キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

いやな夢をみた

2018年03月03日 | Weblog
朝5時前に目が覚めた。
昨夜いささか飲み過ぎて、やや二日酔いの症状を呈しているが、ワイングラス一杯の水を飲み、身体の各細胞に活気を与えたら少し身体も頭も動き出した。
1時間ほどblog原稿を書いてアップして、西部邁「保守の遺言」を読み始めるが、頭に入ってこない、それでも書いてあることは既知のことゆえ、そのまま読み進めても不具合はない。
それなら読む必要もないんじゃないかと思われるかもしれないが、読書は勉強ではなく快楽であるとすればこれでよいのだ。
そうだそうだその通り、と相槌を打ちながら楽しんでる時間もいいものだ。
音楽を考えてみても、演奏される楽曲は予め知っているものの方が楽しめることがあるからね。

まあ、たいして読むことも出来ず、7時半になって起きたが、何時ものように階下の雨戸を10枚開けて、風呂に入り、髭を剃った。
何時も湯船に浸かりながら髭を剃るのだが、剃刀で剃るようになってからはこのパターンである。
その前はブラウンシェイヴァーを愛用したが、トイレにしゃがみながら剃った。
朝の大切な時間を有効に使うためだったが、今は時間に追われることもなく湯船の中でゆったりと髭を剃るがすこぶる気分がいい。

朝飯は鮭を焼き、納豆、油揚げと葱の味噌汁で食べた。

朝の散歩は下の息子と東へ向かい、大体何時ものコースだったが、六所神社南西の畑が開けたヴューポイントからは近くの山と大山が綺麗に見えた。
ヤオマサに寄り、豆腐、金目鯛、米神の烏賊、牛乳、チーズクラッカーを買った。
杉山の様子を見て帰ろうと息子が言うので、以前よく歩いたコースをとり、杉山に行くと丁度息子がいて、バアサンの様子が聞けた。
転んで膝の腱を切断して東海大学前大磯病院へ入院して手術をしたそうで、40日で退院の予定だったが、再び切断してまた手術を受ける予定らしいから、さらに40日入院してリハビリとなりそうだ。
退院後はデイサーヴィスに行くようになり、もう豆腐の販売は出来そうにない、豆腐も欲しいが、バアサンの顔を見て話すことが出来なくなるのが寂しい。
早く家に帰りたがっているそうだが、早くよくなって帰って来れるといいね。

東海道線を越えて葛川沿いの道を帰ったが、富士山が綺麗に観えた。

昼は妻が親子丼の準備をしていたので、手が付いた小鍋に玉葱、鶏を並べ、味醂酒醤油で煮立て、溶き卵を入れて、飯にのせた。
紅生姜と浅漬け大根を切ってあったが、汁物はなく、お茶を淹れて食べたが、好みの薄味にしたので、美味かった。
食後に蜂蜜ヨーグルトと落花生を食べる。

プレシネは観たことがあるジョンウェインの「エルダー兄弟」だったが観ることにした。
筋は忘れているが、画面はしっかり覚えているもので、映画はそういったものが知れないなと思う。
人生も忘れ難いシーンで出来ているように、時間には濃淡がある。

3時から本の整理を始め、先ずは最後の書棚7本目の組み立てを行い、机の左側の本棚の本を出して動かせるように軽くして、上置きの書棚が載るような位置に移動した。
この書棚は硝子の戸がついていて、山口昌男、種村季弘、澁澤龍彦、中村雄二郎などの単行本が入っていて、1980年代に買い求めて読んだ本で大切にしている。
特に当時の山口昌男は輝いていて、活性化、異化、中心と周縁などの理論は新鮮だった。
新書もここに入っていて、40年前は新書と言えば岩波で、高校生時代に買った黒く変色した岩波新書が10冊ほど出てきたが、全て記憶に残っているのは夢中になって読んだからなのだろう。
今は岩波文庫になっているが井伏鱒二の「釣り」も出てきて、記憶にある題の「わさび盗人」をつい読んでしまった。
盗人の正体は狸だと思っていたら、人間だったので、いつの間に変わったのだろうかと不思議に思ったが、何しろ元が狸だったからね。

外が暗くなり、階下に行き雨戸を閉めて風呂に入った。
雨戸の開け閉めの後には風呂がくっついているなあと、急に気がついて笑ってしまった。

晩飯は金目鯛の煮付け、烏賊のげそ焼きと刺身、筑前煮があったが、湯豆腐を作った。
下の息子が、これがあれば必ず食べるので、作っても残るようなことはないのだが、妻は淡白すぎて好まずあまり作りたがらない。
朝の納豆、夕べの豆腐は高タンパク低カロリーの日本人の優れた食事だなあと思うが、飽きる日が来るのかなあ。
麦乙の湯割り、リキュール、赤ワインを飲む。

飲んでばかりで母の顔を見ない事が多いので、7時半からの「美の壺」鉛筆を母の居間で観る。
変わった鉛筆を色々紹介していたが、あまり面白くなかったな。
8時からは観たいものがなかったが、何となく総合のタレントが短期滞在をする番組を見ていたが、新島は南の島の暢気で開放的な雰囲気があったね、村上の山奥のまたぎの里では冬眠している熊を撃ち解体するところをやっていたが、タイの山岳民族が豚を解体する手際と同じで、皆に均等に肉の部位を分けるのも同じ、共同体のあり方の類似性を感じたね。

