウシハクだったようです。
  最近も失敗した南北を繋ぐ運河が髄の時代もやられていたそうです。それが国の為という発想が無いのでしょう。

  何と、その失敗を見て、日本はシラス国を作り上げて来たようです。

  ねずさんがそれを教えてくれています。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/11/10

  京杭大運河の失敗と遣隋使・遣唐使についての考察

  ・・・略

 ところがチャイナに強大な軍事帝国ができあがると、我が国も国防上、全国を統一した統一国家にしていかなければ、国を護ることができません。
そのためには、中華統一を実現した隋や唐に、その国の制度や仕組みを学ぶことが一番、手っ取り早いと考えられたのは、これはきわめて自然な流れであったということができます。

 その意味で日本が、学びのために遣隋使、遣唐使を派遣したという言い方は、あながち間違いではないのですが、ただし日本は、チャイナのシステムをただ模倣したわけではないところに、日本の独自性があります。

 とりわけおおきなきっかけになったのが、この京杭大運河と隋の滅亡で、皇帝と呼ばれる国家最高権力者を国の頂点にした場合、その皇帝の権力を抑えることが誰にもできなくなってしまうこと。
権力が暴走したとき、誰もその暴走を押さえられず、このことが結果として国を滅ぼす原因となってしまうことを、我が国は、目の当たりに学んでいるわけです。

 そこで隋や唐の制度を日本に取り入れて、日本を統一国家にするにあたって考案されたのが、国家最高の存在である天皇から、政治権力を取り上げる、という方法でした。
天皇は、国家最高権威であり、国家権力の行使は、その下にある大臣がこれを担う。
そうすることで、大臣の所業に間違いがあったときには、その責任を大臣自身にちゃんと追求できるようにすることができる。
また、国家最高権威である天皇によって、国民を「おほみたから」とすることで、国家権力は自然と国民に奉仕するという役割になる。

 こうしたことが、隋の滅亡と、唐の皇帝の横暴などを横目に見ながら、日本はしっかりと学び、日本独自のシラス統治を完成させていくわけです。

 隋や唐の周辺国にあたる国は数ありますが、隋や唐の失敗から、自国の統治スタイルを「民をこそおほみたからとする」というシラス統治にまで発展させることができた国は、日本だけです。
そしてこの統治システムが素晴らしかったことは、日本がそのまま千年以上にわたって、ひとつの国家で有り続けているという事実が見事に証明しています。



  やはり、日本は凄いですね。この凄さを忘れたというか忘れさせられたことが今の日本の劣化を齎したのは間違いないでしょう。
  これに気がついて再生に乗り出すことこそが日本の取るべき道であることだけは間違いないでしょう。


★明浄正直の国民性は君民和合の家族的国家生活が生んだ

2022年11月13日 | 国体・皇室・シラス

 極貧生活を楽しむ毎日ですが、流石に厳しい面もありますが、それもどうにも辛抱出来ないこともない。
  これも、シラス国という日本に生まれた恩恵じゃないのでしょうか。

  そんな素晴らしい国をねずさんが教えてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/11/05

  明浄正直の国民性は君民和合の家族的国家生活が生んだ

  ・・・略
 
 ところが日本は違いました。
もちろん日本の天皇も、領土領民の全ての所有者です。
けれど、欧米やアジア、アフリカ諸国の全ての王や皇帝と違うのは、日本の天皇は最高権威であるとともに、民こそを最高の「たから」としたことです。
これを古い日本の言い方で「シラス(知)」といいました。
単に「私有する」ということと、「たからとしてシラス」ということは、まるで意味が違います。

 諸侯が王の私物だった世界に対し、日本では政治権力者である諸侯は、天皇から、天皇のたからである領土領民を預かる立場です。
王が諸侯を支配し、諸侯が民を支配するという上下の関係ではなく、
日本は天皇が民をたからとし、諸侯が民を守るという仕組みを築き上げました。
これが「君民和合」です。

