シュトゥットガルト・バレエ団『オネーギン』(11月22日)-2


  ロマン・ノヴィツキーのオネーギンの演技は大層にすばらしかったです。第一幕から第二幕中盤までのオネーギンは、これがまた実にヤなヤツでのう。気取ったナルシストの軽薄バカ野郎。

  本当は悩みなんてないクセに、「僕は人生に絶望しているんだおぅ」と超わざとらしい愁いの表情を見せ、おーげさな仕草で手を額に当てて嘆いてみせる(そしてわざとらしい嘆きのソロを踊る)。で、まだコドモのお嬢ちゃんタチヤーナはすっかりそれを真に受けてしまうんだな。

  オネーギンの更にヤなとこは、タチヤーナに影のある愁いの表情を見せておいて、次には「いや、なんでもありません、フッ」と伏し目がちにほほ笑みながら首を振り、強いて明るい笑顔を浮かべてみせる(そしてタチヤーナと踊る)。そうかと思うと、次には再び暗い表情を浮かべ、影のある背中(ちょうど衣装も真っ黒だし)を見せて去ってしまう。で、まだコドモのお嬢ちゃんタチヤーナはすっかりそれに騙されて、オネーギンに完全ノックアウトされてしまうワケじゃ。

  こういうふうに、観客を大いにイライラさせる軽佻浮薄な無為徒食の金持ちバカ男オネーギンを演じてみせたノヴィツキーは実に見事だと思うのです、はい。

  第二幕のタチヤーナの誕生パーティーも、オネーギンは田舎貴族の宴会と頭からバカにしきって、客たちから挨拶されても「田舎者とは話したくないね」とばかりにガン無視。そのくせ、身分の高いグレーミン公爵には自分からずんずん近寄っていって、お辞儀して馴れ馴れしく握手というコスい真似をする。ちなみにグレーミン公爵役のマテオ・クロッカード=ヴィラは故岡田眞澄氏似である。

  オネーギンがオリガにちょっかいを出してレンスキーをからかったのも、田舎の小娘(タチヤーナ)の恋愛ごっこに付き合わされてうんざりした(気まずさの裏返しでもある)腹いせだったということが、ノヴィツキーの表情で分かるわけです。「アイツ(レンスキー)がオレ様をこんな田舎屋敷(ラーリン家)に連れてきたせいだ」という完全に滅茶苦茶な理屈の八つ当たり。

  ノヴィツキーの、あの人を小馬鹿にした表情の気取ったオネーギンを思い出すだけでムカつくわ(笑)。

  しかし第二幕の最後、レンスキーを自分の手で殺してはじめて、オネーギンは心からの激しい後悔と悲しみに襲われます。そして、第三幕では見事な落ちぶれっぷり。以前は無意味な悩みに自己陶酔していたのが、今はレンスキーを殺してしまったリアルな罪悪感に依然として苛まれている。そうした年月を長く経た末に、髪は白髪だらけでボサボサになり、口鬚は形が悪くてショボく、眼は落ち窪み、おどおどした視線で周囲を見回しています。眼も心なしか血走っているように見えました。ノヴィツキーのあの表情と眼は良かったです。

  それから感心したのがノヴィツキーの姿勢。第一幕と第二幕では、オネーギンは常に上半身がふんぞり返ったエラソーな姿勢ですが、第三幕では常に猫背気味で、しかも客席に姿勢の悪い後ろ姿を見せて歩くものですから、余計にオネーギンの落魄ぶりが感じられました。

  オネーギン役なら第三幕でのこうした演技は当たり前なのですが、意外に落ちぶれたみじめな雰囲気を出すのは難しいようです。年取ってから「演技派」に路線変更しようとして、このオネーギン役をやって失敗したダンサー、何人か見たことあるからね(特に誰とは言わんが)。

  第三幕最後の別れのパ・ド・ドゥでも、ひたすらタチヤーナにしがみついて哀れみを乞うオネーギン。タチヤーナ役のカン・ヒョジョンの、心を揺さぶられながらも必死に拒む(顔をくしゃくしゃにして、本当に泣いているように見えたほど)演技とあいまって、別れのパ・ド・ドゥはドラマティックなものとなりました。

  (次はレンスキー役のパブロ・フォン・シュテルネンフェルスかカン・ヒョジョンについて書くつもりです。また後日~)

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