朝5時前に目が覚めた。
昨夜いささか飲み過ぎて、やや二日酔いの症状を呈しているが、ワイングラス一杯の水を飲み、身体の各細胞に活気を与えたら少し身体も頭も動き出した。
1時間ほどblog原稿を書いてアップして、西部邁「保守の遺言」を読み始めるが、頭に入ってこない、それでも書いてあることは既知のことゆえ、そのまま読み進めても不具合はない。
それなら読む必要もないんじゃないかと思われるかもしれないが、読書は勉強ではなく快楽であるとすればこれでよいのだ。
そうだそうだその通り、と相槌を打ちながら楽しんでる時間もいいものだ。
音楽を考えてみても、演奏される楽曲は予め知っているものの方が楽しめることがあるからね。
まあ、たいして読むことも出来ず、7時半になって起きたが、何時ものように階下の雨戸を10枚開けて、風呂に入り、髭を剃った。
何時も湯船に浸かりながら髭を剃るのだが、剃刀で剃るようになってからはこのパターンである。
その前はブラウンシェイヴァーを愛用したが、トイレにしゃがみながら剃った。
朝の大切な時間を有効に使うためだったが、今は時間に追われることもなく湯船の中でゆったりと髭を剃るがすこぶる気分がいい。
朝飯は鮭を焼き、納豆、油揚げと葱の味噌汁で食べた。
朝の散歩は下の息子と東へ向かい、大体何時ものコースだったが、六所神社南西の畑が開けたヴューポイントからは近くの山と大山が綺麗に見えた。
ヤオマサに寄り、豆腐、金目鯛、米神の烏賊、牛乳、チーズクラッカーを買った。
杉山の様子を見て帰ろうと息子が言うので、以前よく歩いたコースをとり、杉山に行くと丁度息子がいて、バアサンの様子が聞けた。
転んで膝の腱を切断して東海大学前大磯病院へ入院して手術をしたそうで、40日で退院の予定だったが、再び切断してまた手術を受ける予定らしいから、さらに40日入院してリハビリとなりそうだ。
退院後はデイサーヴィスに行くようになり、もう豆腐の販売は出来そうにない、豆腐も欲しいが、バアサンの顔を見て話すことが出来なくなるのが寂しい。
早く家に帰りたがっているそうだが、早くよくなって帰って来れるといいね。
東海道線を越えて葛川沿いの道を帰ったが、富士山が綺麗に観えた。
昼は妻が親子丼の準備をしていたので、手が付いた小鍋に玉葱、鶏を並べ、味醂酒醤油で煮立て、溶き卵を入れて、飯にのせた。
紅生姜と浅漬け大根を切ってあったが、汁物はなく、お茶を淹れて食べたが、好みの薄味にしたので、美味かった。
食後に蜂蜜ヨーグルトと落花生を食べる。
プレシネは観たことがあるジョンウェインの「エルダー兄弟」だったが観ることにした。
筋は忘れているが、画面はしっかり覚えているもので、映画はそういったものが知れないなと思う。
人生も忘れ難いシーンで出来ているように、時間には濃淡がある。
3時から本の整理を始め、先ずは最後の書棚7本目の組み立てを行い、机の左側の本棚の本を出して動かせるように軽くして、上置きの書棚が載るような位置に移動した。
この書棚は硝子の戸がついていて、山口昌男、種村季弘、澁澤龍彦、中村雄二郎などの単行本が入っていて、1980年代に買い求めて読んだ本で大切にしている。
特に当時の山口昌男は輝いていて、活性化、異化、中心と周縁などの理論は新鮮だった。
新書もここに入っていて、40年前は新書と言えば岩波で、高校生時代に買った黒く変色した岩波新書が10冊ほど出てきたが、全て記憶に残っているのは夢中になって読んだからなのだろう。
今は岩波文庫になっているが井伏鱒二の「釣り」も出てきて、記憶にある題の「わさび盗人」をつい読んでしまった。
盗人の正体は狸だと思っていたら、人間だったので、いつの間に変わったのだろうかと不思議に思ったが、何しろ元が狸だったからね。
外が暗くなり、階下に行き雨戸を閉めて風呂に入った。
雨戸の開け閉めの後には風呂がくっついているなあと、急に気がついて笑ってしまった。
晩飯は金目鯛の煮付け、烏賊のげそ焼きと刺身、筑前煮があったが、湯豆腐を作った。
下の息子が、これがあれば必ず食べるので、作っても残るようなことはないのだが、妻は淡白すぎて好まずあまり作りたがらない。
朝の納豆、夕べの豆腐は高タンパク低カロリーの日本人の優れた食事だなあと思うが、飽きる日が来るのかなあ。
麦乙の湯割り、リキュール、赤ワインを飲む。
飲んでばかりで母の顔を見ない事が多いので、7時半からの「美の壺」鉛筆を母の居間で観る。
変わった鉛筆を色々紹介していたが、あまり面白くなかったな。