 ただ和合するだけでなく、天皇も諸侯も民も一体となってひとつの家族となる。
これが「家族的国民生活」です。
古い言葉では、これを「八紘一宇」といいます。

 このような国の形(これを国体といいます)が根底にあればこそ、日本人は日本の社会において明浄正直の国民性を、長い歴史の中で保持することができたのです。

 そしてこのような国民性があればこそ、日本では千年の時を超えてまさに女性が輝く日本を築くことができたし、世界最強の民族として、500年続いた世界の植民地支配を、たった3年半で完膚なきまでに消滅させることができたのです。

 「明浄正直」の国民性は、「みんなで力を合わせて問題の解決に当たる国民性」でもあります。
考えてみてください。
現代日本の問題点を解決できた先に、私達はどのような未来を迎えるのでしょうか。

 それは、「もうダメだ」という未来でしょうか。
栄えある、そして世界に冠たる日本の姿でしょうか。

 それは日本人の生活が貧困化し、治安も安全も脅かされる未来でしょうか。
それとも誰もが豊かに安全に安心して暮らせる未来でしょうか。

 どういう未来を築くくかは、我々自身がどのような未来を望むのかによって決まるのです。
「明浄正直の国民」に、敗北はないのです。



  上を見れば限りはない。世界が日本と同じ生活水準を達成することは今の人口から考えれば到底不可能です。
  顰蹙を買うでしょうが世界の人達が私程度の極貧に耐えることこそが世界平和の道じゃないでしょうか。これは流石に難しそうです。


★天智天皇・天武天皇・額田王の三角関係説を斬る

2022年11月12日 | 国体・皇室・シラス

 あの額田王の紫野の歌に三角関係が隠されているという説があるとは全く知りませんでした。
  はじめてねずさんに教えて貰ったときにはビックリしたものです。ところが、そんな説にも日本を貶める意図が隠れていたようです。

  ねずさんがそんな説を見事に喝破してくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/11/04

  天智天皇・天武天皇・額田王の三角関係説を斬る

  ・・・略

 これは昔の日本人の思考と、現代日本人の思考の大きな違いなのですが、今の人は「会ってから結果を出す」のが常識と思い込んでいますが、昔の人は「会う前に結果を出す」のが常識でした。
わかりやすくいうと、いまでは武道もスポーツの一種になってしまって、試合の結果は「やってみなければわからない」ものとなっていますが、昔はそうではなくて、「試合で向き合ったときには、もう勝負がついている」ものであったのです。
ここが日本古来の武道と、スポーツの違いです。

 この歌も同じで、天皇から何を聴かれるのか、それはおそらくは政治向きのことであろうけれど、家を出る前にすでに吉兆を意味する風が吹いたということは、ここで結論が出ているということなのです。

 要するにまとめると、天智天皇・天武天皇・額田王の三角関係説というのは、万葉集にある歌を間違って解釈していることが原因の俗説にすぎません。
詠まれた歌をちゃんと読み解けば、その内容は、まさに尊敬と敬愛、そして国をひとつにまとめていこうとする誠実の歌の数々にほかならないのです。

 日本を取り戻すためには、日本人が日本文化を知る必要があります。
そして日本文化を知ろうとするとき、先人たちへの限りない尊敬と敬愛の念を持って、教えを乞えば、いまは亡き先人たちは、大喜びでその真実の扉を開けてくれます。
逆に、自分たち現代人の方が進んでいるのだ、過去の先人たちは遅れていたのだなどという傲慢な姿勢で古典に臨めば、先人たちはその真意を教えてくださるどころか、見向きもしてくれなくなります。
つまり、何も得させてもらえなくなるのです。

 そもそも、七百年もすれば、日本人は全員血がまじります。
天智天皇や天武天皇らは7世紀の人物です。
いまから1400年も昔の人です。
ということはつまり、いま生きている私達の体を構成しているDNAの何万分の1かには、男性であれば天智天皇、天武天皇のDNAが、女性であれば天才歌人とされた額田王のDNAが、現代日本人全員の中にしっかりと入っている、ということです。

 ということは、天智天皇や天武天皇を否定することは、自分自身を否定することということになります。
これを自虐史観といいます。
歴史を虐め、国を虐め、結果として自分を虐めているのです。
教師が生徒たちに、そうやって虐めを正しい行いとして教育すれば、子供達は虐めることが正しいことだと勘違いします。
こうして虐めの問題が社会問題となります。
あたりまえの帰結です。

