さて、昨日の記事の続き。英検1級エッセイ的英語 是非論です。
キー・ワードはすでに情報と、多様性を使いましたので、残るは主体性です。
(エッセイ 再スタート)
英語が出来ると、日本語で得られる40倍の情報が手に入ります。これしかない、というのではなく、生き方から、夕食のメニューまで色々選択枝があるのは、いいことです。僕は、法を犯したり、人に迷惑をかけるのでなければ、自分の生きたい生き方が出来、(それで認められ、食べていける)社会が最も幸せな社会だと思います。
しかし、日本語で得られる情報の40倍もの情報の氾濫にアクセス出来るようになると、逆に選択枝がいっぱいありすぎて、『自分はこれが好きなんだ。』『これで行くんだ。』という主体性がないと、あれこれ迷うことになります。多様性の中でこそ、主体性がないと、自分を見失う可能性があります。
人間は通常言語によって自分の思考や意見を他者に伝えます。(通常、というのは、表情やボディ・ランゲージなどによって自分の考えを伝えることが出来る場合もあるからです。)逆に言語によって思考や意見に影響を与えることもあります。
日本語は、立ち位置のあいまいな、暗黙の、行間の含みや余韻のある言語です。
あいまいな、というのは、日本語には、過去完了形も現在進行形もありません。未来形もないといっていいかもしれません。現在進行形をあえて日本語に訳出しようとすると、『~しているところだ。』という普段使わない妙な表現になってしまいます。時間軸があいまいなのです。また、主語と目的語がなくても、あるいは、あいまいでも成立する場合もあります。『古池や 蛙飛び込む 水の音』というのは、実際に昔、東大の入試の英作文に出題されましたが、主語が蛙なのか、水の音を聞いている『自分』なのか、よくわかりませんね。目的語も『蛙』を主語とすると、古池に飛び込んだので、古池が目的語か、あるいは、『自分』が主語ならば、蛙が飛び込んだ水の音がthat 節以下で目的節になるのか、主体と客体が非常にあいまいです。
あいまいだからこそ、日本語独特の余韻があるのですが、非常に英訳しづらいですし、英訳した瞬間、余韻の世界は消えてしまいます。外国人がこの文化というか芸術を理解しようと思えば、まず日本語をしっかり勉強してもらう以外なさそうです。
暗黙の、というのは、今思い出しましたが、ファンだった『フーテンの寅さん』の決めゼリフ、『それを言っちゃあ、おしめえよ。』も、欧米人であれば、『それをいっちゃあ、おしめえよって、ディスカッションから逃げるのか?ちゃんと説明してくれないと、解らないじゃないか!』と反論されそうです。が、別に寅さんのファンでなくても、日本語ネイティブの世界では、暗黙のうちにこの決めゼリフに納得してしまうのです。
日本語が主体と客体があいまい、時間軸があいまい、暗黙の了解が多い、というのは、自分の立ち位置を明確にしなければならないディスカッションやディベートには不向きな言語だということです。日本人が外交も含め、議論下手、といわれ、議論が、すぐに『俺の意見に反論しやがって。あいつは俺のことを嫌いなのか?』などと、妄想が膨らみ、感情論になってしまうのも、この辺にも原因があるのではないか、と思います。かなりな英語の使い手になると、日本語で議論するより、英語でやる方がやり易い、と言います。(僕はまだその境地に達したことはありませんが。)
一方、英語はあいまいさのない(あいまいさを許さない)、おのずから立ち位置をはっきりさせ、暗黙の了解が少ない言語だと(僕は個人的に)思います。暗黙の了解が少ない、ということはそれだけ普遍性がある、ということで、英語が中国語に次いでこれだけ世界に普及したのも、この辺に理由がありそうです。
このような話をケベック州出身のカナダ人(英語とフランス語のバイリンガル)にしたところ、『フランス語は、時制など、英語よりずっと厳密で、だから国際条約など、重要な取り決めはフランス語で交わされる(ことが多かった。)』と自慢していました。僕はフランス語は齧った程度で、フランス語の授業はさぼりまくっていたので、よく解りませんが、時制の種類の多さなどをみると、たぶんそうなのでしょう。(『半過去』など今でもよく解りません。)
そうしますと、英語は、日本語情報に比べて圧倒的に多様な情報を得る武器になりますが、発信という面では、英語は、あるいは英語を使えるということは、多様な考え方の中から、自分の立ち位置を明確にし、自分オリジナルな主体性のある主張が出来る非常に有効な手段あるいはトレーニングになります。
したがって英語は、今後加速度的に増大していくであろう世界中の多様性のある情報を吸収し、かつ自分を見失わず、他者に追従しない主体性のある考えや生き方を醸成するための強力な武器になります。(エッセイ終わり)
・・・さて、28点満点として、採点です。
文章構成・・・・ 今回は語数の制限はないが、それにしても冗慢である。逸脱が多い。イントロ・ボディ・コンクルージョンの構成が明確に出来ていない。(減点 5点)
論理的説得力・・・情報などの不定形なものに対して、なぜ英語情報が世界の40%を占めるといえるのか?エビデンスあるいは出典が明らかでない。その他もほとんどが個人的感想によるもので、客観的証拠力に欠ける。とくに最後のパラグラフのコンクルージョン(めいたもの)は論理に飛躍がある。英語の是非がテーマであるのに、文化比較論的な記述にまで逸脱している。楽天の三木谷社長が言っていることの方が、よほど説得力がある。(減点 7点)
文法、語法・・・作者は、日本語ネイティブのようで、致命的な日本語文法、語法の誤りはないと思われる。(減点 0点)
合計 16点
・・・今夜も長々とした駄文にお付き合い頂き、有難うございました。次回は、英検1級のエッセイに対する所感です。