スペードの女王

  Kバレエの「白鳥の湖」を観て以来、落ち着かない気分が続いています。なにかこう、あまりよくない性質の空気がまとわりついているような感じで、気持ち的にしこりが残り、マイナス思考にもなっています。

  吉田都見たさにチケットを取ったものの、やはり今回の観劇はすべきではなかった、と今さらながらに反省しています。自分とそりの合わないものは「敬して遠ざく」べきでした。Kバレエの観劇は、今後しばらく「封印」するつもりです。

  「みそぎ」をせにゃならんな、と思いました。人間とはよくできているもので、自分にとって、「みそぎ」には何が最適か、ということを知らず知らずのうちに教えてくれるようです。

  ここ数日、私はなぜかローラン・プティ振付の「スペードの女王(Pique Dame)」(ボリショイ・バレエ)が気になって仕方がありません。頭の中ではチャイコフスキーの「悲愴」が流れ、ニコライ・ツィスカリーゼがゆっくりと踊っています。

  なぜ「スペードの女王」なのか、理由はまったく分かりません。私はツィスカリーゼのファンだというわけではありませんし。でも、これが今回の「みそぎ」には最適な作品だ、と自分の心が教えてくれていると思ったので、ようやく映像版を観ることにしました。

  「スペードの女王」映像版を観ていたら、安心感が心の中に広がっていきました。「悲愴」の音楽も、こちらを作品の世界に引き込んでくれます。

  結局、私は静けさと秩序と安定を求めていたのだと思います。「スペードの女王」がそういう作品かどうかは、人によって意見が異なるでしょうが、少なくとも今の私にとってはそういう作品なのです。

  1回観ただけでは足りないので、あと数回は観るつもり(短い作品だしね)です。実際の舞台を観たときには、踊り手がすばらしいだけで、作品としては特に際立った出来ではないよなあ、などと思いました。でも映像版を観て、この際立ったところのない(あくまで私の感想です)点こそがよいのだ、と思い直しました。

  抽象的で簡素なセットの中で、振付を効果的に見せるよう巧みに配置しなおされた「悲愴」の音楽に乗って、終始安定した踊りをみせるダンサーたち。

  濃くて具材のにぎやかな料理を食べた後には、こうしたあっさりした、しかも味の確かな料理が適しているようです(ツィスカリーゼの顔は濃いかもしれないが)。  
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