 そして自虐の反対語は自愛です。
古典や歴史に愛を見出すことは、そのまま歴史を愛し、国を愛し、自分を愛することに繋がります。
これこそが、いま求められる新しい教育の形です。

 今回のお話の要点は表題の通りです。
万葉集をちゃんと読めば、ぜんぜん三角関係などではないことがわかります。
思うに、日本を取り戻すためには、日本人が日本文化をもっとちゃんと知る必要があるように思います。
日本人から誇りを奪い、日本人であることをむしろ恥じるようにしていくことは、実は明治からはじまり、戦後にはとても大きな影響力を持つようになりまし た。そのために学者さんたちまで動員されました。
しかし、百万遍唱えても嘘は嘘です。一片の真実は、一瞬でそれまで蓄積された嘘を吹き飛ばす力がありま す。
日本の文化は、日本の近隣国の人たちが思うような残酷軽薄な文化ではありません。



  それにしても、どうしても日本を貶めたい奴等がいるようです。やはり、「日本人のような顔をして日本国籍を持って日本語を話すけれ土日本人ではないという、いささかやっかいな人達」なのでしょうか。
  何とも嫌な奴等です。


★神功皇后の三韓征伐の歴史上の意義

2022年11月06日 | 国体・皇室・シラス

 神功皇后をじんぐうと読むことも知りませんでした。どう考えてもじんこうです。これも、歴代の天皇の名前を覚える教育を受けなかった所為もあるのかも。
  やはり、子供の頃に意味も知らずに何でも暗記することの大事さが忘れ去られたのは余りにも勿体ない。

  それにしても、日本はやはり女性が護って来たようです。

  ねずさんがその神功皇后を取り上げてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/10/29

  神功皇后の三韓征伐の歴史上の意義

  ・・・略

  尋常小学読本(国定読本第1期)
第18 神功皇后

 神武天皇よりすこしあとの仲哀天皇の時代、わが国のうちの西の方に悪者どもがいて、たいそう我がままをしていました。
天皇はその皇后の神功皇后と申す御方と、それを攻めにおいでになりました。

 ところが戦いのさなかに、敵の矢を受けておかくれになりました。
神功皇后は、
「この悪者どもが
 わがままをしておるのは
 外国の者が扶(たす)けているからだ。
 だからその外国を攻めたら
 この悪者どもは
 わがままをやめるであろう」
とお思いになりました。

 そこで神功皇后は、男装して海を渡り、その外国を攻めにおいでになりました。

 すると向かう国では、たいそう畏(おそ)れて、戦(いくさ)もせずに、降参してしまいました。
そして毎年、宝物をさしあげますと約束しました。
皇后は、それを許して、お帰りになりました。

 それから西の方の悪者どもは、わがままをしないようになりました。
またわが国の強いことが、前よりもよく外国に知れるようになりました。・・・中略

 そして歴史を通じてチャイニーズは、どんな時代においても、どこの国からも歓迎されなかった・・・ということです。
理由はなぜでしょう。
是非、皆さんで考えていただきたいと思います。

 神功皇后の時代のあと、内乱状態にあったチャイナからは、大量の移民が朝鮮半島に押し寄せることになりました。
この時代も、その後の時代も、朝鮮半島側に、このチャイナの人工圧力に耐える力はありません。

 それが神功皇后によって半島が倭国の領土の一部になったことによって、半島は独立を守ることができるようになりました。
理由は、ある意味簡単なことです。
倭国には鉄の武器があったからです。
これは刀槍の時代に鉄砲が圧倒的な力を持ったのと同じで、青銅器の武器や防具に対して、鉄製の武器や防具は圧倒的な力を持ちます。
要するに半島は、神功皇后の功績によって、国を、そして民族を保持できることになったのです。

 このことは日本も同じです。
いくら鉄の武器を持っているとは言っても、チャイナの人口圧力の前には、大変な国難が待ち受けることになります。
そしてさらに、のちの時代に隋や唐といった強大な軍事超大国がチャイナに成立したとき、チャイナは昔から「遠交近攻」です。
半島が隋や唐の一部なら、その隣国は日本です。
日本は、攻略の対象になるのです。