8時からは観たいものがなかったが、何となく総合のタレントが短期滞在をする番組を見ていたが、新島は南の島の暢気で開放的な雰囲気があったね、村上の山奥のまたぎの里では冬眠している熊を撃ち解体するところをやっていたが、タイの山岳民族が豚を解体する手際と同じで、皆に均等に肉の部位を分けるのも同じ、共同体のあり方の類似性を感じたね。
9時からは「新日本風土記」岩手山だったが、この辺で大山や富士山を眺めるように、片富士とも云われる郷土の山を心の拠り所として眺めて暮らしている。
昔は盛岡のどこからでも眺められたが、高いビルが立ち並んで見えなくなり、高さ規制をして100年後の景観を確保しようとしている遠大な計画に畏れ入った。
すなわち今までやって来たことを変えるには、よっぽど気を付けなければいけないという事で、数年で変えることが出来ても、戻すには100年かかることもあるという事だ。
高度成長期には、こんな未来がやって来るとは思わず誇らしげに落成式を行ったのだろう。
その後本を読もうと思ったが、直ぐに寝てしまい、明け方いやな夢をみた。
何かの景品で海外旅行が当たり、成田へ行くがチェックインした後、エスカレーターの前にいた子供が、転落して5メートル下のエスカレーターの金属の蛇腹部分に背中から落ちる。
まあ現実にはそんなことはあり得ないのだが。
慌てて119番通報をして、搭乗まで時間がないので後を空港職員のオネエサンに任せ、搭乗口へ向かうが辿り着かないで変なところへ出てしまう。
空港へ繋がっているエスカレーターに外人たちと乗るが、いつの間にか軽飛行機に乗っていて、大井町の倉庫の様なところへ着いてしまい、慌てて引き返すが、高い構築物の上で道が無くなる。
回りの子供たちとそのリーダーの青年は飛び降りて先へ進むが、一番苦手な状況となり足がすくむ、搭乗券をポケットから取り出すと、ナイトフライト3番搭乗口に3時と書いてあったが、そこで夢と気付き目を覚ますことにした。
最近は切羽詰まると夢じゃないかと考えて、夢だとわかると目覚めることにしている。
手元の携帯を見ると4:35だったが、やや早いが携帯でblog原稿を書き出した。
7時に出来上がったのがこれだ。
随分時間が掛かったようだが、途中寝ていたのだろうか。
昨夜いささか飲み過ぎて、やや二日酔いの症状を呈しているが、ワイングラス一杯の水を飲み、身体の各細胞に活気を与えたら少し身体も頭も動き出した。
1時間ほどblog原稿を書いてアップして、西部邁「保守の遺言」を読み始めるが、頭に入ってこない、それでも書いてあることは既知のことゆえ、そのまま読み進めても不具合はない。
それなら読む必要もないんじゃないかと思われるかもしれないが、読書は勉強ではなく快楽であるとすればこれでよいのだ。
そうだそうだその通り、と相槌を打ちながら楽しんでる時間もいいものだ。
音楽を考えてみても、演奏される楽曲は予め知っているものの方が楽しめることがあるからね。
まあ、たいして読むことも出来ず、7時半になって起きたが、何時ものように階下の雨戸を10枚開けて、風呂に入り、髭を剃った。
何時も湯船に浸かりながら髭を剃るのだが、剃刀で剃るようになってからはこのパターンである。
その前はブラウンシェイヴァーを愛用したが、トイレにしゃがみながら剃った。
朝の大切な時間を有効に使うためだったが、今は時間に追われることもなく湯船の中でゆったりと髭を剃るがすこぶる気分がいい。
朝飯は鮭を焼き、納豆、油揚げと葱の味噌汁で食べた。
朝の散歩は下の息子と東へ向かい、大体何時ものコースだったが、六所神社南西の畑が開けたヴューポイントからは近くの山と大山が綺麗に見えた。
ヤオマサに寄り、豆腐、金目鯛、米神の烏賊、牛乳、チーズクラッカーを買った。
杉山の様子を見て帰ろうと息子が言うので、以前よく歩いたコースをとり、杉山に行くと丁度息子がいて、バアサンの様子が聞けた。
転んで膝の腱を切断して東海大学前大磯病院へ入院して手術をしたそうで、40日で退院の予定だったが、再び切断してまた手術を受ける予定らしいから、さらに40日入院してリハビリとなりそうだ。
退院後はデイサーヴィスに行くようになり、もう豆腐の販売は出来そうにない、豆腐も欲しいが、バアサンの顔を見て話すことが出来なくなるのが寂しい。
早く家に帰りたがっているそうだが、早くよくなって帰って来れるといいね。
東海道線を越えて葛川沿いの道を帰ったが、富士山が綺麗に観えた。
