函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
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戦後レジームの総括を

2018年07月20日 07時07分45秒 | えいこう語る

▼「戦後レジームの解体」を叫んだのが,アベ総理だ。解体とは終了させて新たに構築するという、発展的解消だと思うが、アベ総理の頭の中はどうやら、戦後民主主義と呼ばれるものや、戦力なき平和主義を解体し、戦前レジームに回帰させようという魂胆らしい。

▼そう私が実感したのは、今年の4月に出版されたばかりの政治学者白井聡著「国体論」を読んでのことだ。「今の若い者が」という言葉が、70歳の私しにもある。40歳の学者が「国体論」を書いたことにひじょうに興味をそそられた。

▼日本という国は一体どんな国なのだろうと普段考えてきた私だが、この一冊は我が国を語る上での、私の貴重な教科書になった。こんな本に出合えて感動し感謝したというのが、今の心境だ。

▼国体というのは、天皇を中心とする国家体制のことだ。この制度が戦争に突入した大きな原因だ。だが、天皇の責任は免除され、国体は護持された。天皇制なるものを占領政策に利用したのが米国だ。それを「天皇制平和主義」と言う。

▼つまり戦後の国体は、天皇制の上に米国を戴く体制となる。九条を保持したまま、自衛隊を強化させたのは米国だ。この二重構造こそ、戦後レジーム解体後の、極めて重要なた役割を発揮することになるようだ。

▼毎年10月には米国から「年次改革要望書」が届けられ、我が国の方針に影響を与える。アベ政権は【憲法改正】という戦後レジームの解体に向け、極端な「対米従属政策」に走る。トランプとアベは「アメリカン&ジャパン・ファースト」という「双子(双務的)の新安保条約」を構想しているのだろう。

▼米国を頂点にいただく戦後国体の末期たる現在に現れたのは「積極的平和主義」という「米国軍事戦略との一体化」だ。それは自衛隊の米軍の安全な補助戦略化であり、日本全土のアメリカの【弾除け化】を目指すことだと白井は指摘する。

▼話はちょっとそれるが、1951年に成立した日米安保条約での米国の本音が、米大統領特使ジョン・フォスター・ダレスの言葉に見える。【我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させれる権利】それが「日米安保」なのだ。

▼国体と天皇についての、戦後の坂口安吾の言葉がある。「あの戦争において、膨大な人々を殺した天皇制が敗戦でも再建された。天皇制というものは日本史を貫く一つの制度であったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。戦争は軍部の専断横行だった。しかも軍人たるや、かくの如く天皇をないがしろにし、根底的に冒瀆しながら、盲目的に天皇を崇拝しているのだ」。

▼米国もそれを占領政策に利用したのだ。今上天皇の「生前退位」について、有識者会議で「天皇は祈っているだけでいい」と言った学者もいた。2012年の「自民党憲法改正草案」では「天皇は日本国の【元首】であり、日本国および日本国民の統合の象徴」と書きあらためられている。
元首とは、天皇に何の責任を課そうとしているのか。

▼今上天皇の「お言葉」を、昭和天皇の「玉音放送」に匹敵するというのは、ノンフィクション作家の保坂正康だ。天皇はアベ総理に批判的だといわれている。国民は「お言葉」に隠されている内容を自らが解読し、これからは「天皇と国民が身近になる」ことが、平和国家維持の重要課題だともいう。

▼書きたいことはたくさんあるが私の能力では支離滅裂になりそうだ。憲法改正前にこの本を読んでほしい。アベ総理の言う戦後レジームの解体後が見えるのではないかと思う。

▼アベ総理著の「美しい国へ」の最後にはこう書いてある。「日本の欠点を語ることに生きがいを求めるのではなく、日本の明日のために何をなすべきかを、語り合おうではないか」と。

▼白井の「国体論」の最後だ。「お言葉」が歴史の転換を画するものでありうるということは、その可能性を持つということ、言い換えれば潜在的にそうであるにすぎない。その潜在性、可能性を現実態に転化することができるものは、民衆の力だけである。民主主義とは、その力の発動に与えられた名前である。

▼米国や日本の為政者たちから天皇を取り戻すことに、日本の平和主義の未来があるのではないかと、間もなく即位される、新天皇皇后両陛下に期待する私だ。

▼年齢を追うごとに【曖昧な日本の私】というブラックホールに落ち込んでいくような気がする私であるが、この「国体論」でかろうじて奈落の底の手前で、穴の外にはい出る力がわいてきたようだ。