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モニカ・セレシュ襲撃事件


  tennis365.netが5月4日に配信した 衝撃の事件から20年、セレス「あの事件で、私のテニス人生は一変」 を読みました。そうか、もう20年経つのか。

  セレスはもちろんモニカ・セレシュ(シングルス元世界ランキング1位、現在は引退)です。セレシュは世界ランキング1位だった93年4月30日、ドイツのハンブルクで開催されていた大会の試合中、ゲームの間の休憩時間に自分のベンチに座っていたところを、観客席から出てきた男に背中を刺されました。あの映像は日本のニュースでも流されて大騒ぎになりました。

  刺されたセレシュは驚いてベンチから立ち上がり、前の地面に座り込んでしまいました。人々が男を取り押さえました。医療スタッフたちが地面に座ったままのセレシュの傷を診て応急手当をしている間、セレシュは顔をしかめながら背中に手をやっていました。セレシュがガムを噛んでいたのがなぜか記憶に残っています(このころのセレシュはガムを噛みながら試合をしていた)。やがて、セレシュは担架で運ばれていきました。

  医療スタッフたちが駆け付けたとき、セレシュは動転してしまって事態を把握できておらず、医療スタッフたちに向かってこう言ったそうです。「いったい何が起きたの!?」、「私はもしかして刺されたの!?」

  傷は浅かったそうですが、背中の筋肉が損傷を受けてしまっていました。そのため、再び試合に出場できるようになるまでには数ヶ月から半年かかるという診断が下された、と報じられました。

  セレシュを刺したのは、当時のセレシュの後塵を拝していたシュテフィ・グラフのファンと称する男でした。セレシュがいなくなれば、グラフが再び世界ランキング1位になれる、と勝手に思い込んでの犯行でした。男は頭のおかしい人(おかしくなければこんなことはせん)で、警察が男の自宅の家宅捜索を行なったとき、男の部屋の壁は四方ともグラフの写真で貼り尽くされており、それは異様な光景だったそうです。

  その後の展開は複雑なものでした。今の選手はほとんどが優等生的な、当たりさわりのない無難なことしか口にしませんが、当時の選手たちはもっとはっきりと物を言いました。たとえ、そりゃ無茶な言い分だ、と思えることでもです。だから選手の失言騒動や、選手同士がマスコミを介して悪口の応酬をすることがありました。

  しかし、まず口を開いたのは、激しい怒りに燃えたセレシュの父親でした。セレシュの父親の怒りは犯人の男にではなく、シュテフィ・グラフに向けられました。セレシュが長期の戦線離脱を余儀なくされると分かったとき、セレシュの父親は、娘が大会に出場できない間は、グラフも大会への出場を自粛するべきだ、と発言しました。

  セレシュも同じ意見だったようです。彼女(グラフ)が事件後も平然として大会に出場している神経が理解できなかった、と後に述べています。

  事件発生直後のグラフの態度についても、セレシュは不信感を露わにしました。事件が発生した後、グラフはセレシュが入院している病院を訪れてセレシュを見舞い、自分の国(ドイツ)でこんな事件が起きてしまって本当に申し訳ない、と謝罪したそうです。しかしグラフは、じゃあ自分は試合があるから、と言うと、すぐに病室を出て行ってしまったというのです(あくまでセレシュの話では)。

  犯人の男の目論見どおり、セレシュが療養している間、グラフは世界ランキング1位に返り咲きました。それが余計にセレシュとその父親の怒りをかき立てたのでしょう。しかし、グラフもセレシュに合わせて大会に出るな、というのは無茶な言い分でした。グラフが男に指示してセレシュを襲撃させたわけではありません。

  それに、グラフが大会出場を自粛したら、悪い前例を作ってしまうことになります。A選手のキャリアを妨害したいと思ったら、逆にその対戦相手であるB選手を襲って、「自分はA選手のファンだ」と言えば目的を達成できることになるからです。頭のおかしい人でも、そういうとこには意外と頭が回るもんです。模倣犯が現れる結果になったでしょう。皮肉な目で見られもしたでしょうが、グラフは沈黙を守って大会に出場し続けました。

  セレシュは背中の傷が治っても、なかなか大会に復帰することができませんでした。セレシュは深刻な精神的症状に襲われていました。今で言えばPTSD(心的外傷後ストレス障害)でしょう。今でこそPTSDという語はよく知られていますし、治療法も進歩していますが、当時はまだそうではなかっただろうと思います。

  セレシュは毎日ふさぎ込み、泣いてばかりいて、なぜ私がこんな目に遭わなくてはならなかったのか?なぜ私でなくてはならなかったのか?と心の中でくり返す日々だったそうです。結局、セレシュが選手活動を再開するまでには、2年余という長い時間がかかりました。

  そのうち、セレシュの怒りはドイツという国全体に向けられました。そのきっかけは、ドイツの法廷が、被告(犯人の男)は精神に異常をきたしていた状態で犯行に及んだと判断し、軽微な刑(執行猶予付き実刑判決)を下しただけであっけなく結審したことでした。