 ところが隋や唐にとっての半島の隣国は、いまの北朝鮮にあたる高句麗です。
そしてこれが隣国であれば、遠交近攻戦略に従って、その向こうの国が調略の対象となります。
ところがそこに、百済と新羅という二カ国があったのです。
すると、新羅を調略すれば、新羅は百済に警戒されるし、百済は高句麗と結んで新羅を叩く。
百済と結べば、新羅が黙ってないといった具合に、そこ2国が存在していることが、遠交近攻戦略にとって、実は大変大きな障害になります。

 倭国は、さらにその先にある国です。

 こういう一連の流れの形成の中に、神功皇后による朝鮮征伐があります。
そして日本は、この最良のタイミングでの神功皇后の朝鮮征伐によって、たった一度のモンゴルの大帝国による元寇以外は、日本はずっと対外戦争から平和を保ち続けることができています。

 神功皇后のご功績は、偉大なのです。

  やはり朝鮮は付き合うべきでない国なんですね。1000年経ってもそれが変わることはないようです。
  ここはもう一度女性の首相で日本を再生して貰うしかないのかも。それは高市さんでしょうか。


★天皇による親任と天皇の御譲位の制度

2022年10月31日 | 国体・皇室・シラス

 天皇の御譲位が明治になって廃止されたなんて全く知りませんでした。今回の譲位をどちらかと言えば非難していたのですが、どうやらやはり何も知らなかったようです。

  あの譲位にこんな意味があったとは驚きです。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/10/23 

  天皇による親任と天皇の御譲位の制度

  ・・・略

 けれど、任命は、神の意思、天皇による親任であったわけです。
これには誰も苦情を言えない。

 そこで登場するのが、天皇の御譲位です。
現天皇が任命した太政大臣であっても、次の天皇が誰を太政大臣に任命するかは、次の天皇次第なのです。
これが権力の暴走へのブレーキになります。
また、天皇から親任を受けた者への緊張、プレッシャーになります。
ちゃんと真面目に仕事をしないと、天皇が御譲位されて、次の天皇が自分を指名してくれるかどうかは、誰にもわからないからです。

 これが江戸時代まで続いた我が国の形の根幹です。

 ところが明治時代に生まれた大日本帝国憲法は、この形を強引に変形し、天皇を終身制にしてしまいました。
すると、天皇が崩御されるまで、政治権力者は、すきなように政治ができてしまうわけです。
 内閣総理大臣であれば、任期が満了するか、本人が辞任するか、本人が逝去でもしない限り、就任中に好き放題な政治ができてしまうわけです。
この仕組は、戦後の日本国憲法も同じです。

 つまり天皇が終身制となることによって、日本では政治権力の暴走への最後の歯止めが効かなくなってしまったわけです。

 現上皇陛下(平成天皇)は、さんざんご苦労の上、やっと明治以降、初の御譲位を実現されました。
しかしこれはとても大切なことです。
御譲位は、天皇ご自身の御意思によって、本当は、もっとかんたんに行うことができるようにすべきことなのです。



  これは本当に知りませんでした。何とも情けない。やはり、日本は素晴らしい。


★しっかり学ぶ「三大神勅」

2022年10月29日 | 国体・皇室・シラス

 一時は糖尿病の為に米を食べることを止めていました。これも米離れを画策するどこかの組織の企みじゃないでしょうか。
  何て、考えて暫く振りに夕食に米を食べてみてそのおいしさに愕然としました。こんなおいしいものを食べないのは余りにも勿体ないと、それ以後は夕食は米飯にしました。
  この歳で糖尿を恐れて米を食べないなんてバカなことをして寿命が少々伸びたところでどうってことないと考えて思いっきり米を楽しんでします。やはり、米は美味しい。日本人は米を食べるべきですね。