昼は妻が親子丼の準備をしていたので、手が付いた小鍋に玉葱、鶏を並べ、味醂酒醤油で煮立て、溶き卵を入れて、飯にのせた。
紅生姜と浅漬け大根を切ってあったが、汁物はなく、お茶を淹れて食べたが、好みの薄味にしたので、美味かった。
食後に蜂蜜ヨーグルトと落花生を食べる。
プレシネは観たことがあるジョンウェインの「エルダー兄弟」だったが観ることにした。
筋は忘れているが、画面はしっかり覚えているもので、映画はそういったものが知れないなと思う。
人生も忘れ難いシーンで出来ているように、時間には濃淡がある。
3時から本の整理を始め、先ずは最後の書棚7本目の組み立てを行い、机の左側の本棚の本を出して動かせるように軽くして、上置きの書棚が載るような位置に移動した。
この書棚は硝子の戸がついていて、山口昌男、種村季弘、澁澤龍彦、中村雄二郎などの単行本が入っていて、1980年代に買い求めて読んだ本で大切にしている。
特に当時の山口昌男は輝いていて、活性化、異化、中心と周縁などの理論は新鮮だった。
新書もここに入っていて、40年前は新書と言えば岩波で、高校生時代に買った黒く変色した岩波新書が10冊ほど出てきたが、全て記憶に残っているのは夢中になって読んだからなのだろう。
今は岩波文庫になっているが井伏鱒二の「釣り」も出てきて、記憶にある題の「わさび盗人」をつい読んでしまった。
盗人の正体は狸だと思っていたら、人間だったので、いつの間に変わったのだろうかと不思議に思ったが、何しろ元が狸だったからね。
外が暗くなり、階下に行き雨戸を閉めて風呂に入った。
雨戸の開け閉めの後には風呂がくっついているなあと、急に気がついて笑ってしまった。
晩飯は金目鯛の煮付け、烏賊のげそ焼きと刺身、筑前煮があったが、湯豆腐を作った。
下の息子が、これがあれば必ず食べるので、作っても残るようなことはないのだが、妻は淡白すぎて好まずあまり作りたがらない。
朝の納豆、夕べの豆腐は高タンパク低カロリーの日本人の優れた食事だなあと思うが、飽きる日が来るのかなあ。
麦乙の湯割り、リキュール、赤ワインを飲む。
飲んでばかりで母の顔を見ない事が多いので、7時半からの「美の壺」鉛筆を母の居間で観る。
変わった鉛筆を色々紹介していたが、あまり面白くなかったな。
8時からは観たいものがなかったが、何となく総合のタレントが短期滞在をする番組を見ていたが、新島は南の島の暢気で開放的な雰囲気があったね、村上の山奥のまたぎの里では冬眠している熊を撃ち解体するところをやっていたが、タイの山岳民族が豚を解体する手際と同じで、皆に均等に肉の部位を分けるのも同じ、共同体のあり方の類似性を感じたね。
9時からは「新日本風土記」岩手山だったが、この辺で大山や富士山を眺めるように、片富士とも云われる郷土の山を心の拠り所として眺めて暮らしている。
昔は盛岡のどこからでも眺められたが、高いビルが立ち並んで見えなくなり、高さ規制をして100年後の景観を確保しようとしている遠大な計画に畏れ入った。
すなわち今までやって来たことを変えるには、よっぽど気を付けなければいけないという事で、数年で変えることが出来ても、戻すには100年かかることもあるという事だ。
高度成長期には、こんな未来がやって来るとは思わず誇らしげに落成式を行ったのだろう。
その後本を読もうと思ったが、直ぐに寝てしまい、明け方いやな夢をみた。
何かの景品で海外旅行が当たり、成田へ行くがチェックインした後、エスカレーターの前にいた子供が、転落して5メートル下のエスカレーターの金属の蛇腹部分に背中から落ちる。
まあ現実にはそんなことはあり得ないのだが。
慌てて119番通報をして、搭乗まで時間がないので後を空港職員のオネエサンに任せ、搭乗口へ向かうが辿り着かないで変なところへ出てしまう。
空港へ繋がっているエスカレーターに外人たちと乗るが、いつの間にか軽飛行機に乗っていて、大井町の倉庫の様なところへ着いてしまい、慌てて引き返すが、高い構築物の上で道が無くなる。
回りの子供たちとそのリーダーの青年は飛び降りて先へ進むが、一番苦手な状況となり足がすくむ、搭乗券をポケットから取り出すと、ナイトフライト3番搭乗口に3時と書いてあったが、そこで夢と気付き目を覚ますことにした。
最近は切羽詰まると夢じゃないかと考えて、夢だとわかると目覚めることにしている。
手元の携帯を見ると4:35だったが、やや早いが携帯でblog原稿を書き出した。
7時に出来上がったのがこれだ。
随分時間が掛かったようだが、途中寝ていたのだろうか。