昨夜はドキュメンタリー72時間を久し振りに観た。
年末に1年を振り返る番組もあったけど、今回のは別府の貸間で、かつて日本各地にあった湯治場の部屋と炊事場を貸す宿屋で、この中の一軒の部屋代は1泊一人4千円だった。
別府の場合は地獄窯と温泉付きで、中華まんや野菜などを蒸して食べると如何にも湯治に来ている感じが出て良かった。
99才のオジイサンは晩飯に500円の宿の飯を食べていたが、バランスの取れたいい食事に見えた。
もう3年も居て、そこで100歳を迎えるようだ。
このオジイイサン、カメラマンに向かって「あなたは入られないのか、いい湯ですよ」と云っていたが、言葉遣いが100年前の教育を反映していて素晴らしかった。
小堀桂一郎が、GHQは日本人教育を実に見事にやってのけ、骨抜きにされてしまった。
今も小学生に英語を教えるなんて馬鹿げたことをやっているが、小学生には日本の古典を読ませたら、道徳や倫理までも身に付けることが出来ると語っていた。
その通りだと思う。
僕が一番読んだ日本の古典の「徒然草」を、急に思い立ってAmazonや図書館を探してみた。
その前に長年愛読した岩波文庫を探せばいいのだが、紙が茶色に変色して文字が小さく読みにくくなっている。
読みやすい文字のをと思ったのだが、何のための蔵書なのかと思い直した。
50年間の時間がそこには詰まっているはずで、吉田兼好に重ねた自分の時間を感じることが掛け替えのないものなのだ。
漫画家イエナガは、昨今の短歌のブームについての解説で、SNSが俳句のブームも作ったが、同様に短歌も気軽に歌って発表することにより共感を得て拡散しているらしい。
小学生への英語教育なんて馬鹿げたことの一方で、何万人何十万人という俳人や歌人が生まれてきているわけで、最初は稚拙であっても、その内に切磋琢磨され優れた彫琢された言葉となって結晶されるわけで、日本語も心配ないなと思った。
ちなみにモノを書くのが大の苦手な僕が、武田泰淳が妻の百合子に、毎日何を食べたかを書いたらいいと云って結実した「富士日記」に感動し、書くことが無ければ食い物のことを書いておけばいいと始めたこのブログのお陰で、名文は無理だが、多少読めるものが書けるようになったのも、毎日書いてきたからだと思う。