  ねずさんがそんな米の素晴らしさを書いてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/10/21 

  しっかり学ぶ「三大神勅」

  ・・・略

 《解説》
この斎庭稲穂の神勅によって、日本国中で栽培される稲は、ことごとく「天照大御神からの授かりもの」という位置づけになります。
つまり民(おほみたから)が栽培する稲は、そのすべてが天照大御神が召し上がられた稲の子ということになります。
私たちが毎日いただくお米は、高天原で天照大御神がいただかれるお米と同じお米です。
私たちの体は、そのお米によって育ち、生きています。

 「戸喫(へぐい)」という言葉があります。
同じものをいただくということは同じ仲間となる、共同体の一員となるという意味の言葉です。
神社などで、参拝のあとに「直会(なおらい)」といって、奉納したお米や作物などを、みんなで一緒にいただきます。
これもまた、そうすることによって神様と心を通じあうための神事です。

 このご神勅によって、全国でお米を栽培する民は、高天原の稲を栽培する人々という位置づけになります。
だからこそ、民は「おほみたから」という位置づけになります。
近年では、お百姓は収奪されていたなどという、とんでも説がまかりとおっていますが、国家としての農家への認識は、斎庭の稲穂を栽培するという大事を行う宝であったのです。

 最近では、縄文食に帰れという言葉をよく聞くようになりました。
宇宙食だの、未来食だのと言われますが、万年の単位で営まれた縄文由来の我が国の食文化は、やはり日本人の肉体に最も適しているのであろうと思います。

 いま西欧では、既存の農業を壊滅させて人工食に切り替えようとする動きが本格化しています。
けれど、人の肉体は、その人の霊(ひ)の乗り物です。
果たして宇宙食や人工食で、人の体の健康が保持できるのでしょうか。

 これまで、食べ物は栄養学的な存在とされてきました。
人は食べ物から栄養をいただいている、とだけ解釈されてきていました。
けれど本当にそれだけでしょうか。

 敏感な資質の子供は、何も知らなくても牛肉などを食べると、その牛が殺されるときの死の恐怖が感染して泣き叫ぶといった症例が報告されています。
もしかすると、食べるということは、その食物の栄養素だけではなくて、その食物の持つ何らかの振動を受け取るということなのかもしれないのです。

 だから、愛情深く育てられたお野菜をいただくと、味の良さもさりながら、心があたたかく、またかろやかになります。
機械的に合成されたものばかりをいただいていると、人が暴力的になることは、米国の刑務所の実験などで実証されていることです。

 我々がいただくお米が、天照大御神から授けられた愛の産物なのだという自覚のもとにお米を育て、そのお米を、そうした自覚のもとにいただく。
そうすれば、誰もが、いまとは一味違った幸福感を、ご飯からいただくことができる。
そういうことを、この御神勅は教えてくださっているのではないでしょうか。



  やはり、米飯こそが日本を救うのは間違いないでしょう。米粉を小麦粉の代わりに使うという最高の食料自給の可能性があります。
  やはり、米とメタンハイドレートによる食料自給とエネルギー自給こそが日本の目指すべき方向でしょう。


★鎌倉に幕府ができた理由はシラス国の再建にあり

2022年10月27日 | 国体・皇室・シラス

 ねずさんに教えて貰った中でも最大の驚きとも言えるのが頼朝が何故鎌倉に幕府を開いたかです。
  何と言ってもシラス国も権威と権力の分離など日本の国体の意味を全く教えて貰えなかったので鎌倉幕府の意味なんて考えたこともなかった。
  ところが、頼朝がその国体を正しく理解していて鎌倉に幕府を開いたと知って、どちらかと言えば嫌いだった考えが尊敬に変わりました。

  こんな日本の根本であることを教えない日本の教育の改正が未だに放置されていることに怒り心頭です。
  政府・自民党はなんの為に政治をしているのでしょうか。と言うか、正しい国家観も歴史観も持たない優等生ばかりなので教育の恐ろしさも分からないのでしょう。