  セレシュは、今後は二度とドイツの大会に出場しない、と宣言しました。同時に、それからは何かにつけ、シュテフィ・グラフへの批判を公然と口にするようになりました。

  グラフとセレシュはもともと仲が良いわけではなかった、という以前に、グラフは他の選手たちとうちとけることがない選手だったようです。大会会場のロッカー・ルームでも、他の選手たちと話をすることはほとんどない、とある選手が言っていました。

  一方、グラフ一家の団結とガードは固く、ドイツにあるグラフの自宅は高い塀に囲まれ、門から家屋が見えない作りで、「この家に用件のある方は以下の番号に電話して下さい」というボードが設置されていたとか。

  そのうち、シュテフィ・グラフが多額の脱税をしているという容疑で、ドイツ当局が本格的な捜査に乗り出しました(それまでずっと内偵してたんだろうね)。これも大きな騒ぎになりました。

  脱税額は覚えてませんが、巨額だったのは確かでしょう。脱税の手口そのものは単純でした。虚偽の書類を作成しての不正経理です。まず、グラフの父親であるペーター・グラフが事情聴取されました。続いて、シュテフィ・グラフも当局から事情を聞かれました。

  問題は、シュテフィ・グラフ自身が脱税に関与していたかどうかです。ドイツ国内にとどまらない、世界的なスター選手であるシュテフィ・グラフが脱税容疑で逮捕されれば、それこそ一大スキャンダルです。

  まずいことに、架空の契約、経費、支出などが書いてある一連の虚偽書類には、シュテフィ・グラフの「直筆サイン」がありました。シュテフィ・グラフに対する疑惑はいよいよ深まりました。

  世間の注目が集まる中、事件はあっけない幕切れを迎えました。ドイツ当局はこう発表しました。脱税は父親のペーター・グラフが主導して、シュテフィ・グラフには秘密で行なわれた。虚偽の書類に記されていたシュテフィ・グラフの「直筆サイン」は、実はペーターが娘のシュテフィに無断で製造した「自動直筆サイン機」を用いて記入したものである。従って、シュテフィ・グラフは脱税には関与しておらず、父親が脱税している事実自体を知らなかった。

  かくして、父のペーター・グラフ一人が逮捕・起訴され、シュテフィ・グラフに累が及ぶことはありませんでした。あくまで噂ですが、さすがにドイツが生んだ世界的スターを逮捕することを躊躇した当局とグラフ側との間で、一種の「司法取引」が交わされたのではないかという話です。ペーター・グラフが罪を認める代わりに、シュテフィ・グラフの罪は問わない、という。

  シュテフィ・グラフはインタビューで、金銭面の管理はすべて父親任せだったので、自分が1年にどのくらいの収入を得ているのかも知らなかった、と答えました。グラフのこの弁明に対して、モニカ・セレシュは、自分の年収も知らないなんてありえない話だ、と批判しました。

  復帰後のセレシュは、自分の仕事の雑務や身の回りのこと一切を自分で管理して行なうようになったそうで(治療中に一種の自立訓練を受けたのかもしれないですね)、なおさらグラフの言い分が納得できなかったようです。

  脱税事件後、グラフは「シュテフィ・グラフ・スポーツ会社」を興すことで、脱税のイメージを払拭し、今後はクリーンな経理に徹する姿勢を打ち出しました。

  そのころ、女子テニス界にも10代の若手選手が台頭してきており、グラフはそれまでの彼女からすると不調の時期が続きました。これにはグラフ自身の怪我の影響もあったようです。脱税事件が起きて成績不振が続いた後、グラフは休養を取って活動を停止した時期があったように思います。

  休養を取っていた時期、グラフはメディアのインタビューに応じることが多かったです。内容はいずれも共通していました。一人の人間として、一人の女性としてのシュテフィ・グラフに焦点を当てたものです。

  そういった記事の一つのタイトルは確か、「優勝よりも、愛がほしい」でした。併載された写真も、フェミニンな服装のグラフが、試合では絶対に見せない柔らかい表情を浮かべ、ただしテニス・シューズを履いているという、シュテフィ・グラフが抱えている、トップのプロテニス選手であることと、一個のかよわい孤独な女性であることとの「葛藤」をイメージ化したものでした。

  グラフの「プライベート映像」も公開されました。その内容はやはり、普通の若い女性としてのシュテフィ・グラフが、買い物を楽しんだり、スタイルや体重を気にする様子だったりという映像でした。グラフ側によるイメージ挽回策の一環、とテニス雑誌でさえ指摘していました。

  セレシュを襲撃した犯人が自分のファンであったこと、セレシュ不在の間に世界ランキング1位になったこと、脱税事件、成績不振と、グラフにはセレシュと違って同情される余地がなかったどころか、悪者扱いさえされました。だからグラフも辛かったには違いありませんが、それでもグラフ側によるあからさまな一連のイメージ操作には、セレシュよりもグラフのほうが好きだった私でさえ違和感を覚えました。

  涼しい顔してるけど、グラフはけっこう食えない女だな、と思うことは、その後もありました。今でも、グラフは一体どんな人物だったのか分からないですね。


  
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