『小さな村の小さなダンサー』

小さな村の小さなダンサー (徳間文庫)
井上 実
徳間書店

(李存信の原作の翻訳本。映画の日本公開に合わせて文庫化された。こちらのほうが今はお求めやすいです~。)

  駆け込みで観てきました。期待したほど良い出来の作品ではなかったですが、1度くらい観ておいて損はないと思います。

  「中国版『リトル・ダンサー』」と謳った宣伝記事もありましたが、スティーヴン・ダルドリー監督作品の『リトル・ダンサー』と比べるのは酷です。

  『リトル・ダンサー』は、どんな観客層にもウケるよう、緻密に計算されて作られた娯楽性の強い映画です。ダルドリーはイギリス興行界のベテラン職人ですから、どういうストーリーにすれば、またどういう演出をすれば観客が喜ぶか熟知しています。だから、80年代のイギリスの炭鉱町を舞台にしているといっても、内容はほぼフィクションです(ただし、主人公ビリーのモデルは、振付家の故ケネス・マクミランと英国ロイヤル・バレエの現キャラクター・アーティストであるフィリップ・モーズリー)。

  この『小さな村の小さなダンサー』の原題は“Mao's Last Dancer”といい、中国出身の元バレエ・ダンサー、リー・ツンシン(李存信)の自伝(原題と同名)を映画化したものです。原作は、一バレエ・ダンサーの思い出というにはあまりに重い内容で、リー・ツンシンの個人的履歴に、1970~80年代の中国における文化大革命、改革開放政策、当時の微妙な米中関係などが絡んできます。映画の内容は原作に非常に忠実でした。あの原作の重い内容を2時間以内にまとめるのは大変な作業だったと思います。

  オーストラリア映画で、ブルース・ベレスフォード監督をはじめとする主要スタッフのほとんどがオーストラリア人である、ということが影響しているのか、また製作協力してくれた中国側への配慮か、中国=個人の自由と人権を無視・侵害する社会主義(つまり悪の)国、アメリカ=個人の自由と人権を尊重し擁護する正義の国、という単純な対立図式になっていなかったのがよかったです。

  逆に、アメリカ人が個人的な保身のために主人公を中国へ強制帰国させようとしたり、中国人の役人がアメリカに亡命した主人公の復権のために尽力したり、という逆転(笑)現象さえ描いていました。これらもみな実話で、原作にちゃんと書かれています。

  ただ、なぜ中国政府が主人公を軟禁してまで、アメリカから中国に無理やり帰国させようとしたのか、その理由説明が不充分でした。当時の中国政府が頭を痛めていた、優秀な人材の海外流出、という深刻な国家的問題をきちんと説明しないと、中国は意味なく個人の人権を侵害する無法国家だ、といった誤解を与えてしまいます。

  この点については、パンフレットの中でジャーナリストの莫邦富が詳しく解説しています。本編の鑑賞前でも、このページを読んでおけば、在ヒューストン中国総領事館の役人たちの過激な行動が理解できると思います。つまり、彼らは国家の方針に沿ってそのように行動せざるを得なかった、ということをです。

  主人公を軟禁し強制的に帰国させようとする総領事役の俳優(あの流暢な英語からすると、中国系アメリカ人俳優だと思われます)の演技が見事で、はっきりとしたセリフはなくとも、自身もこんな乱暴なことをするのは本意ではない、といった思いをにじませた複雑な表情がすばらしかったです。

  主人公リー・ツンシン役のツァオ・チー(漢字が「曹馳」だとやっと分かった)は、演技では影が薄かったです。もっとも、ツァオ・チーは俳優ではないし、リー・ツンシン役の設定も、アメリカでの生活に戸惑い、英語もロクにしゃべれない、というものなので、あまり気になりませんでした。

  オーストラリア・バレエ団の現役プリンシパル、マドレーヌ・イーストーも主人公の同僚であるバレリーナ、ローリ役で出演していました。ちびっとだけ特別出演、なんてもんではなく、主要な脇役の一人(!)でした。『ドン・キホーテ』グラン・パ・ド・ドゥ、グレアム・マーフィー版『白鳥の湖』などを主人公役のツァオ・チーと踊るだけでなく、最後まで主人公を助け、主人公のアメリカ残留に協力するという役柄です。

