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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

オウム真理教とアベ政権

2018年07月08日 12時07分50秒 | えいこう語る

▼「似て非なるもの」という言葉がある。いかにも道理に合っているようだが、実は正しくないもののことを言う。また、一見似たようだが実は違うもののことを言う。

▼アベ政権下の女性の法務大臣が、オウム真理教のアサハラ教祖と幹部、計7人の死刑を一日で執行した。「大量殺人に対する報復は大量死刑か?」。法治国家であるが、一度に7人の死刑はさすがに心が曇る。

▼思い出すのは、故鳩山邦夫元法務大臣だ。在任中13名の執行命令を出し「死に神」の異名を付けられた。「刑事訴訟法415条2項」では、死刑確定後、6ヶ月以内で執行しなければならないとされている。判を押さぬ大臣がいて、増え続けたのが理由かもしれないが?。

▼だが「死に神」というのは、邦夫さんに失礼だ。蝶の収集で知られる本来は心が優しい邦夫さん。花に囲まれた天国で、蝶を追いかけていると聞いているからだ?!。

▼オウムでは、後6人の死刑囚がいる。間もなく、上川陽子法務大臣も邦夫さんと同じ人数に達するだろう。「死の女神」または「死の女王」などという、異名が付けられるのだろうか。

▼被害者の遺族からは「彼らにはもっといろんなことを話してほしかった」という声が上がっている。信仰の自由は認めるが、現内閣のように00省などという、新国家のような体制をとり、大量殺人を起こし政府転覆計画を立てるのは「テロ等準備罪」の適用だ?。

▼だが、首謀者がなにも語らないまま終わっては、真相は闇の中だ。次に起こるこのような事件も防ぎようがないだろう。

▼防ぐためには「準備罪」をいち早く適用するしかないということになり、思想・信条の自由は大幅に制限されるのではないかと心配は尽きない。

▼オウム事件は「森友・加計問題」と似ているような気がする。首謀者である「アサハラショウコウとアベシンゾウ」が、共に真相を語らないことだ。

▼だが異なっているのは「アサハラは死んだがアベは生き残っている」。これが「似て非なるのも」ではないかと私は直感したからだ?。「もりかけ問題」では、数人の死刑者(辞職など)?が出た。上川法務大臣には「正義と公平」を正しく判断してもらいたいものだ。

▼再審請求中の死刑囚もいたという、オウム真理教幹部のの大量死刑。政権にたてつく者は「治安維持法」で口封じをするという、戦前回帰の風潮に似てはいないか。

▼【戦後レジ―ムの解体】を叫び、憲法9条を変えようとするアベ総理。もしかして、平和国家を転覆しようという、アベ真理教ではないかと、ふと考えてしまった。

▼オウム真理教とアベ政権。「似ているようで似ていないように見えるが実は似ている」そんな気がしてきた。7月とはいえ妙に肌寒い。アサハラショウコウが降らせたと思わせるような、死者や行方不明の多い大雨の日本列島だ。

親友の死へ別れの言葉

2018年07月07日 11時16分22秒 | えいこう語る

▼私が高校に入学したのは、東京オリンピックが開催された昭和39年だ。それ以後ずっと付き合ってきたのが、KとM君だ。3人共に東京に出た。その後、Kはベルギーで結婚し移住を決めた。

▼Mと私は、函館に戻った。1昨年の11月、Kが帰国し3人で飲んだ。その時、Mは春に手術を終えたばかりだった。私も体調が思わしくなかった。Kは帰り際に「今度逢う時には、体調を戻しておけよ」と言い残し、機上の人となった。

▼その3ケ月後、ベルギーから訃報が届き、昨年の8月、故郷函館の両親が眠る墓に戻ってきた。もともと、ほりの深い顔だったが、晩年は西欧人化していた。骨の半分は、バカンスでよく訪れていた地中海に、散骨してきたというので「半骸骨人」と私は称している。

▼その時、友人たちが集まり「明るく楽しく」というコンセプトで「お別れの会」を催した。もちろん、普段着での参加をお願いした。Kは横浜港からベルギーに旅立つ時、私が購入したばかりの、アロハシャツを欲しいと言ったので、プレゼントした。そのことを思い出し、私はアロハシャツを着て参加した。

▼会のプランニングは私が担当し、Mには総合司会をやってもらった。Kの子供たちは日本語が通じない。日本に留学経験のある通訳を連れてきたが、大いに感動してもらい帰国した。

▼Kの長男は、自国の大使館に勤めていて、大使を目指しているそうだ。「少年よ大志を抱け」と言いたかったが、たぶん伝わらないと思ったので、それは飲み込んでしまった。大使になったら日本駐在を希望し、その時は、Mと私を大使館に招待して欲しいと、伝えておいた。

▼そのMに、病魔が襲いかかり、先日旅立った。私が「別れの言葉」を述べることになった。そこで、夢の中にKが現れ、Mへメッセージを託されたとして、初めにKからの、浄土からのメッセージを読み上げた。その後に私の別れの言葉が続くが、弔辞を一度に二本読んだのは、初めての体験だ。

▼親愛なるM君へ
昨年の私の「お別れ会」では、総合司会をやっていただき感謝しています。私も亡くなってから1年経ちましたが、先に行っていた、先輩たちや家族に会えて、毎日楽しく暮らしています。君のご両親やA姉さんも君の来るのを楽しみにしています。私も君も旅立つのは少し早かったけど、これも人生だと思っています。一人残された川口が寂しがっているので、彼には俺たちが消化できなかった時間を、プレゼントしてやってください。積もる話は、こちらに来てからにしましょう。闘病生活、よく頑張ったね。 
                 浄土より K

▼函館山の山麓にある火葬場からは、函館港が眼下にみえる。降っていた雨も止んだ。港湾に停泊する数隻の大型船の中に、私たちが青春時代に津軽海峡を往来した、青函連絡船の姿をKは見たに違いない。

▼2018年7月4日、午後1時30分。連絡船の銅鑼の音が聞こえ、享年71歳で、愛した函館の街を旅立った。二人が残した時間とは、どのくらいなのかと、ちょっぴり不安な私だ。