やっぱり空いている~と出かけた東北道!行きはご覧のとおりでした。。。
目的地は利根川を渡った栃木県 蔵の街 栃木市
「蔵」があるということはそこに入れておく物資や資金があったということ。
栃木市が「蔵の街」として栄えたのは、江戸時代、徳川家康の没後、東照宮への勅使が通った道である例幣使街道の宿場町、そして舟運で栄えた問屋町として北関東有数の商都だったからなのです。
その例幣使街道の一部が今の中心街である大通りや嘉右衛門町通りであり、その両側には黒塗りの重厚な見世蔵や、白壁の土蔵群が残っています。
そしてその商都を支えたのが巴波川。舟運は、元和3年(1617)、徳川家康の霊柩を久能山から日光山へ改装した際、御用荷物などを栃木河岸に陸上げしたことにはじまり、舟運の発達により、東京、埼玉、千葉、茨城などへの物資輸送だけでなく、関東と南東北の流通を結ぶ結節点として、問屋業、製造業発展を支えたのです。
巴波川のこいのぼり
予想外の景色 この展開に感激っ!知らなかった~!得した感じ!この界隈、水がきれいであちこちに こいのぼり だけではなく、鯉が泳いでいました。
もしや・・・ もみじ? ジーッ!と見て、やっぱり もみじ? これがもみじなら・・・もみじの花 みつけました~♪
帰り道、佐野でお買い物。登山洋品店でトレッキングパンツ。登山はしませんが高原に行きます。
それからプラプラして・・・そうだっ!ご飯茶碗を新しくしましょう と、渋めだった物から、おそろいで パァ~っとしてみました。ついでに家族分の汁椀も・・・ な~んてことをしてしまうので、ここに長居は禁物!早々に退散
帰りは佐野インターから乗ったところ、事故が2件もあり、ところどころ渋滞はしましたが、まだ以前のような休日渋滞はありませんでした。
風評被害とは・・・存在しない原因・結果による噂被害のこと。
外国の方は状況がよくわからないし、小さいお子さんがいるご家庭は不安がいっぱいでしょう。
が、半世紀も生きていますし小さい子どももおりません。だからへっちゃら。と言っても暇なのは私だけ・・・
日光は閑古鳥が鳴いているそうです。外国からのお客様がいらっしゃらないから・・・賑やかじゃない観光地も寂しいですが、あえて言っちゃう!今ならゆっくりできるかも。
近所のスーパーの入り口近くに埼玉産レタスが198円、ちょっと離れたところに茨城産レタスが・・・98円 ってことで、カゴに入っていた埼玉のレタスにお帰りいただいて、茨城のレタスをお連れしました。100円もお安く美味しいレタスが・・・ひどいっ! 置いてあるだけ良いお店なのかな?
東北道は救援物資を運ぶ車や、こちらのバスのように”がんばろう東北!” ”がんばろう日本!”が走っていました。
栃木市には街の散策と歴史的建造物の見学で行きました。歴史のある街はたくさんの物が大切にされ街ぐるみで保存されていますから、皆さんとても親切。楽しい散策ができました。