  ねずさんが今回も詳しく教えてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/10/19 

  鎌倉に幕府ができた理由はシラス国の再建にあり

  ・・・略

 【政治の天才源頼朝のアイデア】
源頼朝は「B 朝廷(天皇)から認めてもらって、新しい武士の政府をつくる」を選びました。頼朝は、当時の朝廷のリーダーだった後白河法皇にこんな手紙を書いています。
「私たちは朝廷をお守りするために平氏を滅ぼしました。
 法皇のご命令に背くようなことはいたしません」
そして頼朝は1192年に朝廷から征夷大将軍という位に任命されました。それは「武士のかしらとして政治を行なうことを許すぞ」という意味でした。頼朝 は、朝廷を武力で滅ぼして自分が日本の王になる実力を持っていましたが、聖徳太子がつくった「天皇中心の国のかたち」を壊さないようにしたのです。

 日本国のまとまりの中心は、あくまで天皇です。「武士はそのご命令で、これから日本の政治を進めていくのだ」というのが頼朝の考えでした。
こうして頼朝は1192年に鎌倉幕府という新しい政府をつくり、武士による武士のための政治を始めたのです。武士の政府のことを幕府といいます。そしてそ のトップが征夷大将軍です。幕府のあった場所は鎌倉、いまの神奈川県鎌倉市です。この鎌倉に幕府があった時代を「鎌倉時代」と言います。

 この頼朝のアイデアによって、天皇は國民のために祈り、武士が実際の政治を進めるというカタチが生まれました。天皇は、日本という国のまとまりの中心であ り、実際の政治は武士の幕府がすすめるようになります。世界の歴史では、武力で勝る者が、古い支配者を滅ぼして新しい国をつくるのが普通です。我が国の武 士たちは、「国の中心は天皇である」という考え方を変えなかったのです。
政治の天才頼朝のアイデアのおかげで、その後の室町幕府や江戸幕府においても、大昔から続いてきた「天皇を中心とする日本」が守られたのでした。このカタ チは、いまも変っていません。国民は選挙で内閣総理大臣の政党を選びますが、彼は天皇に親任されなければ、内閣総理大臣にはなれません。・・・中略

 鎌倉幕府は武家幕府ですが、当時の鎌倉御家人たちは、ほぼ全員農耕主です。わかりやすく言えば、貴族政治を、農民政治にあらためようとしたのが鎌倉幕府 ということができます。その農村の地主さんが御家人と呼ばれたわけです。モノ作りではない点は、邇邇芸命と異なりますが、すでにこの時代には、政体に関わ らずモノ作りは日本に完全に定着していたわけで、だからこそ、あらためて農耕を根底とした政権を、頼朝は誕生させています。しかもその政治の中心地は、大 国主神のいた出雲ではなく宮崎の高千穂に天孫降臨したのと同様、それまでの政治の中心地であった京の都を離れて、鎌倉に幕府が開かれています。つまり源頼 朝の鎌倉幕府の設立は、その原型が神話の世にすでにあったことを、あらためて再現したものなのです。

 いまの時代、頼朝が鎌倉幕府を開いたということは学校で教わっても、なぜ鎌倉に幕府を開いたのかについてを教わることはありません。もちろんそれは諸説あ ることです。どれが正しいとはいえないことであることも事実です。けれど「どれが正しいかわからないから教えずに、そこは避けて通る」ということでは、教 育の名に値しないと思います。そうではなくて、「なぜそうした選択をしたのか」を考えながら、自分なりの答えを見出していくことこそ、新時代を切り開く知 恵と勇気を与えることになるのだと思います。

 日本は、天皇を中心とし、天皇によってすべての民衆が「おおみたから」とされるという根底があります。これが日本の国の根幹のカタチで、これを「国体」と 言います。そして政治体制、つまり「政体」は、その国体の中にあります。ですから、政体が変わっても、国体は変わりません。むしろ国体を維持するために、 ドラスティックに政体を変えることが可能な組織が、日本という国家の特徴なのです。


  やはり、政治に携わっている人達には頼朝に習って貰いたいものです。そのためには正しい国家観と歴史観を身につける勉強をしてもらいたい。
  ねずさんの講義を受けることを必須にして欲しいものです。日本の素晴らしさを知れば、特亜3国の下僕になることの恥ずかしさを認識して少しはまともな日本人として働く気概も生まれるのじゃないでしょうか。

  甘過ぎるでしょうか。