4時前に庭の剪定をやろうと思ったが、妻が先に庭に出て草むしりなどを始めたので遠慮して、自転車でひとっ走りすることにした。
剪定ばさみを使っていると思ったからだが、2本あったうちの1本がここ数か月見当たらない。
取引先が人形町にあって、そこにあった「うぶけや」で購入したもので、一度バネがいかれて修理してもらっているから、もう30年近くなるのかもしれないな。
そこでは子供の爪を切る鋏や、爪切りも購入していて、老舗だけあって使いやすく、今も使用している。
思い出深い剪定鋏なので、直ぐ新たに購入する気になれない。
今ではいくつかの老舗の鋏がAmazonで簡単に購入できるが、菜切り包丁は伊勢佐木町の「菊屋」で買い求めていて、娘にも同じタイプの菜切り包丁を結婚するときに持たせた。
目的合理性だけ考えれば、時間も費用も節約出来るようになったが、それじゃあ時間が積み重ならないし、土地の記憶が残らない。
ここまで生きてきて分かったことだが、この先の時間は限られているが、過去の時間は広大で眩暈がするくらいで、味わい尽くすことが出来ずもったいないなあと思うくらいだ。
晩飯は小さな黒ムツ煮と鮪のソテとタジン鍋とコーンスープと胡瓜の糠漬けで、麦焼酎のソーダ割を3杯飲んだ。
最後は煎餅や落花生やバナナを肴にしたけど、元々焼酎は飲まなかったが地方へ行き、特に九州では酒というと焼酎が出てきて、芋や麦の風味に魅了され、当時は若かったからストレートかオンザロックでがぶがぶ飲んだものだ。
当然、飲み過ぎで色々と失敗したけど、彼の地では酔っ払いに寛容なことが分かって嬉しかったなあ。