  主人公と結婚するエリザベス役は、『センター・ステージ』で主人公を演じたアマンダ・シュールでした。今は女優業に専念しているようですね。

  主人公の母親役はジョアン・チェンで、あのセクシー女優が、見事に中国の僻地の農村のど根性オカンになっていたのでびっくりしました。大陸出身の俳優はこれだからすごいです。ハリウッド俳優と同様、中国の俳優も役に合わせて体重や顔つきをコロコロ変えることができるんだよね。コン・リーなんかもそうですね。

  そして!個人的に超楽しみだったカイル・マクラクラン!!!中国総領事館に軟禁された主人公を救出すべく、辣腕をふるうフォスター弁護士役です。いや~、『ツイン・ピークス』のクーパー捜査官のときと髪型が同じでやんの(笑)。もう51歳だけど、若い若い。声が低くてカッコいいし、落ち着いた渋みのある雰囲気で、なかなかいいオヤジになったわね。このフォスター弁護士は、いかにもアメリカ的やり手弁護士というか、まずマスコミを煽り、裁判所の判事を動かし、果てはアメリカ政府まで巻き込んでしまうド派手な活躍ぶりでした。役柄的にはいちばんおいしいかも。

  ちなみに判事役はちょっとしか出てきませんが、ジャック・トンプソンという俳優さんで、「オーストラリア映画界の伝説的名優」なんだそうです。いわゆる特別出演というヤツですね。大島渚監督の『戦場のメリー・クリスマス』にも出演したそうで、記憶をたぐりよせてみると、反日感情をむき出しにした捕虜役のおじさんがいました。たぶんあの人でしょう。

  ツァオ・チーは、素はあんなに爽やかイケメンなのに、役柄のせいで、安っぽい中国製の背広(スーツではない)に、異様に幅の広い赤いネクタイをし、眉をぶっとく描かれ、髪形もダサい七三分けという姿でした。原作者にあえて似せた髪型とメイクをしたようです。とはいえ、ツァオ・チーの素材を生かして、素のままで出したほうが、もっと観客を増やせたんじゃないかしらね?

  劇中バレエは、『紅色娘子軍』に似せた作品、『ジゼル』第一幕、「パ・ド・ドゥ」(ベン・スティーヴンソン振付、グレアム・マーフィー改訂振付)、『ドン・キホーテ』よりグラン・パ・ド・ドゥ、『白鳥の湖』(マーフィー版)、「中国をテーマにしたバレエ」(グレアム・マーフィー振付)、「春の祭典」(マーフィー版)でした。

  この中で、グレアム・マーフィーとツァオ・チーの黒歴史になりそうなのが「中国をテーマにしたバレエ」です。題名ぐらいテキトーに付けろよ、と言いたいですが、これがまたイタタな代物で、題名をつける気にならなかった気持ちも分かります。18世紀の中国の画家、鄭板橋を描いたんだそうですが、ツァオ・チーは白い着物を着て、真っ白にファンデを塗りたくり、黒い長い髪を後ろで束ねているという、ゲームのキャラばりのお耽美な姿で、なんか踊ってました。でも18世紀ならなー、弁髪(←世界史の教科書に載ってたよね)のはずだぜえ。

  それから、踊りのシーンで気になったのが、ぶつ切りの撮影がほとんどなことと、余計な加工を加えていることです。ぶつ切りの撮影は仕方ないとして、問題は加工のほう。

  たとえば、ツァオ・チーが回転をする場面(『ドン・キホーテ』)では、おそらく再生速度を速めて、実際の回転速度より異様に速く見せています。あれはすごく不自然でした。フィギュア・スケートのスピンみたいに速いんです。あんな超ハイ・スピードで回転する男性ダンサーなんて見たことないですよ。

  そして、跳躍をスロー・モーションで見せていること。印象を強めるための「効果的演出」(たとえば「春の祭典」)としてのスロー・モーションはいいのですが、跳躍後の滞空時間を長く見せるための「セコい小細工」(特に『ドン・キホーテ』)としてのスロー・モーションはいただけませんでした。

  劇中バレエの中で良かったのは、ベン・スティーヴンソン振付、グレアム・マーフィー改訂振付の「パ・ド・ドゥ」で、原題は「三つの前奏曲」だそうです。バレエのレッスンに用いるバーを巧みに用いた、美しい振付の男女のパ・ド・ドゥです。

  最も良かったのが、マーフィー版「春の祭典」です。「春の祭典」は音楽の力がそうさせるのか、どの振付家が作っても同じような壮絶な迫力を持った作品になるみたいですが、このマーフィー版もなかなかよさげで、ぜひ全編を観てみたいと思いました。

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