9時からは「新日本風土記」岩手山だったが、この辺で大山や富士山を眺めるように、片富士とも云われる郷土の山を心の拠り所として眺めて暮らしている。
昔は盛岡のどこからでも眺められたが、高いビルが立ち並んで見えなくなり、高さ規制をして100年後の景観を確保しようとしている遠大な計画に畏れ入った。
すなわち今までやって来たことを変えるには、よっぽど気を付けなければいけないという事で、数年で変えることが出来ても、戻すには100年かかることもあるという事だ。
高度成長期には、こんな未来がやって来るとは思わず誇らしげに落成式を行ったのだろう。

その後本を読もうと思ったが、直ぐに寝てしまい、明け方いやな夢をみた。
何かの景品で海外旅行が当たり、成田へ行くがチェックインした後、エスカレーターの前にいた子供が、転落して5メートル下のエスカレーターの金属の蛇腹部分に背中から落ちる。
まあ現実にはそんなことはあり得ないのだが。
慌てて119番通報をして、搭乗まで時間がないので後を空港職員のオネエサンに任せ、搭乗口へ向かうが辿り着かないで変なところへ出てしまう。
空港へ繋がっているエスカレーターに外人たちと乗るが、いつの間にか軽飛行機に乗っていて、大井町の倉庫の様なところへ着いてしまい、慌てて引き返すが、高い構築物の上で道が無くなる。
回りの子供たちとそのリーダーの青年は飛び降りて先へ進むが、一番苦手な状況となり足がすくむ、搭乗券をポケットから取り出すと、ナイトフライト3番搭乗口に3時と書いてあったが、そこで夢と気付き目を覚ますことにした。
最近は切羽詰まると夢じゃないかと考えて、夢だとわかると目覚めることにしている。
手元の携帯を見ると4:35だったが、やや早いが携帯でblog原稿を書き出した。
7時に出来上がったのがこれだ。
随分時間が掛かったようだが、途中寝ていたのだろうか。
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桃の節句

2018年03月03日 | Weblog
今朝は朝早くから日が出ていたのに昨日までより寒かった。
嫌な夢を見て目覚めが悪かったせいもあるが、久し振りに暖房を入れた。
7時半に起きて雨戸を開けに外へ出た時には既に春の陽気で寒くなかった。

風呂に入り、朝飯のホッケを焼き、納豆、油揚げと葱の味噌汁を作り食べる。
毎朝納豆を食べるようになったが、今までより美味いと思うね。
子供の頃、山田さんという納豆屋がラッパを吹いて売りに来るのを呼び止めて買ったが、三角形に折りたたんだ経木に入っていて、辛子をへらでたっぷりとその経木の上に擦り付けてくれるのが、いかにもプロっぽかったな。
朝の納豆は嫌いではなかったが好きでもなかった記憶がある。
多分、母が味噌汁を作っていたと思うが、簡素な朝飯だったと思う。

9時20分下の息子とJA湘南へ向けて歩き出す。
今朝は野菜がたくさんあり、ブロッコリーを2種類、ホウレン草、菜花、小松菜を買った。
入荷量も増えれば値段も安くなっていて全部で770円だった。
いよいよいい季節になってきたようだね。

大磯との境の山を越えて魚を仕入れにヤオマサへ向かう。
雛祭なので昼はちらし寿司を作ると妻が張り切っているので、上に載せる魚があれば買ってくると言い置いたのだが、いい魚が無かった。
結局、僕と下の息子しか食わないが大好物の海豚を買った。
豆腐、落花生、歩きながら息子と久し振りに餃子も喰いたいなあ、ダイエットには水餃子なら焼き餃子よりはいいだろうと話し、挽き肉と餃子の皮を買った。

家に帰ると妻が、蓮、人参、干瓢などを煮て、卵を焼いたりしていたが、海豚の処理をしなくちゃいけないので台所に立ったら、何時も邪魔をすると言って五月蠅いのなんのって。
料理は好きでないのに、かなり面倒で手間がかかると思うのだが、頻度数多くちらし寿司を作るのが不思議だ。
海豚を細かく切って血抜きをしていたら、飯が炊き上がり、合わせ酢を作らなきゃいけないからどけと言ってきたので、大人しく引き下がり、ゴボウを洗って隅のほうで切っていた。
水と酒で海豚を煮てアクを取り、生姜を叩き潰して二かけら放り込み、牛蒡を入れた。
O君も自分で海豚を調理するらしく、彼は葱と牛蒡で煮るそうだ。
臭いの強いものなので、生姜、葱、牛蒡、味噌、酒などが基本的に合うよね。

妻が炊き上がった飯に合わせ酢を混ぜている間、茹で海老の背ワタを取って二つに切っておいた。
澄まし汁は何にするかというので、菜花があるから茹でてちらしに飾り、澄ましの具にしたらと進言し、蒲鉾を切っておいた。
マサで蛤を買おうかと思ったが、国産のデカいやつはべらぼうに高かったし、安い台湾産の蛤は小さくて浅蜊としか思えず、しかも砂抜きをしてくれと書いてあったので即座に止めた。
女の子がいれば高くても蛤を買うが、娘はタイのどこかにいるはずなので、向こうで勝手にやってるはずだ。
しかし、タイには桃の節句ってあるんだろうか、支那の文化圏だからあってもおかしくないが、熱帯モンスーンだから桃があるのかね。

出来合いの合わせ酢を使うなと強く言っているので、最近は何合焚いても合わせの配分が分かってきたのか、たまたま今日の飯が5合だったから素早く作れたのか怪しいが、酢飯の具合は抜群によかった。

我がイナリヤト食文研のワインとビールはこちらからご覧になれます




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